セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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39 中学生二年 三強激突編②

 史上最強の雀士は誰かという問いに、議論は必要ない。

 

 この国に生まれ育ったならば、老若男女誰もが小鍛治健夜の名前を挙げるだろう。世界ランキング二位まで上り詰めた、国内無敗の『全冠(グランドマスター)』の実力は二部リーグの地元チームに籍を移し、一線を退いた今となっても陰りは見えない。

 

 では、彼女が一線を退いたことで空いたポストに最も近い女子プロは誰かという問いには、きっと人によって答えが分かれる。

 

 だが、議論を進めていけばおよそ二人の人間に候補が絞られることだろう。

 

 一人は三尋木咏。高卒でプロになった年に新人王を獲得。その後、Aリーグに在籍を続け、小鍛治健夜が一線を退いたことで空位になった、九大タイトルの一つも獲得している。圧倒的な火力でもって卓上を制圧する様は圧巻で、その独特の容姿からコアなファンも多い。

 

 もう一人は瑞原はやり。一言で言うならば、彼女の仕事はアイドル雀士である。

 

 アイドル雀士というのは読んで字の如く、アイドル活動もする雀士のことである。容姿の優れた女子プロのグラビアが雑誌に載ることなど珍しいものではないが、アイドル雀士はよりその比重が大きい。雀士がアイドルをやっているのではなく、アイドルが雀士もやっていると表現するのが、現実には近いだろう。

 

 ただの雀士とは別の能力を要求されるアイドル雀士の業界は競争が激しく、その数は業界全体でも優に200を超える。そんな中、アイドル系の仕事だけで食べていける人間は一割に満たず、雀士としての能力も高い人間はさらにその半分にも満たない。

 

 瑞原はやりはその中でも更にレアな、雀士としてもアイドルとしても高い能力を持った本物のアイドル雀士だ。

 

 そんなはやりの仕事は多岐にわたる。牌のお姉さんとして参加する教育番組を含めて、週に三本のレギュラーを持ち、取材を受けない週はない。その上、最低でも年間2000半荘というプロの平均もきっちりこなし、チーム戦にも個人のタイトル戦にも可能な限り顔を出しており、その上ライブもすれば歌って踊る。

 

 控えめに表現しても彼女のスケジュールは殺人的であるが、はやりは大学を卒業してからずっとこのスケジュールを文句の一つも言わずにこなしている。可愛らしい見た目に反して、タフな女性なのだ。以前、ポスト瑞原を狙った彼女の後輩が、その座を奪うべく事務所に頼んで同様のシフトを組んだことがある。同じくらいの密度で仕事を組み、同じくらいの頻度で大会に出場したのだが、二ヶ月でシフトが乱れ始め、四ヶ月で成績が急激に落ち、半年で過労で倒れ病院に担ぎ込まれた。アイドル雀士というのもタフでないとできない仕事なのである。

 

 その点、小学生の頃から芸能活動をしてきた彼女は、筋金入りのアイドルだった。その上リーグ戦では結果を出し、九大タイトルの一つも保持している。現在の国内ランキングは四位で、芸能活動を理由としなければ日本代表にも選ばれていたことだろうとも言われている。

 

 アイドル雀士としての究極。『旋風(ワールウィンド)』の瑞原はやり。三尋木咏を除けば、須賀京太郎が最も憧れる雀士である。

 

 そんな憧れの人を前に、須賀京太郎は全ての動きを停止していた。彼の顔を間近に見ながら、はやりは京太郎を観察する。

 

 驕りでも何でもなく、日々の努力の結果としてはやりは自分が容姿に恵まれていることを自覚していた。こういう距離まで近づくと、大抵の男性は下心丸出しの顔をする。特に、眼前の少年くらいの年齢だと顕著にそういう反応が出るのだが、彼の表情はびっくりするほど動かなかった。

 

 本当に具合でも悪いのだろうか。からかいから本気の心配にはやりの気持ちがシフトし始めた時、京太郎の目から一筋の涙が零れた。

 

「はや!?」

 

 これに驚いたのははやりである。まさか本当に具合が悪いのか。少年の前でおろおろするはやりを他所に、京太郎はついに嗚咽を挙げ始めた。

 

「どうしたの? 本当に具合が悪いの?」

「ち、違います。俺、本当にはやりんのファンで……」

 

 予想とは違う答えに、はやりは目を瞬かせた。ファンというのは別に良いし、それで泣くのもまぁ理解できる。問題はそのファンが咏の控え室にいたことだった。ここにいる以上咏の関係者なのだろうが、良くて高校生のこの少年は、どうにも咏の親戚には見えなかった。スタッフでも選手でも不審者でもない人間がここにいる理由。考えてみると、卑猥な妄想しか浮かんでこない。

 

 それに良く見ると可愛らしい。不細工では絶対にないけれどハンサムと言うにはちょっと微妙という絶妙な顔立ちの少年が、目の前でめそめそと泣いている事実に年齢=彼氏いない暦のはやりは胸のときめきを覚えていた。今日はたまたまこの近くで仕事があり、長年の友人である咏が決勝まで残ったというので激励にきたのだが、こんな拾い物をするとは驚きだ。おまけに自分のファンだという。これは恋愛の神様のお導きに違いない。

 

「君、名前は? 年は?」

「須賀京太郎です。13歳の中二です」

「そっかー、13歳かー……」

 

 若いなぁと思うよりも先に、眼前の少年が自分よりも一回りも下という事実に気づいたはやりは愕然とした。彼をもって若いとするなら、相対的に自分はそうではないということになる。まだまだ若くかわいいつもりでも、時は無常にも流れていくのだ。仕事は楽しいしやりがいもある。結婚や引退はまだ早いと思うのだが、島根にいた時の同級生はもう半分以上が結婚して子供までいる。彼ら彼女らは純真無垢な瞳ではやりんはやりんと慕ってくれるが、そろそろ同窓会で独身ですと触れ回るのもキツい年齢になってきたのだ。

 

 瑞原はやり26歳。そろそろ独り身が寂しい年頃である。

 

「ねえ京太郎くん。君は咏ちゃんとはどういう関係?」

 

 世間話のつもりで問いかけたのだが、京太郎は俯いたまま口を閉ざした。お金持ちのトッププロの控え室に、未成年の少年が一人。おまけに質問に対してこの反応だ。状況証拠だけを積み重ねると、疚しいことがありますと言っているようにしか見えない。適当な嘘を吐く、という発想がないのだろう。美点か欠点かは難しいところだが、少なくともこの少年は、咏に対してとても誠実であることが解った。しかし、

 

(そういう反応すると咏ちゃんが困ると思うんだけどなぁ……)

 

 合法ロリの友人が若い燕を囲うというのもないとは言えないが、関係について口を開かないのならば、今解る情報から推察する必要がある。

 

 嘘を吐いているのでなければ彼の姓は須賀であり、三尋木の関係者ではない。口調には不思議な訛りがあった。標準語に近いイントネーションであるが、言葉の端々に微妙な高低を感じる。生まれた時から今まで、同じところに住んでいた訳ではなさそうだ。

 

 次に手を見る。麻雀タコのできた手は、毎日牌に触れている証拠だ。実力までは解らないが、咏と麻雀で繋がっている可能性が高まった。年齢差。はやりから見て3つ年下の咏は今年度で23歳。京太郎とは九歳差で、これは小学校でも行き会わない年齢差だ。一緒の期間同じ教室に通っていたという線は無視しても良さそうである。

 

 控え室にどうやって入ったか。

 

 ここに来るまでには警備員の前を通らなければならない。彼らは非常に職務に忠実で、関係のない人間は通すことはない。会場スタッフ以外に合法的に通過できるのは、協会の関係者かライセンスカードを持ったプロ雀士のみ。

 

 他には警備員に直接話を通す方法があるが、それには彼らを納得させるための要素が必要だ。プロの裁量で際限なく人を通すことになったら、モラルも何もあったものではない。どこかで制限をする必要があるのは当然で、警備員の前を突破するにはそれを曲げさせる強力な何かが必要になる。

 

 控え室にいる、ということは彼を招いたのは咏本人だろう。この業界においてトッププロの一人である咏の発言力は、本人が思っている以上に強いが、その権限をもってしても、どんな人間でもフリーパスとするにはまだ一歩足りない。後一押しである。自分が咏の立場だとしたら何を持たせるか……はやりの視線が、テーブルに動いた。そこには咏のライセンスカードがある。プロならば携帯していて当然のものを、あろうことか彼女は控え室に置いていった。

 

 つまりこの少年は、それだけ信頼に足るということである。咏の好感度はかなり高いと見た。自分と同じで浮いた話の全くない咏に、これだけ信頼されている男性。恋人だったら楽しいが、それならば誰かが雰囲気で察しているだろう。現状解る情報と、女の勘、それから京太郎の雰囲気から察するに――

 

「もしかして、咏ちゃんのお弟子さんかな?」

 

 何故それを!? と顔に出した正直者の少年のことが、はやりは好きになりかけていた。かわいい。マジかわいい。こんな子が弟子だったら、毎日きっと楽しいだろう。こんな面白い子を囲っていたのに教えてくれなかったなんて、これは咏には色々とお話を聞かせてもらわないといけない。

 

「ところで咏ちゃんは――」

「戻ったぜー、京太郎」

 

 話の途中、背後のドアが勢い良く開いて、咏が入ってくる。うきうき気分で戻ってた彼女の目に映ったのは、べそをかいた愛する弟子と、その弟子に最も会わせたくなかった同業者。しかもその距離は無駄に近い。邪推するなという方が無理な状況に、咏の感情は一瞬で沸点を突破した。

 

「てめぇ、人の弟子に何してんだ」

「何も。話しかけたら感激して泣いちゃったの。はやりのファンなんだって、かわいいよねー、京太郎くん」

 

 怒りのあまり絶句した咏の身体はワナワナと震えていた。京太郎が見たことがないくらいに、激怒している。悲鳴をあげて後退ろうとする京太郎を、咏の視線が捉えた。その奥にめらめらと燃える炎が見えた気がした。

 

「お前もお前だ京太郎! 私の控え室ででれでれしやがって。締まりがないのはこの口か!」

 

 おらー、と雄たけびを上げた咏が、京太郎の頬をぐいぐいと引っ張る。大人と子供のような身長差がある二人であるが、力関係は決定的だった。咏のやることにも京太郎はなすがままである。そんな二人の『じゃれあい』を、はやりは楽しそうに眺めていた。

 

「この子かわいいよねー。私にも貸してくれない?」

「バカ言ってんじゃねーっての。こいつは私の弟子だぜ?」

「じゃ、京太郎くんに聞いてみようかな。ねぇ、京太郎くん。私の弟子にもなってみない?」

 

 憧れのアイドルが夢のようなことを言っている。思わず泣いてしまうくらい、好きな人なのだ。その提案に京太郎はまた泣きそうになったが、その問いについては一瞬も逡巡しなかった。

 

「俺の師匠は咏さんだけです」

 

 京太郎としては本心をただありのままに言っただけだったが、彼以外の二人にとってその言葉は意外なものだった。二人はぽかんとした表情で京太郎を見たが、やがてどちらが勝者でどちらが敗者なのかを理解すると、咏は会心の笑みを浮かべ、はやりは信じられないといった風に愕然とした。

 

「聞いたかい、はやりん! いや、流石私の弟子だねぃ。師匠を立てるべき時を心得てる。まぁあれだ、ご愁傷様?」

「なんで? どうして? 咏ちゃんから離れてって訳じゃないよ? それでもだめ?」

「大変、大変勿体無い話なんですが……」

 

 教えてもらうことそのものは問題ない。これまでだって多くの人に世話になったし、教えてもらった。

 

 しかし弟子となると話は別だ。今も昔もこれからも、須賀京太郎の師匠は三尋木咏ただ一人であり、それ以外はない。憧れの人の申し出を拒絶するのは断腸の思いではあったが、これは京太郎が心の底から通したいと思っている筋である。

 

「…………男の子に振られるのって初めてだけど、こんなに心が痛いものなんだね。告白とか、したこともなかったけど」

「なんか、すいません」

「ううん、悪いのはそんな風に調教した咏ちゃんだから、京太郎くんは悪くないよ」

「負け犬が何か言ってるねぃ、知らんけど」

 

 煽りに煽る咏に、笑顔を続けるはやりにも苛立ちが見えるようになった。女の中で暮らしてきた京太郎は、女の怒気には敏感だ。はやりの表情からそろそろヤバいことを察するが、具体的な行動に移す間に、テンションをアゲた咏が勝手に地雷を踏み抜いた。

 

「――こうやって売れ残って、アラフォーになっていくのかねぃ」

「まだアラサーでもないよ! いくらお友達の咏ちゃんでも言って良いことと悪いことがあるんだからね! それに咏ちゃんだって後7年したら絶対30になるんだから!!」

「元はと言えば、お前が私の弟子に粉かけたのが原因だろ? 私のせいにすんな!」

「男の子独り占めなんてズルいよ! はやりだってたまには小学生より大きい男の子と、下心のない会話がしたいの!」

「そっちが下心丸出しじゃねーか!」

 

 弟子として若輩として、喧嘩の内容が外に漏れないよう、ドアがきちんと閉まっていることを確認する。かなりの声量で激論を交わしているが、この部屋の防音は大丈夫だろうか。

 

 当事者の一人として喧嘩を止めるべきなのだろうが、こういう時に手を出すとロクなことにならないと京太郎は経験で知っていた。自分に飛び火するだけならまだ良いが、大抵の場合は余計にエスカレートするのである。怒りの炎が静まるのを、京太郎はただ静かに待ち続けた。

 

 しかし、事態は京太郎が思ってもいなかった方向に転がる。

 

「こうなったら麻雀で勝負だよ!」

「おーし、受けてたってやるぜ」

 

 麻雀勝負を提案するはやりもはやりだが、それを受ける咏も咏だった。決着を付けずには収まらないという風の二人に、京太郎は慌てて駆け寄った。

 

「咏さん、後一時間と少しで決勝戦が始まるんですが……」

 

 その決勝戦というのは昼休憩を挟んで半荘を十回の長丁場だ。相手もそんじょそこらのへっぽこではなく、いずれも実力者たちばかり。そんな大事な戦いを前に、これまた実力の拮抗したはやりと全力で戦うことを、弟子としては勧める訳にはいかないのだが、京太郎の声のトーンには本気で止めようという勢いはなかった。

 

 ここにいるのは三尋木咏と、瑞原はやりである。トッププロが自分の前で、麻雀勝負をしようとしているのだ。これを見なければ、麻雀ファンではない。大会がどうしたとかアイドルがどうしたとか、そんなことは既に京太郎の中から消え去っていた。元より京太郎は、咏の性格を良く知っている。一度火がついた彼女が、弟子の諫言一つで止まるはずもない。

 

「なら、さっさと決めないといけないねぃ。東風戦で良いかい?」

「いいよー、今日こそ咏ちゃんを返り討ちにしてあげるから」

「ははは、アイドル雀士になんかにゃ負けないぜ?」

 

 麻雀打ちの控え室ということもあって、ここには最新型の全自動卓が用意されている。軽く触ってみたが、きちんと整備されている上に清掃まで行き届いていた。今さっき磨いたかのように、牌はぴっかぴかだ。これで道具に不足はなくなったが、後一つ。トッププロが決着を付けるために決定的に足りない物があることに、京太郎は気づいた。

 

「俺を入れても三人しかいないんですが、三麻をするんですか?」

「いやー、流石にそれは味気なくね?」

 

 京太郎も同意見だが、完全に個人的な勝負に呼ぶことのできる人間は限られている。それにここは関係者以外立ち入り禁止のエリアだ。大事な決勝戦を前にこれから麻雀勝負をするからと言って、手を貸してくれる人間は少ないだろう。最悪三麻という手もないではないが、きっちりとした決着を望むのであれば、やはり四人揃える必要がある。

 

「京太郎、ドアを開けて来い。最初にここを通りかかった奴を捕まえて、卓に着かせよう」

「ここの部屋突き当たりですよね? それに関係者巻き込んで大丈夫ですか?」

「お前が思ってる以上に、この業界は麻雀バカばっかりなんだぜ。トラブルを麻雀で解決するから、その卓に着いてくれって言やぁ、喜んで座るさ」

「そんな大人の事情は知りたくなかった……」

 

 楽天的な咏をしてバカばっかりというのは、不安になる新情報であるがともあれ、確保さえすれば卓が立つというのならば、主役ではない京太郎には何も異論はない。今優先すべきはこの好カードを問題なく成立させることだった。須賀京太郎。彼も立派な、麻雀バカの一人である。

 

 そんなバカ三人の熱意が麻雀の神に通じたのか、程なくして三人の耳に足音が聞えてきた。気分はまるで狩人である。足音が近くなってくると、三人は顔を見合わせた。3、2、1――

 

『確保ーっ!!』

 

 一斉に控え室から飛び出し、相手の顔も確認せずに引っ張り込み、しっかりと扉を閉める。

 

「わ! なに!? 人攫い!?」

 

 成す術もなく巻き込まれた幸薄い人が何か言っているが、ともかくこれで面子が集まった。後は勝負を始めるだけである。悪事が成功したことに三人はそっと胸を撫で下ろしていると、何も事情も知らされていないその人物が顔を挙げ――その顔を見た三人は揃って絶句した。

 

「咏ちゃんにはやりちゃん? どうしたの? 何があったの?」

 

 確かに見た目の印象はそこはかとなく幸が薄い。ともかく目立つ咏やはやりと並ぶとその地味さが更に際立つ顔立ちであるが、この人の顔を知らない麻雀打ちなど一人もいない。

 

 名前は小鍛治健夜。

 

 二つ名は『全冠(グランドマスター)』。元世界ランキング二位にして、国内無敗。史上最強の呼び声高い正真正銘の怪物がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




本作ではアラサーを27歳以上33以下として処理しています。
26歳のはやりんはギリギリ対象外です。

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