セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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あらたその出番を書いたと思ったらアコチャーが出てきました。
残りの二人は次話の登場になりますごめんなさい。


26 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編③

 松実館バイト、四日目。

 

 今日も前日、前々日と同じかと思われたバイト内容だが、朝から様相が違っていた。もっと長く不在になると思われていた仲居さん他、数名のスタッフが職場復帰したのである。元々休みの人間もいるためフルメンバーとはいかないが、これで松実館の戦力はかなり回復した。

 

 松実館にとっては嬉しい誤算であり、京太郎にとってもそれは同じだった。仕事内容は比較的軽い物に変更され、朝は早起きしなくても良くなったし、力仕事も幾分か減った。本職の仲居さんが増えたことで、ついでに言えば玄の仕事も減っている。二人して苦笑を浮かべて顔を見合わせたのは、昼のことだった。

 

 揃ってきっちりと昼時の休憩を取ることが出来た二人は、賄いを持って廊下を歩きながら会話していた。

 

「午後にも少し、時間ができた?」

「ええ。忙しく働いてたのが嘘みたいですよ。板場で休んでたのは一人だけみたいですけど、その人が復帰するだけで全員の仕事のスピードが違うんですから、驚きました」

 

 京太郎の言葉に、玄がうんうんと頷く。板場で欠けていたのは、板場の中でも古参の従業員で、職歴は松実父よりも長い。彼の復帰で板場の雰囲気は引き締まり完全復活となった訳だが、そうなると京太郎には居場所がなくなってしまう。人手はあるに越したことはないが、人手が足りていない場所は他にもあるということで、板場を自由契約になった京太郎は主に外の仕事を担当することになった。

 

 ところがこちらも古参の仲居さんが復帰。昨日までに比べると居場所は少なくなっていた。仲居さんたちにからかわれながら、仕事を手伝ったものの、忙しさは昨日に比べれば段違いである。

 

「実はお父さんにはもう許可はもらってるんだけど、京太郎くん。私たちと一緒に外回りに行ってもらえないかな?」

「松実さんが行けと言ってるなら行きますが……外回りって何ですか?」

「買出しと、挨拶周りかな。まぁ、買出しはついでみたいなものだから、挨拶周りがメインなんだけど」

「良いですよ。俺も、居場所がなくて肩身が狭い思いをしてたところです。玄さんのためなら、熊野までだって行きますよ」

「シズちゃんじゃないんだから……」

 

 と、玄は笑みを浮かべる。シズなら行けると半ば信じている風であるが、ここから熊野まではかなり距離がある。中学生の女の子の足で行ける距離ではない。

 

 だが、穏乃を知る人間は、そのママさんさえも『穏乃なら……』と思っている節があった。京太郎も半ば信じかけていたが、思考を無理やり現実に引き戻す。小学生の頃はおさるさんと言われていた穏乃だが、あれから三年も経った。流石に身長も伸びて大人しく、女の子らしくなっているだろう。大人しい穏乃というのもあまり想像はできないが、京太郎も小学生の時とは幾分違っている。

 

 人間、時間が経てば変わるものだ。あの頃の穏乃が見れないと思うと寂しいものがあったが、それはそれで仕方がないことだ。

 

「熊野までは行かないけど、結構歩くよ。大丈夫?」

「構いませんよ。これでも男ですから、是非こき使ってください。荷物もちでも何でもしますから」

「良かった。じゃあ、午後は三人でおでかけだね」

「三人?」

「うん。私と、京太郎くんと、お姉ちゃん!」

 

 三人でデートだね、と玄は笑う。出掛けるだけでこれだけ喜んでくれるなら、喜んで荷物持ちをしようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長く家が続くと面倒な柵(しがらみ)が出てくるものである。

 

 特に松実館は客商売であるため、地元の人々との付き合いを大事にしていた。食材や備品を仕入れている商店から、隣近所の家々まで、挨拶に行かなければならない場所は数多い。

 

 基本、そういう仕事は当主がやるものであるが、忙しい場合は家族がそれを代行することもある。松実家は母が鬼籍に入っているため、特に仲居修行を始めている玄にお鉢が回ってくることが多い。挨拶される側も、松実館の忙しさ、そして玄の孝行っぷりを理解しているから、まだ中学生の娘がやってきても嫌な顔一つしない。

 

 むしろ中年のおじさんがやってくるよりも華やかで良いと評判なくらいだった。

 

 行く先々で歓迎され『これを食べて』と挨拶周りに来たのに荷物が増えている。少女二人であれば渡す側も遠慮しただろうが、明らかに荷物持ちの男が一緒と解れば遠慮はしない。昼食の後に外に出て、約三時間。十件を超える家々に挨拶周りを終えた頃には、京太郎の腕には荷物が溢れていた。

 

「ごめんね、京太郎くん」

「いえいえ。こういうのは男の仕事ですから」

 

 申し訳なさそうな宥に、京太郎は笑顔で答える。実際、両手は塞がっているが、重さはそれほどでもない、これくらいで男を見せられるのならば安いものだ。

 

「京太郎くんが頑張ってくれたおかげで、後三件だね。高鴨屋と新子神社と鷺森レーン――」

「シズと憧の家ですね。神社にも挨拶周りに行くんですか?」

「松実家は新子さんちの氏子だから」

 

 初めて聞く情報に、京太郎はほー、と溜息を漏らした。

 

 地元の有力者がその土地の神社と関わっているという話は、霧島で良く聞いた。春と初美に治療されている間にも、どこそこの金持ちさんがやってきてどうしたこうした、という難しい話を、他の巫女さん達がしていたのを聞いたことがあった。松実家が新子の氏子であっても不思議ではないが、どちらも友人の家、というのは新鮮な感じである。

 

「それなら、憧にも挨拶したいですね。電話やメールは良くするんですが、会うのは久しぶりだ」

「それなんだけど。憧ちゃんは中学校の合宿で今いないんだって」

「合宿って、麻雀部のですか?」

「三年生が引退して憧ちゃんたちが一番上になったから、ちょっと気合を入れて……って言ってたよ。今日帰ってくる予定だけど、何時に帰ってくるかはちょっと解らないって」

「そうですか……」

 

 久しぶりに会えるかと思ったのだが、肩透かしを食らった気分である。

 

 それでも、昔の友達が今も熱心に麻雀に取り組んでいるらしいという話は、京太郎にとって嬉しい話だった。

 

「でも、明日には会えるはずだから、今のうちに話を通しておいた方が良いよ。憧ちゃんも呼んで、皆で麻雀しよう?」

 

 玄の提案に頷き、他愛のない話をしながら道を行けば、目の前には新子神社の石段があった。

 

 小学生の時の思い出が蘇る。シズと憧と、良くこの石段を登ったものだ。郷愁に浸りながら石段を登り、境内につく。良く手入れされているのが解る清潔な境内では、巫女さんが一人竹箒を持って掃除をしていた。

 

 赤毛の巫女さんは京太郎たちを見つけると、笑みを浮かべる。憧の姉の望である。

 

「玄ちゃん、宥ちゃん、お久しぶり」

「今日は父の名代で参りました。神主様はご在宅でしょうか?」

「ご丁寧にどうも。父は母屋の方にいるわ」

「ありがとございます。それじゃあ、私達はちょっと行ってくるね?」

 

 ぱたぱたと母屋へ駆けて行く二人を見送って、京太郎は一息吐いて荷物を地面に置いた。生ものも混じっているが、袋に入っているし衛生上は問題ない。

 

「少年、何か飲む?」

「すいません、いただきます」

 

 お構いなく、と言うべきところなのかもしれないが、夏の日差しはやはりキツかった。汗を拭きながら、日の当たらない木陰に移動すると、望が麦茶を持ってきてくれた。元々、近くに用意してあったのだろう。水滴のついたグラスは少々ぬるく感じたが、汗をかいた身体には十分過ぎるほど心地良かった。

 

「君、松実館に婿入りするの?」

「……なんですって?」

「噂になってるよ。松実のお嬢さんが、お婿さんを連れて挨拶回りに出てるって」

「俺はただのバイトで、荷物持ちですよ」

 

 ははは、と京太郎は笑う。女性が噂好きなのは良く知っている。二人は目立つから、余計にそういう噂が立ったのだろうと気にしなかったが、その笑みを見た望は逆に、困ったように微笑んだ。

 

 夫人が鬼籍に入り、子が娘二人しかいない松実館は、家を続かせるには婿を取るしかない。加えて、挨拶回りというのは本来家の代表がするもので、今回は宥たちが代わりに行っている。つまりは家の用事なのだ。バイトだからと京太郎は笑うが、それに同道しているということは、『この男は身内である』と公言しているとも取れる。

 

 噂がゴシップにしてはかなりの確度として広まったのは、そういう推察もあってのことだ。

 

 もっとも、京太郎本人にその気がないことは望にも解る。彼の言う通りにただのゴシップ、勘違いということであるが、宥や玄の態度を見るに、ゴシップは当たらずとも遠からずだと思った。根拠はないが、かなりの確信を持って言える。

 

「……あのお嬢さんたちは、外堀から埋める気だな?」

「何か言いました?」

「ううん、こっちの話。それより君、すっごく見覚えがある気がするんだけど、どこの生まれ? この辺じゃないよね? 訛りが全くないし」

「ここに住んでたのは一年だけですね。晴絵さんの麻雀教室にも通ってました」

「え? もしかして、京太郎くん?」

 

 悪戯が成功した子供のような顔で、京太郎は頷いた。奈良にいた時に、望には会ったことがある。初めて会うような対応から、望がこちらの素性に気づいていないことに、京太郎は気づいていた。

須賀京太郎と思いもしなかったというのは、驚いた顔を見ればよく解る。

 

「はー……流石男の子。三年? 会ってないだけなのに、こんなに大きくなるものね」

「幸いなことに。お久しぶりです、望さん」

「久しぶり。憧やシズと一緒に走り回ってた男の子が、松実館に婿入りするとは思わなかった」

「バイトなのは本当ですよ。人手が足りなくなったとかで、玄さんから電話がありました」

「新子神社で人手が足りなくなっても手伝ってくれる?」

「長期休みで手が空いてたら喜んで」

 

 実際、部活に所属していない京太郎は暇を持て余していると言っても良い。誰かと約束がない限り予定は埋まらないが、奈良と長野は遠い。長期休みでもない限り、気軽には来れないのだ。

 

「憧は合宿と聞きましたが」

「中学のね。来年こそは全国に行くんだって頑張ってるのよ」

「阿太峯に行ったんですよね。てっきり阿知賀に行くもんだと思ってたんですけど」

 

 これは憧に限らず、晴絵の下で麻雀を学んでいたメンバー全員に思っていたことだ。ギバード他チビたちにいたるまで、クラブの面々は皆晴絵を慕っていた。経済的な事情がない限りは、彼女が伝説を成した阿知賀に進学するというのは自然な成り行きである。実際玄とシズはその口だ。

 

 京太郎の言を聞いて、望は『君が言うかー』と口にする。

 

「私や晴絵の世代が勧誘に不熱心だったせいで阿知賀は中学高校両方とも、麻雀が盛んじゃないの。それならまだ阿太峯の方がって思ったんでしょ。そこで良い成績を残して、晩成にって考えてるらしいわ」

「高校も阿知賀じゃないんですね」

「奈良なら晩成だからねー。全国出場を逃したのは晴絵がいた一回だけだし、常勝不敗よ」

 

 その割には、望の声音には不満そうな色がある。その一回、全国に行ったメンバーの一人としては、麻雀をしている妹が当時ライバルだった晩成に行くのが気に食わないのだろう。気持ちは解るが、麻雀を競技として行う場合、環境というのは非常に重要となる。部員の確保すら危うい阿知賀では、不安を覚えるのは当然だろう。成績を出そうとするなら尚更だ。最悪、一人でも全国に行くことはできるが、一人では団体には出られない。機会が多い方が良いのは当然である。

 

「京太郎くんから、阿知賀にしろって言ってくれない? 京太郎くんの言うことなら、憧も聞くと思うんだけどな」

「でも部員が……麻雀やりたいなら、人が多い方が良いでしょう?」

 

 確かにレジェンド世代には負けたが、その他でずっと全国に行っている晩成は奈良で麻雀を学ぶのに最適の環境である。麻雀を学びたいのなら、その選択に間違いはない。それに部員がいないということは指導者がいないということでもある。その有無、そして良し悪しで練習内容に雲泥の差が出ることは、京太郎自身が体験していた。

 

 麻雀を学びたいという憧を、環境として劣っている場所に置くのは、同じ麻雀を愛する者として気が引けた。

 

 京太郎が乗ってこないと理解した望は、んー、と呻きながら頭をかく。説得するにはその材料が必要だ。麻雀に関することで、京太郎も憧も納得しそうなもの。そんな都合の良いものが早々あるはずもないが、二人と望を比して一つだけ断然有利なものが幾つかあった。

 

 新子望は成人していて、そして阿知賀のレジェンド赤土晴絵とは無二の親友である。こと、晴絵個人とのコネクションについては、この時点では全国一と言えた。

 

「晴絵が実業団にいるのは知ってるよね」

「知ってます。九州のチームですよね」

「その親会社、実は地味ーに経営がヤバイみたいなの」

「マジですか?」

「マジマジ。実業団をなくすのは本決まりみたい。後はそれがいつになるのかってことなんだけど……」

 

 そこで望は言葉を切る。恩人が職を失うのだから喜ぶのは褒められたことではないが、一度フリーになるということは京太郎にとって光明だった。

 

「なら、晴絵さんが阿知賀に戻ってくるってことも」

「ないではないわね。少なくとも、憧たちが一年になる頃には戻ってるはずよ。ちなみにあいつ、大学で教職も取ってるの。地元では超のつく有名人だし何しろ母校だし、本人がやりたいって言えば、就職するのは何も問題ないと思うわ」

 

 望の言葉に、京太郎は沈黙する。

 

 麻雀を学ぶには環境が重要だと言った。伝統と実績がある晩成は確かに最高の環境だが、晴絵は一人でそれを覆せる可能性がある。

 

 まずは、八年前の実績。当時の興奮を忘れられない地元の人間は、彼女が監督として舞い戻ってきたら確実に応援してくれるだろう。雰囲気というのは、勝負をする上で非常に重要である。味方が多いという安心感は、コンディションにとてつもなく影響する。

 

 加えて、本人の実力だ。一時期牌を握っていなかったとは言え、かの『グランドマスター』に大物手を直撃させたのは、公式記録に残っている限り晴絵だけである。咏も晴絵が教室で子供達に教えていた頃から、その実力を認めていた。練習相手としてこれほどの相手はいない。

 

 晩成もコーチOGともに充実しているだろうが、晴絵に匹敵するレベルとなると数えるほどしかいないはずで、そしてその人物らは常駐できていないはずだ。

 

 晴絵一人。彼女がいるだけで、阿知賀の環境はかなり向上する。元々いる玄に宥、それからシズに憧が加われば四人。後一人面子を集めれば、団体戦にも出ることができる。

 

 阿知賀のレジェンド再び。麻雀を愛する人間として、これほど心躍ることはない。

 

「憧のこと、説得してくれる?」

「一応やってはみますが、俺の言うことで聞きますかね」

「それは今試してみれば良いんじゃない?」

 

 ほら、と望の指の示す方に視線を向けると……果たして、そこには渦中の人物がいた。

 

 当時とあまり共通点はないが、京太郎にはそれが憧であるのだと一目で解った。勝気な瞳は相変わらずで、当時に比べて随分と背が伸びた。小学生だったのだから当然だが、子供っぽかった雰囲気も、随分と洗練されている。よほどお洒落に気を使っているのだろう。咲や照に比べると、髪や眉の形などが随分と今風に見えた。

 

 思わず、声を失う。色々と思うところはあったが、一言でまとめるなら、新子憧は随分と綺麗になった。

 

 合宿用の荷物が詰まっているらしいカバンをその場に落とした憧は、呆然と、京太郎を見つめている。その瞳には理解の色があった。望のように、誰か解らないということはないらしい。

 

「久しぶりだな、憧。元気にしてたか?」

 

 先に復帰した京太郎は、普通に声をかけることにした。メールや電話でのやり取りは毎日のようにしていたが、直接顔を合わせるのはこれが久しぶりである。写真のやり取りなども当然ない。奈良を出て以降、最後に憧の姿を見たのは中学に入学した直後、本人から送られてきたあっかんべーの写真でのことである。

 

 それと比べても、随分と雰囲気が変わってるように見えた。玄と宥に容姿の上であまり変化がなかったからか、凄い衝撃である。

 

 その衝撃をどうやって伝えたものか。京太郎が悩んでいる内に、憧が動いた。荷物を抱えた憧は凄い速度で京太郎の隣を走りぬけると、望の腕を無理やり取って、母屋へと駆けて行った。

 

 後には男の京太郎が残されるばかりである。

 

 しばらく呆然と、消えた憧を見送った京太郎は、一息ついて木陰に腰を下ろした。

 

 女性が男に理解できない行動をするのは、珍しいことではない。気にしたら負けだと推測を諦めて、麦茶に口をつけた。

 

 玄と宥はまだ戻ってこない。しばらく木陰で優雅に休憩するのも、悪いことではないだろう。

 

 ちち、と小さく鳥の声が聞こえた。男が神社の境内に一人。これ以上、静かな環境もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お、お、お姉ちゃん! あれ京太郎よね! どうしたの!? 何で奈良にいるの!?」

「落ち着きなさい妹よ。あんまり大声出すと、外の京太郎くんに聞こえるよ?」

 

 そうだった! と憧は呼吸を整える。三年会っていなかった片思いの相手が突然現れたのだから、気も動転する。心臓はまだどきどきしていた。数秒前は合宿の疲れで朦朧としていた意識はしっかりと覚醒していた。

 

 憧がまず行ったのは自分の格好のチェックだった。中学の制服。髪は合宿所を出る前にしっかりと整えてきた。初瀬にはからかわれたが、これも女の嗜みと憧は手を抜かなかった。今は自分のその行動を褒めてやりたい。

 

 コンパクトを取り出して顔を確認する。自分で疲れを自覚していただけあって、顔色が若干悪く目も少し充血しているが、不健康に見える程ではない。同級生の男子は女の子のこういう微細な変化に激しく鈍いが、京太郎はたまに鋭い。看破される可能性は十分にある。

 

 心配してくれたらとても嬉しいが、疲れているところを見せるのは女の子として気が引ける。三年ぶりに顔を合わせる、片思いの相手だ。できることなら、全力の自分だけを見ていてもらいたい。それにしても――

 

(かっこよくなってた……)

 

 見上げるほどに大きな身長。身体つきもほど良く筋肉がついて男らしくなっていた。電話で何度も声を聞いたが、実際に聞くと耳に残る。顔を見ながら名前を呼ばれた時は、涙が出そうなほどに嬉しくなった。

 

 京太郎の声を顔を思い出して喜んでいる妹を見て、望は深々と溜息を漏らした。

 

「そういう生き方疲れるわよー。常に全力とか、途中でガス欠になるに決まってるんだから」

「私はそういう恋をしてるんだから良いの! それより――」

「身づくろいしてる間、京太郎くんを引き止めておけって言うんでしょ? まぁやってみるけど……松実さんちの予定もある訳だから、約束はできないわよ」

「家の外回り?」

「ご挨拶ね。今はお父さんと話してる」

「そう。ならお昼食べてから外に出たはずだから……」

 

 この日差しである。京太郎がお供にいるとは言え、それ程身体の強い訳ではない宥を長時間つれ回すとは思えない。この時刻に新子神社にいるということは、行っても後二、三件というところだろう。玄たちが回っていて、新子神社にこの時間ということは……

 

「高鴨屋にはまだ行ってないわね。残りはどこだと思う?」

「鷺森レーンじゃない? あそこのお婆さん、松実さんちと付き合い長いから」

「ほんと? そこの子と会ったことないんだけど」

「確か憧の一つ上だったはずよ。灼ちゃん。阿知賀中等部に通ってた……かな?」

「……かわいい?」

「小さい娘よ。シズちゃんと同じくらいだと思うけど……なに? 会ったこともない女の子に嫉妬?」

 

 図星を突かれて、憧は押し黙る。京太郎と別れてからこっち、女の子力は磨いてきたつもりだが、強敵は奈良にも色々いる。京太郎とは性別の壁を感じさせずに仲が良かったシズや、松実姉妹はその筆頭だ。麻雀クラブで一緒だったチビたちも油断ができない。そんな中でも、憧の目から見ても実に女性らしい身体つきをしている松実姉妹には強い脅威を感じざるを得ない。

 

「そう言えば、何で玄たちと一緒にいるの? バイト?」

「らしいわね。四日前から松実館に泊まってるって」

「そんなに……」

 

 それだけ時間があれば、玄たちと何かあってもおかしくはない。京太郎にも玄たちにも、色々と話は聞かなければならないだろう。家の挨拶回りならば割ってはいる余地はないが、この後シズの家に行くならば同道を申し出ても不自然はない。

 

「早く着替えてきなさい。できるだけかわいい服にするのよ」

「とーぜん! こういう時のために、日々努力してたんだから!」

 

 玄も宥も強敵だが、勝負もせずに敗退するような柔な女ではないつもりだ。せっかく顔を合わせたのだから、全力で自分を見てもらいに行く。そのための努力、そのための三年だ。

 

 望への言葉もそこそこに、荷物を持って部屋に飛び込む。手早く制服を脱ぎながら、クローゼットから服を取り出して行く。準備に時間はかけられない。短い時間で女の子として戦闘力の高い玄たちよりもかわいくならなければいけないのだから、無理難題に近い。

 

 全身が映る姿見の前にたって、自分の身体を見つめる。余分な贅肉はないが、その分、必要な肉もない。プロポーションには自信があるものの、ボリューム不足は否めなかった。京太郎が巨乳好きなのは教室では桜子ですら知っていたこと。特に玄や宥が相手では『一部』を比較される可能性は大いにある。

 

 大きくなるよう、日々運動にも余念がない憧だが、未だに成果には結びついていなかった。姉を見るに、そこまで絶望しなくても良いはずだが、大きくなるならそれでその兆候くらいは見せてほしいものだ。女の勝負は総合力と自分を奮い立たせるも、玄たちボリューム満点な少女を見ては、気持ちも萎えてくる。

 

 愚痴ばかりも言っていられない。

 

 手持ちのカードが弱いからと降りるようなら、そもそも勝負を吹っかけたりはしていない。ライバルが多く、そして強力なのは最初から解っていたことだ。ブラシで髪を整えながら、憧は瞳を閉じて気持ちを静めていく。

 

 目を開いた時、新子憧は少女から女の顔になっていた。

 

 これから始まるのは、女の戦いだ。 

 

 

 

 

 


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