すずかによって案内された先にはしゃれた喫茶店があった。表にはオープンカフェを持つ、それなりに大きな店である。
『“ここで間違いありません。喫茶翠屋と表記されています”』
『メニューの方もその調子で翻訳を頼むよ?』
『“了解しました”』
かららんと扉を開ければ、店内を見渡す間もなく眼鏡を掛けた店員───彼女はエプロンを着けていたので店員とすぐわかった───に、声を掛けられる。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「はい」
「カウンターでもおよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
下校時刻と重なっているのだろう、客は制服らしい揃いの服を着た女学生が大半だ。
クララによればこの国家ニホンではアーベルと同年代で働いている者はごく少数、18歳までは殆どの者がハイスクールに通い、その後も大学に進学することが多いらしい。
「こちらがメニューになります。
あの……」
「はい?」
「もしかして、アーベルさん?」
「!?
はい、そうですが……?」
さきほどのすずかはともかく、一体これはどういうことかと驚く。
彼女もフェイトの友達……にしては、歳が離れすぎていた。
「やっぱり!
わたし、なのはの姉の高町美由希です」
「なのはちゃんのお姉さん!?
……あ、もしかしてフェイトちゃんのビデオレターですか?」
「うん! そうでーす!」
友人のみならず、家族でも回し見たということだろう。
フェイトからの便りが大事にされていることが垣間見られて、アーベルとしても嬉しい限りである。
「ははは、納得です。
実はさっきもですね、偶然ですけど通りで声を掛けられて驚いたばかりなんですよ」
「へえ?」
「月村すずかちゃんです。
信号待ちをしていたんですが、ビデオレターで顔を見た覚えがあったからって声を掛けてくれて、お店の手前まで案内して貰ったんですよ」
「あれ?
でも今日は、すずかちゃんもアリサちゃんも見てないなあ……?」
「今から図書館へ行くって、すずかちゃんは言ってました」
「あー、それでかあ」
話は弾むがお店の方も忙しいらしい。
とりあえず、サンドウィッチのセットとオリジナル・ブレンドを注文する。
「アーベル君」
「はい?」
今度声を掛けてきたのは、喫茶店のマスターだった。
お客さん、ではなくアーベルと声を掛けてきたところを見ると、このマスターも誰かの親族か知人なのだろう。
「はじめまして。なのはの父、士郎です」
「え!?
あ、はじめまして、アーベル・マイバッハです」
「……あれ?
ここがうちの───高町家の経営だってこと、もしかして聞いてないのかな?」
「へっ?」
「というわけで、こちらが妻の桃子」
「こんにちは、アーベル君。
なのはの母、桃子です」
「は、はい、こんにちは。
よろしくお願いします」
エイミィめわざと黙っていたなと溜息をつき、アーベルは士郎たちに、昨夜こちらに着いてさっきまで寝ていたこと、天気がいいから外にご飯を食べに行けとこの店を教えられたことなどを話した。
「ははあ、担がれたみたいだね?」
「そうみたいです。
なのはちゃんのご実家だとは、誰も教えてくれませんでした。
クロノ……ああ、僕の友人がコーヒーの美味しい店があると言ってて、フェイトちゃんやエイミィからもシュークリームがお勧めと聞いていたんで、お店そのものはなんとなく知っていたんですけど」
「まあ、そうだったの。
リンディさんたちも、海鳴に来た時は必ず来て下さっていたのよ」
ごゆっくりどうぞと差し出されたコーヒーに口を付け、目を見張る。確かにこの味とこの香りでこの値段はあり得ないぐらい安いなと、アーベルはじっくり楽しんだ。
現地価格で税込み300円───先ほどエイミィに両替して貰ったが、円はニホンの通貨単位で、管理局が設定した為替レートに手数料込みだと1クレジットがおよそ1円───とのことだが、自販機やファミリーレストランのコーヒーならばともかく、同じレベルの物をミッドで飲もうとすれば1000クレジットでは到底済まないだろう。
ミッドチルダは農業よりも、魔法科学や重工業に比重が置かれた世界だった。輸入品は当然、関税と運賃を上乗せされる。生活必需品ではないコーヒーやアルコール類のような嗜好品への関税率がおしなべて高いのは、何もミッドに限らない。
ミッドでも工業的手法で生産された普及品だけでなく、農園で収穫して手作業で作られる高級嗜好品としてのコーヒーも生産されているが、農業世界の名産地にはやはりかなわなかった。
「ふう……」
『“気に入られたようですね?”』
『うん、当たりだ』
運良くアーベルの好みからそう外れていないのもありがたい。良いコーヒーと一口に言ったところで、その種類は千差万別、そこに各人の好みが加わるので正解はなかった。
お代わりはサービスだと聞いてもう一杯を貰い、ついでに食後のデザートにシュークリームを注文する。
こちらも同じく税込み300円……にしては、これも中級以上のパーラーか洋菓子店でそれなりに支払わないと出てこないレベルだ。本職のパティシエにかなうはずもないだろうが、ヴェロッサはさぞ悔しがるに違いない。
だがシュークリームを口にした後コーヒーを含んだアーベルは、更に唸らざるを得なかった。
もう一口シュークリームを口に運び、充分に味わってから再びコーヒー。
……間違いない。
シュークリームも食べ終えてコーヒーカップも空になったのに、しきりに頷いて感心したような態度のアーベルに、士郎が声を掛けてきた。
「どうかしたのかい?」
「……このブレンド、もしかしなくてもシュークリームに合わせてあるんですよね?」
「ほう?」
「ブレンドとシュークリーム……当たり前ですが別物なのに、合わせて一つというか、なんというか……」
士郎の目が一瞬鋭くなり、ふむと頷いて破顔する。
「嬉しいことを言ってくれる。なかなかそう云った表現をされるお客さんは少ないが、正解だ。
ブレンドにシュークリームはうちの定番だからね、とても気を使っているよ。
アーベル君はコーヒー党かい?」
「はい。
紅茶も好きですが、どちらかと言えばコーヒー党です。
あの、士郎さん」
「何かな?」
「不躾で恐縮なんですが、士郎さんが常飲されている豆を、常飲されている煎れ方で飲ませて貰いたいんですけれど……駄目ですか?
ものすごく気になって……」
「はは、それならお安い御用だよ」
コーヒーを看板にしている喫茶店のマスターは、当たり前だがコーヒー党であることが多い。
その上で、店の顔とも言うべきオリジナル・ブレンドは……一番のお勧めではあっても、様々な理由からマスター好みの一番でないこともあった。
翠屋ならば、先ほどアーベルが気付いたように、店のもう一つの看板であるシュークリームと組み合わせたときにもっとも高いパフォーマンスを発揮するようブレンドされている。嗜好品であるコーヒーは人によって好む味が違うということを考慮すれば、客が美味しく感じることが一番であり、確かに一つの解答であった。
しかしそれとは別にマスターが個人的に好む味というものもあり、好みに合う合わないは別にしてそちらは経験を積んだコーヒー巧者が辿り着いた味故に、正に個性が光るのだ。
しばらく待っていてくれと厨房に向かった士郎は冷蔵庫から金属容器を取り出し、冷水に浸かっていた中身を丁寧にふき取った。
取り出されたのはネルドリッパーで、手慣れた手つきで準備がなされていく。
「もちろんメニューにも載せているんだが、月に二、三回でも注文が入れば多い方かな」
「そうなんですか?
こちらの……ニホンでよく飲まれているコーヒーまでは、良く知らなくて……」
「どうだろうね?
ロブスタのストレートは、知っていても飲む人は少ないからなあ」
クララにも流石に管理外世界のコーヒー豆の味や産地の情報までは入っていなかったから憶測でしかないが、あまり好まれないタイプの豆らしい。だが、それはそれで気になるものだ。
「さあどうぞ。
飲み慣れていないときついかもしれないが……」
「いただきます。
……あ」
「どうだい?」
「かなり個性が強いですね。このタイプは初めてです。
でも、この苦みは割に好みかも……」
普段アーベルは、ミッド中央の市街にある行きつけのコーヒーハウスで買うその店のオリジナル・ブレンドを好んで飲んでいる。幾つもの店を飲み歩いた結果でありその味には満足しているが、管理外世界の……それもストレートと言うからにはおそらくは原種か地域種であろうこの味は、アーベルに強烈な印象を与えた。
だが、悪くない。
先ほどの、シュークリームと合わせて一つの世界を作るブレンドが草原を吹き渡る優しい風なら、これは大地そのものだ。
「普通はブレンドする時、控えめに加える種類の豆だからね。
コクも強いし苦みも強烈だ。
でも、なにがしかの力強さを感じるだろう?」
「はい、確かに」
「私はそこが気に入っていてね」
本局での仕事を終えて戻ったクロノが休憩ついでに迎えに来るまで、アーベルは士郎からニホンに於けるコーヒー事情を楽しく教授して貰うことができた。