遠坂さんちの時臣さんの執務室は、暗く重苦しい空気に包まれていました。
部屋に佇むのは時臣さんと、そのお弟子さんである綺礼くんの二人だけです。
一人は座って、一人は立って、黙々と物思いにふけっていました。
二人とも、その表情からは疲労の色が見え隠れしています。時臣さんの信条である“優雅”とは程遠い状態と言えるでしょう。
「一体どうして、こんなことに……」
絞り出すように、時臣さんがそう呟きました。
「それは……」
言葉に詰まる綺礼くん。おおよそ文明の利器が感じられない魔術的な部屋で、時臣さんと綺礼くんは、今夜起きた異変の事を振り返り始めました。
始まりは昨日の夕方──午後4時半頃まで遡ります。
その異変は何の前触れもなく唐突に起こりました。
街中に潜ませていた綺礼くんのサーヴァント、『アサシン』の一体──彼らが言うには“ザイード”とかいう個体名──が突如として消滅したのです。
消滅した原因は『不明』。
確かに彼ら『百貌のハサン』は複数に分裂する特殊能力を持っていますが、生憎な事に、お互いがテレパシー的な何かでコミュニケーションが取れるといった能力は、持っていませんでした。
突然、煙の様に消えられては、原因の探りようもありません。
アサシンたちが分かるのは、ザイードという個体がいきなり消滅した、という事だけです。
自滅でしょうか? いいえ、幾ら取るに足らない最弱のハサンだとはいえ、そこまでお馬鹿さんではない筈です。
十中八九、ザイードは何者かに倒されたのでしょう。これはかなりの異常事態です。
そう確信した綺礼くんは、予め用意していた通信手段で、直ぐ様お師匠さまである時臣さんへと報告を行いました。
「師よ、アサシンの一体が何者かに倒されました。おそらく敵サーヴァントの仕業です」
「何だと? 相手のマスターは? サーヴァントのクラスは?」
「申し訳ありませんが全て不明です。ですが、アサシンの『気配遮断』を看破したという事は、かなりの手練れであるのは間違いないかと……」
「なるほど……では、出来るだけ慎重に敵の情報を集めてくれ。幸い、倒されたのは一体だけ。それならまだ、手の打ちようはあるだろう」
「……分かりました」
ところが当然、そう都合良く事は運びませんでした。
立て続けに再びアサシンを滅ぼされたという報告が綺礼くんに入ります。暗殺者が暗殺されるなんて、まるで悪夢のようです。
次々と入るバッドエンドニュースに、流石の綺礼くんの表情も険しくなります。綺礼くんの報告を聞く時臣さんの声も、徐々に疲れが見え隠れし始めていました。
時臣さんが立てていた計画──『アサシンを使って敵の情報を集めちゃおうぜ作戦』──は、もはや破綻したと言っても良いでしょう。
よもやまさかの展開です。こんなにも早くアサシンの正体を看破されるなんて、時臣さんは夢にも思っていませんでした。まだ碌に、敵陣営の情報すら集められていません。もはや“うっかり”で済まされるレベルを超越しています。
時臣さんと綺礼くんの落胆ぶりは、想像を絶するものがありました。
綺礼くんの脇では、居心地悪そうにアサシンが控えています。チラチラと注がれるマスターからの視線が、とても痛々しいです。
それでも時臣さんと綺礼くんは冷静に、沈着に、アサシンよりもたらされた情報を分析していきました。
「“細剣”と“魔術”を使い、全身“真っ赤”な衣装。そして、“少女”のサーヴァント、か……」
エレガントに生えたアゴ髭に手を当てながら、時臣さんが呟きました。
「ですが師よ、子供のサーヴァントなど、そんなものが有り得るのでしょうか?」
時臣さんの言葉に、綺礼くんは当然の疑問を口にします。
「有り得ない話では無いよ。例えば童話やお伽噺の主人公が信仰を得て、幻想となるのは珍しい話ではないんだ。かの有名なアーサー王伝説も、歴史的に見ればあくまで創作の域を出ない。むしろ、そういった類の英霊の方が多いと言えるだろうね」
「つまりこのサーヴァントは……」
戦慄した面持ちで綺礼くんは時臣さんに訊きます。
「“赤い”衣装、“少女”の姿、そして英雄級の知名度を持った人物。これらの特徴を鑑みれば、敵サーヴァントの正体はおそらく──『赤ずきん』で間違いないだろう!」
自信満々に時臣さんはそう言い切りました。
「で、ですが、本来『赤ずきん』にはこのような戦闘力が有るなどとは……」
狼狽した様子で綺礼くんは疑問を口にします。
「それは、これが
荒唐無稽な与太話ですが、有り得なくは無さそうな仮説です。
「
綺礼くんも納得した様子で、そう言葉を漏らします。
「憶測でしか無いがそういう事だろうね。そして、そうであるならば“彼女”への対策は容易だ。彼女の弱点は世界的にも有名だからね──綺礼、後は分かるね?」
意味深な時臣さんの台詞に、綺礼くんも「はい、お任せください」と答えます。
そして「では失礼します」と恭しく綺礼くんは言い残すと、通信機を切りました。綺礼くんが時臣さんの弟子になって三年──すっかり二人はツーカーの仲となった様です。
そして残された時臣さんはグラスにワインを注ぐと、それをゆっくりと揺らしながら眺めました。月夜に照らされるその姿は、正に“優雅”であると言えるでしょう。
「……フッ、確かに『赤ずきん』は世界的に見てもトップクラスの知名度を誇るだろう。こと知名度だけなら、この聖杯戦争でトップと言っても過言ではない。しかし、今回はその有名さが仇となったようだね、
そして、そんな余裕綽々な時臣さんの思惑は当たるはずもなく、アサシンは大した戦果も上げられないまま、その総数をドンドン減少させていきました。
「──アサシンに狼の仮装をさせましたが、効果は今一つだったようです」
綺礼くんはもう何度目になるか分からない“悪い報せ”を、今度は普段より二割増しで暗い気がする時臣さんの執務室で行っていました。あまりの異常事態に綺礼くんは、早急な情報伝達をするため、時臣さんと直接会って報告する事にしたのです。
優雅に座っているはずの綺礼くんのお師匠さまは、もう随分と憔悴しきっている様子です。
かくいう綺礼くんも、未だかつて無い疲労感を感じていました。代行者として任務に就いてる時も、これ程の疲労感を感じた事はありません。
ですが、何故だか分かりませんが、疲れ切ったお師匠さまを見ると、不思議と元気が湧いてくる気がします。
「更に目標は巨大な鳥を用いて空を飛び、完全にこちらを翻弄しています。飛行手段の無いアサシンでは手も足も出ないようです。敵マスターの所在も依然不明。正直もうお手上げです」
淡々と坦々と綺礼くんは報告します。ですが、お師匠さまからは反応はありません。さっきから黙ったままです。
まあ、無理もないでしょう。つい先日、舞い上がって「我々の勝利だッ!!」とか勝利宣言をかましたばかりの矢先に“コレ”なのですから。
無感動で無表情な綺礼くんだって、こんな姿を弟子に見られたら、恥ずかしくて引きこもりたくなるでしょう。
お師匠さまの気持ちを察しながら、綺礼くんはさらに続けます。
「しかし朗報もあります。多大なる犠牲を出しましたが、アンノウンの位置を特定しました。どうやら建設途中のセンタービルに陣取っているようです。それから、先程父に確認をした所、霊器盤にキャスターの反応は無いそうです。つまり目標のクラスは『セイバー』か『ライダー』と言うことになるかと……」
「候補が一つ減ったと思ったら、一つ増えるとはね──はは、どうやら敵は『赤ずきん』ではなかったのか……」
乾いた笑みが時臣さんから漏れます。
あれだけ自信満々に宣言したのですから、その気持ちは察するに余りあります。
そんなお師匠さまをそっと見守りながら、綺礼は報告を進めていきました。
「はい、どうやら師が予測した敵の正体は、検討し直す必要がありそうです。あいにく私にはあのようなデカイ鳥を使役する英雄に思い当たるものはありませんが……師には何か心当たりがあるでしょうか?」
「そんなもの、私にも無いさ」
不貞腐れた様に、時臣さんが言葉を吐き出します
「……そうですか。それから、こちらの作戦プランも練り直さなければならないといけないでしょう。アンノウンにはアサシンの存在、能力、実力の全てが知られたと考えるのが妥当です。加えてこちらは相手のサーヴァントどころか、マスターの正体も未だに掴んでいません。このまま当初の作戦を続行するのは、かなりの危険があると愚考しますが……」
「……そうだろうね」
全く覇気の感じられない声がお師匠さまから溢れました。想定外に次ぐ想定外なのですから仕方がないでしょう。
時臣さんがおでこに手を添えながら溜息をつきます。
「一体どうして、こんなことに……」
「それは……」
綺礼くんの言葉の後に、暫くの間、沈黙が続きました。
正直言って、形勢はかなり不利です。正体不明のアンノウンに対し、時臣さんたちは完全に後手に回っています。
手を引くにももう遅いでしょう。
アサシンの総数は半分を切り、予定していた諜報活動どころか存在維持も難しい状態になりつつあります。
そもそも、戦力の逐次投入などという愚策を取った時点で、アサシンの敗北は濃厚になっていたと言えるでしょう。アンノウンに襲撃された時点で、全力を以って反撃に出るべきだったのです。
冷静に現在の戦況を分析して、綺礼くんはお師匠さまに提案しました。
「師よ、提案があります。今すぐアサシンをアンノウンに差し向けるのです」
「だ、だが……」
今度は時臣さんが狼狽した様子で答えます。
それを察しつつも、綺礼くんは言葉を続けました。
「既に我々の作戦は破綻しています。作戦変更は免れませんし、手痛い損失ですが、これ以上深手を負うのも得策ではありません。このままでは虱潰しに消されるだけです。ならば、僅かでも勝機を見出だせる手段を選ぶべきです」
「勝ち目は……勝ち目はあるのかい?」
あくまでも時臣さんは魔術師です。こと戦闘においては素人同然。反面、綺礼くんは魔術師としては見習いも同然ですが、戦闘に関してはエキスパートです。
そういった点に関しては、時臣さんは綺礼くんに全幅の信頼をおいていました。
「暗闇かつ狭い建物内での戦闘ならばアサシンの独壇場です。それに今回はこちらから仕掛けます。それならば勝機は十分にあるでしょう。アンノウンは未だセンタービル屋上に陣取っています。もしかしたら、近くにいるであろうマスターも捕捉出来るかもしれません。そうなれば、アサシンに利があります。決断するなら“今”しかありません」
そんな事を言っていますが、正直言って、綺礼くんの考えでは勝ち目はかなり薄いと思っていました。
アンノウンは露骨にアサシンを狙い、アサシンにはそれを防ぐ手段は無いのです。しかも、そのマスターでさえも未だ
もはやこうなっては、後はどうやって“負けるか”のみでしょう。でしたら、少しでも意味ある敗北を……。
元よりアサシンたちは使い捨てです。時臣さんを、そして時臣さんのサーヴァントを勝たせるための捨て石でしか無いのです。
それならば、現状最も危険で巨大な障害になるであろう、アンノウンの情報を少しでも得るために、『威力偵察』するのが最善の策であると言えるでしょう。
そして綺礼くんは“それ”を提案し、そして時臣さんは“それ”を承認し、そして──26体のアサシンはこの世から姿を消しました。
26体のアサシンが消滅するのに前後して、教会の霊器盤にキャスター召喚の兆しが発現したのは、なんとも言えない皮肉な結末だったと言えるでしょう。
「師よ、分かっているとは思いますが、アンノウンは、そしてそのマスターは強敵です。最優先に倒すべき敵であると断言できます。私も、“生き残ったアサシン”を使って、出来うる限りの支援をしますが……」
全てが終わり、秘かに遠坂邸を出る時、綺礼くんは時臣さんにそう進言しました。
「あぁ、分かっているよ綺礼。君のサーヴァントの仇は、英雄王“ギルガメッシュ”が取ることになるだろう……」
かくして、七騎全てのサーヴァントは出揃い、都合四度目となる聖杯戦争の火蓋はこうして切られたのです。
あ、アンノウンに間桐桜の面影があった事は黙っておこう!