『さてまずは少し冒険してみようかな。少年。私のことどれくらい知ってる?』
日本語で話しかけてくれたのに、女性の言葉はもう英語に切り替わっていた。思えばこの場にいる日本人は自分だけだなと気づいた京太郎は、軽い苦笑を浮かべつつも英語で応じる。
『貴女はアレクサンドラ・ヴィントハイム。元ドイツ代表でハイデルベルク大学出身。十代の頃から世界大会に出場し国内外のタイトルを総なめ。大学卒業後にプロに転向。初年度から年間MVPを獲得すると九年連続で年間MVP獲得を続け、惜しまれつつも引退。その後は日本に活動の拠点を移し、臨海女子の監督となって現在に至る……こんなところでいかがでしょうか』
『ちなみに世界ランキング最高何位だったか解る?』
『プロ最終年の15位が最高だったと思います』
京太郎の言葉に、アレクサンドラは嬉しそうに頷いた。京太郎の年代では自分の現役時代をリアルタイムで見たことがあるはずもない。調べればすぐに解るような情報ばかりだが、世代でない人間がここまでなのだからきちんと調べたのだと理解できる。日本に来て以来あまり学生たちに褒められたことのなかった彼女は京太郎の言葉に聊か興奮気味に捲し立てた。
「見なさい私の教え子たち。これが後進のあるべき姿ってものよ」
「後輩に過去の実績を誇るなんて痛々しいにもほどがありますよ」
「そんな情報覚えててもお金にならないし……」
「世界ランカーだったんですね。今初めて知りました」
興奮する監督に対して教え子たちの反応は冷たい。急激に降下した明華たちの機嫌に京太郎は目を丸くするが興奮しつつも理性的な部分を残していたアレクサンドラにはその原因が良く解った。憎からず思っている少年が突然現れた二回り上の女と仲良くしているのを見れば機嫌の一つも悪くなるというものだ。
そんな教え子たちを見て、アレクサンドラは考えた。三人ともこれから日本で売りだそうという大事な時期だ。臨海女子の監督としては男に現を抜かす暇などあるのかと釘を刺しておくべき場面かもしれないが、個人競技である麻雀にはメンタルが強く影響する。
持って生まれたセンスと技術力が売りの慧宇はまだマシな方だが、ネリーと明華は大分感性に寄った打ち方をするためその日の体調なりテンションなりに強く影響を受ける。夢中になっている男がいるということは、一概に悪いことでもないのだ。無論のこと悪影響を及ぼす可能性も無きにしもあらずだが、節度を守った交流を続ける分には問題ないだろうとアレクサンドラは判断した。
アレクサンドラも四十を過ぎて未婚の身だ。特に日本では強い女子プロは結婚できないというジンクスがまことしやかに囁かれている。臨海女子のレギュラーは智葉以外外国人で占められているものの、そのジンクスを国外輸出してしまうことは国際交流を旨としている臨海女子としてよろしくない。
事実として、臨海女子のOGの未婚率は国際的な平均と比べても高かった。教え子が女としての幸せを勝ち取ってくれるならば監督としてこれ以上はないのだが、どうも三人の矢印はこの一人の少年に向いている気配である。
普通ならば修羅場を想像して交流を控えろとでも言うべき場面だが、彼ならば如才なく問題を解決してくれるだろうという根拠のない確信がアレクサンドラにはあったし、それに彼の重要度を考えれば多少のスキャンダルくらいには上も目を瞑るだろうという確信もあった。麻雀業界において、特に臨海女子のような名門にとって須賀京太郎というのはかなりの重要人物なのだ。
「教え子たちは相変わらず冷たいから話を元に戻そうか。京太郎って呼び捨てても?」
「どうぞ遠慮なく」
「ありがと。私のことはサンディとでも呼んでよ」
「よろしくお願いします、サンディ」
「話の早い男って好きよ。さて京太郎、臨海女子に就職しない?」
「俺まだ高校生になるところなんですが……」
「将来のことを考えるのに早すぎるってことはないよ」
何度目になるか知れないその言葉に、京太郎はひっそりと溜息を吐いた。大人は皆こう言うのだ。京太郎の周囲では咏がその筆頭である。咏の実家は神奈川でも知られた名家であり資産家だ。そんな家に生まれた咏が麻雀に打ち込み、高卒でプロになるというのは数奇な人生と言えるのだろう。
数奇な人生を歩む咏が、京太郎には口を酸っぱくして言う。よく考えて生きろ。言われた通りに考えてはいるものの、実感の伴わないことはどうにも考えがまとまらない。麻雀をやっていたいという明確な願望はあるが、それを踏まえた将来像を描こうとすると途端にぼやけてしまうのだ。子供にとって将来のことというのはそれだけ難題である。かつて子供だったはずなのに、どうして大人にはそれが解らないのだろうと、理解に苦しむ京太郎である。
「それにこの手の勧誘ははじめてじゃないでしょ? 少なくともロードスターズは結構本気みたいだけど」
「監督、ロードスターズて横浜のプロチームのこと?」
「そうだよ。少年の師匠の在籍チームだからね。たとえ男子でも弟子の獲得に本気を出すのは当たり前と言えば当たり前……と、もしかして話してないの?」
「あまり触れ回るようなことでもないと思ったので……」
「まぁそれも当然と言えば当然か。話しても良いかな?」
「構いませんよ。親しい人に隠しておくようなことでもないので」
「君の基準も良く解らないね……ま、京太郎が良いなら良いかな。聞きなさい教え子たち。何を隠そう、この少年のお師匠様はかの有名な『
【嘘でしょ!?】
《どうして教えてくれなかったんですか!?》
〈こんな凄いことを黙ってたなんてオシオキですね〉
早口の母国語で何やらまくし立てながらに詰め寄ってくる美少女三人の対応に四苦八苦しながらも、自分の師匠の人気について京太郎は久しぶりに疑問を持った。
麻雀界において、誰にどの程度の人気があるかという明確な指標はない。人気投票が企画されることもあるが、公式なものは精々五年に一度といったところだ。収入が一つの指標と言えるが、強いプロが必ずしも人気者という訳でもない。
そんな中、ファンの間で指標の一つとされているのがプロ麻雀せんべいカードである。レアリティが低いからと言って不人気とは限らないが、レアリティが高いプロは間違いなく人気者、少なくとも旬の人である。その指標となるカードで、咏はデビューして以来最高レアの常連である。ファンの年齢層に若干性別と年齢の偏りはあるもののその実力も本物だ。
では海外人気はどうなのか、ということは弟子なのに気にしたこともなかった。世界戦で咏が戦う所は何度も見たこともあるが、それは日本の局が行う日本向けの中継である。海外の反応が入りこむ余地はほとんどない。なので明華たちの反応は弟子の京太郎をしてもとても意外だった。
「日本の現役プロの中では君のお師匠様の海外人気はぶっちぎりだよ」
「知らなかった……」
「国内の活動を優先してるみたいだからね。海外に出てくるのは国別対抗戦くらいかな。それでまたレアリティが上がったりする訳だ。特徴的な見た目、整った容姿、圧倒的なツモ力、個性的なトーク力に育ちの良さ。着物でいることが多いのも海外アピールになるかな。これで小鍛冶健夜くらいの麻雀力があったら、当時の彼女の10倍くらいは稼いでたんじゃないかな」
「まさかそこまでは……」
ないとは言いきれないのが今の麻雀業界の怖い所である。健夜は実力こそ高かったが、どこか幸の薄い見た目と壊滅的なトーク力のなさからメディアへの露出やCMの起用などはほとんどなかった。IHの解説として定着しつつあるのは一重に、健夜と組ませるために生まれてきたのではという相性を発揮する恒子がいたからこそだ。
逆に咏はその辺りに如才がない。そこに健夜クラスの力が加わったら、それこそとんでもない金額を稼ぎ出していたことだろうが……どれだけ稼いでもあの飄々とした雰囲気は変わらないだろうなと思うと京太郎の顔にも笑みが浮かんだ。
「将来的にはロードスターズに就職するつもりだったりするの?」
「予定は白紙ですね。好きにしろと咏さんにも言われてるので、しばらく真面目に考えてみようと思います。ここ最近、そういう話を何度か伺ったりもするので」
咏に恩返しをしたいという気持ちも確かにある。そういう意味では他の組織に比べればロードスターズはまだ現実味のある就職先候補と言えるだろうが、逆に自分だけでなく師匠である咏の人生も縛ってしまう結果にもなりかねないことは京太郎も理解していた。
ロードスターズと咏が不仲という話は聞いたことはない。元々地元のチームであるしフロントとの仲も良好と聞いているが、未来の話は誰にも解らないものだ。某かの理由で出ていきたいとなった時、弟子が籍を置いていては重しになることもあるだろう。それならばまだ咏個人に雇われる方が彼女の迷惑にはならないが、そこまで師匠におんぶに抱っこというのも気が引けた。
「正直出遅れた感じはヒシヒシと感じるのよ。三尋木咏に弟子がいるって話は結構前からあったんだけどね。私が君の顔と名前が一致したのはつい最近のことなのよ」
「前っていうといつぐらいからでしょうか」
「切っ掛けはプロになったばっかりの頃よ。プロになって最初のサインはもうあげる人間が決まってるんだってフロントに言ったんだって? おそらく君の部屋にあると思うんだけど、どう?」
中々良い読みだな、と京太郎は思った。確かにそのサインは京太郎の部屋にあり……同様に、良子からもらったものも並んで飾ってある。ついでに言えばはやりんからもらったサイン入りポスターもあり、健夜からもらったサイン色紙もある。ちょっとした宝物庫であるのだが、いくらアレクサンドラでもそこまでは知るまい。
「そこからそれとなく情報収集が始まった訳だけど、名前が解った頃には君引っ越しててさ。人を雇って未成年を追い回すのもどうかと思って情報収集するだけに留めてたんだけど、ここ最近俄かに具体化してきてね」
アレクサンドラの言う『ここ最近』をこの一年と限定しても、京太郎には覚えがあり過ぎた。何が原因かを考えるとどれも怪しく思えてくる。別に隠れていた訳ではないのでどうでも良いと言えばそうなのだが、悪目立ちするのも考え物だ。それこそ会う人間全てにうちに就職しないかと勧誘されるのは、とても鬱陶しい。
「明華やハオと会ったIHの会場で姫松の赤阪監督――まぁ当時は監督じゃなかった訳だけど、ともかくあの『女狐』に会ったでしょう? それからここ最近、岩手で妖怪婆さんに会ったとか。姫松はともかく、妖怪婆さんの方はラッキーだったよ。あの人しばらく見ないと思ったら岩手にいたんだもの。全員初見の強キャラ集団とか、名門殺しにも程があるっての」
ははは、と笑うアレクサンドラに、京太郎も適当に同調した。宮守でのトシの打ちまわしを見るに、世界ランキング一桁に手をかけた人間から見ても『妖怪』という評価なのは頷ける。強いのは勿論だがそれ以上に圧倒的に上手い。老獪な打ち回しというのはああいうのを言うのだろうと後ろで見ているだけなのに感動した程だ。
「それから先月雅枝に会ったね?」
「雅枝さんから聞きました?」
「いえ? でも想像はできた。大阪方面で君の目撃情報があった前後に、珍しく上機嫌な雅枝から連絡があったものだから。臨海なら月50は出すとか言われたんじゃない? まぁ、当たらずとも遠からずって所だけど」
「監督、京太郎雇うのに50は安いよ、もう少し出せない?」
「女子校がこれと言って実績のない未成年の男子を雇うとなると、初年度はそれくらいが限界なのよ。初年度からそれ以上ってことになると、私が個人で雇うことになるけど、それだと君らが納得しないでしょ?」
「未成年の男子を監督の海外出張に連れまわすってことですか?」
「私が雇うんだから当然だね」
「横暴です!」
留学生三人の強い抗議もアレクサンドラにはどこ吹く風だ。そも部内の力関係でいかに来季の主力選手と言えども監督に勝てるはずもない。聞こえなーいというジェスチャーをするアレクサンドラにますますヒートアップする留学生たちを他所に、京太郎はひっそり席を立つとじっくり時間をかけて全員分のコーヒーを淹れて戻ってきた。
「あら、気が利く」
「どうぞ。雀荘らしく全部アリアリですけど」
「ネリーはタダなら味には拘らないよ」
「喜んでいただきます」
「ちょうど喉が渇いていたところでした」
話はまだ途中だったようだが、コーヒーブレイクでやる気も霧散してしまったようである。落ち着いた様子の留学生たちにやれやれとひっそり肩をすくめると、アレクサンドラが小さくウィンクをする。デキる女というのは小さな仕草まで様になるのだなと感心しつつ、自分で淹れたコーヒーを啜った京太郎は疑問に思っていたことを口にした。
「それにしても大阪で俺の目撃情報ってどうやって集めたんですか?」
「名門校は、というか特に私は情報で商売してるようなものだからね。ただ情報を集めるためだけに結構な金額を費やしているのよ。大阪は人が多いだけあってまだガードの割には千里山も姫松も情報が集まりやすいんだけど、鹿児島の永水とか信じられないくらいに固いのよね」
君は知らない? と声をかけられるものだと思っていた京太郎は、その言葉に何も続かなかったことに少しだけ拍子抜けした。いかな女傑でも何でも知っている訳ではないのだなと心中で考えていると、アレクサンドラとばっちり視線があった。内心を見透かすようなその目に京太郎が身体をこわばらせると、アレクサンドラはしてやったりという笑みを浮かべた。
「なに? 永水のこと知ってるの?」
「それはその……ノーコメントってことで」
知っていると答えているようなものだったが、アレクサンドラはそれ以上聞いてこない。臨海女子としては、対抗馬となる有力校の情報は喉から手が出る程欲しいはずだ。
特に永水である。元々情報が集まらない上に、去年耳目を集めた小蒔は個人戦での出場だ。その後にまだ入学していなかった春を除いた三人が入部。去年のIH後に本格的に活動を始め、今春には全国ランキングで四位の姫松を抜きそうな勢いだった。夏までの公式戦で稼いだポイントの累計でシードが決まるためにまだ予断を許さない状況であるが最後のシード枠をどちらが取るにせよ、永水が注目株であることに変わりはない。
その永水の情報を京太郎はおそらく、全国の誰よりも深い確度で持っている。小蒔が降ろせる神様は全て見たことがあるし、春や巴の癖も把握しているし、初美や霞のオカルトがどういう仕組みなのかも理解している。
無論のこと口が裂けてもそれを漏らすことはない。義理人情として当然のことだがそれ以上に、永水に不利益になることを行ったら、霞や初美に何をされるか解ったものではないからだ。姉貴分の恐ろしさは骨身にしみている。この恐怖感がある限り、自分はきっと情報を漏らすことはないと思うと京太郎も心の底から安心できた。
「口の堅い男って好きよ」
「ありがとうございます。サンディは雅枝さんと付き合い長いんですか?」
「お互い十代の頃からね。十五歳以下の世界大会で戦ったのが初めてだったかな。英語の次に覚えたのが日本語よ? あの子と話すために覚えたんだから」
「監督ー、そういえば雅枝って誰?」
「北大阪の千里山の今の監督よ。元プロで九大タイトルを二つ保持してたことがあるわ。姫松に愛宕洋榎っているでしょ? あの娘のお母さんでもある」
「ああ、あの赤くて騒々しい人ですね」
「それ本人の前で言っちゃだめよ? ああ見えて結構繊細なんだから」
流石に名門校に所属するだけあって有名選手となれば顔と名前が一致するようだ。京太郎も怜の見舞いから長野に戻った時に雅枝の娘がいるということで詳しく調べた経緯がある。おっちゃんたちから下の娘さんがええ乳してるという情報を教わっていたこともあるのだが、それは今のところ関係がない。
確かに上の娘である愛宕洋榎は赤くて騒々しい人柄のようだが、その見た目と性格に反して麻雀は極めて繊細な打ち回しをする。攻撃的な防御型とでも言えば良いのだろうが。自分の読みに絶対の自信を持つが故に当たりと判断した牌は何があっても出さず、手牌を再構築して最終的には敵を討ち取る。全国的に見ても放銃率の極めて低い選手だ。地力が高くシンプルに強い、大阪の主だった選手を調べた京太郎をして二番目に評価の高い選手だ。
「家族ぐるみの付き合いっぽいですね」
「付き合い長いからね。結婚式の友人代表は大阪の友達を差し置いて私だったのが自慢ね。ドル売りされてた頃のあの子のコスプレして、爆笑をさらってやったわ」
顔を真っ赤にして羞恥心に耐える当時の雅枝の姿が思い浮かぶようである。教え子が話題に出すだけでも眉を顰めるのに結婚式でコスプレまでしたのだ。あのノリを考えたら激怒してもおかしくはないが、それでも今まで関係が続いているのなら、それくらいしても許される深い仲なのだろう。
「それじゃあ、若人に証明してあげよう」
言って、アレクサンドラは懐からスマホを取り出すとスピーカーホンにした。コール音を待つこと数回……
『なんやガンダム。こんな時間に珍し――』
言葉が終わるよりも早く、アレクサンドラはスマホに向かって歌い始めた。雅枝がドル売りされていた頃の曲で雅枝がソロの曲だ。おそらく結婚式で歌ったと思われるその曲に、雅枝は無言で電話を切った。つれない対応にアレクサンドラはしかし深い笑みを浮かべる。もはや悪人という様相のアレクサンドラは、京太郎に小さく指招きをする。
悪事に巻き込まれるのは勘弁してほしかったが、ここで乗らない訳にもいかない。差し出された京太郎のスマホを同じくスピーカーホンにし、雅枝の番号を入力して待つことしばし、
『すまんな京太郎。今ちょっと機嫌が悪い――』
またも歌い始めたアレクサンドラ。電話の向こうで空気が凍り付くのが京太郎にも解った。あかん、監督がキレたー! という遠い声はセーラのものだろうか。遠く大阪の千里山の今日の惨状を思うといたたまれない気持ちになったが、ひとまず眼前の惨状を前に身構える。
案の定、スマホから聞こえてきたのは怒鳴り声だ。
『ええ加減にせえよこのクソドイツ――』
今度はアレクサンドラの方から電話を切った。控えめに表現しても激怒していた様子の雅枝にドン引いている未成年四人を他所に、アレクサンドラはご満悦だった。
「いやー、相変わらずからかうと面白いわあの子。ああ、ちゃんと謝っておくから心配しないで」
「……中々スリリングな友人関係ですね」
「言葉を選んでくれてありがとう。でもね、あの子怒った顔が一番かわいいのよ」
そこまで言うなら見てみたい気もするが、見る機会は一生ないだろうなと京太郎は思った。未成年たちを置いてきぼりにして一頻り笑ったアレクサンドラは椅子を引き寄せると急に表情を引き締めた。
「さて京太郎に臨海女子に来てもらう時の条件だけど。金額はさっきの通り。これでも京太郎の年齢を考えれば安くはない訳だけど、ロードスターズなら一桁上の金額を出すだろうし、お金持ちの個人が本気を出したら金額の面では太刀打ちできないからね。ここは臨海ならではの条件を出すとしましょう」
「枠を一つ……いや、二つ君にあげよう」
その言葉の意味が京太郎には解らなかったが、留学生たちには意味が通ったらしく驚きの声が挙がった。
「麻雀部が持っている臨海女子全体の特待生枠の内、監督である私の裁量でもって二つを君にあげる。最低限の実力さえ備えていれば、そこから先は100%君の主観で決めてくれて構わない。それが最低保証。更に君に野心があってより責任のある仕事をしたいというのであれば、私が責任を持って君を一人前にする。力が備われば私の椅子をあげても良い。理事会からは後継者を作れって、せっつかれてた所だしね。大変だけどやりがいのある仕事だってことは、私が保証するわ。興味本位で言ってる訳じゃないから、どうか真剣に考えて頂戴」
差し出された名刺を、京太郎は呆然と受け取った。雅枝に同じ話をされた時よりも遥かに具体的な提案に、京太郎の心もぐらついていた。このまま首を縦に振っても良いのではないかという気さえ起っていた京太郎に、アレクサンドラは苦笑を浮かべ首を横に振る。
「こういうことに勢いで返事しちゃダメよ。ゆっくり時間をかけて、それから返事をしてくれて構わないから。ああ、仮に高校を中退しても受け入れてあげるから、その辺りは心配しないでね?」
「ネリーがいる内に来てよ?」
ネリーの明るい声も、どこか遠くに聞こえる。この名刺という紙切れ一枚に自分の将来がのっているのかと思うと、とてつもなく重く感じた。
「家に持ち帰ってお師匠様にも相談して、ゆっくり考えなさい。若いんだから時間はたっぷりあるでしょう。さて難しい話はこれで終わりにしましょう。私も時間を作って来たから、面子に入れてくれない? ネリー、ちょっとそこどいてよ」
「何でネリーが!?」
「京太郎の膝は座り心地良さそうよ。特等席で京太郎の麻雀見てみたくない?」
「監督愛してる!」
言うが早いか椅子を飛び降りた勢いでそのまま飛びついてきたネリーに、椅子ごとひっくり返りそうになる京太郎である。小さい身体を何とか受け止めると、ネリーは京太郎の苦労など知らずに座り心地の良い場所を探し始めた。美少女らしい良い匂いにどきどきしている京太郎を他所に、慧宇と明華の刺すような視線がアレクサンドラに向けられる。
余計なことしやがって……と恨みのこもった視線を気にもせず、全自動卓のセッティングを済ませたアレクサンドラは早速サイコロを操作した――その瞬間、急激に運気を吸い取られた京太郎は意識を失いかけた。
相対的に急激に運気の上昇したアレクサンドラは、関係者が目の色を変えて確保したがる京太郎のオカルトを実感し、目を細める。
「うん、大人として最低だけどさっき言った条件は全部忘れてもらえるかな京太郎。十分積み上げたつもりだったけど全然足りなかった。やりたいこと、欲しいものは何でも言いなさい。君が臨海女子に来てくれるなら、私が叶えられる範囲で、全部叶えてあげるから」
ネリー来日編なのに気がついたらサンディ編になってた不思議。
これで予定していた過去編は全て終了しました。特に思いつくものがなければ次回から現代編になります。