FGO Concerto   作:草之敬

6 / 8
サージュ・コンチェルトDX
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10万円って10万円? ほぼ11万円なので初投稿です。


誰の一歩か、という話

「なんだ……何が起こっているんだ……?」

 それは、彼にとってあまり口にしたくない響きを含んだ呟きだった。

 生前もこんな呟きを何度も口にした。だが、そのときはいつだって好奇心からくる挑戦的な笑みを浮かべていた。絶対に解明してその先を切り拓いてみせる……星の開拓者にたる、克己的アティチュードだったはずだ。

 これは、藤丸立香が令呪を起動してまで宝具を発動させたからなのか。

 それとも、元々キャスターが持っていた能力が発動しただけなのか。

 いや、と彼――レオナルド・ダ・ヴィンチは下唇を血が滲むほど噛みしめる。

 観測結果がその答えを強くしている。

 キャスターが歌ったことで成長しヴォークルール城塞を覆った巨大な藤の花は、残念ながら魔術によるイメージを投影した防御魔術ではなく、そこに確かに存在するただの藤の花であることを観測結果がカルデアスタッフ全員に教えていた。

 もちろん、ただの藤の花がワイバーンの絨毯爆撃を防ぎきることなどありえない。

 ヴォークルール城塞は確かに、何かに守られ、今もワイバーンの爆撃をすべてそよ風のようにいなしている。

 そこに、魔術的な要素はまったくない。

 空間の歪みがあるとか、藤の花を中心にした結界があるとか、キャスターの歌声そのものが魔術的強制力を働かせているだとか、そういった一切が、カルデアの機器では観測されていない。

「そんな、御伽噺じゃあるまいし……」

 歌で咲いた花の傘が、降りかかる災厄を防いだ――だなんて。

 探せばそんな童話がひとつはありそうだと呆れたような、現実逃避のようなことを考えながら、レオナルドはもう一度第一特異点、藤丸立香周辺の空間を走査した。魔術的な観測は一度横に置いて、今度は物理的な観点を重視した。

「……なんだ、これは」

 そして二度、同じ響きの同じセリフを吐く羽目になった。

 魔術的な観測では、藤の花におかしなところはなかった。思えば藤の花が生えてきた自体がおかしなことではあるのだが、それはこの際置いておくとして、とレオナルドはとにかく観測結果に再び目を通した。

 藤の花の内包するエネルギーが、とにかく異常だった。

 植物は静かな生命だ。その生命活動は強く逞しい反面、細く長くじっくり時間をかけて成長し続けていくものだ。確かに樹齢が千を超えるような大樹には魔術的価値――いわゆる神秘を強く残しているものも多い。だが、得てして物理的な熱量――エネルギーは大したものではない。生命活動に必要最低限な分を作りだし、また消費する。少しずつ貯金したエネルギーでもって、植物はじわりじわりと成長するものだ。

 巨大だからなのか。急速な成長をしたからなのか。

 因果関係はまったく不明ではあるが、城塞を覆う藤の花が持つエネルギーは膨大の一言に尽きる。冗談でも花が持っていていいようなエネルギーではない。実在しないものの例をあげて比べるのならば、宇宙戦艦の装甲壁……あるいはエネルギー力場……わかりやすく伝えようとするならばバリアフィールドが持つような、尋常ではないエネルギーを発していたのだ。

 魔術的防御――いわゆる神秘の優劣だとか、魔力の疎密差だとか――ではないことは、すでに観測済みだった。だがこれはレオナルドでさえ思いつかなかった……思いついたところで実行できなかった……あるいは思いついていても「不可能だ」と断じて切り捨てた可能性のようなものだった。

 キャスターは宇宙戦艦のバリア並のエネルギーを藤の花に付与して、ワイバーンの群れからの爆撃を真正面から跳ね返しているということになる。つまるところ、魔術も爆撃も知った事か、ともっと強い力で殴り返しているようなものだ。

 あの可憐な見た目からは想像もつかないほど乱暴で力任せな魔術――もはや魔術と呼んでいいのかすらわからない――だ、とレオナルドはひきつった笑みを浮かべる。

 計算上、あの藤の花を貫くほどの攻撃があるとすれば、それはこの特異点(フランス)全土を一撃で焦土に変えるような攻撃であってもなお足りない。それこそ、上空に存在する光輪が降ってでも来ない限り、花が焦げつくことさえないだろう。

「はは……」

 そしてそれは、この人理焼却を目論んだ犯人にさえ抗うことのできる力の証明といえる。掴みかけてすらいなかった彼女の正体が、ますます濃い霧の向こうへと消えていく。彼女の在るがままが、すべて在り得ざることを教えてくる。

 生きているうちも、死んでからも、レオナルド自身がこれほどわからないと思ったのは人の心の機微というやつ以来だった。

 ならもう、見届けるしかあるまい。

 レオナルドはどかりと椅子に掛け直した。足を組んで、手隙のスタッフになにか飲み物を持ってきてくれるよう頼む。観測結果を横にどけ、藤丸立香を中心とした画質の荒い観測映像を画面いっぱいに表示した。

 悔しくてたまらない。でも、それ以上に今がワクワクする。

 見たこともない景色を、彼らが見せてくれるのではないかと、そう思う。

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、呆れたように笑った。

 

 

 

      §

 

 

 

「できた……」

 ほとんど即興だった。

 旅の一番初めに紡いだ詩だった。友人と呼べる子を亡くし、失意の中、それでもそれ以上の深みへ落ちていきたくはなくて、もう誰一人として死なせたくなくて、悲しませたくなくて、隣にいる人の笑顔がせめて曇らないようにと――手と手を繋いで必死に紡いだ詩だった。

 宝具というカタチに収められたそれは、その時の再現に過ぎない。

 私自身の「思い出」という仮初の想いを詩に込め、発現するだけのはずだった。

 そうであったなら、これほどの強度を持った花は咲かなかっただろう。この襲撃を退けるまで持てば重畳、という程度になっていたことは明らかだった。それは真に、この時間で生まれた想いではなかったからだ。

 だから、マスターの令呪が助けになった。

 魔力供給――という面ではなく、魔力供給という建前に載せた、彼の活きた「想い」を受け取ることができたからだった。できるかどうかはほとんどぶっつけ本番ではあったけれど、そもそもこの詩自体ぶっつけ本番でここにいるよりも遥かに多い人数を守ろうとして紡いだ詩だ。

 やってやれないことはない、と無茶を通させてもらった。

 だから、咲いた花が蓮ではなく、藤の花であったことにも私自身、驚いた。

 藤の花――マスターの名前にもある花だった。

 主な花言葉は「やさしさ」「確固たる(steadfast)」。

 彼に似合いの花だと思った。だから、安心もした。

 彼の「想い」を受けて咲いた花がこれならば、きっと彼は本当にやさしい人なのだろう。

 いや、打算だけであんなに突飛な行動はできないか、と納得もする。自分が巻き込まれて死んでしまうかもしれない状況で、それに司令部からは撤退の許可――というよりも命令に近い――も出ていた状況で、それでも誰かのために飛び出した。

 言い訳をしたくないからだ、と彼は言った。

 世界を救った次の日に、あの時見捨てた人がいたと思いたくない、と。

 それはとてもつらい道のりになるだろう。どこかできっと、その誓いが破られる日が来る。いや、もう目の前にやってきても何もおかしくない。

 それでも、そのやさしさを貫くというのなら、見届けたいと思ってしまう。

 その行く末を、見てみたいと思ってしまう。

 イザベルという人が言っていた。強い瞳の子。マスターのことだ。

「なんだ……何が起こっているんだ?」

「花だ……大きな……綺麗な、花だ……」

「ワイバーンの火球を防いでいるのか? 花が? なんだこれは……」

「奇跡だ……」

「奇跡? ああ、これは奇跡だ……!」

 兵士のさざ波のような声が、城塞の中にまで響いていく。

 歓声に近い大きさになったところで、城塞の中から避難民の男たちが顔を出し始めた。騒ぐ兵士を捕まえて現状を把握すると、数分もしないうちに大勢の避難民が城塞から出て空を覆う藤の花に喝采をあげた。

「奇跡だ! 奇跡の花!」

「おお、花よ! 我らの未来を守りたもう!」

 誰もが花を見上げる中で、その意識の隙を縫うようにして城塞に潜り込んできた影を視界の隅で捉える。マントで全身をすっぽりと隠しているため性別も体型もよくわからなかったけれど、敵ではなさそうだった。

 それをマスターに報告しようとした、そのときだった。

「なあ! あんた――貴女が歌を歌ったら、花が咲いたんじゃないか?」

「貴女の歌が花を咲かせたのか!? 奇跡の乙女だ!!」

「おお!! 竜の魔女など、もはや恐れることなどない!!」

「奇跡の乙女! 花の聖女!!」

 ああ、どろりと心に黒がかかる。

 この有象無象の声の中――マスター。君の声だけが、とてもやさしい。

 

 

 

      §

 

 

 

 まずい、というのは直感だった気がする。

 彼女が、キャスターがどうしてあんなに昏い顔をするのかまで想像が巡らない。

 ただ、今のこの状況はとてもマズイ。なにかよくわからないものに、彼女が祀り上げられようとしている。

「キャスター!」

「駄目です、マスター。人々の喧騒にかき消されて、キャスターさんにまで声が届きません」

 マシュの冷静な声が横から聞こえる。

 喧騒というよりも、もはや熱狂に近い大歓声がキャスターを取り囲んでいる。

 令呪を発動したあと、キャスターが詠うために俺達から少し離れた位置に移動してそのままだったことが災いしたかたちだ。すぐにでも駆け寄って姿を暗ませればよかった、と今更になって後悔してしまう。

 周りを熱狂する民衆に囲まれたキャスターは戸惑うかと思っていたけど、人々が盛り上がれば盛り上がるほど、顔を俯けて表情もどこか苦しそうなものになっていく。

 どうしてだ。いや、あまり派手に目立ちたがる、というような人柄でないことくらいはわかっている。でも、感謝は感謝として受け取ることのできる人だったのに。

 いやまあ、確かにこんな勢いで祀り上げられようとしていたら困惑はするだろうけども。……だけど、キャスターの表情はそんな浅い感情から出たものじゃない。もっと深い位置からドロドロと噴き出すような、重くて昏い感情からだ。

 そういう直感だ。俺に心理カウンセラーじみた観察力も分析力もないし、人の心の機微を察するのもやっぱり一般人レベルに過ぎない。それでも、キャスターのあの表情は尋常じゃないことぐらい、わかるのだ。わかってしまうのだ。

 だからここは、落ち着くまで待つなんて選択はできない。

 ここで放置してしまえば、なにか落としてはいけないものを落としてしまう気がする。

「マシュ、ちょっと強引でもキャスターのところに――」

「その必要はありません」

 マシュへと振り返った俺に声をかけたのは、彼女ではない誰かだった。

 マシュの後ろにちょうど居合わせていたらしい。フードをすっぽりと被っていて表情はわからなかったけれど、声音から女性らしいということがわかった。そして、いつも冷静なマシュがぎょっと目を見開いたのも視界に入った。

 なんだ、と思うよりも先に、カルデアからの通信が入る。

『彼女はサーヴァントだ! 警戒したまえ藤丸クン!』

「えっ!?」

「マスター!」

『すまない、ワイバーンの持つ魔力で精度が落ちていることと、キャスターちゃんのアレに気を取られすぎていたこちらの落ち度だ!』

 マシュは咄嗟に俺とサーヴァントらしい彼女の間に盾を構えて割って入った。

 しかし、女性サーヴァントはそれに動じることもなく、一歩退くことで敵意はないと示してきた。と、そこで彼女の動きがビタリと固まった。何事だ、とフードに隠れてわかりづらい視線の先を確かめると、そこにはイザベルさんがいた。

 ワイバーンの強襲からこちら、ずっと隣にいたままだったイザベルさんは、城塞を包むように咲いた藤の花を見上げていて、こちらのことには気付いていない様子だった。

「……私は敵ではありません。今は説明をしている暇がないのです」

 その声で、俺も意識をイザベルさんから女性サーヴァントの方へと戻した。

 口元を真一文字に結んで、こちらの反応を待っている。

「……、カルデアの藤丸立香です」

「マスター?」

「マシュ、大丈夫だよ。たぶんだけど」

「フジマルリツカ……では、リツカと。信じていただけたこと、ありがたく思います」

 フード姿のまま、その下に着込んでいるらしい鎧の音を響かせて女性サーヴァントは俺を越えて喝采を上げる民衆へと歩み寄っていく。

 着いて来て、ともなんとも言われなかったけど、俺はその背を追った。

 やがて熱狂の淵に到達すると、彼女はサーヴァントらしい膂力で人波を掻き分け、ぐいぐいとキャスターへ向かって道を切り開いていく。やっぱりその背中を追いかけていく俺。

 ようやくキャスターのすぐそば、最前列まで近付くと、向こうも俺に気付いたようで顔を少し上げて、ぎこちない笑顔を浮かべた。その表情に、なんとも言えない感情がぐつぐつと胸中に込み上げてきたけど、今はそれよりも……。

「聞け!!」

 思わず、びくり、と肩が跳ねた。

 振り返った女性サーヴァントが突然大声をあげたのだ。群衆の熱狂の中でなおよく通り、ビリビリとした余韻を残す大音声だった。

 熱狂は一瞬にして引いていく。

 と同時に、声を張り上げた者へと視線が集中した。

「まばゆき花をかんむるヴォークルール、傷つきなお剣を取った英志よ、迷える民よ。いまだ翼竜による攻撃は止んではいない。体勢を立て直すのだ! 難民や負傷の目立つ者はすみやかに城塞内部へ、健在なる者は刃取れ! 痺れを切らした翼竜は地を這い、門へと殺到するぞ!」

「な、なんなんだお前は!」

「ワイバーンの火はあの花を焼くことはない! 見ろ、まるで雨粒を弾くようだ!」

「もはや戦う理由などないではないか! 我らは助かったのだ!」

「花の聖女様! 我らに奇跡の花をくだすった、慈悲深き御人!」

「万歳! 花の聖女様、万歳!」

 ――当然、と言うべきだろうか。

 難民も、そしてもちろん兵士たちだって、死の恐怖に炙られるままだったのだ。それが今は、キャスターがもたらした花が恐怖の象徴であったワイバーンの攻撃を弾いている。

 俺も、ぼんやりと「これで一安心だ」と思っていたのだから、女性サーヴァントの檄は突拍子もないもののようにも聞こえた。この状況で戦え、というのは、あまりにも、苛烈に過ぎるような気がする。

「挙げた諸手で、諸君は一体、なにを守ろうと言うのか!」

「竜の魔女などもはやおそるるに足りず! 花の聖女の加護よ、我らを守り給え!」

「おお、守り給え! 我が隣人、愛おしき家族を守護されたもう!」

「万歳! 万歳!」

 ――いや、違う。

 直感で、なぜだかそう思った。

 言葉にして説明することは難しいけれど、あのサーヴァントが言わんとしていることが、なんとなくわかるような気がする。灼熱の群衆はいまだキャスターを囲い、奇跡を謳い、乞うている。

 女性サーヴァントの声もむなしく響き始めると、キャスターはいよいよ顔を伏せてしまった。群衆がその変化に気付く様子はない。明らかに異変が起こっているのにもかかわらず、誰も、誰一人も、彼女を見ようとはしない。

 口々に「万歳」と唱える群衆を目の前にして、俺は。

 俺は――。

「俺は、もうっ!」

「え!?」

 女性サーヴァントの脇を抜けて、キャスターの手を取った。群衆は一瞬で言葉を失った。痛いくらいの沈黙の中で、俺は、自分の鼓動と、手の平に伝わるキャスターの弱々しいぬくもりだけを確かに感じ取っていた。

「ま、マスター?」

「今はうまく言えない……」

 伏せた表情をあげ、キャスターが俺を覗き込んでくる。

 その目をまっすぐに見返して、詰まりそうになる言葉を必死で吐き出す。

 この静寂がいつまで続くかわからないから。

「この花は、君を縛るために咲かせたわけじゃない。だから――マシュ!」

「はい、マスター」

 人混みを飛び越え、マシュが俺とキャスターの傍へとやってくる。

 慌てた様子で女性サーヴァントも近付いてきて、全員が揃ったところで全員を見て、俺は言った。

「ここから出よう!」

 その提案に誰も首を横には振らなかった。

 カッコよくキメたいならここでキャスターをお姫様抱っこでもして駆け抜けられたらいいのだが、正直なところそうも言っていられない。というか体力的に無理すぎる。マシュにはキャスターを、女性サーヴァントには俺を担いでもらってヴォークルールから脱出する。

 問答無用でそう指示を出せば、両者からは即座に了承の返事がきた。

 キャスターはまだ少し呆然とした様子だったけど、ここで正気に戻している暇はない。

 群衆は静寂から一変、今にも飛びかかってきそうな危なげな雰囲気になっている。

 若干――というよりも確実に俺の暴走のせいなのは、もう脱出してから謝ろう。

 土下座も視野に入れつつ女性サーヴァントに抱えられるのを合図に、サーヴァントの超人的身体能力を発揮して正門へと向かう。

「門から出れば、おそらく花の守護の範囲外になります。策は?」

 とは女性サーヴァント。そういえばワイバーンはまだ空にうじゃうじゃいるんだった。

 頭を埋める勢いで土下座せねば、とどこか的外れなことを考えつつ「ないです!」と正直に申告。ええ? と困惑を隠せない様子ではあったものの、怒られるということはなかった。

「では、近場に森があるのでそこまで駆け抜けましょう。平原でワイバーンに捕まれば、一気に囲まれます。反撃も含めて戦闘は避けつつ、とにかく全力で移動しましょう。森に入れば木陰を盾にして一時的に姿を隠せるでしょうから、そこで体勢を整える」

「賛成します。ダ・ヴィンチちゃん、ワイバーンの他に生体反応や魔力検知などは?」

『ワイバーンが大量にいすぎて精度は落ちるが、おおむね問題ない。周囲十キロ単位に敵増援らしきものはいないよ!』

「じゃあ、あなたの策で行きましょう!」

「では、そのように。正門から出てすぐ、速度を強めます。舌を噛まないように」

 その言葉と同時に後ろを振り向けば、聖女を取り戻せ! と怒号を発しながら兵士を中心に俺たちを追いかけてきていた。だけど、その声とは裏腹に、誰もが浮かべる表情は悲しみや焦燥に偏っていた。

「キャスター、あの人たちは……」

 咄嗟に、この女性サーヴァントが言っていたことを思い出す。

 今は火球を吐くことに躍起になっているワイバーンも、いつか高度を下げて直接その爪牙尾で襲い掛かってこないとも限らない。いや、絶対にそうするはずだ。

 そうなったとき、ワイバーンを撃退できるサーヴァントがいなくなったヴォークルール城塞は――イザベルさんはどうなってしまうのかが怖かった。

「大丈夫だよ。君の想いはしっかりと花を咲かせたから。だから、外に出なければワイバーンに襲われることはないよ」

 思ったよりもしっかりした口調でキャスターがそう言う。

 詩魔法は想いをかたちにする。令呪を使ってまで「ここにいる皆を守ってくれ」と口に出して願って咲いた花は、ワイバーンに限らず城塞にいる皆へ害意を抱くものを弾くだろうとキャスターは言っているのだろう。

「私は侵入できましたが」

「それはきっと、マスターの想いを汲んだから、かな。だから、私もあなたのことを信用してるよ」

「期せずして自らの潔白を証明できていたわけですか。それは重畳」

 そして、いよいよ城塞の正門を抜けた。

 先ほど宣言した通り、女性サーヴァントは地面を抉るほどに蹴り上げ、文字通り爆発的な加速を得て駆け出した。ぎゅう、と内臓がうしろへ引っ張られる感覚が俺を襲い、全身の血が偏るのすらわかるような感覚に陥った。

 一気に悪くなる気分のまま上空を確認すれば、案の定ワイバーンの一部がこちらに釣られて急降下してきていた。

 前方を確認すれば丘の向こうに森が見えてきている。

「森に入る前に捉えられます!」

「そう簡単には逃げ切れませんね……」

 マシュの予測に、女性サーヴァントはギリ、と歯を噛む。

 城塞から森までの道程は、今で三分の一ほどだ。おそらくこのままのペースだと半分も行ったところでワイバーンに追いつかれて戦闘になってしまう。残りの半分をずっと逃げ続けることも不可能ではないのだろうけど、そうなると俺とキャスターを女性サーヴァントが抱えて、マシュに迎撃を頼むことになる。

 もちろんスピードは落ちるし、ワイバーンの攻撃を避けながらなのでまっすぐに向かうことも難しくなる。時間をかければかけるほど、ワイバーンは群がってきてこちらは二進も三進もいかなくなる。

「私に、まかせて」

 そうこぼしたのは、マシュに抱えられたキャスターだった。

 彼女の口から、静かに旋律が紡がれていく。その瞬間、マシュとキャスターの傍らにまばゆい光が集まって、ぱちんと弾けた。そしてそこに現れたのは、耳と尻尾の先に真空管を付けたブリキの仔竜だ。

 ――ひかりのこころ!?

 言葉に出しそうになるのをぐっとこらえ、瞠目する。

 それはマシュも、女性サーヴァントも同様だった。

「な、なんですか、この可愛らしい、うさぎ? 竜?」

「説明はあとで、とにかく今は逃げる事だけ考えて!」

「わ、わかりませんが、わかりました! 任せます!」

 それなりの速度で走っているはずの俺達の横を、ふよふよとどこか気の抜けたような飛び方をする『ひかりのこころ』のことはまずは置いておくとしたらしい。マシュと女性サーヴァントは気を取り直して、とにかく逃げることに集中した。

 道程もそろそろ半分といったところで、いよいよワイバーンの影が俺たちに落ちる。

 先頭を飛んでいた個体がぐるりと旋回して、俺達の正面へ回り込む。後続も安易に仕掛けることはなく、とにかく俺たちを包囲してくる。

『マズイぞ藤丸クン! ヴォークルールにいたほとんどのワイバーンがこっちに向かってきてる! 森に入ることも難しい状況だが、この数じゃ入ったところで数の暴力に押し潰されてオシマイだぞ!』

「いえ、たぶん、大丈夫!」

『キャスターちゃんのアレか!? こっちの計測機器がまたバグり出したんだが、一体どうなってるんだ! そのかわいらしいオモチャに、カルデアの発電施設とは桁違いの膨大なエネルギーが集まってるんだが!?』

「大丈夫! たぶん!」

 そうとしか言えない。

 もはやキャスターを信じるほかないのだから。

 ……というか、ゲームというフィルターがあるにしても、この詩魔法の破壊力を知っている身としては『ひかりのこころ』が出てきた瞬間に、状況の打破くらいは簡単にしてしまうだろうという確信があった。

 事実――、ぱん! と乾いた音がして今、目の前に立ち塞がっていたワイバーンの一匹が弾け飛んだ。

『ひかりのこころ』が何かを投げた後のようなポーズをしているので、詩魔法の余剰エネルギーの一部を投げつけたのだろう。最終的なダメージを思うと、本当に1%にも満たない削りカスのようなエネルギーだと思う。

 それを『ひかりのこころ』が駄々をこねる子供のように、しっちゃかめっちゃかにワイバーンに向かって投げ始めた。外れる攻撃もあったが、当たればワイバーンは戦闘不能になった。

 胴体に当たれば泣き別れ。

 翼に当たればそれがもがれる。

 頭部に当たれば首なしになった。

 見た目に反して、あまりに凶悪な威力の攻撃だった。

「あんまり長くは持たないから、できるだけ急いで……!」

「助かります、これは頼もしい!」

 女性サーヴァントはあまり気にしていないようだが、マシュは味わい深い顔をしていた。

 女性サーヴァントと同じように頼もしいと言いたいところなのだろうが、見た目とのギャップがあまりに激しい。

 ……いや、まあ、もっとヤバいギャップの詩魔法もあるんですが。

 多数の敵を相手にしているから、単純に考えればそっちの方が威力が高いはずなのだけど、たぶんワイバーンが空を飛んでいるから選択を避けたんだと思う。対空というよりも、対地の印象が強い詩魔法だからだ。歌詞にも「絨毯爆撃」ってあるし。

 ……そろそろ現実逃避をやめて、ワイバーンのグロテスクな死に様に煽られて込み上げてきたものと直面しよう。おろろろ、と女性サーヴァントに抱えられながら、胃の中のものを戻してしまう。

 ぴりぴりと喉が焼ける。

 胸を圧迫されているような吐き気がずっと続いている。

 口元を拭う気力も湧いてこない。これは、思った以上にマズイ。

 俺の精神的な安定のためにも、できれば早めに森に着いてほしいところなんだけど。

『本当になんなんだそれ……。ともかく、見ての通り藤丸クンのバイタル以外は順調だ、そのまま森へ直進してくれたまえ。キャスターちゃんの方には無理は出てないかい?』

「大丈夫です、ダ・ヴィンチさん。もう、ちょっとだけなら……!」

 ゲロゲロと嘔吐感を覚えながら、キャスターの声を聞く。

 ゲームと現実は違う。――だけど、あのゲームは現実だった。

 そうすると、ならどうして、キャスターはあんなに苦しそうなんだろうか。

 藤の花を咲かせたときからそうだった。いや、なんなら今の方がAhih rei-yah; を歌い終わって群衆に祀り上げられようとしていたときよりもずっと苦しそうだった。

 俺はまた、なにか致命的な見落としをしてしまっているのではないかと、嘔吐感とは別の焦燥で胸を焦がす。

 俺がいくじなしなばかりに、君に本当のことを伝えるのが怖い。

 だから、どうしてそんな顔をさせてしまっているのかさえ、俺は問うことができない。

 俺が、あの世界で本当に俺だったのかさえ定かではない。

 ああ、怖い。

「森に入ります!」

「撃ち払ってっ!!」

 ブリキの仔竜――『ひかりのこころ』が振り向き、長蛇の列をなして迫るワイバーンと対峙する。ぬいぐるみじみたシルエットの頼りなさとは裏腹に、その眼前に集う光球は昼の太陽をものともせず、目を潰さんばかりに輝いている。

 瞬間、轟音が辺り一帯を食い尽くした。

 陽の光の下であっても、なおまばゆい光柱が空を裂く。

 光の柱に溶けるように、ワイバーンが灰すら残さず消え去っていく。その輝きはいまだヴォークルール上空で旋回するワイバーンさえ飲み込み、彼方へと消えていく。

 マシュも、女性サーヴァントも、俺だって、その凄まじさに言葉が継げず、自然と足を止めていた。射線から逸れていたワイバーンはかろうじて生き残っているものの、脅威と感じていた頃と比べれば、その数は芥子粒のようなものだ。

 撤退の命令が出たのか、生物的本能に従って逃げたのかはわからないけれど、その芥子粒ほどのワイバーンも散り散りになって逃げ去っていく。

「一体、なにが……?」

『指向性エネルギー兵器……? アルキメデスの熱光線みたいな……? いや、あれはあれで眉唾物ではあるが、それにしたって威力が尋常じゃない! 観測マップがさっきから歪みっぱなしでとんでもないな!』

 通信先でダ・ヴィンチちゃんがえらく興奮しているが、こっちはそれどころではない。

 気分の悪さに連動して襲ってきたネガティブシンキングで今、俺は最高潮に最低だった。

「マスター?」

 もうどっちが上で下かもよくわからない。

 女性サーヴァントの腕の中でもう一度思いっきり吐いた記憶を最後に、俺の意識は翌日の朝に飛ぶことになった。

 

 

 

      §

 

 

 

『すまない。キャスターちゃんの宝具……宝具? いや、ともかく、魔術の観測に夢中になっていたみたいでね。いや、モニタリングしていなかったということはないんだが、これくらいなら最悪気絶する程度で、かつ状況の打破は目に見えて明らかだったから休息の意味も込めてなんなら気絶しろとか、気絶じゃ休息にならないんだけど――ともかく! 藤丸君の命に別状はない。おそらく明朝には目を覚ますだろうから、可能な限り……そうだね、昼頃まではお互いの持つ情報や目的のすり合わせを行おう』

 マシュちゃん、私、気絶したままのマスターと女性サーヴァントが森の奥まで退避すると、休憩から戻ったらしいドクター・ロマンは言い訳じみた現状の説明を行い、その流れで女性サーヴァントへも今後の動きの提案をしていた。

 正体不明のサーヴァントである彼女はドクターの提案に二つ返事で頷くと、夜の帳が降りつつあった森の中で姿勢を正した。

「改めて、突然のことにも信用をくださり、ありがとうございました。それで、いつまでも私の名を明かさないのでは、その信用に対してあまりに不義がすぎます。リツカはいまだ気絶したままですが、一足先に明かしたいと思うのですが」

 そう言うと、女性サーヴァントは今まで被っていたフードを脱ぎ去った。

 稲穂のような黄金の髪。透き通る蒼玉の瞳。戦場の只中にあったはずなのに、絹のような白い肌には瑕ひとつない。微笑めば花のように可愛らしいのだろうが、そのかんばせは今は硬く緊張に張り詰めている。

「……ジャンヌ・ダルク、じゃないかな」

「え!?」

 私がつぶやいた名前に、マシュちゃんはひどく驚いた様子だった。

 しかし、女だてらに鎧を着込み、ヴォークルールで見せた民衆に対する口上の慣れ具合。

 そして現在の特異点の状況。女性サーヴァントが己の名を出すことに慎重になる理由。

 考えてみれば――考える暇があれば、だけど――彼女がそうである可能性は高い。

 核心があったわけではない。名前を出したのも、ほとんど当てずっぽうだ。

「……あなたは」

 ……だったのだが、どうやら彼女の反応からして正解らしい。

 彼女は居住まいを正すと、改めて自分の名前を口にした。

「ご明察通り、我が名はジャンヌ・ダルク。ここフランスで今、人々を恐慌に陥らせる元凶と同じ名を持つ存在です」

『じゃあ、なにかい? 君の存在を認めるとして……ジャンヌ・ダルクが今、その特異点に二人存在しているってことかい……?』

 ドクターの声は引きつっていた。

 片や竜の魔女。片や救国の聖女。

 人の在り方としては両極端だと思う。サーヴァントには別側面を持ち、異なるクラスで現界する人物もいる――というのは知識として知ってはいるものの、それはあくまで手にした武器や、それにまつわる逸話がフィーチャーされているという意味での「異なるクラス」だ。

 彼女――ジャンヌさんの場合は、もはや別人だ。

 祖国のために旗を振るい、魔女として処刑されるも後年、その行いが認められ聖女として名を連ねた人。彼女は一貫して祖国を裏切るような行いはしてはいないはずだ。火刑に処されても怨恨を口走ることなく、ただ水を、と求めるだけだったとか。

 ……なんとなく、違和感を覚える。

「そういうことになります。おそらく、ですが」

『……歯切れが悪いね?』

「……隠す意図はありませんでしたが、説明が遅れました。今の私は、どうやら霊基がかなり削られた存在であるようなのです。ジャンヌ・ダルクであることは間違いないのですが、サーヴァントとしての知識やスキル、宝具に至るまで、不完全な形でしか備わっていません」

『ふうむ、二重召喚の弊害か……? そもそも我々としても初めてのケースが多すぎて判断はつきかねる状態だ。たとえその力が不完全であるとしても、サーヴァントとして戦力に加わってくれるというのなら、それより心強いことはないよ』

「ありがとうございます。私としても、私自身がこのような非道を行っているとするならば止めなければなりません。こちらこそ、協力者が得られて万軍の増援にも並ぶ頼もしさです」

 そう言って、ジャンヌさんは私の方へと視線を向けた。

 どうやら、私の詩魔法を目の当たりにしたことで頼もしさを感じてくれているらしい。

 すう、と心に冷たい風が吹くのを止められない。

「話も一段落したところで、そろそろマスターを横にして差し上げませんか? 休まるものも休まりませんし、私たちもマスターへの説明のための現状のすり合わせが必要であると考えます」

 マシュちゃんのその提案に、全員が頷く。

 そのまま、今日のキャンプ地を探すことになった。こういった野営はお手のもの、ということなんだろう、ジャンヌさんが率先して適当な場所を探してくれた。

 最初は寝る必要のないサーヴァントが寝ずの番をして、焚火は起こさない方向で動いていたのだが、それではデミ・サーヴァントであるマシュちゃんが休息を取り切れないとドクターが進言。

 正確性には欠けるが、広域レーダーを駆使して敵性存在が近付いてこないかをカルデア側で観測するので、焚火は起こしてマスターやマシュちゃんが少しでも休める環境を作った方がよい、と提案してくれた。

 そういうことなら、とジャンヌさんはその提案を受け入れた。

 日が完全に落ちる前に森の中は一足早く夜が降り、気絶したままのマスターとその横で緊張から寝苦しそうにしているマシュちゃんを、自然と私とジャンヌさんで見守ることになった。

 焚火を挟んで一刻も経った頃だろうか。私とジャンヌさんは会話らしい会話もないままでじっくりと進む夜を過ごしていた。夜風に乗せて木の葉が詩い、不安を被せる夜闇を焚火がぱちりと弾く。

 今日のこの旅を、マスターとマシュちゃんはどう思ったのだろう。

 いつかそういうことを振り返って話す日が、二人にも来るのだろうか。

 私。

 私は――。

 もし、この旅の果てに〝あなた〟と出逢うことができたなら、私は何を紡ぐだろう。

「……とても、素敵な歌でした」

「え?」

 とめどのない思考に潜っていた私の意識が現実で息をしたのは、そんな言葉が聞こえたからだった。歌。素敵な。

「ヴォークルールに咲いた花は、あなたの歌がもたらしたもの、でいいのですよね?」

「……うん、そう。ううん、ちょっと違うかも……」

「?」

 綺麗な人がとぼけた顔でこてんと首を傾げる仕草は、どうにも心臓に悪い。

 他愛のない感想を振り払いつつ、説明を欲しがっているジャンヌさんへ拙く話し始める。

「宝具――っていう言葉は、あんまり好きじゃないんだけどね。私の力は想いを詩に込めて世界へ語りかけるだけのものなんだ。あの花は確かに私の詩で咲いたものだけど、私の想いを込めたものじゃない」

「……それはよくないことなのですか?」

「え? ど、どうして?」

「その、キャスターさんがとても、苦しそうだったので」

「……ああ、ううん、そっか……」

 言い淀んでしまう。

 それを言うのなら、私の想いをそのまま込めた方がずっとよくないことだっただろう。

 きっともっとずっと、今頃私の心は重く濁って痛みに喉を掻き毟って髪を引き千切っては爪を剥ぎ、歯が折れても全身を食み続けるような……そんな後悔に襲われていただろうから。

 だから、本当に嬉しかった。

 マスターのためになら、私の紡いできた想いも、願いも、祈りも、澄んだままでいられると思ったから。

「私はきっと、サーヴァントとして成立するにはこころが欠け過ぎてるんだと思う。私は私であることが、私だけでいることが、つらくて、苦しい」

「それを、マスターには?」

「言ってないよ。彼には、関係のないことだもん」

「ですが、そのままではあなたが……」

「話したところで、私の欠落は埋まらないよ。それに、マシュちゃんなんかは優しいから、きっとこう話す私に、こう言うよ。『私たちがいます』って。キャスターさんだけじゃありません、私もマスターだって、カルデアのスタッフだって、キャスターさんのことを独りになんてしません――って」

「…………」

 ジャンヌさんは、それには何も答えなかった。

 私にとっては、それが嬉しい。私と〝あなた〟がいてこそなのだ。

 死して完結してなお、いや、死して完結したからこそ。

「この世界を救いたい。それは、本当だよ。もっと積極的に力になりたい。なりたいのに、もう一歩が踏み出せないんだ。本当に、だめだめだよね。どうしてこんなに……こんなに……!」

「キャスターさん」

 改めて、ジャンヌさんと目が合う。

 青玉のきらめきが浮かぶ瞳に射抜かれる。

 

あなたは(・・・・)独りじゃない(・・・・・・)

 

「――――」

 聞き逃しようもない、致命的な言葉。

 喉が縮んで、肺が握り潰される。その刃がこころに届く寸前。

 

「あなたのこころには、離れがたく、離しがたい誰かがいます」

 

 ジャンヌさんは、そう言葉を結んだ。

 風と木の葉の詩も、焚火の拍子も、なにもかもが遠ざかっていく。

 彼女の言葉だけが、私のこころへ手を伸ばす。

「私はあなたの想う人のことをなにも知りません。その方がどのようにあなたのこころに残っているのかさえ。どれほどの苦しみをこころの裡に抱えているのか、その苦しみがどれほどこころを蝕んでいるのか。それでもひとつ、わかることがあります」

 否定ではなく。

 肯定でもなく。

 その言葉は、澱んだ私の感情を前にしても、やさしくこころへ響いていく。

「……あなたの隣にいるべき人がいない。その苦しみは、たった一人を除いて誰であろうと埋めることは叶わないでしょう。だからこそ、死して英霊となり座に登録されてなお、その苦しみを抱き続けるあなたの焦燥には真実がある。――あなたは独りじゃない(・・・・・・・・・・)

 焚火の奥から、力強い声が届く。

 この人は……、ジャンヌ・ダルクは、心の底から、私のことを信じてくれている。

「その苦しみと――想いと共に在る限り、あなたの独りじゃない」

「まだ、その考えを受け入れられるかは……わからないけれど。でも、ありがとう」

「お礼を言われるほどのものではありません。ただ、私にはそう見えると、独り言をぼやいただけなのですから」

 なんとなく、空を見上げる。

 涙が流れているわけではない。ただ、なんとなく、ジャンヌさんとは目が合わせづらかった。気恥ずかしかったのかもしれない。よくよく考えれば、今日出会ったばかりで、歴史に名を残したような英雄を前に、自分の弱さを吐露するなんて、以前の私からは考えられない暴挙だった。

 在り方としては全然違うのだろうけど、いわゆる「聖女」同士だからだったのかもしれない。

 暗く沈んでいた思考が、少しだけ息継ぎできた気がする。

 そうか、と。死んでもまだ想い続けることができるくらい、私は〝あなた〟を想い続けることができていたのだ。ジャンヌさんは、きっと、それを本当の「独り」だとは思えなかったのだろう。

 ああ、少し。

 ほんの少し。

 前向きになれそうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  ▼ G/n/./tr/// ./a/t.ng... ▼

 

 

 

「船がでるぞーぃ!」

「んふがっ!?」

 首ががくんと落ちて、その衝撃で目が覚める。

 突然のことに驚いて、きょどきょどと周りを見回してしまう。

 ……見回して、自然と頬に手が伸びて、その手で頬を引っ張っていた。

「痛くない。夢だ」

 もう一度周りを見た。

 仄暗い空間。背には枯れた大木があるだけで、どうやら俺はそれにもたれかかって寝ていたらしい。明るいわけではないけど、暗すぎるわけでもない。灰と白のコントラストのある空間だった。

「そりゃ夢じゃろうて。なんせ我がお前さんとしゃべっとるんじゃからの」

「だ、誰だっ!?」

「誰とは心外な。もうプリティでキュートな我のことを忘れたのか?」

「え、え? ねり、嘘だろ……なんで!?」

「覚えとるようで、誠によろしい」

「どこにいるんです! 教えてください、彼女は――!!」

「待て待て! まあ待て、慌てるな。深呼吸じゃ。端末でもガションでもなく、人の身体があるならなおさら深呼吸せねばな? ほれ、スゥ――ッ! ハァ――ッ!」

「いや勢い強いが!? ……ああ、はい、とりあえず、元気そうでなによりです。それにしても、この世界はジェノメトリクス……っぽいですけど?」

「そっちの世界に適応・変化したジェノメトリクスみたいなもんじゃな。魔術とか言ったかえ? なんでも心象世界とか言うらしいの、こういうの。たぶん違うがな」

「どっちだよ……。魔術のことは俺もまだ全然だからあんまり適当言わんでくださいよ」

「お前さん、確か令呪だったかでとうだいもりに詩魔法を詠わせたじゃろ。たぶん、そこで魔術的解釈のチェインが起こったんじゃろ。知らんけど。今おるとうだいもりはお前さんを〝お前さん〟だと認識しておらんからこんな殺風景で我の姿もまともに見えん状態じゃし、さーばんととかいう存在になっておるせいで睡眠同調もできとらんのでこの世界のとうだいもりはずっと眠ったままなんじゃが、まあ、そんな感じじゃ!」

「どんな感じ!? 面倒くさくなって説明放り出さんでくださいよ、マジで」

「じゃあめっちゃ簡単に説明してやろう。こうべを垂れて地につくばえ?」

「めちゃくちゃ偉そうだなこのウイルス……」

「ま、状況的にもうピンと来とるじゃろうが、ぶっちゃけセカイパックだのジェノメトリクスだのと原理は一緒よ。あと、お前さんは知らんと思うけど遠い星の向こうでは、我みたいなやつのことをウイルスではなく、心の護とか呼んどるらしいぞ」

「知ってますが?」

「知っとるの!? はえー、我つっかえ! やめたら心の護」

「元から心の護じゃないでしょ、あなた。でも、あなたがやめたら彼女が悲しむんでそういうこと言わないでください。マジで」

「怒らんといて? 目怖いんじゃが。ごめんて。許してくれんかのう?」

「話が進まんので許します」

「さっすが、あのとうだいもりをオトしただけのことはある男じゃのう、懐が違うわい! ここでの記憶はお前さんが起きたらたぶん九割九分九厘覚えてられんじゃろうが、今までやってきたことを信じてやり通せばそれでよいのじゃよ。いつもどこでも、やることはそんなに変わらん。信じて進むが良い。悪いウイルスも、それに絆されたのじゃ」

「あははっ! なんか、ありがとうございます」

「……ま、問題はお前さんがそれをやれるかどうか、じゃのう? んっふっふ」

「疑ってるんですか?」

「いやいや、楽しんどるんじゃよ。またこんなものを見れる日が来るとは終ぞ思わなんだからの。して、自信のほどはいかがかな、お前さん」

「任せてくださいよ」

 ここでの出来事を、起きてしまえばほぼすべて忘れてしまうとしても、それ以上のものをたくさんもらった気がする。歩みを止めるにはまだまだ早いし、彼女との絆もまだまだか細くて弱々しい。

 ――でも、だ。

 ぐっとサムズアップして、強がりっぽく笑ってみせる。

 仄暗かった空間が、真っ白に塗り潰されていく。たぶん、もうすぐ起きてしまうのだろう。

 だから俺は、大声で宣言する。

 次にいつ会うかもわからない、なんだかよくわからない絆を結んだあの人へ。

 

 

「○ボタンを押すだけでできてたことが、今の俺にできないはずないですから!」

 

 

 つまり、そういうことなのだ。

 

 

 




 
 令呪を用いて詩魔法を発動させたため、
 このタイミングで機能の一部が解放されました。
 

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