アルトリアさんは、もう彼の正体を確信していました。
今回がバーサーカーとは初めてとなる戦いでしたが、その業、その剣、その能力──違えるはずがありません。彼という騎士に過去何度助けられ、救われてきたことか……それは、星の数ほどに数え切れないほどあって、だから、アルトリアさんが彼の正体に気付けないなど、有り得ないことでした。
たとえ暗闇に覆われ姿を隠したとしても、どうして見紛うことが出来るでしょう? あれだけ多くの借りがあり、あれだけ多くを感謝していた騎士のことなのですから……。
彼が、どういった経緯があって、なにゆえ狂戦士に堕ち、なにゆえアルトリアさんの聖剣を簒奪したのか──昔、円卓の誰かに“人の気持ちが分からない”などと罵られたアルトリアさんには、皆目検討もつきませんが、まあ、闇堕ちなど騎士の標準装備みたいなものですから、良くあることです。驚くほどのことじゃありません。
一撃一撃ごとになにやら壮絶な鬱憤を籠めて打ち込んでくるバーサーカーの剣閃を、全て真正面から受けきりながらアルトリアさんは思い返します。
そもそも“人”の気持ちが分からないなどと言いますが、貴方たちこそ“王”の気持ちを一度でも真剣に考えたことがありましたか?
そこで初めて、アルトリアさんは率先して魔槍を振るいました。凄烈な鋭さで繰り出される一閃。その槍先に籠められたのは、憤りか、悲しみか、あるいは怒りか……。
一体、そんな酷いことを言ったヤツはどこの誰です!? 起きてるんだか寝てるんだか分からないアイツじゃないか! クソぉ、イソルデ以外にあんまりエピソードのないゲストキャラみたいなヤツのくせに! そんなんだから寝取られた相手にいつまでもグズグズと……私を見ろ! 十数年にも渡る不貞がありながら、寛大な心で許そうとしたこの私を! まぁあれはもうほぼ公然の秘密みたいになっていましたけど、それをよりにもよって“甥”と“娘”に暴露された私の気持ちが分かりますか!?
アルトリアさんの槍撃が、さらに重みを増してバーサーカーに叩き込まれます。その一撃に籠められたのは、哀愁か、憐憫か、あるいは鬱憤か……。
貴方たちは何時もそうです! どいつもこいつも好き放題やって! 誘惑に負けて色事に走ったり、ついカッとなって暗殺したり、ついカッとなって決闘したり、危ないって言ったのに聖杯探しにいくわ、案の定そのまま戻ってこないヤツがいるわ、唐突に放浪するわ、いきなり出奔するわ、不倫したり、浮気したり、寝取ったり、裏切ったり、裏切ったり、裏切ったり!
遂にはアルトリアさんの勢いに圧され、バーサーカーが後ずさりし始めます。『世界で最も優れた騎士』と謳われた彼が、後ずさりするほどの彼女の激情とは、はたして何なのか……。
お陰で円卓はバラバラ。キャメロットは陥落。ブリテンは崩壊ですよ! そりゃあ私だって座って悲しむしか出来なくなるってもんですよ! 座って悲しんでたのは、崩壊する前だけど! 嫌な予感してたんだもん、仕方ないじゃないか!
魔槍を扱っているせいか、若干負のオーラビンビンのアルトリアさんが、内心そんなことを思ったかは知りませんが、これまでの防戦一方から一転攻勢に出て、果敢にバーサーカーを攻め立てていきました。
残存魔力が底をついてきたのか、時間が経てば経つほどに弱っていくバーサーカーは、それでもなぜか不思議と充実──いいえ、決して諦めず、果敢に挑んでいきました。気のせいか、アルトリアさんには彼の背中に『私をお仕置きして!』、なんて書かれた紙が貼られている気がします。なんていやな張り紙でしょう。
「そ、そんなにも、そんなにも私に責められたいのか!?
思わず、アルトリアさんは叫びました。若干声色が引いているのはきっと気のせいです。
「そうまでして私に責められたいのか!?
大事なことなので念のため、もう一度アルトリアさんは問いました。
そうだ! あぁ、そうとも! そうなのだろうさ! そんな声が、バーサーカーから発せられた気がしました。そんな彼の態度に、流石のアルトリアさんもついに覚悟を決めました。
アルトリアさんだってこう見えても人間です。見た目は少女でも実年齢は『ピー』歳な立派なオトナなのです。みんなのために一生懸命立派な王さまであろうとしましたが、今は別にブリテン滅んじゃってますし、ここでは変に気取る必要もないでしょう。
「そうか、ならもう遠慮する必要はない! いいか、知ってるんだぞ!? お前たちが影でコソコソ何を言っていたか! 何が燃え派だ、何が萌え派だ! 良いだろう! 今の私は“王”では無いッ! 貴公も今は私の“臣下”ではないッ! ならば存分に、貴公を責めてやろうではないかッ!」
「
それは怨嗟と憤怒の咆哮のようで、歓喜の叫びのようにも聞こえました。
最後までしぶとく生き残っていた臓硯さんの残り滓を、執拗なまでに追跡し、雁夜くんの体内から完膚なきまでに焼き尽くした時臣さんは、この哀れな男のことをじっと見下ろしていました。
確か時臣さんの記憶では、彼は間桐さんちの次男で、葵さんの幼馴染だったはずです。十数年前に魔術から出奔し、つい最近戻ったと聞いていましたが、この様子を見ると随分と悲惨な目にあったようでした。
悲惨すぎて同情の念すら湧き上がってきます。
この男も臓硯さんや鶴野さんと同じ間桐の人間であるならば、慈悲をかける道理もありませんが、間桐さんちに残されていた記録を読み漁った時臣さんは知っていました。
この男だけが桜ちゃんの身に降り掛かった惨劇を忌避し、救い出すためにその身を捧げ、この戦いに臨んだことを……。
だから借りは返さなくてはなりません。それがたとえかつての恋のライバルだったとしてもです。
「その献身と真摯さは驚嘆に値する。今後とも桜をよろしく頼むよ、間桐雁夜くん」
そう言って時臣さんは雁夜くんを担ぐと、さっさとその場をあとにするのでした。なにせ彼は昨日から、謎の暗殺者に命を狙われているのですから……。
この戦いは分かりやすく言うと、ただの子供の喧嘩のようなものでした。
夕日の河原や空き地で繰り広げられる、伝統的な男の子たちの友情劇のようなものです。あるいはドMによるドMのための、お仕置き劇でしょうか。
それに半ば強制的に付き合わされたアルトリアさんもアルトリアさんで災難でしたが、ある意味彼女も生前の鬱憤を少しだけ晴らすことが出来て、ちょっぴり満足だったのかもしれません。
ちょっとばかりドSに目覚めてしまったかも知れませんが、この際、細かいことは気にしないでおきましょう。結果は全て、まるく収まったのですから。まーるくまーるく円満に。まるで円卓みたいですね。
結局、アルトリアさんはバーサーカーが満足するまで──彼が最後に力尽きるまで──戦い続けてあげました。この戦争で新しく得た戦友の残してくれた愛槍で、最期まで……。
どんなに鬱憤を籠めて苛烈に責め立てても、最後の最後でやはり彼女は“彼の王”だったようです。何やかんやでかつての朋友の気持ちを汲み取り、受け入れてあげて、認めてあげたのでした。
バーサーカーが静かに力尽き、倒れていきます。そんな彼をアルトリアさんは、そっと優しく抱きしめてあげました。
「困った御方だ……まさかこんな形で私の慟哭を晴らすとは……」
最期の時、遂に正気を取り戻したランスロットさんがそう言います。いつの間にか彼が纏っていた暗闇は消え去り、その顔が露わになっていました。
「満足でしたか? ランスロット……」
「……えぇ、忝ない。どうにも私は、こういう形でしか思いを遂げられなかったようで……」
彼の顔はとても穏やかで、優しくて、まるでさっきまでとは別人のようでした。これこそ正に、高潔で清廉な湖の騎士サー・ランスロットその人です。
「全く世話が焼けますね。貴方といい、義兄上といい、姉上たちといい、甥たちといい、マーリンといい、モードレッドといい、円卓といい……」
「……貴方もあまり、人のこと言えませんですけどね」
そのあんまりなランスロットさんの発言にも、アルトリアさんは笑顔で返しました。
思い出されるのは、何度も経験してきた失敗や挫折、後悔の数々。一時期はそれを否定しようとさえしていましたが、でも──
「えぇ、ですが、それがあったからこそ、私たちはあそこまでいけたのです。確かに国は滅び、最期まで貴方とは袂を分けたままでしたが、こうしてまた再び会うことができた。ここに至るまでの足跡に、私はもう後悔などありません。
結局のところ、私たちは少し、お互いの関係性に固執し過ぎていたのかもしれませんね」
しっかりと抱き締めて、アルトリアさんは言いました。もう体の重さすら感じられなくなってしまったかつての盟友の耳元で、ゆっくり言い聞かせるように……。
「えぇ、そうだったのかも、しれません。貴女は正しく王で在りすぎたし、私たちは、正しく貴女の騎士で在ろうとしすぎた……」
「私にしてみれば、居てくれるだけで十分だったのですがね……本当、誰も彼も余計なことを……」
アルトリアさんは苦笑しました。それは、王としてではなく個人として彼と戦った、今のアルトリアさんだから出せる笑顔だったのかもしれません。
「ハハ……返す言葉もありませぬ……」
ランスロットさんはそのままアルトリアさんに身を任せ、万感の思いをこめて呟きました。
「あぁ、変わられましたな、王よ」
「私とて、成長するのです。体の方はそのう……もう見込みはありませんが、心の方は確かに……」
こんな遥か時の彼方でも、たとえ僅かな現し世の間であろうとも、人は確かに成長することが出来るのです。そのことをアルトリアさんは、この戦いで学んでいました。
「えぇ、本当に成長なされた……こんな歪んだ形とはいえ、最期に貴女の胸を借りられるだなんて、思ってもいませんでした……」
「いいえ……私程度の胸ならば、幾らでも貸しますよ」
微笑みを新たにしてアルトリアさんは言いました。
その安らぎに満ちた微笑みは、王さまというよりも聖女と言った方が正しいのかもしれません。そりゃあ、どこぞの元帥さんも見紛うというものです。
「あぁ、王よ……」
安らぎに包まれて、アルトリアさんの胸にうずくまりながらランスロットさんは言いました。
「何ですか? ランスロット」
慈愛をこめて、アルトリアさんが囁きます。
「前から思っていたのですが……あぁ、なんとも……
ピシッという音が聞こえた気がしました。
「……最期に言い残す言葉が、言うに事欠いてそれですか?」
「いえ、どうやら私のマスターは、存外しぶとい男のようで……つい感想を……」
随分と失敬な感想ですが、それでも彼を離さなかったのはアルトリアさんの優しさか、或いは度量の広さなのか……それは彼女に抱かれたランスロットさんしか、知り得ませんでした。
「……はぁ、全く」
まるでいたずらがバレて怯える子供に呆れる母親のように、アルトリアさんは溜め息をつきます。そして、ふと何か良からぬことを閃いた顔をしてニヤニヤと続けました。
「実は、私も前から思っていたことがありまして。ランスロット、貴方はその素顔より兜をしていた方が、ミステリアスで格好いいですよ?」
「なっ……」
その発言には、流石にランスロットさんも呆気にとられました。世界中の女性を虜にした彼の清涼なる顔面全否定の発言に、最期の時だというのに笑いが込み上げてきます。
「ハハ……それでこそ、我らがアーサー王だ……あぁ、王よ、“これ”を……」
ランスロットさんから手渡されたのは、かくも輝かしき聖なる剣。約束された勝利を宿し、あまねく騎士たちの希望と憧憬の結晶体。彼女の手に在るべき彼女の剣。
「えぇ、
そう言って渡された聖剣を手に取るアルトリアさんを見て、ランスロットさんは終わりの笑みを浮かべました。
「えぇ、今度は、
ようやく報われた騎士の亡骸が、最後の極光となって消失していきました。そして同時に役目を果たした槍兵の魔槍も幻想へと消えています。
またしてもやはり、彼らの想いを携えた“イシ”を残して……。
結局、思わぬ伏兵に狙撃され、それが原因で綺礼くんはあっさり敗北を喫しました。
幸か不幸か未だ息はあり、どうやら急所も外れているようですが、僅かな隙のうちに完全に切嗣くんに背後を取られ、どうやら勝敗は決まったようです。
背中に押し付けられた熱い銃口の温度を、服越しにひしひしと感じながら、綺礼くんは呟きました。
「私の敗けか……」
低く唸るような、失意と失望に溢れた声色でした。このとき初めて、切嗣くんは綺礼くんの声を聞いた気がしました。
「あぁ、貴様の敗けだ……」
掠れきった、疲労と虚無に包まれる言葉でした。この時初めて綺礼くんは切嗣くんの声を聞いた気がしました。
「……出来ることならば……“アレ”が生まれるところを……この目で見たかった……」
諦めと達観の入り交じった声で、綺礼くんは言いました。
生まれてはじめて掴んだ生きる意味。生まれてはじめて手に入れた戦う理由。生まれてはじめて求めた願い。全ては“アレ”を生み出すためだというのに、“ソレ”を見ることが叶わぬなんて、なんて、なんて──
綺礼くんが思考出来たのは、そこまででした。
コンテンダーの銃口から火炎とともに飛び出した僅か10数gの鉛の塊が、音よりも先に綺礼くんの鍛え上げられた肉体に到達し、内蔵を抉り、骨格を貫き、命を砕きます。
崩れ落ちる男にもはや生気はなく、魂の抜けた肉塊となって拝むように果てていきました。その顔は醜悪な笑みで彩られ、まるで神に祈っているかのような姿は、切嗣くんにとってとても不快に見えました。
その亡骸に向かって切嗣くんは吐き捨てます。
「貴様のその狂った思考──愚かすぎて僕には理解できないよ」
結局、切嗣くんには綺礼くんが最後まで何をしたかったのか、知ることは出来ませんでした。むしろ知ろうともしませんでした。でもそれでいいのです。戦いはもう、終わったのですから。
引き絞った
もうここには用はありません。切嗣くんには、他にまだやるべきことがあるのです。彼は何の感慨もなく、この場を後にしました。倒れ伏す男の満足そうな笑みの意味を、知らぬまま……。
湖の騎士を看取ったあと、アルトリアさんは駆けました。
彼女にはまだ成すべきことがあるのです。その身に流れ入る魔力から、切嗣くんが健在なのは承知しています。体調は万全、聖剣はこの手に戻った──ならば、今こそその責務を果たす時でしょう。世界の守護者たる英霊の責務として……。
地下から一階に駆け上がり、エントランスを抜けコンサートホールへ。眼前の両扉を開け放つと、そこに広がっていたのは、宙に浮かぶ邪悪な黒い孔でした。
「……あれが……聖杯」
一目見ただけで、“アレ”がそうだと知れました。分かっていたとはいえ、実際にこの目で見るとやりきれない思いで一杯です。全てのマスターとサーヴァントが求め、奪い合ったモノ。万能の願望器──それがあんなものだったなんて……。
それは黄金に輝く聖なる杯でもなんでもなく、まるでその空間だけ世界が抉り取られたかのように、虚無の孔となっていました。
知らず知らずのうちに、セイバーさんの瞳から一筋の涙が零れ落ちてきます。それは彼女の中に残っていた最後の未練だったのかもしれません。顔に流れる雫を拭い、アルトリアさんはキッと“黒き孔”を睨みつけました。
「──セイバー」
気が付くと、アルトリアさんの側に切嗣くんがいました。最初はお互いに理解し合えず反目しあい、でも今ではかけがえのないパートナーになった男が……。
「アイリスフィールは?」
“黒き孔”を見据えたまま、それだけを簡潔にアルトリアさんは問いました。この戦いは、彼女を救うための戦いでもあったのですから……。
「問題ない、ちゃんと助け出した。今は舞弥が保護している。アンノウンは上手くやってくれたようだ」
「……そうですか」
それは良かった。アルトリアさんは本心からそう思いました。
最後に燻っていた心残りも、もうありません。もはや彼女の心には、憂いはありませんでした。ならば終わらせましょう自らの手で、この戦争に終止符を打つために……。
アルトリアさんは一瞬だけ、切嗣くんの方へと視線を向けました。初めて会った時には、まさかこんな仲になるとは予想すらしていなかった、男の方へと。
この場に至るまでに、一体どれだけのものを失い、どれだけのものを得たのでしょう。いざその場に至ってみれば、何も失っていないし、何も得ていないような気がします。彼女の手には聖剣があり、そして彼の手にも愛銃が握られているのですから。
だからこれは、何かを得るためでもなくて、何かを失うためでもなくて、全てを
──衛宮切嗣の名の下に、令呪を以てセイバーに命ず──
轟く言霊は耳ではなく魂に響き渡り、アルトリアさんの体を力強く動かしていきます。抵抗は有り得ません。彼女も彼もそれを望んでいるのですから……。
──宝具にて、聖杯を破壊せよ──
その単純で明確な宣言は、アルトリアさんの『風王結界』を解き、勝利の約束された黄金の剣を世界に示します。
それは、かつて夜よりも暗き戦乱の闇を、祓い照らした伝説の勇姿。
──続いて、第二の令呪で以て、重ねて命ず──
聖剣から黄光が迸り、黄金の剣の名に相応しい極光をその身に宿します。それを大上段で構え、アルトリアさんは邪悪の化身となった聖杯を凝視しました。
その者は、10の歳月をして不屈。十二の会戦を経てなお不敗。その勲は無双にして、その誉れは刻を超えて不朽。
──セイバーよ、聖杯を───
輝けるその剣こそは、過去現在未来を通じ、戦場に散っていくすべての兵たちが、今際のきわに懐く哀しくも尊きユメ──『栄光』という名の祈りの結晶。その意思と誇りを掲げ、その信義を貫けと糾し、いま常勝の王は高らかに、手に執る奇跡の真名を謳う。
──破壊しろ──
「
疾走する光の帯は、浮かぶ邪な器へと迫ります。極限の閃光の蹂躙に“黒き孔”が抗う術はなく、まるで儚き夢のように消えていきました。
これで終わりです。これで、この戦争は終わりました。そしてアルトリアさんの長く険しい巷の夢も……。
「これで……終わりですね……」
どこか吹っ切れた晴れやかな顔で、アルトリアさんはそう言いました。
「ああ、終わったな……」
“黒き孔”を消滅させ、市民会館の天井すら吹き飛ばした
聖杯を破壊したことにより、現世との接点が失われ、アルトリアさんの体が揺らいでいきます。残された時間はもうあと少しでしょう。光の粒子が舞い上がり、彼女を包み込みます。
そんな彼女をしっかりと直視して切嗣くんは言いました。こんなふうに誰かと別れるのは初めてのことだったから、こんな時なんて言えばいいのか分からなくて、酷くギクシャクしていましたが、精一杯の想いを籠めて伝えました。
「……君が、僕のサーヴァントで良かった」
やっとの思いで吐き出したのは、そんな別れの言葉でした。
「えぇ、私も貴方がマスターで本当に良かった。無愛想なのが玉に瑕でしたが……」
アルトリアさんの軽口に、恥ずかしげに切嗣くんが苦笑を作ります。
「それにその無精髭も、剃った方が良いですね。それからそのボサボサ頭もどうにかした方が良いです」
「あぁ……善処するよ……」
「頼みますよ? アイリスフィールに恥じぬよう……」
「あぁあぁ……分かっている」
次々と飛び出してくるアルトリアさんの小言に、切嗣くんはたじろぎます。まるでそれは記憶の片隅にすらない母親の姿のようで、ひどく自分が矮小な存在になったような気分がしました。
改めて切嗣くんはアルトリアさんの勇姿を見ます。
たった三度の命令だけの関係になるはずだったのに、アルトリアさんとは多くを語り、多くを知る関係になりました。消え行く従者に、最期に主が出来ることはあるのでしょうか? もう彼の腕には令呪すらないというのに……。
それでも切嗣くんは、もはや淡光となったアルトリアさんに向けて言いました。
「セイバー、ありがとう──
幸せに……
アルトリアさんが微笑みます。
えぇ、貴方の方こそ、お幸せに……
アイリスフィールさんから摘出された『器』は、結局のところただの器にすぎず、そこから生まれた『孔』も、結局のところただの孔にすぎませんでした。
もう何もかも消え去ったコンサートホールから、ぽっかり大口を開けた天井の先にある夜空を、ふと見上げた切嗣くんはその致命的なミスに気が付きました。
目を見開き“ソレ”を凝視します。
『大聖杯』の起動に必要な魔力は英霊の七騎分──アルトリアさんが『器』を破壊したことによりもう魔力は注がれず、その完成は防がれたかに思われましたが、一つだけ想定外のことがあったのです。
それは今回の聖杯戦争には英霊三騎分もの魔力を持つサーヴァントがいて、彼が志半ばにして倒されていたということでした。
そう既に『器』を破壊した時点で『大聖杯』にはゆうに“八騎”分の魔力がくべられていたのです。許容量以上の魔力を得た“ソレ”の起動はもう始まっていたのでした。
それはとても大きな黒い太陽でした。まるで世界をそのまま飲み込んでしまいそうな、大きな大きな黒い孔でした。
死が、絶望が、恐怖が、憎悪が──真の意味での『
唖然とする切嗣くんはその目で見ました。
市民会館へと急ぐウェイバーくんもその目で見ました。
雁夜くんを担いで外に出た時臣さんもその目で見ました。
眠れるアイリスフィールさんを保護する舞弥さんもその目で見ました。
それは大きな大きな『瞳』で、にんまりと嗤いこちらを見つめていました。
アンリ・マユ=アーリマン=アンラ・マンユという図式