セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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後編、導入部です。
いつもより短いですごめんなさい。


30 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編①

「やぁ、すまんね兄ちゃん」

「いえいえ。良いってことですよ」

 

 思い出詰まった阿知賀を出発し、飛行機電車を乗り継いで霧島にやってきてすぐ。神境からの迎えが来ているらしい出口に向かう途中で、京太郎は荷物を前に難儀しているご老人を見つけた。京太郎自身も荷物を持っていたが、汚れ物は阿知賀を出る前に宅急便で発送済み。荷物は決して軽くはないが、重くもない。

 

 若者の礼儀として持ちましょうか、と提案したのがついさっきのこと。荷物を抱えて階段を降り、向かう先が同じということで流れで荷物を持ち続けている間、京太郎はご老人と他愛のない話に興じた。それこそ祖父と孫ほども年の離れている二人だったが、年の行ったご老人を相手に京太郎は物怖じしなかったし、今時珍しい礼儀の正しい京太郎のことをご老人も気に入っていたのだ。

 

「霧島神境まで行くっちゅうことだったが、参拝かね?」

「いえ。色々と事情がありまして、一週間ほど滞在することになるかと」

「……神境の中にかね? 近くに宿を取るんじゃなく?」

「ええ。良くしてくれる人がおりまして」

 

 流石に神境の姫君である小蒔と旧知である、とは言わなかった。いつでも泊まりにきてくださいと言ってくれる小蒔だが、色々と立場のある人でもある。知り合いだ、友達だと触れ回るのは簡単だが、地元では京太郎の思っている以上に小蒔を始めとした神境の巫女たちは有名人である。おかしな噂が立つことは避けておいた方が良いだろうと微妙にボカして伝えた訳だが、京太郎の話を聞いたご老人は、難しい顔をしていた。言うべきことは決まっているが、どう言うべきか迷っている風である。

 

「……私には弟がおってな」

 

 切り出された話は、何の脈絡もないように思えたが、京太郎は黙ってその話を聞いた。

 

「若いころはそれはそれは悪童で、親兄弟を殴り人様にも迷惑をかけ、警察の世話になることも度々。これは将来どんな人間になるのかと家族一同心配しとってな。それがある日、良い女を見つけたとか言いよる。聞けばそいつは、霧島の巫女だとか」

「はぁ……」

 

 どうにも話の流れが見えないが、ご老人の顔は真剣そのものだった。荷物を降ろし、姿勢を正してご老人の言葉に耳を傾ける。

 

「悪たれが付き合えるお人じゃないとは言ったんだが、諦めきれんかったらしい弟は霧島まで行ってくると週末に出掛け……週が開けて家に戻ってきた時にはもう、頭を丸めとった。それまで教科書を開こうともせんかった人間が、神主になるとまで言いよる。神境で何かあったのは明らかだったが、私は薄ら寒くて聞けんかったよ」

 

 神境は怖いところだ、と拝むようにして言うご老人に京太郎はそっと苦笑を浮かべた。優しいが厳しい霞などを前にすると、一年通った京太郎をしても、そのように思うのだ。あまり関わりのない人間が怖いと思ったとしても、不思議ではない。

 

「まぁ、私ら家族としてはそれで良かったのかもしれん。悪たれが神主になり、今じゃ所帯を持って孫に囲まれて平和に暮らしとるんだからな。だが、男としてこうも思うわけだ。年若い内から人生決め打ちしても、良いものかと。ところでお前さん、今いくつだね?」

「13です」

「そうか……神境に行くというのだから知っとると思うが、あそこの巫女は良い女が多い。この辺りに住んどる男なら、一度は憧れるもんだが、同時に恐ろしさも知るのよ。神境の巫女は一度食いついたら死んでも離れない、神境に足を踏み入れた男は、そこから出てくることはない、とかな。まぁほとんどは迷信だが、事実、気づいたら婿入りしていたという話は、枚挙に暇がない。お前さんはまだ若い。もう少し遊んでおっても、罰は当たらんと思うよ」

「肝に銘じておきます」

「だが、情が深く良い女というのは事実だ。これと決めたのなら、その女と添い遂げるのも良い。所帯を持って家族を守ってこそ、男ってもんだからな」

「差し支えなければ、奥さんについてお聞きしてもよろしいですか?」

「巫女だが、それがどうかしたかね?」

 

 にやり、とご老人は笑った。得意気なご老人に、京太郎は思わず天を仰いだ。縁を司る神様に巫女と添い遂げろと言われたような気がしたのだ。

 

 タクシーに乗る、というご老人と一緒にターミナルを出る。長野より南にある鹿児島の日差しは、強い。温い空気と日の光に流れる汗をぬぐっていると、ご老人が京太郎の袖を引いた。

 

 ご老人の示す先を見ると、そこには巫女がいた。

 

 夏の日差しの中、巫女の衣装はとても目立つ。それを一分の隙もなく着こなした巫女が一人、車の前で待っていた。高い教育を受けてきた人間は、姿勢からして違うという。ぴしっと、それでいて品を感じさせる立ち姿は、少女が真の意味で巫女なのだと悟らせるに十分だった。

 

 その少女は明らかに、誰かを待っている。邪魔者は去るよ、という老人に別れを告げ、荷物を抱えて巫女の元に歩く。京太郎に気づいた少女が、笑みを浮かべた。時流に反する真っ黒な長い髪が、夏の日差しと巫女の衣装の白に映えている。年齢は京太郎の一つ下。数ヶ月前まで小学生だった彼女の身体はしかし、そうとは思えないほどに豊満だった。

 

 彼女の従姉である霞も相当なものだったが、彼女もその血統を正しく受け継いでいるようだった。これは玄が見たら狂喜乱舞するだろうな、と今は遠い阿知賀にいる友人のことを思いながら、京太郎は少女の前に立った。

 

 久しぶりに会う京太郎を前に、少女は静かに頭を下げた。

 

「お久しぶりでございます、須賀京太郎様。専従である薄墨初美、滝見春の名代として参りました、石戸明星と申します。道中、不自由なことなどございましたら、何なりとお申し付けください」

 

 淀みなく出てくる言葉に舌を巻くと同時に、京太郎は笑顔を浮かべた。少女――明星は昔、こういう口上を苦手としていた。噛まずに最後まで言えたことは、京太郎の記憶にある限り一度もない。それが今では、立ち姿、礼も合わさって実に様になっている。身体だけでなく、中身も立派に成長したのだ。

 

「須賀京太郎です。これからしばらくお世話になります」

「それでは、中へどうぞ」

 

 明星の案内で、車の中に。昔、霧島にいた時にも乗ったことがある、客人送迎用の車である。声をかけてくれた運転手は、当時の同じ人だった。お久しぶり、と声をかけてくれた彼に返事をすると車は静かに発進する。

 

 窓の外を流れる懐かしい風景に目を細めていると、京太郎の袖がまたしても引かれた。見れば、明星が期待に満ちた眼差しで、京太郎のことを見つめていた。何を求めているのか。神境の年下組は何故だかとても解りやすい。ぽんぽん、と明星の頭に手を載せる。昔から指の通りやすい、手触りの良い綺麗な髪だったが、それは今も変わっていなかった。

 

「ただいま、明星」

「兄さま!」

 

 感極まった声をあげて、明星は抱きついてくる。兄さま兄さまと引っ付いてきた昔と何ら変わるところはなかったが、昔以上に明星の身体は色々と柔らかくなっていた。時に、京太郎よりも大分明星の方が身長が低く、車の椅子に座っていてもそれは変わることはない。抱きつかれても明星の顔は、京太郎から見て見下ろす位置にある訳だが、そうすると育った胸部が良く見えた。明星の小さめな顔を比して、胸の大きさが際立っている。

 

 それなのに昔のように身体を押し付けてくるのだから、京太郎の理性もたまったものではない。昔も今も、弟妹のいない京太郎にとって明星と湧は妹のようなもの。友達の中でも、例えば穏乃などは性別の壁を感じさせず遠慮なくくっついてくるが、彼女の場合は色々と平坦であったので、思わぬ柔らかさにどきどきすることはあっても、ここまでではなかった。今の明星は存在そのものが男の理性を粉々にする凶器となっている。このままでいるのは非常に危険だ。

 

「もう子供って年でもないんだから、程ほどにな」

「お外ならそうします。今は車の中ですから……」

 

 男性としての切なる願いに、明星は聞く耳を持たなかった。嬉しそうににこにこ。腕を抱く力はさらに強くなった気がする。

 

「明星」

「はい。兄さまの明星はここにおりますよ」

 

 言い回しが、昔よりも更にストレートになってきた気がする。婉曲にこちらを突いてくる霞とは対象的だった。六女仙の中では立場が下な明星は、神境の中での集まりでは、輪の隅にいることが多い。序列を大事にするあちらでは、年上の巫女がいる時には好きにできないのだ。故に、一人で外に出ている今は、最大のチャンスなのだろう。

 

「そう言えば、湧はどうした? 迎えなら一緒に来るもんだと思ってたんだけど」

「湧ちゃんは神境で春さんや初美さんのお手伝いをしています。ジャンケンで明星が勝ちましたから! あ、帰りは湧ちゃんが一緒に車に乗りますから、優しくしてあげてくださいね」

 

 そういう約束なんです、と明星。あっさりと自分の時間が切り売りされている事実に、神境にやってきたのだな、と実感する。神境の女性は男性を立てる立場を崩さないが、根本的なところでは女性上位の考え方をしている。それでも男を立ててくれるだけ、世のほとんどのかかあ天下の男性たちよりはマシなのかもしれないが、そんな巫女が集団で集まると男の立場はどんどん弱くなってくる。

 

 神境の巫女の結束が固いのは有名な話であるが、同時に、神境に関係する男性達の結束も固いのである。そうでもしないと気持ちが萎えてしまうのだ。それくらいに、女社会で生きていくというのは辛いものなのである。

 

 京太郎が神境における男性の立場について、明日はわが身かも、と苦い思いを馳せていると、明星が顔を寄せてきた。京太郎の匂いを嗅ごうとするかのように、鼻をすんすんと鳴らしている。押し付けられる柔らかさが尋常ではない。流石に引き剥がそうと腕に力をこめると、明星はあっさりと離れた。

 

「兄さま、昨日まではどちらに?」

 

 えー、と内心で京太郎は声をあげた。その質問をしてくるのは霞ではなかったのか、と憧に抗議の声をあげるも、明星に問われたという事実はもう、どうにもならない。奈良にいた、と当たり障りのない返答をすると、明星はますます首を傾げる。

 

「お山に入られました?」

「ハイキングをしたか? って質問ではないよな?」

「はい。お山に入って修行でもされたのかと」

「精神修養が必要だな、とは常々思ってるけど、本格的な修行をしたことはないな。それで、どうしてまた」

「兄さまの身体から、静謐な気配がします。以前に一度お会いした、高名な修験者の方と同じような気配です。ですからそうなのかな、と思ったのですけど、お山に入られたりはしていないのですか?」

「全然ない。普通に旅館でバイトしてたよ」

「そうですか……ごめんなさい。明星の勘違いのようです」

 

 納得がいかない、と言った様子ではあったが、明星はそれで質問を切り上げた。石を投げれば巫女に当たる神境と違って、普通は巫女や修験者と早々接点があるものではない。本人が知らないと言うのだから、勘違いということなのだろう。

 

 明星はそう結論付けたが、神境に限らず巫女の勘というのは鋭い。これが霞ならば勘違いでは済ませず、そう感じるに至った別の理由を探し、そして真相に行き着いていただろう。

 

 修験者のような気配という辺りで京太郎の脳裏にはジャージ姿の穏乃が思い浮かんでいた。流石に本家本職とまではいかなくとも吉野の野山を自分の庭のように駆ける穏乃ならば、そういう気配をしていてもおかしくはない。

 

 そして、時を置いても感じ取れるほどその気配が京太郎の身体に残っていたということは、それ相応に接触を持っていたということに他ならない。疚しいことがあった訳では決してないが、自分では感知できないところで、他の女性と仲良くしていたと気取られることは、あまり心臓によろしいことではなかった。

 

 できることなら神境に着く前にその気配を綺麗さっぱり落としたいところではあったが、風呂に入り服も着替えて阿知賀から霧島までやってきたのに、その気配は残っていた。素人の京太郎が車の中で一人どうしたところで、落ちるものではないだろう。

 

 やってきて早々、雲行きが怪しくなってきた。にこにこと、腕を取り幸せそうにしている明星を見ながら、京太郎はそっと溜息を吐いた。 

 

  


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