それから──
クリスマスがきて
お正月がきて
ウェイバーくんがロンドンに帰って
切嗣くんたちがドイツに行って
行方不明だった臓硯さんのお葬式をやって
六歳になって
春になると
桜ちゃんは小学一年生になりました。
ピッカピカのランドセルを背負って、ちょっぴり普段とは違うおめかしをして、桜の花びらが舞い散るなか学校へ向かい、おじさんと、お父さんと、お母さんと、お姉さんの見守る前で、桜ちゃんは入学式をしました。
初めての学校、初めての机、初めての椅子、初めての先生、初めてのクラスメイト。
はたしてお友達は出来るでしょうか? お勉強にはついていけるでしょうか? いじめられたりしないでしょうか? 不安を感じながらも桜ちゃんの胸は期待で一杯でした。だから桜ちゃんは、まるで満開の花びらのように笑顔を作ります。
クラスのみんなの前で自己紹介をして、担任の先生のお話を聞いて、おじさんたちと校門の前で記念写真を撮っていると、ふと桜ちゃんは校舎の隅に一人ぼっちで俯いている男の子を見つけました。
その様子がとても悲しそうで、苦しそうで、辛そうで、可哀想で──
だから桜ちゃんはお喋りに夢中になっているおじさんたちに見つからぬよう、こっそりその子に声をかけにいきました。だってきっと“彼女”ならそうすると思ったから──
「どうしたの?」
男の子は泣いていました。悔しそうに顔を歪めて、でも涙だけは流さないように精一杯我慢して、震えていました。男の子の名札を見たところ、どうやら一つ年上の上級生のようです。もう帰りの時間だというのに、何があったのでしょう?
「……別に、なんでもない」
ぶっきらぼうに男の子は言いました。
燃えるように真っ赤なその短髪はとても印象的で、でもその赤毛よりもっと真っ赤になった瞳で言われては、男の子の言葉にはあまり説得力がありませんでした。
でも桜ちゃんはそれを言わず、そっと男の子の隣に座ります。
「そうなの?」
「あぁ、そうだよ……」
それっきり男の子はすっかり俯いて黙ってしまい、仕方ないので桜ちゃんもそれに寄り添いました
さんさんと照りつける太陽はとっても暖かく、人気の少ない校庭をポカポカにしていきます。のんびりと流れる時間。おじさんたちが桜ちゃんがいなくなったのに気付いて、慌てていました。
それをクスクスと笑いながら眺めていると、男の子がおずおずと話し始めました。
「……クラスのみんなが……オレを馬鹿にしたんだ」
「それは、どうして?」
俯いたままの男の子が、ぼそぼそと続けます。
「……春休みの宿題……大人になったら何になりたいか? ってのがあって……それを今日みんなの前で発表して、それで、クラスのみんなに……馬鹿にされた……」
男の子と同じように俯いて、桜ちゃんは答えました。
「それは、ヒドイことするのね」
「あぁ、あいつら酷いんだ! ずっと前もオレが言ったことを馬鹿にして、オレを嘘つきだって言ったんだ! そんなこと起きてない、そんなやつら見たこともない、夢でも見てたんじゃないか? って! オレは確かにあの日の夜、それを見たのに!」
男の子が言ったことに、桜ちゃんは目をまんまるにしてびっくりしました。心臓の鼓動が高鳴り、すこしソワソワしてきます。桜ちゃんはさりげなく男の子に質問をしました。
「その日の夜、あなたは何を見たの?」
桜ちゃんの問いに男の子は再び俯いて、でもとても小さな声で答えてくれました。
「……正義の、味方……」
その言葉に桜ちゃんは、つい吹き出してしまいます。
「笑うなよ! でもオレは本当に見たんだ! 11月の凄く暑かった日、寝苦しくって眠れなくて窓の外を見たら、すんごい大きな悪魔たちと戦う正義の味方たちを! それがかっこ良くて、綺麗で、羨ましくて……だからオレも、大人になったらあの人たちみたいになりたくて……『正義の味方』になるんだって……思って……だから……クラスのみんなの前で……それで……」
男の子の言葉はドンドンと小さくなっていって、最後の方にはか細く、震えるような声になってしまっていました。
「……おまえもオレを、馬鹿にするのか?」
その問いに、桜ちゃんはまっすぐに答えました。
「ううん、馬鹿にしないよ。とっても素敵なことだと思う」
誰にも知られていないと思っていました。もう誰にも覚えられていないと思っていました。
だってあの戦いはたった一夜の内に起きた奇跡で、そして忘れ去られるべき奇跡だったから。
彼らのことは誰も覚えていない。彼らの戦いは誰にも知られてはいない──そう思っていました。
でも彼は覚えていた。何者でもない彼は覚えていてくれました。知っていてくれました。
彼らの戦いは、歴史は、神話は、伝説は、ちゃんと彼の中に刻まれていたのです。全てを見届けた桜ちゃんと、同じように……。
だからきっとその願いは間違ってなくて、その夢は本物のはずでした。
「じゃあおまえはさ、将来どんな大人になりたいんだ?」
春の暖かい陽射しの中で、そう男の子に訊かれました。
あの日々のことは、今でも覚えています。
それはまるでおとぎ話のような、むかし話のような、神話のような、伝説のような、一夜の内に消えてしまった、夢のような物語──嘘のようで本当にあった、誰も知らない最後の物語。
共に戦った彼らもう過ぎ去ってしまったけれど。
桜ちゃんの中に、もう彼女はいないけれど。
彼女のことを忘れぬようにと。
彼女との思い出を大切にしようと。
いつかまた巡り会えた時に、彼女の名前を伝えられるようにと。
ちゃんと胸を張って呼べるようにと。
そう思うから、そうなってほしいから。
そうなるために、桜ちゃんはその誓いの言葉を口にしました。
──私はね、大きくなったら『光の戦士』になりたいんだ──
おしまい。