セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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12 中学生一年 宮永家姉妹喧嘩爆裂乱闘編

1、

 

「よぉモモ! 良く来てくれ……た……」

 

 待ち合わせの場所に現れたモモを見た京太郎は、絶句した。

 

 何というか、美人過ぎるのである。

 

 モモと知り合ったのは中学に入る前。つまりまだ知り合って二ヶ月しか経っていない。それよりも前はお互いにランドセルを背負っていた。つまりは小学生だった訳だが、今のモモを見て二ヶ月前まで小学生だったと思う人間はいないだろう。

 

 一目で余所行きと解る服は、男の京太郎の目から見ても気合が入っており、今日のイベントにかける意気込みを嫌というほど感じさせた。髪型こそいつものままだが、薄く化粧までしている始末である。

 

 身長は京太郎から見て頭半分ほど低いが、出るところは出ているモモである。同級生だと知っている京太郎ですら、もしかしたら二つか三つは年上なのでは、と錯覚するほどモモは大人びていた。

 

「待ったっすか?」

「いや、待ってない。俺も今来たところだけど……どうした?」

「似合わないっすか?」

 

 くるり、とその場で一回転して見せるモモ。ふわりと舞うスカートと女の子な匂いにくらりとするが、男のプライドとしてそれを顔には出さないようにしながら――それでも頬が熱くなるのは止められなかったが――モモを褒める言葉を探した京太郎は、気の利いた言葉の浮かばない自分に辟易としながら、

 

「似合ってるよ」

 

 思っていることそのままを口にした。

 

 それを聞いたモモは、花が咲いたように微笑んだ。

 

 ぼーっと、その笑顔に見とれてしまった京太郎は、頭を振った。見とれている場合ではない。今日の目的は麻雀だ。そのことはモモにも伝えてある。それなのにどうしてここまでめかし込んで来たのかさっぱりだが、とにかくやるぞという意気込みだけは理解できた。

 

 突然誘った麻雀であるが、やる気でいてくれるならばこれ以上はない。ステルスというレアな特性まで含めて、モモの麻雀の実力は京太郎も認めるところである。やる気ならば、今日はこれ以上ないほどの戦力になってくれることだろう。

 

 

「友達の家は近いんすか?」

 

 道を行きながら、モモが問うてくる。

 

「そんなに遠くないはずだけど、行くのは初めてなんだ。近くで待ち合わせをして、一緒に行くことになってる」

「京さんの友達なら、きっと麻雀大好きっすね」

「どうだろうな、あまり好きじゃないみたいなことは言ってたが。いたいた。宮永!」

 

 待ち合わせ場所では、咲がしょんぼりと佇んでいた。気落ちしているのが離れていても解る。そもそも今日の麻雀は咲が主導で始めたことではなく、いわば京太郎のおせっかいだ。咲の姿を見て今更余計なことをしただろうかと考えるが、ここで止めますとは言ったらケーキに目の眩んだ照にぼこぼこにされる。

 

 ここまで来たら、もう後には引けない。嫌な気持ちを吹き飛ばすように京太郎が名前を呼ぶと、顔を向けた咲はその場で首を傾げた。京太郎ではなく、京太郎の隣の空間を、目を細めて凝視している。見えてはいないが、何かいるとは感じているのだろう。流石に照の妹だけあって、感性が鋭い。

 

 少なくともモモの周囲にはあまりない反応だ。自分が見えるかもしれない相手。これは喜んでいるだろうと隣に立つモモを見れば、モモは自分がいる方を凝視している咲を見て、憮然としていた。

 

「……友達って女の子だったんすか?」

「そうだよ。言ってなかったか?」

 

 京太郎は当たり前のようにそう口にしたが、モモは京太郎に聞こえないほどの小さな声で『これはないっす……』と呟いていた。

 

 気合十分だと思っていたモモがいきなり気落ちしたのを見て京太郎は混乱するが、モモは顔を上げるとその場でくるりと回り、足を大きく踏み鳴らした。空気が震える音に驚いた咲は一歩後退り、そうして『突然現れた』モモにさらに驚いて足を滑らせた。最初からモモが見える京太郎には馬鹿馬鹿しい光景であるが、モモが見えない人間の反応としてはこれが普通である。自ら姿を晒そうとしたモモに疑問は残るものの、まずは転んだ咲を助け起こすことだ。

 

「大丈夫か宮永」

「うぅ……須賀くん、ありがとう」

 

 お尻を摩りながら起き上がった咲は、改めてモモと対面した。

 

 並んで見ると、その容姿の違いが際立って見える。

 

 目鼻立ちのはっきりとしたモモは年齢による幼さはあるものの今でも十分に美少女であり、その顔立ちは美人の系統である。かわいい、という感じではない。

 

 対して咲は派手さではモモに劣るが顔立ちは十分に整っている。身体の小ささや雰囲気も相まって、かわいいと表現するのが妥当だろう。目立たなくとも美少女には違いないが、決して美人の系統ではない。

 

 美少女二人と並んでいるというこの状況は男として喜ぶべきことなのだろうが、軽く火花を散らしている二人の間に挟まれるのは居心地が悪い。二人を知っているのは京太郎一人だ。紹介でもするべきかと悩んでいる内に、モモが一歩前に出た。その気迫に、咲が一歩後退る。

 

「東横桃子、中学一年っす。京さんからはモモと呼ばれてるっすよ」

「宮永咲です。よろしくお願いします」

 

 ふむ、と咲の名前を心中で繰り返したモモは、首を傾げた。『友人の姉』を自分達で協力して麻雀で倒す。モモにはそういう風に説明してあった。宮永というのはよくある名字ではない。長野県の女子中学生で麻雀をしていて連想する宮永は、おそらくただ一人だ。

 

「宮永っていうのはもしかして、あの宮永っすか? 宮永照? インターミドルチャンプの?」

「こいつはその妹だ」

 

 モモは深い深い溜息をついた。そして、京太郎を可哀想なものを見る眼で見つめる。

 

「勝てる訳ないじゃないっすか。相手を選んで勝負を挑んだ方が良いっすよ」

「男にゃ引けない時があるんだよ」

「まぁ、京さんの頼みだからやれるだけのことはやるっすけど、こっちの妹さんは大丈夫なんすか?」

 

 口調には軽い敵意が見える。それを明確に感じ取った咲は、はっきりと不満の色を浮かべた。人の顔色を伺う性質の咲が、感情を露にすることは珍しい。雲行きが怪しくなったことを察した京太郎がフォローに入るよりも先に、咲は一歩歩み出た。モモの目を正面から見据えて、答える。

 

「お姉ちゃんは、私が何とかします。邪魔だけはしないでください」

 

 普段の咲を知っているものならば目を疑う、明確で明朗な答えである。口答えされると思っていなかったモモは目を丸くしていたが、威勢の良いその言葉に破顔した。

 

「なら、大丈夫っすね。期待してるっすよ、妹さん」

 

 軽い口調のモモに、今度は咲が目を丸くした。敵意を向けられると思っていたのに、これでは肩肘を張っていた自分がバカみたいである。にこにことするモモに、行き場のなくした怒りを霧散させた咲は、うー、としばらく唸った末に、

 

「同級生なら、私のことは咲で良いよ」

「私のことはモモと呼ぶと良いっす」

「うん……モモちゃん?」

 

 そう呼ばれたモモは、しばらくの沈黙の後に興奮した様子で京太郎に詰め寄った。

 

「ヤバイっすよ京さん! 何か知らないっすけど今凄いきゅんときたっすよ!」

 

 息のかかる距離で小声で吼えるモモは、興奮の絶頂にあった。ステルスのせいで友達のいなかったモモである。モモちゃんと呼ばれることも、今までなかったのだろう。友達、と呼ぶにはまだまだ距離が遠いが、咲も決して友達の多い方ではない。これで二人が仲良くなってくれれば、と思うのは共通の友人として当然のことだった。

 

「私も咲ちゃんとか呼んだ方が良いんすかね」

「咲で良いって言ってるのに宮永って呼んだらそれは『友達になるのも嫌です』って宣言だと思われるかもな」

「……友達道は奥が深いっす。私一人だったら照れて宮永とか呼んでたかもしれないっすよ」

 

 京太郎の言葉を受けたモモは、意を決して咲の名前を呼んだ。

 

「……咲ちゃん?」

「うん。なにかな、モモちゃん」

 

 名前を呼び、名前を呼ばれたモモは両手で顔を覆って天を仰いだ。顔は耳まで真っ赤になっている。恥ずかしさで死にそうなのだ。女子ならこれくらいのやり取りは普通だと思うが、その普通がモモには今までなかった。京太郎も友人ではあるが、男性であり咲のような女友達のような役割はできない。生まれて初めてできた女友達に感動するモモを微笑ましく眺めながら、京太郎は咲を促した。

 

「照さんの準備はできてるか?」

「朝から気合が入ってるよ。もう背中に炎が見えるくらい。インターミドルの日だってあんなに燃えてなかったのに、須賀くんお姉ちゃんに何言ったの?」

「色々と生意気なことを言ったかもしれない」

 

 神妙な顔で顔を逸らすと、咲は勝手に納得してあぁ、と小さく言葉を漏らした。男の子的な発言で先輩である照に喧嘩を売った、とでも解釈したのだろう。実際はかなり下手に出た上にケーキで釣ったのであるが、それは言わないでおいた。

 

 今日のイベントには姉妹の仲直りという側面もある。姉妹喧嘩の原因が何か京太郎は知らないが、照がケーキで釣られているというのは咲にとって面白くない事実に違いない。照から漏れる可能性は大いにあるが、少なくとも自分からは絶対に漏らさないと、京太郎は心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 宮永家は普通の一軒家だった。

 

 インターミドル覇者である照の家というから、もっと豪邸を想像していた京太郎は微妙に肩透かしを食らう。ただいまー、と家に入る咲に続いて、モモと一緒に宮永家の中へ。玄関に靴は二つ。今咲が脱いだ分と、照の靴である。日曜日の昼間だ。両親が居ても良い時間帯であるが、どうやら両方とも留守のようだった。

 

「お母さんは仕事。お父さんは用事で出かけてるの」

 

 咲の言葉に、京太郎は安堵の溜息を漏らした。姉妹喧嘩の仲裁と目的だけを見れば聞こえは良いが、妹の方の同級生である男子が家にあがってとなると、親御さん的には話が変わってくる。前から仲が良いというならまだマシだろうが、照とは中学に上がってから出会ったばかりで、当然宮永夫妻と京太郎に面識はない。靴を脱いで宮永家の床を踏むと、まるで自分が間男のような気がしてくる。

 

 その横で、モモは平然と靴を脱ぎ咲の後についていく。人生初の女友達を得たモモに、怖い物はなかった。そのモモについていく形で、京太郎はリビングに入った。噂の全自動卓はその中央にあった。普通の居間に全自動卓というのも中々にシュールな光景であるが、足の部分に積もっている埃を見るに最近までここにあった訳ではないのだろう。埃を被るほど家族で卓を囲んではいないのだ。四人家族で姉妹の仲が悪かったら面子が集まらないのだから当然である。

 

 卓を囲む椅子の一つに、照は腰を下ろしていた。じっと文庫本に視線を落とすその姿だけを見れば、文学少女のようにも見える。京太郎たちがやってきたことに気付いた照は文庫本を閉じると、卓上を示した。伏せられた牌が4つある。場決め牌だ。

 

 京太郎はモモと咲を見た。京太郎自身、席順に注文はない。自分とモモの間に照が入られると面白くない、という程度である。京太郎自身の強さは言うに及ばず、モモはステルス込みであれば確かに強者であるが、照に通用するかは疑問だった。今日の勝利はまだ麻雀を打っているところを見たことがない、咲の実力頼みだった。

 

 勿論勝負であるから勝つつもりでやるが、勝てる見込みは薄いと勝負を挑んだ京太郎自身も思っていた。勝負は仲直りの切欠として提案したに過ぎない。今まで会話することも少なかった姉妹が、これを機に少しずつでも話してくれるようになれば、この勝負を設定したことにも意味はあった。咲は別に照を嫌っている訳ではないし、意固地になっている照も、別に嫌いではないようだ。切欠さえあれば解決する。そんなに難しい問題ではないと、京太郎には思えた。

 

「じゃあ私から行くっす。ああ、私は京さんと咲ちゃんの友達で東横桃子っすよ。よろしくお願いするっす」

 

 モモが真っ先に手を伸ばし、牌を選ぶ。二番目は咲だった。咲は照の視線を気にしながら、牌を引く。京太郎は三番目だ。適当に残った片方の内、一枚を手元に引き寄せる。照が最後に残った牌を引いた所で、全員が一斉に牌を捲った。

 

「私はここで良い」

 

 東を引いた照は椅子に背中を預けた。照を基点に、残りの面々が着席する。南を引いた咲が照の下家。西を引いた京太郎が照の対面で、北を引いたモモが京太郎の下家である。モモとの間に照に入られるという事態は脱した。咲の上家に照というのは良くないと言えば良くないが、アガリ続けるスタイルの照に、牌を絞るという選択肢は存在しない。咲のスタイルにも因るが、この席順は咲にとってはあまり脅威ではないはずだ。

 

 咲は卓上に視線を落とし、集中している。この勝負に一番気合が入っているのはおそらく咲だった、咲を見つめるモモの目には、力が篭っていた。元々やる気がなかった訳ではなかったが、咲と友達になってからは俄然やる気となっている。ステルスが十分に機能すれば照にも一矢報いることはできるだろうが、それで照が押し切られる光景も、京太郎には想像できなかった。

 

「ルールの確認をしたい」

「東南戦の『一回』勝負。アリアリで赤はなし。役満の複合あり。25000点持ちの30000点返しで、箱下もあり。トップが一番偉いってことでお願いします」

「わかった。忘れないように」

 

 唐突な照の念押しは咲やモモには不可解だったが、京太郎にはそれがケーキのことだとすぐに理解できた。忘れてないと頷くと、照は卓に視線を落とす。

 

 牌がせりあがった。勝負が始まると同時に、いつもの感覚が襲ってくる。

 

 軽い眩暈を覚えながら、京太郎は運の散り具合を感じ取った。

 

 照は相変わらず運が太い。元々の運もさることながら、今日は特にコンディションが良いようだ。賞品のケーキがそれだけ照を高揚させているということなのだろう。仲直りのために立ち上げた企画であるが、照が勝ってしまうと余計に話が拗れてしまう気がしないでもない。

 

 そこで咲に頑張ってもらわないといけない訳だが、照に比べてテンションが低い割に運は悪くなかった。流石照の妹。照に勝つと豪語しただけのことはある。運だけで言えば照と比べても遜色はない。むしろ、咲の方が強いくらいだった。技量のほどは知らないが、運だけならば間違いなく咲は全国クラスである。

 

 その二人に比べると、モモの運量は二つくらい格が落ちた。それでも十分強い部類に入るが、やはり超一流の運を持つ二人と比べると霞んで見える。技量も捨てたものではないが、その技量についても中学トップクラスの照がいる。研鑽に費やした時間は、当然照の方が多いだろう。モモに勝てる要素があるとすれば、ステルスによる奇襲戦法であるが……

 

 モモがすっと、目を細めた。

 

 瞬間、モモの存在感が限りなく薄くなる。ステルスが発動した、というのは何となく解った。

 

 何となくであるのは京太郎はモモが消えているというのを実感することができないからだ。卓上において、京太郎は運を他のプレイヤーに放出する。自分から放出された運の行く先を、放出した本人が見失うということは決してない。まして、ステルスは本当に消えている訳ではない。人々の認識から外れることで見えないという事実を作り上げているだけである。はっきりとした運のやりとりがモモとの間に成立している以上、京太郎がモモを見失うことはありえないのだ。

 

 だが、疑問も残る。それは京太郎が『卓上で』モモを見失わないことの説明にはなっても、普段からモモを見失わない説明にはならない。

 

 麻雀と関係なく過ごしていても、モモが京太郎の認識から外れたことは一度もなかった。その理由をモモに聞いてみたことはあるが、彼女はふふ、と笑うだけで一向に答えようとはしない。埒が明かないと思った京太郎はその道の専門家に聞いてみることにした。

 

『君は変わった友達を作るのが得意なんだろうね……』

 

 電話で京太郎の説明を受けた良子は、受話器の向こうで大きな溜息をついた。

 

『生まれつき制御のできない隠行を発動し続けているとはね。牌を巻き込むとなると、相当に高度な術のようだ。それを生まれつきとなると大したものだけど、問題はそれが通用しない京太郎のことだ』

『俺にも隠れたオカルトの才能があるとかありませんか?』

『相対弱運を才能というのなら、君は相当な天才だよ。でも前にも言ったけど、君に見鬼の才能はない。となると、これは君だけの問題ではなく、かくれんぼの彼女にも原因があるね。君はあらゆる勝負で不利になる。つまり彼女との間で常に勝負が成立していると考えるのが、一番簡単な答えじゃないかな』

『勝負ですか?』

『隠れている自分が見つかったら、その時は自分の勝ちと言い聞かせているんじゃないかな。自分の特性で負け続ける君には、かくれんぼの彼女がいつでも見えるという訳だ』

『そんなに都合良く行くものですかね』

『世の中そんなものだよ。でも、一応女である私としては、もう少し情緒のある表現を使いたいものだね』

 

 一度言葉を切った良子は、笑みを含んだ声でこう答えた。

 

『君と彼女は出会うべくして出会った。かくれんぼの彼女は、ただ君に見つけてほしかったのさ』

 

 恥ずかしい物言いもあったものだが、京太郎はその言葉で追求することをやめた。見えないモモが見えるのならば、そこに理由など必要ない。見えなくなったら、その時考えれば良いのだ。

 

 

 東一局。

 

 

 配牌は悪い。強運の持ち主が三人もいるのだから当然だ。一応アガリは目指すが、ここは手堅く打つのが得策だろう。おそらく十順以内に、咲かモモがアガる。初対面のモモがいるから、照は様子見をするはずだ。

 

「リーチ」

 

 六順目、モモが牌を曲げた。照も咲もそれを認識している様子はない。現に照は危険牌をノータイムで通した。咲も同様である。確かにモモのことが見えていないのだ。モモが得意そうな視線を送ってくる。そんなモモに苦笑を返しながら、京太郎は手の中からモモの現物を切った。

 

 モモのツモ。一発ではなかった。悔しそうな顔をしながら、切り出した牌は一筒である。

 

「ロン」

 

 静かに響いたのは、照の声だった。何事もなかったかのように牌を倒す。平和のみ、1000点。ただそれだけの手であるが、モモにとってはそれだけでは済まなかった。

 

 ステルスが通用しないというのは、モモにとって人生二度目の経験である。怪物でも見るような眼で照を見るモモに、照は淡々と宣言した。

 

「今日の私は生まれてから今までで、一番強い。誰であろうと――」

 

 

 

 

 

「――叩き潰す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

 予想の通り、咲の麻雀は守りに入った。精神的に打たれ強くない咲は予想外のことがあると守りに入るのである。普通であれば直すべきところであるが、感性の鋭い咲が守りに入ると、よほどの試合巧者でない限り打ち込むことはなくなる。一撃を喰らわせるために運を蓄えていると思えば、それも悪いことでもない。

 

 咲が守勢に入ったことで、場はより混沌としだした。打ち回しの上手さで言えば、やはり久に分が有るようだ。勢いのある優希を、久が技術で凌いでいるといった流れ展開である。まこもまた、守勢に回ると強いようだ。久の切り出した牌を鳴くことで、二人は共同して優希の勢いを殺していた。

 

「部長と染谷先輩なら、良いコンビ麻雀が打てると思わないか?」

 

 隣の和に耳打ちしたら、和ははっきりと迷惑そうな顔をした。美人にそういう顔をされると、中々に迫力がある。

 

 そして、美人はどんな顔をしていても美人だった。

 

 京太郎が少しの間だけ和の顔に見とれていると、和は卓に視線を戻した。視線は咲の手牌と場を、メモを取る間も惜しいとでも言うかのように忙しく動き回っている。咲を観察対象と認めたのだろう。デジタル派の和にとって、咲の打ちまわしは理外にある。今後相対する可能性のある相手として、その思考を理解しておくのは決して悪いことではなかった。

 

 和が卓上に夢中になると、話し相手がいなくなる。別に沈黙は嫌いではないが、討論しながら観戦するのも、見る麻雀の醍醐味である。隣にいるのが美人なら尚申し分ないが、和は討論よりも考察の方が好みのようだ。

 

 それも当然かもしれない。咲のような特殊な麻雀をする打ち手を後ろで見る機会など中々ない。和の主戦場はネット麻雀であると聞く。強い相手はどんな場でも強いのだろうが、京太郎の相対弱運がネットで効き難くなるように、他のオカルトも同様に効き難くなる。良子や巴など、そこそこ機械に強い本職の方々には確認済みだ。そういう場では、デジタルに徹することのできる和や透華のようなタイプが、トータルで見ると圧倒的に強い。

 

 デジタルの敵たる咲は、淡々と打ちまわしている。その咲の視線もまた、卓上を、さらには他のプレイヤーを観察していた。

 

 南場に入る。

 

 東場で猛威を振るった優希の勢いはいきなりなりを潜め、さらにはその集中力も切れ始める。

 

「ロン!」

「しまった!」

 

 優希が久に振り込んだのを切欠に、流れが一気に傾き始めた。まこも奮戦するが、一度振った優希はどんどん判断が甘くなっていく。

 

 そして、思考の緩んだプレイヤーは、久の良いカモだった。まるで狙い済ましたかのように優希の牌を狙い打ち、局を進めて行く久。

 

 気付けば久の点棒は五万点を越えていた。咲は一度久に振り込んでからノー和了。ほとんど久の独壇場である。

 

「さ、オーラスよ」

 

 得意そうな久の顔。勝利を半ば確信している笑みである。これで油断してくれれば良いが、抜け目のない彼女がそんなヘマをするとも思えない。油断なく卓を見る久に隙は見当たらなかった。

 

 まして久は悪手、変則待ちを好んで用いる。そういう人間は、そういった他人の意図には抜群に鋭い。振込みを期待するのは無駄だろう。直撃で逆転できないとなれば、後はもう自力でツモアガリするしかない。点差は31800点。久も咲も親ではないから、ツモで逆転するには三倍満以上をツモるしかない。

 

 咲は嶺上開花とは抜群に相性が良いが、カンドラとはそうでもない。役を積み重ねることに期待が持てない以上、狙うのはもはや役満しかなかった。

 

 オーラス。咲が手牌を開ける。

 

 一一四六七③③⑧⑨1256 6 ドラ①

 

 悪くはないが決して良くはない。ドラもなく染め手も遠い。ここから役満三倍満を狙うのは普通の人間ならば至難の技だが、咲は普通ではなかった。

 

 第一打は七。いきなり両面を崩すうち回しに、和が短く溜息を漏らす。点差を考えると高目を狙うのは当然。国士が見えない以上、強引にでも染め手に走るか、他の役満を狙うしかない。トイツが3つあるこの状態から一番近い役満は四暗刻であるが、縦に寄せきるその手も、通常ならばほど遠い。しかし、

 

 

 一一四六③③⑧⑨12566 ⑨  

    ↓

 

 一一四③③⑧⑨⑨12566 一

   ↓

 

 一一一③③⑧⑨⑨12566 ⑨

 

 

 捨て牌は⑧。三順で暗刻が2つできた。驚異的な引きであるが、咲はここまでならば造作もない。引きあがるまでこの局が続けば、咲は狙い通り四暗刻をツモアガるだろう。

 

「ポン」

 

 優希の捨て牌に、久が喰い付いた。態々危険を冒してまで前に出てきたのは、アガって終わらせるというプライドからか。その顔にはアガってやるという気持ちが溢れている。気持ちだけでアガれるならば苦労はないが、今は優希が振り、久がアガるという流れが出来上がっている。喰ったのも優希の捨て牌からだ。加えて、久の手も早そうに見える。咲が四暗刻をアガり切るのに、最低でも後三順。それ以上に久の手が早ければ、咲にはもうどうしようもない。

 

 トップである久は自分でアガっても良いし、最悪この局が流れてくれれば良い。親がノーテンであれば、久のトップでこの半荘は終了。三倍満以上をアガらせなければ、それで久の勝ちだ。条件としては異常に緩いが、振り込まず、ただ待てばかなりの確率で勝利が転がってきたのに、それでも尚動いたのは良くない予感を感じたからだろう。何もしなければ負ける。そういう悪い直感は、得てして当たるものだ。

 

 次順。咲のツモは6。手牌は、

 

 一一一③③⑨⑨⑨15666

 

 このようになった。選択ミスなし。全てが縦に寄る脅威のツモである。引きもさることながら、咲の集中力も極限まで高まっていた。感性が研ぎ澄まされているからこそ、選択ミスも起こらないのだ。今の咲にはどの牌がやがて暗刻になり、どの牌でアガれるのかが理解できる。

 

 最短でのアガりまで、後二順。

 

「チー」

 

 そこでさらに久が動いた。これで2副露。流石にもうテンパイだろう。待ちが良さそうにも見えないが、悪い待ちでアガりを引き寄せるのは久の十八番だ。

 

 だがその次順。咲がツモったのは③

 

 一一一③③③⑨⑨⑨1666

 

 最終形はこうなった。四暗刻単騎待ち。久だけでなく、他の二人から出ても逆転だが、咲には嶺上開花という強みがある。カンの材料は4つ。内、③が既に枯れているから残りは三種類。その内一つをツモることができれば、嶺上牌の1を引いて咲の勝ちだ。

 

 状況と咲の捨て牌から既に高い手をテンパったことは、まこも優希も理解した。この邪魔はするまいと店仕舞いをし、手堅い打ちまわしに変えてしまう。優希が守りに入ったことで、久の目が一つ消えた。優希の振込みを期待していた久は、現物を切った優希に眉根を寄せ――

 

 自分のツモった牌を見た瞬間、ツモったばかりの牌を伏せた。

 

 大きく溜息を吐き、額に手を当てる。当たり牌を引いたのだ。久の手はクイタンの気配が濃厚だ。1でアガることはできない。

 

 その手が四暗刻とまでは予想していないだろうが、咲から久への直撃ならば手の高さは倍満で済む。何よりこのタイミングで臭い牌を引くこと自体、自分の劣勢を象徴しているようなものだ。普通ならばこれを抱え現物を切り回すことを考えるだろうが、迂回していては咲にアガられる。久は1を抱えたままアガり切るしかない。久はじっと河を見つめ、まこに目配せをした。一瞬、視線が交錯する。

 

 軽い溜息をついて、久は伏せた牌を手の中に仕舞い二を打った。これに、

 

「ポン」

 

 まこが喰いつく。

 

 通しをしたかのような絶妙なタイミングの鳴きごろの牌であるが、動作に不自然なところはなかった。同じ条件であるならば、誰がどう打とうが自由である。新入部員の第一戦だからと言って華を持たせたりしない先輩二人に、京太郎は妙な安心を覚えた。

 

 まこの鳴きによって咲のツモ番が飛ばされ、再び久の手番。ツモって来た牌を見て、久はにやりと笑った。その笑みを見て、咲はあっ、と小さく声をあげた。後ろで見ていた京太郎は一足先に肩の力を抜いていく。

 

「……やられたな」

 

 その声に応えるように、久は手牌から四枚の4を倒した。

 

「カン」

 

 よどみない手つきで手を伸ばし、嶺上牌をツモり――

 

「ツモ。嶺上開花のみ。これで終了ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4、

 

「チャンカンで打ち取られたのはしょうがないとしても、その後に集中力を切らしたのは良くなかったな」

「チャンカンなんて久しぶりだったんだもん」

「動揺するなとは言わないが、それでカメになるのは良くないぞ。もっと心を大らかにだな」

「技術を教えるのは得意でも、メンタルの強化には向いてないみたいね須賀くんは」

 

 勝者の余裕で久が笑う。悔しいが事実その通りなので、何も言えない。悩みのほとんどが解消された咲は、気持ちがブレるようになった。良く笑うようになった代わりに、よく泣く。子供のようになった、とさえ言って良い。京太郎が白糸台や龍門渕の誘いを蹴り、咲と同じ清澄を選んだのも、そういう咲を放っておくことができなかったからだ。技術を教えることはできた。モモや淡という咲の才能を肯定してくれる異能を持った友人にも恵まれ、実際、咲の戦術の幅は広がった。間違いなく前よりは強くなった。

 

 だがそれは、脆い強さだ。京太郎は技術を教えることはできても、それを克服させることができなかった。どうして良いのか解らなかったのだ。現時点での技術と才能で大抵の相手は何とかなってしまったことにも原因はあるが、強くしきれなかった理由を咲本人の才能のせいとするのは、京太郎のプライドが許せなかった。

 

 ここで勝ち切るようにできなかったのは、自分の責任である。打った訳ではないのに、打ち負かされたような気持ちで、京太郎は力を抜いたばかりの肩を落とした。

 

「でも、私が勝てたのは偶然よ。十回打てば宮永さんが勝ち越すでしょうしね」

 

 謙遜するように久は笑うが、自信家である彼女がそう思っているのは事実のようだった。

 

 待ちの切り替えが容易な悪待ちだったからこそ、咲の四暗刻単騎待ちを回避し、嶺上開花でアガることができた訳だが、それが咲の待ちと被ったのは偶然で、嶺上開花を引いたのも偶然だ。嶺上開花という相手の領分で勝てたのは、出来過ぎである。自分の流儀を信じることはあっても、降って沸いた幸運をまたと信じる人間は、麻雀で勝つことはできないのだ。

 

 気持ち悪いくらいに切り替えが早い。自信家なのに、認めるべきところは認める。久のこの打たれ強い精神は、咲にはないものだった。

 

 幼い時とは言え照を相手に勝ち続け、プラマイゼロを続けられるほどの実力が咲にはあった。照と仲直りし、モモや淡という友達ができるまで麻雀を封印してはいたが、咲にとって麻雀とは自分の思い通りに行くもので、そして勝って当たり前のものだった。自分の思い通りに行かず、負けるなどということは咲の想定の外のことである。

 

 中学一年のあの日、再び照に勝った時の咲ならば、今日のこの勝負も勝つことができただろう。あの日の咲は勝利に対する執着があった。強い思いに牌が応え、当たり前のように勝利を引き寄せたのである。

 

 その勝利と引き換えに、咲は色々な物を失った。勝利への執着も、ブレない精神も、勝つために必要なものをあの日あの場所に置いてきた。その代わりに優しい友人と変わってはいるが心の清い姉。それから少々の技術を得ることができた。咲には元より天賦の才がある。大抵の人間には負けないが、真面目に技術を研鑽し、さらに才能を持つ人間には苦戦するようになってしまった。宮永咲は正しく化け物であるが、それは人間でも倒せるレベルの化け物だった。

 

 充実し、逆に実力を伸ばした照とは反対の現象が咲に起きていた。それに反発しなければ麻雀打ちとしての飛躍はないが、今の咲はどうにも気持ちが定まらない。インターハイ予選が始まるまでに気持ちを切り替えてくれれば良いのだが。

 

 全国に出場できるのは一校だけ。予選で早々に負けはしまいが、透華率いる龍門渕に勝てるかと言われれば微妙なところだった。あの五人は『お互いのために』ということで怖いほどに気持ちが一つになっている。元々才能があり、技術を研鑽し、それでいて勝ちに執着してもいる彼女らを打ち負かすのは至難だ。

 

 才能という点で、咲が衣に劣っているとは思わない。現時点でも、全国で五指に入るという自身の評価に偽りはないが、咲には今この時という気持ちがない。このままでは決勝で戦った時、間違いなく負けるだろう。友人として、師匠の一人として、咲にはもっと強い気持ちを持ってもらいたいのだが、イマイチ上手くいかないのだった。

 

 難しい顔をしている京太郎を前に、咲は小首を傾げた。

 

 勝利への執着。それを教えるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いていたら話が長くなりました。申し訳ありません。

そして咲さん負けました。なんでこんなことに……

次回は姉妹喧嘩終結編です。現代パートはお休みとなります。
現代パートと過去パートは分けた方が良いかもしれませんね。





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