ずっと戦い続けてきた──
戦って戦って戦って、戦い続けてきた。
剣で、斧で、弓で、銃で、槍で、拳で、刀で、杖で、本で、魔法で、あらゆるものを使って戦い続けてきた。
神も悪魔も人も獣も、みんなみんな巻き込んで戦い続けてきた。
“誰か”に望まれるがままに、“誰か”に願われるがままに……ずっとずっと戦い続けてきた。
何のために戦っているのか分からなくなっても、誰のために戦っているのか分からなくなっても、それでもずっと戦い続けてきた。
だってそれは
だから私はあなたに望まれるがままに、あなたに願われるがままに、戦い続けてきた。
だって私は──
ハッと気が付くと、桜ちゃんは深くて黒いところにいました。
何もない空間。光も闇もない冷たい場所。とても寂しくて悲しいところ。誰もいない孤独な世界。
でもふと見ると、そこには一人の女の子がいました。紫色の髪をした、小さな小さな女の子が。その姿に桜ちゃんは見覚えがありました。でも名前が出てきません。確かあなたは──
「あなたは……誰?」
「わたし? わたしはね、────よ」
「……?」
女の子が名前を言ったとき、何故かその声はノイズのように掠れ、聞こえませんでした。
桜ちゃんは困った顔をします。名前が分からなくては、彼女のことを呼べません。どうしたらいいのかと思っていると、女の子がそれを察して話を続けてくれました。
「もしかして聞こえなかった? まぁ、でも別に良いじゃない。名前なんてどうでも良いことだわ。あなたにとっても、わたしにとっても。この世界では名前なんてただの“記号”でしかなくて、無意味なものよ。気にすることじゃないわ」
女の子が桜ちゃんの方を振り向いて言いました。彼女の瞳は綺麗なアメジスト色で──その姿はどこかの誰かに似ていました。それが誰だったのか、思い出すことが出来ません。そもそも私は──
「……あれ?」
「ほら、あなたもあなたの名前が分かっていないじゃない。自分が何者かすら分かっていないのに、他の人が誰だか分かるはずがないでしょう? おこがましいにもほどがあるわ」
とても高く透き通る声で、ハキハキと“女の子”が言いました。戸惑う女の子の周りをクルクル廻りながら、キャッハハうふふと愉しそうに笑っています。それはとても不思議な笑い声で、とてつもなく不気味で、何か得体の知れないモノのように思えました。
「……ここは?」
廻る女の子に目線を送りながら、もう一人の女の子が問います。“女の子”は一度止まりもう一人の女の子と向き合うと、両手を大きく広げてまたクルクルと廻り始めました。クルクルとクルクルと。
「さぁ? 真っ暗で何もないところよ。でもあえてわたしたちの知識に照らし合わせて言えば、『無』と呼ばれるところ──」
「暗くて怖くて、恐ろしいところ……
愉しそうに廻る“女の子”の言葉を、戸惑う女の子が引き継ぎます。“彼女”の知識では、確か『無』とはそういうところだったはずです。あれ、でもじゃあ彼女って?
「そう! でも本当は
廻っていた“女の子”が目の前で止まり、ウインクします。その様子は本当に楽しそうで、嬉しそうで、少し狂気を孕んでいました。
「だから──ずっとここで
にんまりと笑顔で“女の子”が、手を差し伸べてきました。それを恐る恐る見る女の子。何かがおかしい気がしました。
「でも、そこは
そうです。“彼女”の記憶の中にある“そこ”は、こんなにも真っ暗で何もない空間じゃなかったはずです。むしろ何もかもがあって、何もかもが存在する世界だったはずです。
女の子の言葉に、“女の子”の顔が蠱惑的に歪みました。
「そう! その通り。全くもって正解よ! “そこ”は『無』という名前ではない。本当の名前は『次元の狭間』。
じゃあ“ここ”はなに? それは、あなたとわたしの記憶の中から、誰かが勝手に作り出した違う場所。“わたしたち”が一番恐れるところ。あなたに恐怖を与えるはずだった場所。何もない世界。でも
“女の子”にそう言われると、桜ちゃんは「あっ」と声を出しました。
突然煌めく閃光のように頭の中がはじけて、一体自分が何者だったのかを思いだします。自分の名前、自分の記憶、自分の過去、自分の思い出──すると突然世界が暗転し、真っ暗な世界から全然違う世界になりました。
「ひっ!」
そこは気色悪い蟲たちが這いずり回り、蠢き、闊歩する忌まわしき場所。桜ちゃんにとっての最初の恐怖の地。この世に生まれた煉獄の地。忘れ去りたい恐怖の世界。でも、犯されているのは桜ちゃんじゃなくて──
「なるほど、ここがあなたの恐怖の源泉なのね」
蟲たちに群がれ犯されながら、女の子が言いました。大量の蟲に埋もれているせいで、桜ちゃんからは彼女の片目しか見えていません。鈍く光るその瞳から、桜ちゃんは目が離せませんでした。
「い……い、いや……いやぁ」
忘れていた恐怖を思いだし、桜ちゃんはへたり込んで震えます。その目には涙がいっぱい溜まっていました。
一年この苦痛を味わった。一年この屈辱に耐えた。一年この地獄に費やした。人生の五分の一もの時間を“これ”に捧げた。
泣いて当然でした。恐れて当然でした。震えて当然でした。助けを求めて当然でした。
「気持ちは分かるわ。こんな酷い目にあったのですもの。泣いて当然、恐れて当然、壊れて当然よ。あなたがヤツらを
「……えっ?」
女の子の台詞に桜ちゃんは呟きを漏らしました。誰が、誰を
“何か”が溢れてきそうでした。何かが桜ちゃんの“ナカ”に入り込み、“何か”の蓋を開けようとしています。決して出してはいけない“何か”の蓋を……。
「忘れたの? それとも忘れたふりをしているの? まあでもどっちでも良いわ。思い出して? ほら、あなたは
「……ぁ、あ、あ……ああああああ!!」
ヤツらを憎んでいたじゃない。
絶叫と共に沸き上がってきたのは恐怖狂気怨嗟嫌悪厭忌醜悪怨念憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪ああああああいつが憎いッ!! わたしを捨てたあいつが、わたしを生んだあいつが、わたしを犯したあいつが、わたしを辱しめたあいつが、わたしを堕としたあいつが、あいつがあいつがあいつがあいつがぁぁあああああああ!!
「そう、それよ。それがあなたの真の感情、真の慟哭、あなたの想い、あなたの願い。
本当は苦しかったのでしょう? 本当は悲しかったのでしょう? 本当は代わって欲しかったのでしょう? こんな目に遭わせたヤツらを、本当は恨んでいたのでしょう? 子供みたいに良い子ちゃんぶって、それを隠していただけなのでしょう? でももう隠さなくて良いのよ? ここにはもう、あなたとわたししか居ないんだから……だからさ──」
あんな世界ぶち壊して、ここで楽しく暮らしましょう?
チカチカと良く分からない世界が見えてきました。それはまるでフラッシュバックのように桜ちゃんの頭の中で駆け巡ります。
木々が生い茂る森の街、砂漠の王宮、水平線まで見える白い海都、寒々しい雪のお城、荒野に聳える城壁、時代劇の中のような街並み。見渡すばかりの大自然。果てしなく続く情景。空も海も大地の果てまでも何もかもが未知に溢れ、そこはとても
面白い世界。幸せな世界。魅力的な世界。喜びに溢れた世界──そこは辛いことや悲しいこともあるけれど、必ず“楽しい”が約束された世界。とても優しい世界。
桜ちゃんの世界とは、似ても似つかない世界。
「……で、でも」
永遠と続く慟哭の中で、それでも桜ちゃんは桜ちゃんの世界で“光”を見つけたはずでした。“あなた”を見つけたはずでした。
苦しい世界。悲しい世界。不幸な世界。この世界には辛いことしかなかったけど、純粋さが悪意に穢され醜悪に変わった中でも、確かに輝いていたことがあったから……。
地獄の釜の底で、独りぼっちのとき、何もかも諦めかけたとき、手を差し伸べてくれた“ヒト”が確かにいたから……。
「……あなたが、来てくれた。あなたが、助けてくれた! あなたが救いだしてくれた! だから──!」
桜ちゃんがそう叫ぶと、あれだけ女の子に群がっていた蟲たちが、一瞬にして吹き飛んでいきました。
「えぇ、それでまた正解よ、桜。別にあなたはあの時、
よく思い出してみて? あなたはあの時、
そしてまた再び、世界が暗転します。次に現れたのは円蔵山からの夜景でした。初めて綺麗だと思った景色。初めて守りたいと思った光景。そう
それを桜ちゃんは女の子と一緒に見つめます。
「でも結局あなたのその“強い想い”を、上手いこと
その風景を見て、その夜景を見て、その景色を見て、桜ちゃんは、桜ちゃんは──
「ぜんぜん、綺麗じゃない……」
息を吐きだしてそう呟きました。
あれだけ綺麗だと思った光景が、あれだけ守りたいと思った街並みが、ただの平凡で当たり前な景色に見えます。何の感情も沸き上がってこず、ただ心はゆらりと凪いでいます。
私はなぜ、あんなにも強い憧憬を抱いたのだろう?
「そう、別になんの変哲もない街並みよ。全然綺麗じゃないし、全然守りたいとも思わない。排気ガスと汚物に塗れた醜悪な地よ。いっそ滅んだ方がマシなくらい。いいえ滅ぶべき場所だわ。別にあなたが、
不機嫌そうに顔を歪めて、女の子は言いました。
「じゃあ、何で……?」
桜ちゃんが震える声で訊きます。
「簡単よ。その
「……ちょっと良く分からない」
さっきから正直言って、女の子の言っていることは意味不明でした。若干五歳の桜ちゃんの脳みそでは全くもって理解不能です。
「まぁ、分からなくて当然よ。
あなたは『依代』として絶好の素材で、"わたしたち”は”彼ら”を倒す『力の渦』として最適だった。結局のところつまりはね、あなたは
より不機嫌そうな顔をして、つばを吐き捨てるかのように女の子は言いました。
「操られて? でも、それは誰に?」
「“誰でもない誰か”よ。この世界の人たちには、よく『抑止力』って呼ばれているみたいだけど、まぁわたしはよく知らないわ。ただ、“彼ら”が言うには──ガイヤより狭く、アラヤより小さき“モノ”──らしいけど、まあどうでも良いことね」
良く分からない単語が飛び出して、さらに桜ちゃんは困惑します。が、女の子がどうでも良いと言うのであれば、どうでも良いことなのでしょう。桜ちゃんはそれ以上突っ込むのを止めました。
女の子の話はさらに続きます、
「兎に角、あなたは
そういった意味では、街中みーんな“ヤツら”に操られていたと言えるわね。逐一頭の中でざわざわ騒いでいたのも“ヤツら”よ。本当、うるさいったらなかったわよね。都合の良いときばかりしゃしゃり出てきて。まるでハイデリンかミンフィ──」
「……な、長い」
ついうっかり、女の子に対して桜ちゃんはそんなことを言ってしまいました。せっかく色々と説明してくれているのに、これではとっても失礼で、申し訳ありません。
「あら、ごめんなさい。でも仕方ないわ。滅多にこんな機会はないし、本来であれば、わたしはこんなふうに
だから、こうして話したいことをドンドン話してしまうのも、可笑しなことじゃないわ。だって初めてのことなんですもの」
「……さっぱり分かりません」
長々と話す女の子に、桜ちゃんは困惑して言いました。
「まあようするに、こうして“あなた”と“わたし”が話すことは、本当ならなかったということよ。
女の子は笑いながら言いました。
彼女の言っていることは、齢五歳の桜ちゃんには半分も理解できませんでしたが、女の子の様子は本当に楽しそうで、そんな彼女を見ていると、つい釣られて桜ちゃんも笑顔になってしまいました。
「だからまあ、何だかんだ言って“ここ”には感謝しているのよ? “あなた”と話せて“わたし”は嬉しい」
これまでにない穏やかな雰囲気で、女の子が言います。彼女に抱いていた得体の知れない印象は、もう何処かに吹き飛んでしまっていました。
「“私”も“貴女”と話せて良かったよ」
「それは嬉しい限りだわね」
表情豊かに女の子がウインクをして見せます。最初に見せた“ソレ”とは、また随分と毛色の違った、可愛らしいウインクでした。
「じゃあそれで、話を戻すけど。何やかんや理由があって、あなたは『抑止力』に選ばれた。救世主になったのよ。あるいは勇者。良かったわね、選ばれし者よ。最低だわ。そのせいであなたは主体性を奪われ、“ヤツら”の思うように動かされていた。
“わたしたち”にはどうすることも出来なかったわ。なぜならある意味では“わたしたち”も、同じような役割を与えられた意思なき存在だったから……。
それにしても酷いとは思わない? こんないたいけな幼女の自由意思を奪って、自分たちの良いように使っていたのよ? もはやこれはレ──だわ。世界ぐるみの──プ」
女の子が最後の方に何を言ったのか桜ちゃんには聞き取れませんでしたが、なにか卑猥なことを言ったのは分かりました。それと、女の子が“ヤツら”というヒトに向かって怒っているのも。でもその怒りはどこか違和感があって、桜ちゃんの呼吸を少し苦しくさせました。
「──それで結局、あなたは“こんなところ”で、“こんなことに”なってる」
気が付くといつの間にか、景色が変わっていました。
そこはさっきまでいた円蔵山じゃなくて、桜ちゃんたちが戦っていた冬木市民会館で、その空には──
「黒い太陽?」
「正確には『孔』よ『孔』。大きな黒い『孔』。この世全ての悪が生まれる、大きな大きな『孔』」
「この世全ての悪……」
桜ちゃんはその『孔』を見て、そう呟きました。確か私はあの『孔』の先にいるモノを──
「そう、あなたは“ソレ”を倒すために選ばれたのだけど、まあこれが随分と厄介で難しい問題で、“ヤツら”はあくまでも『中身』だけを倒すようにあなたに求めた。『大聖杯』自体は別に“ヤツら”に対して大した“害”は及ぼさないし、むしろ有益な部分さえあるから……。
だからあなたは『中身』だけ倒すように誘導されたのだけど、もうこれがすっごい複雑で回りくどくて面倒臭くて──で、その結果まんまと逆に取り込まれちゃうとか、もはやアホらしくて逆に笑えるわ。結局“外”はもうメチャクチャのハチャメチャで、そこに救世主さまがいない以上、もう何もかも
達観した顔で女の子は清々しく言いました。
桜ちゃんの周りでは、『孔』から漏れ出た“泥”が街を蹂躙し、業火を上げて世界を焼き尽くしています。燃える木々、崩れる建物、焼かれる人々、飲み込まれる生命。世界の終わり。そんな光景が、延々と続いていました。
「ねぇ、桜? 世界はもう
今さら、そんな義理もないでしょう? あなただってあの暗闇の底で、少しくらい思ったはずよ? “こんな世界なくなっちゃえばいいのに”って。“ここ”ならあなたを傷つける者はいないし、あなたを悲しませる人もいない。確かに何もないかもしれないけど、“わたし”はいる。“わたし”と一緒に、この世界で永遠に生きていきましょう?」
その言葉はまるでケーキのように甘く魅力的な言葉で、とても優しく、誠実で、切実な音色をしていました。ともすれば、そんな人生も良いかな? と思えてしまうくらいに……。
でも、どこかのだれかが、どこからかささやいてきます。
「ダメだよ、それはダメ」
「どうして?」
「どうしてって、なんとなく、ダメだって思うから……」
曖昧な感覚を、曖昧な言葉で桜ちゃんは表現します。この感覚はどこか覚えがあって、きっとこれがきっと女の子の言う──
「でもそれは、あなたの“感情”じゃないわ。どこかの誰かの、他人の“感情”。“あなた”の“心”は、どう思っているの?」
「私は、私は──」
桜ちゃんはこれまでしてきた、冒険の日々のことを思い返します。
家を出て、初めての景色を見て、守りたいと思って、倒すべき敵を知って、街に繰り出して、人々の優しさを知って、不思議なモノに遭遇して、迫る脅威を知って、目指すものを見つけて、ずっと戦ってきて、みんなみんな巻き込んで戦ってきて、でもそれはただのまやかしで、嘘で、どこかの誰かの他人のもので──
ふと、桜ちゃんはある光景を思い出しました。
それは“彼女”とともに戦った日々。最初は敵で、それでも後で仲間になって、でも弱っちくって、だから強くしてあげるために装備を作ってあげて、一緒に色々暗躍して、最期の時まで桜ちゃんのために一緒に戦ってくれたヒト。
あの時初めて悲しいと思った。あの時初めて心から涙を流した。あの時初めて一生懸命笑顔を作った──あの時の想いは! 心は! 確かに私のものだったはずだから!
だから私は──
「そう……それで大正解。やったわね、桜。やっぱりあなたは救世主さまだわ。“わたし”なんかじゃ駄目だったみたい。まあそれもそうよね、だって『偽物』だし。ざまあみろってんのよアンリ・マユ。好き勝手にわたしを語ろうだなんて、百年早いのよ!」
「えっ? えっ? えっ?」
なんかすっごく色々思い出してノリノリで一世一代の決意をしたはずなのに、なんか軽く流されて軽くパニック状態になる桜ちゃん。そんな桜ちゃんに、女の子は笑って言います。
「あはは、まあようするにここにいる“わたし”は全くの別人だったってことよ。あなたの記憶を読みとって作り上げた、ただの作り物。あなたを誘惑し惑わすただの幻想ね。でもまあ自分でいうのもなんだけど、『究極の幻想』って言ってもいいくらいの出来栄えだと思うわ。
結局ね、この世全ての悪はあなたが怖かったのよ。最初はなんか良くわかんない神父なんかを利用してたみたいだけど、にっちもさっちもいかなくなって、だからあなたを飲み込んで、取り込んで、取り入ろうとした。色々ここで、“わたし”が“あなた”を誘惑したのもそのせい。
“わたし”の言葉なら、きっと上手く誘惑できると思ったのね。だってあなたが一番信用していたのは紛れもなく“わたし”だったから……でも、お生憎様、あなたはそれに打ち勝った。闇を振り祓ったのよ。だからもうこんな辛気くさいところから、さっさと
すると桜ちゃんの足元に、ぽっかりと大きな『孔』が開いてきました。ずうっとずうっと先には何か小さな小さな“光”が見えます。その先にはきっと、桜ちゃんの世界があるはずです。
結局のところ、この世全ての悪さんの企みは上手くは行きませんでした。それは間違いなく桜ちゃんの意思の強さによるものですが、本当のところは女の子が、彼女に対して全肯定の立場をとる英霊だったからです。
なぜなら女の子はそういう性質の英霊で、そういうふうに在ってきた英雄だったのですから……だからあれだけ回りくどくも桜ちゃんが本当に望む未来へと導くため、言葉巧みに桜ちゃんを試したのでした。
桜ちゃんは足元の『孔』を覗き見て、そしてもう一度女の子の方を見ました。
「……ありがとう、ここで貴女に会えて、本当に良かった」
はにかみながら、桜ちゃんは言いました。
「まぁ、しょせん偽物なんだけどね……でも、こんな形でないと、意思も自我も人格もない『力の渦』だけの“わたしたち”が、こうしてあなたと話せることもなかったから、それだけは感謝しているわ。
ありがとう、桜。“わたしたち”を喚んでくれて。“わたしたち”を求めてくれて。そして“わたしたち”を知ってくれて。様々な思惑があった上でのことだけど、“わたしたち”を喚び出してくれたのは、紛れもなくあなただったのだから……だから忘れないで、あなたは決して
ドンドン光が大きくなってきました。それはとても眩しくて、とても明るくて、まるでこの世全ての光のようで……。
「じゃあ、もう行くね」
「えぇ、行ってらっしゃい。アーリマンだか、アンラ・マンユだが、アンリ・マユだか知らないけど、ガツンとかましてきてやんなさいな!」
フフフと女の子が笑います。アハハと桜ちゃんも笑いました。
まるで鏡写しのようにそっくりな二人が、同じように笑うのはなんだかとっても面白くて、ずっとこのまま笑っていたいとも思ったけど、でもそうするわけにもいかなくて、最後に生まれた少しの未練を断ち切るため、桜ちゃんは最後の問いかけを女の子にしました。
「ねぇ、最後にもう一度だけ、あなたの名前、教えて?」
桜ちゃんの問いに、女の子は困ったように頬をポリポリ掻いて答えます。
「実はね、悪いんだけど本当はわたしには名前なんて無いの。だって“わたしたち”は元々そういう存在だから──」
桜ちゃんの表情が曇りました。その様子を見て、女の子が気恥ずかしそうに続けます。
「だからいつか、そう、いつの日か、あなたがもう一度わたしと巡り会った時──その時に、あなたがわたしに名前をつけてあげて? 可愛い名前を期待しているから」
「で、でも、それじゃあその時に、貴女のことをなんて呼べば良いのか、分からないよ……」
桜ちゃんの問いに女の子は微笑んで答えます。
「えぇ、だから代わりに、“わたしたち”がなんて呼ばれているか教えてあげる。いい? なんかまかり間違って“あんなヤツ”の方にあなたは寄っちゃったみたいだけど、耳の穴かっぽじって良く覚えておきなさい。“わたしたち”はね──」
通りすがりの『光の戦士』よ。
落ちる、落ちる、落ちる──それでも桜ちゃんは怖くはありませんでした。どこに落ちているのか、どこに向かっているのか分かっていたからです。
そして遂に“ソコ”まで落ちきると、桜ちゃんは“ぽしゃん”とまるで水の中から飛び出したかのように外に出ました。そしてまた再び重力に従って落ちていきます。
クルリと一回転しようやく地面に降り立つと、桜ちゃんは空を見上げました。
桜ちゃんが飛び出したことにより最後の枷が外れたのか、“ソレ”が確かな形となって現れてきます。大きなまん丸の目玉に、大きく裂けた不気味な口。そこから生えているのは翼だけで、それが“彼”の全てでした。
それは悪意のかたまり。憎悪の結晶。絶望と恐怖を運ぶ者。人類に仇なすもの。この世全ての悪──
「どどどどうすんだよ、これぇ?」
「あぁ……終わっ、た……」
振り向くと、すぐ側にはウェイバーくんと切嗣くんがいました。二人とも空を仰ぎ見て絶望的な顔をしています。周囲を見渡すと、どうやらまだ世界は燃え尽きていなくて、あそこで見た光景は、“彼”が見せた幻惑だったようです。
「ううん、終わりじゃないよ」
桜ちゃんは静かに、でもはっきりとした声で言いました。
確かに“アレ”は、もう人類ではどうしようもないモノです。『抑止力』に選ばれた桜ちゃんですらも、単独ではもう絶対に勝てないでしょう。そう、決して独りでは……。
桜ちゃんは切嗣くんとウェイバーくんに近づいていきました。より正確に言えば彼らの側に落ちている、色とりどりのクリスタルへと近づいていきました。
「“私たち”はここにいて、そして“彼らは”ここにいる。だから──まだ、終わりじゃないよ」
クリスタルから光が放たれてきます。それはどんな人にも宿っている心の強さ、心の輝き、常に正しくあろうとする命の煌めきでした。
これをするために桜ちゃんは選ばれたのでした。これを成すために“女の子”が選ばれたのでした。
一つの巨大な『悪』に対し、7つの人類最強で立ち向かう決戦術式を模したこのシステムを利用し、正しく『この世全ての悪』を倒すために! 滅びに抗う七人の守護者を喚び出すために! 七騎の英雄たちを降臨させるために! 彼女と“彼女”が選ばれたのです!
七人の光の戦士を召喚できる、
桜ちゃんは唱えました。彼らを喚び出すための呪文を。
──告げる
かつて、狂気に墜ちた元帥には聖少女がいました。
──汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に
かつて、人格の分裂に苦しんだ暗殺者には彼らの教団がありました。
──聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ
かつて、失意に逝った槍兵には勇猛なる騎士団がいました。
──誓いをここに
かつて、かの英雄王には唯一無二の親友がいたように。
──我は常世総ての善と成る者
かつて、征服王にはともに戦場を駆け抜けた戦友たちがいたように。
──我は常世総ての悪を敷く者
かつて、湖の騎士には愛する者と敬愛する『王』がいたように。
──汝三大の言霊を纏う七天
かつて、騎士王には円卓の騎士たちがいたように。
──抑止の輪より来たれ
──天秤の守り手よ!
桜ちゃんの頭の中で、ある音が響き渡りました。
シャキーン!
コンテンツファインダー、突入準備が整いました!