セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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41 中学生三年 小瀬川さんちと旅行編

1、

 

「シロ、旅行に行くわよ」

「ダルい」

 

 愛する娘に会心の提案を三文字で拒否されたことに、希望は苦笑を浮かべた。

 

 それにしても便利な言葉だ。もはや白望の口癖と化している単語であるが、これ一つで『自分はその提案にとても乗り気ではない』ということと、『その提案には全くもって賛成できません』という意図の二つを込めることができる。

 

 もっとも、希望は母親としての直感で娘がそこまで深く物を考えていないことを看破していた。少しでも気が向かなければ、脊椎反射でダルいと返している気さえする。家族旅行を少しも検討に値しないと言われているようで少し悲しいが、そこはお腹を痛めて産み育て、その成長を見守ってきた母親である。ダルダル言う白望を一瞬でやる気にさせる『魔法の言葉』を、希望は口にした。

 

「晶ちゃんと旅行なんだけど、京太郎くんも一緒よ。白望が来るならだけど」

 

 須賀京太郎。白望を一発でヤル気にさせる魔法の言葉だ。案の定、ベッドでダルダルしていた白望は、その名前を聞くやむくりと起き上がった。世間一般の基準で言えば大分緩慢な動きであるが、白望にしては大分素早い。何しろベッドでごろごろしている時に起き上がったのだ。それだけで、この『魔法の言葉』がどれくらい特別なのか伺える。

 

「京太郎、来るの?」

「白望が来るならね。行く?」

「…………行く」

 

 あっさりと前言を翻した愛する娘に、希望は満面の笑みを浮かべた。白望は本物の面倒臭がりだが、情が薄い訳でも物に執着しない訳でもない。小学生の時から始めた麻雀は高校生になった今も続けている。面子が三人しか集まらないにも関わらずだ。友達は決して多い方ではないが、親友と呼べる人間が二人もいる。単純に新しく物を始めたり新しい関係を築くのが面倒くさいだけかもしれないが、それはさておき。

 

 ダルいが口癖の白望はとにかく、できる限り物事を他人にやらせようとする。

 

 しかし誰にも彼にも押し付ける訳ではない。物を頼む相手には白望なりの拘りがあった。彼女が物を頼むのは信頼している人間だけで、そうでない人間には見向きもしない。更に身体に触れさせてまで何かさせるのは、その中でも相当に信頼している人間に限る。それは希望の知る限り家族以外では三人しかおらず、男性でそこまでの域に達しているのは京太郎ただ一人である。トイレ以外の頼みごとはほとんど頼んだことがあるだろうこの幼馴染の少年に、希望は一縷の望みをかけていた。

 

 母親としては、実に喜ばしいことだ。こんな面倒臭がりの娘が唯一懐いている男性である。これを逃したら、白望には一生男ができないかもしれない。一人娘の将来を憂う母親は、このチャンスをモノにしようと真剣だった。

 

「行き先は晶ちゃんと相談して決めるから、決まったら連絡するわね。あ、胡桃ちゃんや塞ちゃんには内緒にしておくのよ?」

「解ってる」

 

 躊躇いなく同意した白望に、希望は苦笑を浮かべた。あの二人は本当に良い子たちだが、『これ』についてはライバルである。知らせるにしても後からで良いだろう。

 

 白望ももう高校生。色々経験しておいても良い年頃だ。問題があるとすれば白望の二つ下という年齢であるが、互いの両親がOKを出していれば問題はないだろう。最悪籍を入れるのは後からでも良い。

 

 とにかく、白望を彼とくっつけるためには、何だかんだでモテる彼に相手ができる前に勝負を決めなければならない。今時最初の恋人とそのままゴールインなんて珍しいにも程があるが、彼くらい義理堅ければその可能性は十分にある。勝負をかけるならば、早い方が良いに決まっている。

 

 白望も自分の娘だけあって、素材は悪くない。話に聞いた京太郎の好みに白望は合致している。積極的に攻めることができれば、白望の実力ならば一日でも京太郎を落とせるのだが、一番大事な積極性が白望にはなかった。白望が京太郎を好いているのは間違いがないが、その攻め手はびっくりする程に緩い。最初は塞や胡桃に遠慮しているのかと思ったが、そうではない。これはこれで、白望の本気なのだ。

 

 くっつけようと努力している母親からすれば、見ていて実に歯痒い。背中を蹴飛ばしてやりたい思いに駆られたことは一度や二度ではないが、下手に炊きつけておかしなことになっては、もっと困る。幸いなことに、白望はこちらのお膳立てまで嫌う性質ではない。セッティングした場所に放り込めば、白望なりの積極性で京太郎に迫ることだろう。

 

 何か特別なことがあってくれれば良い。そう思って久しいが、京太郎との間に何か起こったという話はとんと聞かない。せめて彼が岩手に残ってくれていたらこうはならなかったのだろうが、その時はその時で塞や胡桃と修羅場っていたのだろうから、痛し痒しである。

 

 京太郎は今時珍しいくらい義理堅そうな少年だ。一度たらしこんでしまえばこっちのものである。この旅行で勝負が決まるよう、母親として全力でバックアップするつもりだったが、果たして上手くいくだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「それじゃあ、シングル4部屋じゃなくてツイン2部屋だけど良い?」

 

 特に何も考えず、京太郎は母の提案に頷いた。

 

 二家族合同の家族旅行である。その割に母と子だけで父がいないということに世の不条理を感じずにはいられないが、それは元々母二人の旅行に子二人が無理矢理付き合わされたからだ。京太郎ももう中学三年生である。母親と旅行をして喜ぶ年でもないが、地方の美味しい料理が食べられると聞かされてはいても立ってもいられなかった。好きな物は麻雀と言って憚らない京太郎だが、美味しい物にもそれなりに魅力を感じるのである。

 

 その旅行だが、提案された時は母と二人で、というようなことを言っていた気がするのだが、旅行当日現地についた京太郎の前にいたのは小瀬川さんちの母娘だった。岩手に住んでいるはずの彼女らは『元々』一緒に旅行をする予定だったという。図られたと気づいたのは、この時だった。

 

 白望の母の希望は、京太郎の母である晶ととても仲が良い。何度も引越し、漸く長野に落ち着いた晶が、今も絶えず交流を持っているのが希望である。

 

 そしてこの二人は、ことあるごとに自分の子供たちをくっつけようとするのだ。それで白望が嫌悪感の一つも示してくれれば、話は簡単に流れるのだろうが、ダルいが口癖の彼女は母の行為に流されるままである。無気力を絵に描いたような白望であるが、昔から美少女ではあった。そんな美少女とお近づきになれる機会に、男としてときめかない訳ではなかったが、それが親の掌の上、というのは子供として面白くない。

 

 それで白望との関係に溝が生まれたりはしないが、どうにも、母親達の前で白望と仲良くすることには抵抗がある京太郎だった。

 

 しかし、それも京太郎個人の内面の問題で、特に白望には関係のないことだった。

 

 京太郎が一緒にいる時、白望は全てのことに手を抜いてしまう。特に今日は酷いように見えた。手を引かなければその場から一歩も動かないとでも言うように、今日はずっと京太郎の手を握っていた。その名前の通り真っ白な手に強く手を握られたことにどきどきしっぱなしである。母親達とは離れて歩いていたから、初々しいカップルとでも思われたのだろう。行く先々で向けられる生暖かい視線に耐えるのは、中学三年の男子には中々の苦行だった。

 

 飛行機で現地に移動し、美味しい物を食べ、観光地を巡るという初日の行程を終えてホテルについた時、京太郎はくたくたになっていた。二人並んでチェックインを済ませる母親二人の背中を見ながらベンチに崩れ落ちる京太郎の隣に、白望はちょこんと腰掛けている。距離が近い。京太郎よりも更に力を抜いた白望は、背もたれではなく京太郎の肩に頭を預けてきた。白望のふわふわの髪から、少女らしい良い匂いがした。疲れた身体にこれは毒である。

 

 もしかして解ってやっているのではないかと白望を見れば、彼女は何処を見ているのかわからない瞳でぼーっとしていた。要するに、いつも通りの表情である。旅先のホテルで若い男女が二人。もう少し年齢が高ければそういうことだと思われても仕方がないが、幸か不幸か誰が見ても初々しいと思える程度には、京太郎も白望も子供に見えた。それだけに、二人を見た人間にこれからのことを想像させて止まないのだが、歩き疲れていた京太郎はそんなことを気にもできなかった。

 

 明らかに気を抜いている京太郎を見て、母親二人はにやりと笑ったのだが、それにも気づかない。それでも何か不穏な気配を感じた。そんな気がした京太郎は視線を上げたが、その時には母親二人は普通の表情に戻っていた。

 

「二部屋チェックインしたわ。旅行の間はこの部屋割りだけど、別に構わないわよね?」

「了解」

 

 惰性で返事をしてはいけないと京太郎が思い知ったのは、二つ並んだ部屋の片方に母親二人が並んだ時だった。保護者が二人ともそちらに並ぶのだから当然、子供二人はもう一つの部屋の前に並ぶことになる。ハメられたと思った京太郎はまず白望を見たが、彼女はいつも通り落ち着いており、取り乱した様子はない。この部屋割りにも納得しているのだろう。白望が落ち着いているのはいつものことだが、その微細な表情の変化から京太郎は、彼女が事前にこの部屋割りを聞かされていたということを読み取っていた。

 

 流石にこれは抗議すべきだ。そう判断した京太郎が視線を戻した時には既に、晶は隣の部屋に消えていた。残った希望はにやにやと品のない笑みを浮かべ、京太郎に歩み寄ってくる。その表情からナニを言われるのか察しはついていた京太郎は、実に不景気な面で希望に歩み寄った。希望は京太郎の手にそっと鍵を握りこませると、耳に顔を寄せた。

 

 そのままシロに聞こえないように、耳元に顔を寄せる。

 

「親の私が言うのも何だけど、うちのシロ、結構優良物件だと思うのよね。顔もスタイルも良いし、やればできる子だし。子供の面倒をみれるか心配ではあるけど、責任感のある子だし、子供が生まれれば変わると思うのよ」

「どうして俺にそんな話を?」

「……もらってくれるなら、何しても良いから」

 

 じゃーねー、と希望は晶に続いて部屋に入り、扉を閉じた。後には呆然とした京太郎と、ぼーっとしたシロが残される。何をしても良いというのは、そのままの意味なのだろう。未成年二人を相手にそれで良いのかと思わないでもないが、母親が娘を前に言ったのだから、本当に言葉の通りなのだろう。

 

 何をしても良いという言葉の後である。シロを見る視線に邪な気持ちが入るのも、仕方がないと言えば仕方のないことだった。大きなおもちも全体的に柔らかそうな身体も、整った顔立ちにぼーっとした表情も全てが性的な意味で魅力的に思えた。

 

「何か俺達二人で一部屋みたいなんですが……」

「そうみたいだね。早く部屋に入ろう。立ったままはダルいから」

「いいんですか?」

「泊まりの時はいつもそうなんだから変わらないよ。京太郎の部屋か私の部屋だったのが、ホテルに変わっただけ」

 

 シロの声はいつものように落ち着いていた。

 

 母親同士が仲良しなこともあって、岩手から引っ越した後も互いの家を行き来したことはある。白望の家に泊まったこともあるし、逆に白望が泊まりにきたこともある。大体一年に一回くらいの頻度で、毎回一泊二日くらいの日程である。長野の家にも、もう二回は泊まりにきている。その時は互いの部屋に寝泊りするのが慣例で、シロが言っているのはそれと変わらないということだ。

 

 確かに母親が隣の部屋にいるのだからむしろ、お互いの部屋に泊まった時よりも距離は近いと言えるが、『ホテルの部屋に二人きり』というのが、京太郎には問題なのだ。白望はもう高校生だ。家族ぐるみで相手の家に泊まるのと、若い男女が一つの部屋に泊まることの違いが解らないはずもない。

 

「シロさんは良いんですか?」

 

 後から考えて、これを男の方から聞くのも最低の行為だと思ったが、口から出た言葉はなかったことにはできない。それに何も聞かずにいると、なし崩し的に全てを受け入れることになる。お互いがこれからどういうことが起こる可能性があるのか、その認識を共有することが大事なのだが、

 

「別に。京太郎なら良いよ。ダルくなさそうだし」

 

 シロはいつも通りの調子であっさりとOKを出した。母親の何をしても良いという言葉に、娘が同意した形である。見ているものは同じでも、思っていることには大きな隔たりがある。そんな彼女をどうやって説得したものだろう。頭一つは下にあるシロの顔を、京太郎は見る。

 

 ぼーっとしていることは多いが、それでも美人と他人に思わせるのだから、女性としての美しさは相当なものだ。スタイルは、希望が言っていた通り本当に素晴らしいものだ。自発的には全く運動をしないのに、その身体に余分な肉はほとんどない。それでいて、出るべきところはしっかり出ているシロの身体を見て、京太郎は思わず唾を飲み込んだ。

 

 きっとシロは昔と変わらない振る舞いを続けるのだろう。それはそれで嬉しくもあるが、男としては困るのだ。妹分である明星や同級生である春に迫られるのとは、全く違う。年上のシロが『そういうこと』を言い出したら、京太郎には断れる自信が全くなかった。

 

 救いがあるとすればシロが自発的に言い出す可能性が低いということくらいか。つまり京太郎が理性を保つことができれば、今回も何事もなく話は終わるのだが、京太郎にとってはそれが一番の問題だった。美少女と狭い部屋に二人きりである。何かあるかもと期待してしまうのが男だし、してみたいという気持ちはどうしたって消すことはできない。

 

 ノロノロと動くシロに続いて、京太郎も悶々とした気持ちで部屋に入った。これでベッドが一つとかであれば、母親たちに対して本気でストを起こしていただろうが、幸いなことにベッドは二つあった。ベッドを前に、更に悶々とする京太郎を他所に、白望はさっさと部屋を横切ってベッドにうつぶせになった。

 

「靴ぐらい脱ぎましょうよ……」

 

 声をかけても、シロは動きもしなかった。

 

 省エネモードに入ったシロは今度は仰向けになると、黙って足を京太郎に差し出した。その意図を察した京太郎は大きく溜息を吐くと、白望の足元に跪く。今日、白望が履いているのは履くのに難儀しそうなブーツである。洗練されたデザインではあるが、こんなダルい履物、白望一人では絶対に選ばないだろう。服装にも、希望の意図が見て取れる。白望以上に、あちらが本気なのだろう。何をしても良いという彼女の言葉に重みが増してくる。

 

 名前の通り、心配になるほどに白い白望の足と、スカートの中を見ないようにしながら、ブーツを脱がす。煩悩と戦いながら思い出したのは、胡桃のことだった。小さくてかわいい先輩はいつも『京太郎が一緒にいると、シロがダルがって何もしなくなる』とお世話をしようとする京太郎と白望の間に割って入ってきた。

 

 胡桃は現在身長130cm。流石にもう無理だろうと本人も思っているらしいが、習慣で毎日牛乳を飲み続けているという。小学生の時とほとんど変わっていないと言われても、ちゃんと身長が伸びた京太郎には微妙にぴんと来ないが、初美よりも小さく、衣よりも少し大きい程度と考えると、やはりとてもとても小さい。

 

「今日はどうします?」

「このまま寝る。ダルい」

「せめてシャワーくらい浴びた方が良いですよ。どっちが先に入りますか?」

「京太郎が先で良いよ。その方が手間がないし?」

「そうですか? 解りました。先にいただきますね」

 

 荷物から着替えを取り出し、シャワーに向かう間も、白望はベッドでごろごろしていた。女性と違い、男のシャワーはカラスの行水である。ぱっとシャワーを浴び終えた京太郎が部屋に戻ると、白望は全く同じ格好でベッドに寝転がっていた。

 

「シロさん、シャワー空きましたよ?」

「そ。それじゃあ、よろしく」

 

 はい、と差し出されたシロの手を握ってベッドから立ち上がらせると、彼女は京太郎の手を握ったままバスルームに向かおうとした。とっさに踏ん張って抵抗すると、シロのガラス球のような目が向けられた。

 

「何?」

「いや、何じゃなくて……俺がついていって何をするんですか」

「私のお世話。小学生の時はやってくれた」

「シロさん、今は高校生でしょう? 俺ももう中学生ですから無理です」

「岩手にいた頃膨らみ始めたおっぱいをガン見してた京太郎が、仏心で触らせてあげた私に対してそういうことを言うんだ……」

「それを今持ち出すのはズルいですよ!」

 

 触らせてあげたというか、気がついたら手を掴まれていたというのが正しいのだが。確かに夢のような感触だったが、それはその後、しばらく丁寧なお世話を続けるということで手打ちになったはずだった。当然、手打ちになったところまで含めて二人だけの秘密である。塞や胡桃にばれたら口も利いてもらえなくなってしまう程の酷いネタだが、白望に脅しに使うようなつもりはないようだった。

 

 それが殺し文句のつもりだったのだろう。それでも要求を呑まない京太郎に、白望は小さく嘆息した。それから目を細めて、じっと京太郎の目を見る。ついでにふんふん、と首元に顔を寄せて匂いをかぎ始めた。シャワーを浴びた直後である。何か匂いが残っているとも思えないが、白望の勘はこの時、物理法則を飛び越えた。

 

「――私の勘が、京太郎が最近、私と同じくらいの女子のお風呂の世話をしたといってるんだけど、どう?」

「そんな話ある訳ないじゃないですか……」

 

 一瞬の躊躇いもなく京太郎は否定したが、実はそんな訳大いにあった。

 

 一週間程前、衣に誘われて衣ハウスにお泊りしたのだ。一緒に食事を作り一緒に遊び、一緒に風呂に入って一緒のベッドで寝た。言葉にすればどこのラブラブカップルかという話だが、衣相手であるから煩悩はほとんどない。問題があるとすれば今回のお泊りには衣以外にもう一人、彼女の世話をするメイドさんが一緒だったのだが……それはまた別の話である。

 

 とにもかくにも、衣と白望では同じお世話でも意味合いが違う。白望はきっと何があっても気にしないだろうが、欲望のままに揉みに揉みあげたら、白望の顔も見れなくなってしまう。嘘を吐くのは心苦しいが、それをバラしたところで京太郎の立場が悪くなるだけで良いことはない。シロはそれでも疑っていたが、やがて諦めたのか、着替えの浴衣を持って立ち上がった。

 

「とりあえず、その言葉を信じるよ。出たらお世話よろしく」

 

 そうして、白望はのろのろとした足取りでシャワーに向かった。どうあってもお世話をさせたいらしい。シロが変わっていないことに嬉しくなりつつも、さてどうしたものかと京太郎は考えた。

 

 男の本能に従って答えるならば、是非お世話をしたい。シロは色々と柔らかそうだしおもちだし美人だし、良いことずくめだ。

 

 しかしここで男の欲望に正直になると、今後の人生の方向性は大きく決まってしまうことになる。性格的に白望自身は縛ってきたりはしないだろうが、希望は逃がしてはくれないだろうし、希望が逃がさないならば晶もそれに同調するに違いない。ここでおもちに負けると、京太郎に逃げ場はなかった。

 

「あがったよ」

 

 白望の声に恐る恐る振り返ると、予想に反して白望はきちんとホテルの浴衣を着ていた。最悪、裸かバスタオル一枚かと思っていたのだが、ある意味拍子抜けである。浴衣の白望は部屋を横切り、京太郎の横に背を向けて座った。うなじの白さに見とれていた京太郎だが、その行動の意味は解った。

 

 洗面所からドライヤーを持ち出し、櫛は白望のポーチの中から取り出す。ドライヤーを当てながら、白望の髪に触れた。男に髪を触れられても、白望はされるがままだった。部屋にはしばらくドライヤーと、白望の小さく漏らす声だけが響く。

 

「シロさんの髪はふわふわで良いですね」

「京太郎も気遣いができるようになったんだね。こういう髪はふわふわじゃなくてもじゃもじゃって言うんだよ」

 

 白望の声音には拗ねたような響きがあった。自分の容姿について、あまり頓着しない白望にとっては、珍しい反応である。白望も髪型とか女の子らしいことに拘るようになったのか、とまるで母親のような心地で髪を梳いていると、白望の口から出てきたのは、いつもの言葉だった。

 

「もじゃもじゃだと、ダルいし」

「――塞さんとか胡桃さんみたいな髪の方が良かったですか?」

 

 日本人然とした容貌のあの二人は、髪の色はともかくとして見事な直毛をしている。あれはあれで髪の手入れは大変だろうが、白望の言うもじゃもじゃとは対極にある髪だった。試しにああいう髪になった白望を想像してみるが、似合うには似合うが、違和感の方が先に立ってしまう。白望はやはり、このふわふわの髪があってこそだ。

 

「はい、終わりましたよ」

「ありがとう」

 

 白望はぽてりとベッドに倒れた。歩き回ってダルさが極限まで達しているのだろう。いつも以上に動きが少なくなっている。京太郎はまだ目が冴えていたが、白望が寝るならばもう床に入ろうと思った。照明を消し、ベッドに入る。明日は何を食べるんだろう。心地良い疲れと食欲に浸ることでうとうとしだした京太郎は、布団に入ってきた気配で一瞬で意識を覚醒させた。

 

「何をしてるんですか?」

「寒い」

「いや、それは俺もそうですけど、何で俺のベッドにもぐりこんでいるんでしょうか」

「母さんが、そう言った。私も京太郎もダルくない、win-winの関係だって」

 

 会話の間にも、京太郎は白望を引き剥がそうと努力を続けていたが、ダルくなくなるためには全力を尽くす白望の力は、思いのほか強かった。

 

「こっちを向きなさい」

 

 観念して身体ごと振り向くと、すぐそこに白望のガラス球のような目があった。息がかかるくらいの距離では、実際に息はかかるのだということを実感する。白望からは何だか不思議な良い匂いがした。頬がほんのりと染まっているのは、風呂あがりだからだろう。白い肌との対比が、非常に艶かしい。

 

「京太郎、ゴツくなり過ぎ」

「そんなこと仰られましても……」

「抱き心地が良くないよ。昔はあんなに私と相性が良かったのに」

「胡桃さんとか塞さんとかどうですか?」

「胡桃は小さすぎだし、私がする側。塞は良いかもしれないけど抱きついたら多分投げ飛ばされる」

 

 その後も身体をぐりぐりと押し付けては、腕も足も巻きつけ抱き枕のようにひっつく白望に、京太郎は形だけの抵抗をすることを諦めた。これはこれで役得だが、手を出したらどうなるかを考えたら、生き地獄も良いところである。タダで良い思いはできないのだと悟った瞬間だった。

 

「後ろ向いて」

 

 色々と試行錯誤をした結果、白望は後ろから抱きつくということで落ち着いた。耳元で白望の吐息がはっきりと聞こえ、背中にはおもちの感触がはっきりと伝わっている。ヤバすぎる感触に我を忘れそうになる京太郎を他所に、白望は小さくあくびを漏らした。

 

「それじゃあ、おやすみ。あぁ、別にしたいことはして良いから」

 

 言って、白望はすぐに寝息を立て始めた。

 

 白望の眠りは深いので、ちょっとやそっとのことでは起きない。これは小学生の時、塞たちと一緒に実験済みである。何をしても良いという白望の言葉に、京太郎の腕は反射的に動いたが、白望の腕は京太郎の腕の上から正面に回されているため、稼動域は狭くなっている。これでは腿を触るのが精々で、背中まで手を回すことができない!

 

 身体の向きを変えれば良いのだが、それでは流石に踏みとどまれなくなる。もうゴールしても良いんじゃないかな、という青い欲望と戦いながら、結局、おもちの感触による興奮は収まらず、京太郎は悶々とした夜を一人で過ごしたのだった。

 

 

 


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