俺がまだ子供だったころ、世の中には不思議が溢れていた。
どうして風が吹くのか。何で空は青いのか。月って何なのか。
なぜ、なに、どうして?
そんな疑問を、俺は片っ端から父さんにぶつけた。
父さんは物知りだった。
俺の中の不思議を一つ一つ説明してくれた。時には実験をして実際に見せてくれた。
風が吹く理由はな、暖かい空気と冷たい空気があるからだ。
何、分からない? よし、今日の風呂は父さんと入ろう。そうしたら分かるぞ。
こんな風に色んなことを教えてくれたのだが、いくつかの疑問には答えてくれなかった。
そんなときは、決まってこう言うのだ。
お前も大人になれば分かるさ。
ああ、そうだ。
確かに、大人になってわかったよ。
お酒やコーヒーの美味しさ、お金を稼ぐことの大変さと大切さ、時が経つのが早いと感じること。
そう、つまり何を言いたいのかというと、
「それじゃ、
あっという間にゴールデンウィークが来てしまった。
「姉さん………来るの早くない?」
「そう?」
「まだ7時なんだけど………」
もちろん、朝の7時だ。
てっきり昼くらいに来るものだと思っていたから、当然俺は寝ていたわけで。
チャイムを連打されて起きた俺は、ちょっぴり不機嫌だ。
もちろん連打したのは姉さん。高橋名人に匹敵する16連打だった。
「すまないね。
「いえ、義兄さんが謝ることじゃありませんよ。むしろ、姉さんがご迷惑をおかけして申し訳ない」
春姉さんの一歩後ろに立っていた
良く言えば優しい、悪く言えば押しに弱い和樹義兄さん。きっと苦労しているんだろうな。
俺も経験したことだから良く分かる。
というか、二人して現在進行形だしな。
「姉さんも大人なんだから、朝早く来るなら前日に連絡しろよ」
「あんたも大人なんだから、早寝早起き一日三食を心がけなさい」
俺は言い返そうとして、結局言葉を飲み込んだ。
どうせ口喧嘩じゃ勝てないし、なにより子供の前でみっともないからな。
「って………あれ? 芽衣ちゃんは?」
玄関先に立っているのは春姉さんと和樹義兄さんだけだ。
義兄さんの影にも、玄関扉の裏にも芽衣ちゃんの姿はない。
「芽衣なら車の中で寝てるわ」
「義兄さん、朝何時に家出たの?」
「……4時くらい、かな」
4時って朝と言っていいのだろうか。
少なくとも俺の中だと、日が顔を出していないなら夜だ。
「そんな時間に車に乗せられたら、芽衣ちゃんが寝てるのも当たり前か」
「ははっ、僕も眠いよ。何せノンストップでここまで来たからね」
目をショボつかせながら和樹義兄さんは言う。
睡眠不足の中、3時間も運転してれば当然だわな。
「姉さん、安全のためにも2時間に1回は休憩を挟もうよ」
「じゃ、ここで休憩ね」
「ここって、俺ん家?」
「そうよ。芽衣を預けるんだから、あんたの生活チェックもしたいし、一石二鳥ね」
「………まあいいよ。別に変なものとか無いし」
言うやいなや、姉さんは俺を押し退けるようにして家に入っていった。
お邪魔しまーすと言っただけマシか。
「僕は芽衣を連れてくるよ」
「あ、じゃあ布団敷いて置きますんで義兄さんも一眠りしてください。二人分はないので、どっちか俺のベットになっちゃいますけど」
「すまないね、お言葉に甘えるよ」
そう言って和樹義兄さんは、駐車場の方へと戻っていった。
俺は玄関扉に楔を打って開けっ放しにする。もし和樹義兄さんが芽衣ちゃんを抱えて来たら、両手が塞がっているだろうからな。
俺は姉さんの靴を揃えてから家の中へと戻り、寝室のベットの横に布団を敷いた。
それからリビングに戻る途中、姉さんが台所にいるのを見つけた。
「なかなか良い物件じゃない、2LDKで月いくらくらいなの?」
「だいたい8万。けど、会社から家賃補助で半額出てるから、実質月4万円」
「流石、一部上場企業は福利厚生が違うわね」
「義兄さんの会社の方が、俺の所よりデカいでしょ」
前に企業総資産を比べたら、なんと20倍だった。
そんな企業が福利厚生をしっかりしていないとは考え難いのだが。
「私、あんまり旦那の会社のこと知らないのよね。多分、あんたの所と同じくらい福利厚生あると思うけど」
いや、そこは知っておけよ。
こういうところ、姉さんは世間知らずだ。大学中に結婚してそのまま主婦になったせいか、企業とか仕事への関心が薄い。世の中知らなきゃ損することがいっぱいなのに。
「大丈夫よ、その辺は旦那が何とかするわ」
「確かに義兄さんはしっかりしてるけどさ。けど姉さんだって――」
「冷蔵庫チェークッ!」
ガバリと勢いよく冷蔵庫を開ける姉さん。
俺の話、聞く気無いな。
「ふむふむ、卵、ソーセージ、こま切れ豚肉、キャベツ、ネギ、もやし、麦茶はちゃんとパックで作ってるわね………根菜は?」
「流し下の戸棚の中」
「じゃがいも、人参、玉ねぎ、ニンニク………生姜は?」
「冷凍庫」
「……うん!ちゃんと自炊出来てるようね」
大学生の頃から一人暮らししているのだから、当たり前だ。
正直、今更確認されるようなことじゃないと思うのだが。
「馬鹿ね、口では何とでも言えるのよ。実際に見なきゃ安心出来るわけないでしょ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
そんな風に姉さんのチェックを受けていると、玄関から「お邪魔します」との声が聞こえた。
もちろん、声の主は和樹義兄さんだ。
程なくして和樹義兄さんが、芽衣ちゃんを抱き抱えてリビングに入ってきた。やはり芽衣ちゃんはぐっすり寝ていて、起こすのに忍びなかったようだ。
俺は静かに寝室へ案内する。
和樹義兄さんは静かに芽衣ちゃんをベットへ下ろすと、小声で礼を言ってから敷かれた布団で横になった。
「旦那は?」
「寝たよ。一時間くらい寝かせてあげようぜ」
「そうね………ところで、エプロンはどこ?」
「壁に掛かってるだろ」
ピンクの花柄のやつだ。
「だっさ」
「いいんだよ、消耗品なんだから安いやつで」
「エプロンの柄と値段はあんまり関係ないでしょ。今時100円均一にだって数種類置いてるんだから。単に、この柄を選ぶあんたのセンスの問題よ」
………ごもっとも。
姉さんの指摘に項垂れていると、それを尻目に姉さんはエプロンを着け始めた。
俺に合わせたサイズなせいで、姉さんにはちょっと大きい。前から見たらワンピースみたいだ………ださいけど。
「って、何してんの」
「エプロン着けるんだから料理に決まってるでしょ。あんたどうせ朝食まだよね?」
「そりゃ、チャイムで起こされたんだからな」
返事を聞くなり、姉さんはてきぱきと料理を始める。
さっき物色した際に調理器具の場所は把握したようで、何の迷いもなくフライパンや包丁を取り出す。
「たまには他人の手料理食べたいでしょ?」
「おう、ありがと…………姉さん、前より手際良くなったね」
分かりやすいのは、包丁捌きだ。前はトン、トン、トンという感じだったのに、今はトトトトトトンと包丁が鳴る。
「10年も主婦やってるのよ、当たり前じゃない」
そうか、姉さんが結婚してもう10年になるのか。
大学生の頃から和樹義兄さんと付き合ってた姉さん。芽衣ちゃんを授かったのを機に、内定した企業を蹴って和樹義兄さんのところに籍を入れた。
卒業式の日は、お腹が大きくて大変だったとのこと。
因みに、和樹義兄さんは姉さんの3つ年上で、姉さんとはサークルで出会った。初めは後輩としか見ていなかったらしいが、姉さんからの熱烈アプローチにヤられたらしい。
自他共に認める肉食系だからな、姉さんは。文字通り食われたのだろう。何がとは言わないが。
「あれ、パンはどこ? あんた朝はパン派だったじゃない」
「パンって意外と持たないだろ? 賞味期限を気にするの面倒で、ご飯だけになった」
「あらら。朝パン、昼麺、夜ご飯の黄金サイクルとか言ってたのに」
そんなのは作ってくれる人が居る時の我侭だ。少なくとも、俺は自炊一ヶ月でそれを悟った。
「暇なら着替えてきなさいよ。この台所、そんなに広くないから突っ立ってると邪魔なのよ」
「はいはい」
追い出されてしまった。
でも、着替える必要はあったので、そっと寝室に戻り服をタンスから取り出した。
流石に和樹義兄さんや芽衣ちゃんが寝てる横で着替えるのは抵抗があったので、隣の趣味部屋に行ってそこで着替えた。
青のデニムに襟付きのシャツ。下着とか全部合わせても五千円行かない、安いやつだ。
一応、気を使った服もあるにはあるが、普段着ならこれでもいいだろ。
それから風呂場にある洗面台で顔を洗い、すっきりしてリビングに戻れば、既にテーブルには朝食が並んでいた。
早いな、おい。
「このぐらい普通よ」
「いや、少なくとも俺はこんなに早く作れないぞ?」
「手際が悪いのよ。どうせ味噌汁作るのにお湯が沸くの待ってたりするんでしょ」
うっ、その通りです。
「この朝食なら、一つのコンロで味噌汁の湯を沸かしている間に、もう一個のコンロでフライパンに玉子とソーセージを焼くの。水入れて蒸し焼きにしている間にサラダのキャベツを切って皿に盛り付けて、ついでにネギ切った時には目玉焼きとソーセージが焼きあがるでしょ。盛り付けてたらお湯沸くから、そこに乾燥ワカメと切ったネギ入れて、出汁入り味噌を放り込んで、出来上がり」
「はー」
「朝、変に余裕があるから手際が良くならないのよ。幼稚園バスに遅れるとかでバタバタしてたら出来るようになるわよ」
俺は姉さんの向かいに座ると、作ってくれた姉さんに感謝と食材への感謝を込めて「いただきます」を言う。
どうぞ、召し上がれと姉さんは返した。
「………おお、美味い」
「ふふーん、当然でしょ」
同じ食材を使っていても、やはり味は全然違う。姉さんの方が少し甘めで、何かが優しい。
ぱくぱくと箸が進む俺。
ふと、姉さんを見れば、その昔の母さんと同じ顔をしていた。
「最近、どうなのよ?」
「んぐっ……どうって?」
「ほら、この間は電話だったからあんまり聞けなかったじゃない。久しぶりに会うんだし、近況を聞きたいわ」
と、言われてもな。
いきなりだから、これといって話題が思いつかない。
「じゃあ、仕事はどうなのよ?」
「そうさなぁ………あ、今年はうちの部署に新人が入るらしい。初めての後輩だな」
「毎年入ってくるもんじゃないの?」
「学校じゃないから、そんなわけないじゃん」
もし、毎年入ってくるなら、一つの部署に40人近くいることになる。
「会社って、○○部の下に××課があって、さらにその下に□□グループってのがあるもんなの。んで、このグループは5人から多くても20人くらいで構成されていて、新人が入るのは三年に一人くらいだな」
例えば、営業部 大型家電課 洗濯機グループみたいにな。こんな明白な部署名じゃないだろうけど、でもこんな感じだ。
「大体、新人を育てるのも結構大変だからね。毎年入ってきたら面倒見切れないよ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだよ」
何だか似たようなやり取りになってしまったのは、きっと俺たちが姉弟の証なんだろう。
「そういえば、あんたまだ早撃ちやってるのよね。そっちはどうなのよ?」
「それの答えはあの扉の先、趣味部屋を見ればわかるよ」
味噌汁を片手で啜りながら、俺がさっき出てきた趣味部屋を指す。
興味を持ったのか、姉さんは席を立って趣味部屋に入っていった。
そうして五分後、朝食を食べ終えて丁度ごちそうさまを唱えている時に姉さんが戻ってきた。
「ご感想は?」
「あんた、戦争でもおっぱじめる気?」
「全部本物なら出来るかもね」
もう一度、今度は姉さんに向かってごちそうさまを伝えてから、食器を流しへ持っていく。
軽く水をつけて、洗うのは後回しにする。
急須でお茶を淹れ、二人分の湯呑とお茶請けの煎餅を持ってリビングに戻った。
「緑茶か………コーヒーは無いの?」
「あれ、姉さんコーヒー派だっけ?」
「旦那がコーヒーミルで豆を引くくらいコーヒー好きでね、私もいつの間にか好きになっちゃった」
そうか、やっぱり姉さんも変わったんだな。
悪いことじゃないけど、ちょっと寂しく思う。
「インスタントならあるけど?」
「ならいいや、あれはコーヒーとはまた別物だから」
結局二人共緑茶に落ち着いて、煎餅を摘みながらお茶をすする。
「話を戻すけど、あの部屋スゴいわね」
「自分で買ったのは二割くらいかな。大会の入賞賞品や貰い物、預かり物がほとんどだよ」
俺は西部劇が好きなわけで、現代の銃は嫌いじゃないが買うほど好きでもない。
俺が買うのは、ファストドロウで使えるS.A.Aやウィンチェスターライフルなど、西部開拓時代に使われていた型のものばかりだ。
けれど、あそこにはアサルトライフルやマシンガン、グレネードランチャー、挙句の果てにロケットランチャーにミニガンまである。
何故か?
一つは、大会の入賞賞品だ。
ファストドロウの大会は参加費が高額で一万円を超えるのだが、その分賞品が豪華だ。三、四万のモデルガンやガスガンをポンッとくれる。
しかもそれが、発売前の新商品だったりワンオフのカスタムモデルだったりして、値段以上の価値があることもしばしばだ。
俺も10年もファストドロウをやっているからな、入賞経験は何度かあるし、入賞回数はほぼそのまま銃の数になる。
二つ目は、貰い物。
引退する人が捨てるに忍びないということで貰ったのが何丁か。
後は、サバイバルゲームの布教活動と称して渡してきたりした。アサルトライフルはそれだな。
三つ目、これが実はほとんどを占めるのだが、預かり物である。
特に家庭持ちの人が家に置き場所が無いと言って、俺の家に置いていくのだ。ロケットランチャーやミニガン等の大物はみんなこれである。
ああ、奥さんが許してくれなくてこっそりやってる人の銃もあるな。
「まあそんなわけで、見た目ほどお金かかってないから」
「趣味を許してくれないのは可愛そうね。理解出来ないからって禁止することないのに」
「姉さんはその辺寛容だよね、義兄さんの趣味も許してるし」
「巻き込んでは欲しくないけど、禁止するようなことじゃないしねぇ」
「おや、僕の話かい?」
丁度そこに和樹義兄さんが起きてきた。
先程よりもすっきりした顔をしているし、だいぶ回復したようだ。
「おはよう義兄さん、もう体調はいいんですか?」
「良い布団のおかげ様でぐっすり眠れたよ。あれはどこで買ったんだい?」
「近くの家具店ですよ。型番を後でメールしましょうか?」
「よろしく頼むよ」
実際に買うかどうかは、姉さんと相談になるんだろうけど。
でも、財布はがっちり握られているわけじゃないから、きっと大丈夫だろう。和樹義兄さん、あまり無駄使いするような人でもないし。
「それで、姉さん達はこれからどうするの?」
夫婦水入らずの三日間。
その目的は知っているが、せっかくなら有効に使って貰いたいものだ。
「実は、あんまり考えてないのよね。私は三日間ホテルに缶詰でも良かったんだけど」
流石にそれは、風情のへったくれも無さすぎて義兄さんも大反対だったようで。
何とか説得して、そういうことは夜だけとしたらしい。
大体、ホテルに缶詰とか和樹義兄さんが持たないだろ………。
「そんなわけで、デートプランは僕が立てたんだ」
「それなら安心ですね」
まあ、早速出発時間を狂わされてしまったが、それぐらいは許容範囲とのこと。
「それじゃ旦那も起きたことだし、私たちは出発するわ」
そう言って、腰を上げる姉さん。
だが、ちょっと待って欲しい。
「芽衣ちゃん、まだ寝てんだけど?」
「そうね、ゆっくり寝かせてあげて」
「いやいやいや、ここで姉さん達が行ったら、起きたときに見知らぬ家でよく知らない叔父さんと二人っきりだろ。ちょっと芽衣ちゃんに酷じゃね?」
というか、俺にとっても酷なんだけど。
「大丈夫だいじょーぶ」
しかし、姉さんはそれに全く取り合わない。
和樹義兄さんを引きずるようにして、家を出てしまう。
「それじゃ、芽衣のことよろしくねー」
玄関扉の隙間からひらひらと手を振って、そう言い残して姉さんは去っていった。
止める間もないほどあっという間だった。
「………え、ガチ?」
慌ててサンダルを履いて外に出るも、既に姉さん達の姿はなかった。
姉さん達の車があった駐車場には、可愛らしい子供用のリュックサックが一つ置いてある。
手に持って見れば、『早見 芽衣』と書かれたネームカードが紐で付いていた。
おそらく、これは芽衣ちゃんのお泊りセットなのだろう。
「………はぁ」
本当に春姉さんは強引な人だ。
しかもそれでいて、顔もスタイルもいいからあっちこっちで敵を作っている。
でも、それと同じくらい姉さんを好いている人がいるのも事実で。
俺も何故か憎めないのだから、きっとそれが姉さんの魅力なんだろう。
迷惑なのは変わらないけどな!
「……家もどるか」
ここで突っ立っていても仕方がない。
リュックサックを回収した俺は、家の中へと戻った。リュックサックはリビングに適当に置いて、台所へ行き使った食器を洗う。
朝食の味を思い出して、自然と心がふわりと軽くなる。
興が乗って、つい下手な口笛を吹きながら洗い物をする。
だがその口笛も、洗い物を済ませてリビングに戻るところで、唐突に止んだ。
「誰、ですか?」
五年ぶりに会った芽衣ちゃんの第一声。
それは、俺の身元を問うものだった。
…………当たり前だわな。
う、嘘ついてないから!!
芽衣ちゃん登場したから!!(最後だけ)
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