セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編02 清澄VS龍門渕 初戦その2

 

 練習対局三半荘目。清澄側の代表はまだ参加していなかった京太郎と咲。龍門渕側は衣と、ジャンケンで代表に決まった透華である。

 

「二連戦ですけど大丈夫ですか?」

「問題ありませんわ!」

 

 その背中には炎が燃えていた。衣が他者を相手にするという場面で下手な打ち回しはできないという気合が見える。二半荘連続でというのが気にならないでもなかったが、そもそも団体戦では一人が普通に二半荘を受け持つのだから、回数はあまり問題にならないだろう。そも、智紀を勧誘するのに六徹した透華に、ダブルヘッダーがどうしたなど今更な話だった。

 

 席順は、二校しかいないことを考慮して順々に配置される。最初の親だけ、牌を引いて決めるのだ。伏せた状態の四枚の牌を一がシャッフルし、全員を促す。四人が自分の牌を決め、一斉に裏返すと――

 

「衣が出親だな!」

 

 東を引いた衣の席が出親となった。衣、京太郎、透華、咲の順番で親が回り、咲がラス親である。

 

 さて、と全員が麻雀打ちの顔になり、サイが転がる。清澄では久しく味わっていなかった、そのまま気絶するのでは、というほどの感覚が京太郎を襲った。この場に集まった人間の中で――いや、全国でも屈指の運量の女子高生三人が相手である。今が昼間で、月も欠けているから衣は本調子ではないが、素運の太さは相変わらずだった。しばらく見ない間に、気配が研ぎ澄まされたように感じる。

 

 運量だけを見れば、衣が一番である。月が欠けていて昼間であっても、透華と咲を抑えてトップに立てるのは流石としか言い様がない。それに次ぐのは咲だった。衣には頭一つ置いて行かれているが、特化した運を持っていると考えると、その差はそれほどでもない。そこから僅かに離されて透華である。運量で言えば最下位――既にマイナスになっている須賀京太郎は、もはや比べるべくもない――である透華だが、麻雀の力量ではここに集まった全員の中でも一二を争う。それは、多少の運量差ならば埋められるだけの実力だ。咲との差も、ほとんどないと言っても良いだろうが、熱くなりやすいのが透華の欠点でもある。

 

 全国を目指すに当たって、そのメンタルの制御が鍵だと京太郎は思っていたが……困ったことに、透華は気持ちが牌に乗りやすいタイプでもあった。テンションが高く、調子に乗っている時の方が、牌の引きは抜群に良いのだ。

 

 こういう話をすれば和などはSOAと一言で切り捨てるのだろうが、事実なのだから仕方がない。ひやしとーかと言い、デジタルを好む性格といい、持った資質とやりたいことが噛み合わない実に特徴的な打ち手である。

 

 そんなちぐはぐな透華でも、龍門渕の血統の力を受け継いでいることに変わりはない。鋭い気配を放つ二人を前に、咲も負けてはいなかった。太く、そして屈折した運を持った咲は、早くも六順目――

 

「ツモ、嶺上開花、ドラ2」

 

 さっくりと、1300、2600をツモ上がった。食い仕掛けからの早いアガりに、龍門渕の面々は息を呑んだ。

 

「まるでアガるのが当然といった顔でアガりますのね。流石宮永照の妹といったところかしら」

「お姉ちゃんと会ったことがあるんですか?」

「対局はできませんでしたけどね。会場で見たあの対局は、今も目に焼きついてますわ……」

 

 照と白糸台が二連覇を決めたあの日。準決勝で敗退した透華たちも会場に残り、団体決勝の対局を見た。副将までは接戦だった戦いも、大将、宮永照が出てきたことで風向きが変わってしまった。次元の違う強さというのは、ああいうのを言うのだろう。全国大会決勝。それも団体戦の大将を務めるような選手が、弱いはずはない。京太郎の目から見ても、彼女らは皆優秀な打ち手だったが、暴風を纏ってアガり続ける照の前には、ただ優秀なだけでは立ちふさがることもできなかった。

 

 どこの学校も飛ばなかったのは、最後の意地だったのだろう。点数を削れるだけ削り、決勝卓を廃墟とした後に、白糸台の優勝は決まった。

 

 その戦いっぷりは誰の眼にも鮮烈に焼きついた。透華たちも、今現在全国トップの椅子に座る宮永照を、倒すべき敵として認識している。打ちまわしの研究もかなり深いところまでやっていると聞いているが、京太郎に情報をリークせよと言ってこないのは、彼女らなりの礼儀なのだろう。

 

 尤も、照は有名なだけあって牌譜も相当な数が出回っている。研究材料には事欠かないだろうし、須賀京太郎個人で持っている情報などたかが知れている。

 

 お菓子が大好きでリスのように頬を膨らませて食べることは流石に他校の生徒は知らないだろうが、それが攻略の糸口になるとは思えない。麻雀をしている時、インタビューを受けている時の照の余所行きの顔は完璧だし、本当はそうなんだと言っても、誰も信じはすまい。

 

 風物詩になりつつある白糸台ロードも、最初は照が迷子にならないようにとの配慮から始まった。控え室から対局室に行くまでに迷子になり、危うく遅刻しそうになった照を見てキレた菫が、苦肉の策として考え出したのだ。賛否両論ある風習だが、宮永照は凄いのだというイメージを根付かせるには、一役かった演出だった。白糸台の生徒は照のポンコツっぷりを知っているため、照が迷子にならないためなら……と進んでその役を買って出ているという。

 

 絶対王者として君臨する照は、高校生の目標だ。その妹であるならば、相手にとって不足はない。前情報がほとんどなくとも、今の嶺上開花で大体は理解しただろう。透華の目から探るような色が消える。ここから先は、ただ叩き潰すだけである。

 

「ツモ、2000、4000ですわ!」

 

 やる気になった透華のキレは一味違った。咲のアガリの肝が嶺上開花にあると見るや、順目の早い段階で仕掛け、速攻でアガりに来る。

 

 手作りを基本とする全ての打ち手に言えることだが、早めに処理をされると対処の仕様がない。咲はまだどこからでも仕掛けていけるタイプではあるが、アガりの基点、そのほとんど全てがカン材にあるため、それが揃わない段階では対処が難しいのである。

 

 経験を積めばそれを技術でカバーできるのだろうが、公式戦に参加せず、部活にも参加していなかった咲はそれが圧倒的に不足していた。中学三年の時こそ淡という好敵手が近くにいたが、モモか照がいる時にしか卓は立てられなかったため、麻雀からは遠ざかっていたと言っても良い。

 

 それでここまで戦えるのだから、咲の才能も相当なものだ。大きなアガりを引き寄せた透華に流れが傾きつつあったが、運量にはまだ大きな差はない。

 

 そこから先は、透華と咲が交互にアガる展開となった。早めにアガることを念頭に置いた二人の打ちまわしに、そもそも運が細い京太郎は振らないことしかできなかった。

 

 問題は、不気味なほどに沈黙している衣だ。

 

 これまでアガらず振らずが続いている。咲と透華しかアガっていないのだから当然だが、やる気がないのかと言えばそうでもない。打ちまわしはきちんとしていたし、咲にも透華にも甘い牌は打っていない。良く集中できているのだろう。運量にもかげりは見えず、南二局を終え、南三局に入る段階になっても、まだトップは射程範囲内である。

 

 そも、衣は一回のアガりが大きい。30000点くらいまでならば、ワンチャンスで逆転が可能だ。油断していると痛い目を見るのは、相手である。

 

 京太郎は咲を横目で見た。調子は良い。良く集中できていて、透華のアガりにも食らいついていた。プラマイ0をやろうとする悪い癖も出てはいない。きちんと勝ちに向かっている。それは麻雀打ちとして当然の姿勢であるが、ただそれだけではいかにも物足りない。

 

 宮永照を打ち負かした実力が、こんなものであるはずがない。今でも決して手は抜いていないのだろうが、絶対に全力ではない。勝利に執着しておらず、大抵の相手には全力を出さなくても勝てる咲は、このように打つのが普通になってしまったのだ。

 

 それをどうにかしたくて、この対局を仕組んだ。衣ならば、咲を打ち負かすことができると信じてのことだ。南二局までを費やし、咲の観察をしていた衣が、ふっと溜息を漏らした。

 

 それははっきりと失望の色を感じさせた。衣の青い瞳が、咲を見据える。その視線に込められた感情を敏感に感じ取った咲は、思わず背筋を震わせた。今初めて気づいたといった風に、衣を見やる。お人形さんのように愛らしい少女は、宮永咲を見てにこりと笑った。

 

「お前は強いな、宮永咲。流石に、あの宮永照の妹なだけのことはある」

 

 可愛らしい見た目に反して毒舌の衣は、他人を酷評することはあっても手放しで褒めることは少ない。京太郎がやってきて麻雀に真摯に打ち込むようになり、大分改善されはしたが、根本的な所は相変わらずだった。

 

 そんな衣の思わぬ賞賛に、透華が軽く眉を顰める。衣の意図が解らない故の行動だったが、衣と咲の両方を知る京太郎には、衣が何を言いたいのか良く理解できていた。

 

 そしてそれが、衣に咲を頼んだ理由でもある。衣は正しく、京太郎の意思を汲み取っていた。笑顔のまま、衣は言葉を続ける。

 

「だが、お前は強いだけだ。お前からは麻雀に対する執着が感じられん。それは衣の仲間は皆持っているもので、清澄の他の面々からも感じるものだ。特にきょーたろからは強く感じるそれが、お前からは全くと言って良いほど感じられんのだ。それは何故だろうな?」

 

 衣の問いに、咲が背筋を震わせた。自分でも思い当たる節があるのだ。清澄の面々も、話の雲行きが怪しくなってきたことに気づく。大人しそうに見えて中々喧嘩っぱやい和が止めに入ろうとするが、久に止められていた。麻雀に対する気持ちをどうにかしない限り、咲はこの先に進めない。それを京太郎以外で理解していたのは、清澄の中では久だけだった。

 

 望外の協力に感謝しつつ、咲と衣のやり取りに視線を戻す。人に強い言葉をかけられ慣れていない咲は、既に完全に腰が引けていた。

 

「きっと、お前は麻雀を本当に好いてはいないのだろう。別にそれが悪いという訳ではない。本当に好いていなかったところで、強い執着を持ち、良い結果を出す打ち手など多くいる。衣もどちらかと言えばそうだろう」

 

 ちら、と衣が京太郎に視線を向ける。以前よりは大分麻雀に対して前向きに取り組むようになったが、衣にとってはまだまだ麻雀はコミュニケーションの手段の一つに過ぎない。例えば仲間の四人が麻雀をやめたら、衣は躊躇いなく麻雀をやめるだろう。そこが京太郎他、麻雀を愛する人間との違いである。

 

 しかし同時に、衣は自分が特別であるということを良く認識していた。絶対的に運量の違う衣は、本当の意味で世の凡人と同じ土俵では麻雀をしていない。衣の何倍も麻雀を愛し、真摯に努力する打ち手がいても、衣の才能はそれを容易く凌駕する。麻雀に打ち込むようになってからこっち、衣はそういうジレンマに苛まれるようになった。自分との明確な差を自覚するにつれ、相手に対して申し訳ないと思うようになってしまったのだ。

 

 それを成長と、透華は喜びもした。京太郎もそういう気持ちの変化は嬉しく思っている。良くも悪くも子供のようだった衣が、人を思いやるようになったのだ。これほど嬉しいことはないと思う反面、情動の変化はまた、衣に別の面を生み出していた。

 

 その別の面を出した衣が、笑みの種類を変えていく。より攻撃的になった衣の気配に、咲は椅子ごと退いた。普通でない感性を持った咲には、衣の威圧感が形になって見えるのだ。自分を敵視している衣の気配は、咲にとってまさしく『魔物』である。

 

「誰がどう打とうとそれは自由だ。衣にそれを強制する権利などない。だがお前は衣が知る限り、最も麻雀を愛する男の隣に立っている。強いだけのお前がそこにいることに、衣は我慢がならない。だから衣は、お前を叩き潰してやることにした。残り二局、精々逃げ切ってみるが良い」

 

 衣の気配がはっきりと変わる。気持ちが切り替わったことで、場の空気まで変わった。全員の運が上昇したことで、なし崩しに無視されていた支配が、力を取り戻したのだ。ここから先、聴牌をするのも容易ではなくなる。衣の支配を上回らなければ、例え衣がアガらなかったとしても、支出は免れない。

 

 敵意を向けられた咲は、完全に及び腰になっている。衣とは今日が初対面だ。態度が気に入らないのだとしても、初対面の人間にここまで敵視される理由が咲には解らない。

 

 それこそが衣に敵視される理由でもあるのだが……それは咲ではなく、龍門渕の事情だ。衣が本気になったことで、透華が肩の力を抜く。ここから衣の支配を破るのは、骨の折れる作業だ。麻雀で手を抜くのは透華の流儀ではないが、今日の目的は宮永咲を衣が叩き潰すことである。龍門渕の面々は、歩やハギヨシまで含めて、それを理解していた。

 

 衣がやる気になったのなら、それに水を差すこともない。

 

 それに、龍門渕透華は今、須賀京太郎が龍門渕を選ばなかった最大の理由を目の前にしていた。この女がいなければ、と思ったのは透華だけではない。純も、一も、智紀も、歩も、皆が同じ思いだった。

 

 無論、京太郎のことを大事に思っている彼女らはそれを口にしたりはしない、京太郎が悩んだ末に決めたこと。それを尊重したいという思いがあるのもまた、事実だからだ。

 

 しかし、黒い感情と無縁でいることはできない。尊重するべき、納得するべきと思っていても、楽しみにしていた学園生活が宮永咲というただ一人のせいで台無しになったのは事実である。その元凶が目の前にいて、かつ、合法的に叩き潰すことのできる環境が整っている。制裁のハンマーを振るうのは、麻雀においては最も強い衣だ。やっておしまいなさい、という気持ちを顔に出さないようにしているのが、京太郎にも解った。

 

 咲にとっては完全にアウェーの空気である。元来人見知りをする咲に、この空気は辛いに違いない。助けを求めるように咲は京太郎に視線を向けるが、元よりこの状況を望んだのは京太郎である。手はない、と首を横に振ると、咲はいよいよ顔を青くした。

 

 南三局。透華の親番である。

 

 衣の支配が発揮されたこの局、京太郎の配牌は最悪だった。淡と違って配牌にまで干渉する力はないはずだが、不運を押し付けられた影響が配牌にまで出ているのだろう。こうなると元の運が細い京太郎にはどうしようもない。鳴いて流れを変えるという純のような戦法ができれば良いが、咏から解禁されていないため、それもできない。

 

 自分のことは、まぁ良い。問題は咲である。顔を見れば浮かない表情をしていた。あまり良い配牌ではないのだろう。普通ならばそれでも十分に脅威であるが、咲は元々の運が普通ではない。イーシャンテンくらいまでならばこんな状況でもたどり着けることだろう。

 

 そして、その中にカン材があれば、その先にも進むことができる。衣が場を支配しても、嶺上牌はまだ咲の方に寄っているはずである。イーシャンテンになってから一回。それで聴牌して、さらに一回。強引な力技であるが、宮永咲ならばそれも可能だ。

 

 衣の圧力をひしひしと身体に感じながら、局は進んでいく。

 

 八順目。咲の顔に光が差した。これでアガれる。そんな希望を持った顔である。準備が整ったのだ。それを察した京太郎は、衣に視線を送った。下手を打つと、このまま咲に押し切られる。場を支配し、本気を出した状況を咲の得意技でいなされたとなれば、次の局で衣のアガる目は少なくなる。

 

 ここが勝負所というのは、衣にも解っていた。大丈夫なのか、という京太郎の視線での問いに、衣は力強く頷いて見せた。勝つ算段があるということなのだろう。自信に満ちた表情は実に頼もしいが、少し離れてみればウサ耳をつけたお子様である。これだけ圧倒的な雰囲気を纏ってみても、かわいらしいという印象は少しも揺るがない。美少女というのは得なのだなと詮無いことを考えつつ、これは、と思った牌を切る。

 

「カンっ!」

 

 案の定、咲はそれに飛びついた。カンドラが捲られ、嶺上牌が咲の手の内に入る。手出し――つまりは手が進んだということだ。表情に出やすい咲は、そこから手の進行状況も読みやすい。咲の手は間違いなくテンパっている。おまけに待ちも悪くはない。最低でも両面……カンした牌が『四』だったこと、切り出した牌の出てきた場所から見るに、その周辺が怪しい。

 

 河と自分の手牌も鑑みると、待ちは3-6と言ったところだろう。カンドラが乗っていればいくらでもバケる手であるが、カンドラは残念なことに『白』である。咲の手に字牌が残っていないことは、確信が持てた。値段はそれほど高くはない。

 

 だが、もう親番のない衣には、値段と同時にアガられることそのものに問題がある。そろそろアガっておかないと咲ならばアガってしまう。こうなったら差し込めるものならやるつもりで、衣の手を推理し――あぁ、と思わず京太郎の口から声が漏れた。衣の意図を理解したのだ。

 

 ちらり、と衣が視線を向けてくる。悪戯を思いついた、まさに子供のような表情の義姉に、京太郎は苦笑を浮かべる。目当ての牌があれば差し込んでも構わなかったが、残念なことに京太郎の手牌にはない。透華を見る。彼女も衣の意図は理解しているだろう。透華ほどの読みがあれば、衣の欲しい牌も解るはず。期待を込めて見やると、透華は不敵に笑って見せた。堂々と、もったいぶった動作で河に切り出された牌は、京太郎が予想した、衣の欲しい牌である。

 

「カン」

 

 透華の牌に、衣は食いついた。手牌から三枚を晒し、透華が河に捨てた牌を持って行く。

 

 そして淀みのない落ち着いた動作で、嶺上牌に手を伸ばす。咲の口から、小さく声が漏れた。嶺上牌に関することであれば咲は鋭すぎる感性を持っている。それが衣のアガり牌だと、感性で理解したのだろう。咲の視線を吸い寄せるように、大きな動作で牌を引き寄せた衣は、淡々と宣言した。

 

「ツモ。嶺上開花、役牌、ドラ7、赤赤。三倍満。6000、12000だ」

「責任払いですから、私から24000ですわよ」

「む、そういうものなのか。悪いな透華」

「いいえ。勝負は時の運。謝る必要はなくってよ」

 

 和気藹々と会話する二人を尻目に、咲は呆然と卓上を見ていた。自分のお株を奪われた挙句、それでアガられてしまった。其の事実は咲の気持ちに大きく影を落とすことになる。衣の支配を断ち切り、流れを完全に自分のものとするには、この局しかなかったのだ。咲がここであの牌を自分で引き寄せてアガっていれば、この半荘を制したのは咲で間違いなかっただろう。

 

 だが実際には、衣がアガった。今のアガりで、運が急速に衣に傾くのが京太郎には解った。脇からの出アガリであるが、三倍満である。小場で回っていた場に、この一撃は決定的だった。勝負手をアガり、トップに立った。咲にまだ親は残っているが、流れに乗った衣をどうにかするのに、今の咲は役者不足だった。

 

 残り一局。風下にたった咲が挽回するには、十分な時間とはいえなかった。

 

 結局、南四局は衣の海底ツモで幕を閉じた。終わってみれば衣がダントツである。

 

 嶺上開花で流れを変えられたのは、誰の目にも明らかだった。衣の力を見せ付けられた清澄のお通夜ムードは半端ではなく、特に自分のお株を奪われた咲は意気消沈していた。自分の勝利を確認した衣は、点棒ケースをぱたりと閉じると、咲に視線を向けた。

 

「こんなものか」

 

 仲間をこき下ろす発言に、観客をしていた優希の顔に緊張が走った。付き合いは短いが、このタコスが見た目通りの直情径行で、人情に厚いのは京太郎も良く解っている。咲を思っての変化を京太郎は嬉しく思ったが、それは今日の目的には合わないものだ。

 

「姉さん、その辺で……」

 

 間に入って来ないように、早めに助け舟を出す。今日の目的は咲に闘志を植えつけることであって、龍門渕と清澄を不仲にすることではない。話ができるだけ当事者だけで完結するように誘導するのは、両方と仲良しである京太郎の仕事のようなものだった。

 

 企画を説明してある龍門渕は、当然それに乗ってくれると思っていた京太郎だったが、割って入ってきた自分を見る衣の視線に、違和感を覚えた。意図に応じる、というものではない。少し意地悪をしてやろうという、年上特有のものだった。

 

「お前のために京太郎が特待推薦を蹴ったと思うと、姉として心苦しいな」

「……特待推薦?」

 

 声を挙げたのは久だったが、清澄全員が京太郎を見ていた。あまり周囲に聞かせたいものはないので、誰にも言っていない……ような気もする。できれば黙っていてほしかったのだが、推薦を蹴ったのは事実だし、それで衣たちに寂しい思いをさせてしまったのも事実だ。何より口から出た言葉は、もう取り消しようがない。

 

「ええ。龍門渕から特待推薦の話が来てました。そんな実績はないからと断りましたが」

「私が掛け合ったのは事実ですけれど、それだけで特待推薦を出すほどおじい様も甘くはありませんわ。勝ち取ることができたのは、貴方が有能であればこそでしてよ」

「その節はお世話になりました」

 

 断った身としては、透華の献身が心苦しくもあるが、事実として龍門渕ではなく清澄を選んだのだから、京太郎には言い訳のしようがない。

 

 その、清澄を選んだ理由。宮永咲が京太郎を見ていた。お前がいるから清澄にした、とは咲には一言も言っていないが、親しい人間にはそうと見抜かれることが多かった。白糸台の推薦を持ってきてくれた照にも、通学距離の関係で鶴賀を選んだモモにも、自分の代わりに照の推薦を受け取る形で白糸台に進学した淡にもだ。気づいていないのはおそらく、京太郎の周辺では咲本人だけである。現に咲は『思いもしなかった』という顔をしていた。

 

 間の抜けた咲の顔に、京太郎は思わず苦笑する。いつものノリで頬を突いてやりたくなる衝動を、何とか抑えた。公開する予定だった情報ではないが、バレてしまったものは仕方がない。後は、なるようになれだ。

 

「そのお前がこの体たらくだ。自分が得意とするところの技を盗まれる。それは良い。全国まで行けばそういう打ち手もいるだろうし、プロでもできる奴はごまんといる。だが、衣がこれをできたのは、お前が手を抜いていたからだ。お前がきちんとした気持ちをもって衣に相対していれば、こうも容易く勝てはしなかっただろうな」

 

 その言葉からは、手を抜いていなかったとしても自分は負けないという、強い自負が感じられた。真剣に麻雀に打ち込むようになった衣に、気持ちの上での隙は少なくなってきている。それだけに、今の咲の定まっていない態度にムカつきを覚えるのだろう。気持ちは解らないでもない。程度の差こそあれ、それは京太郎も感じているものだった。

 

 強い奴が全力全開の実力を発揮せずに、燻っている。それは同じ麻雀打ちとして我慢のならないものだった。咲の力はこんなものではないのだ。本当の宮永咲の力を知っている人間の一人として、京太郎は咲が全力を出せるようになることを、強く望んでいた。

 

「そういうお前が、京太郎の隣にいるのは、やはり衣には我慢がならない。どうだ、京太郎。今からでも遅くはないぞ。龍門渕に来ないか? 衣たちが全国まで連れて行ってやるぞ」

 

 衣も興が乗っているのだろう。話が段々と咲個人から集団へと広がってくる。全国へ行くのはどちらか、という話になると、外野に徹していた久たちも黙っている訳にはいかなくなる。

 

 このまま一触即発、というのでは具合が悪い。咲の覚醒はいまだ果たせていないが、このままでは別の良くない結果が起こるかもしれない。

 

 察した京太郎が『もうその辺で』と勝手に話をまとめようとした矢先のこと。

 

 唐突に、咲の気配が変わった。

 

 照とモモと咲とで、四人で対局したあの日には及ばないものの、それに近い気配がびりびりと伝わってくる。衣を止めようとしていた和も、動きを止めていた。オカルトを頑なに否定する和ですら、今の咲には何かあると理解したのだ。

 

 衣が口の端をあげて、にたりと笑う。望んだ敵は、今目の前にあるのだ。抜きん出た力を持った衣は常に、対等に戦える相手に飢えていた。強敵の登場を、喜ばない道理はない。

 

「京ちゃんは、渡さないよ」

「……お前の言葉には色々と言いたいことはあるが、ともあれ良い気迫だ。これならきっと、楽しめるな」

「何なら今ここで決着をつける? 私はそれでも構わないよ」

 

 一触即発の空気に、しかし衣は首を横に振った。

 

 これに安堵の溜息を漏らしたのは透華である。ここで衣が満足しきってしまうと、今後のモチベーションに大きく影響する。流石に団体戦に出ないとは言うまいが、県大会連覇のために、衣の存在は必要不可欠だ。龍門渕の麻雀部は正しく衣のために集まった面々であるが、そのためだけに行動している訳ではなかった。麻雀には各々思いいれがあり、皆それなりに麻雀のことを愛していた。

 

 更に透華には別の思惑もある。

 

 それは、インターミドル覇者の和を現実に見て、より強い思いとなったのだろう。衆人環視の中で和を下し、大いに目立つ。どちらが真のアイドルであるのか。そんなことを考えているに違いない。

 

 男であるからか、京太郎には透華の考えが不毛なことのように思えた。

 

 方向性は大分異なるが、どちらも美人かわいいには違いない。アイドルとしての需要もまた然りだ。それで良いじゃないかと思うのだが、多数決で決めるとなれば、和の方に軍配が上がるだろうことは、何となく透華にも解っているのだろう。京太郎もどちらかにしか投票ができないのであれば、心の中で透華に謝りつつも和に入れると思う。

 

 きっと、透華はそういう男の思考が許せないのだ。頂点に立とうという透華の欲は並々ならないものがある。そのために努力し結果を出してきた透華は、それはそれですばらしい。容姿を維持するのにも手間がかかるのだということは、メイドの一や歩からも良く聞いている。

 

(女ってのは大変なんだな……)

 

 最終的にそういう感想しか沸かないのは、やはり男だからなのだろう。本当の意味で女性を理解する日は、まだ遠そうだった。

 

 そんな、透華とはまた違う魅力を持った衣は、卓に視線を向けた。

 

 綺麗に理牌され、裏返った牌が144。裏返されて上がって来る。

 

「決着とお前は言うが、先の勝負は衣の勝ちだった。負けたお前が衣に挑むのならば、それなりのものを見せてもらわなければ困る。そうだな……この中から『東』を引いてもらおうか。三回引いて、その内1枚でも『東』ならば、お前の挑戦を受けよう」

 

 咲は牌に視線を向けた。144枚の中から4枚しかない東を引くのは、決して簡単なことではない。これを勝負とするならかなり分の悪い勝負と言える。無理難題に近いその提案に、咲は沈黙で応えた。あまりの言い草に怒っているのではない、真剣に卓上を見つめる咲が既に勝負を受けていることは、誰の目にも明らかだった。

 

 咲が無造作に卓上に手を伸ばす。

 

 選んだのは京太郎の手牌として競りあがってきた牌の、左から二番目。静かに裏返した牌は、何と『東』だった。その快挙に清澄からだけでなく、龍門渕からも歓声が挙がるが、咲の動きはそれで止まらなかった。二度、三度、山に手を伸ばし、牌を引く。衣から提示された回数は全部で三回。その全てを使い切り、咲が選んだ残り二枚の牌は二枚とも『東』だった。

 

 平然と、そして憮然とした表情で無理難題を成し遂げた咲は、衣を見下ろしていた。好敵手の宣戦布告に、衣は笑みを深くする。

 

「再び見えるのを楽しみにしているぞ、みやながさき」

 

 衣も山に手を伸ばし、一つの牌を選ぶ。

 

 都合、四枚目の選択はまたしても『東』だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これで良かったか?』

「少し肝を冷やしたけどな、上々だよ。ありがとう姉さん。それと、悪役をやらせてごめんな」

『構わん。好敵手が得られるのは、衣にとっても良いことだ。それより姉は、弟の清澄での立場が心配だ。衣たちと引き合わせたことで、いじめられたりはしていないか?』

「少し小言を言われたけど、そのくらいだよ。心配してくれてありがとう」

 

 和や優希などは衣の尊大な態度が気に障ったようだが、咲本人が気にしていないどころか衣を認め闘志を燃やしていることで、それを口にすることはなかった。不満はまだ二人の中で燻っているだろうから、フォローは必要だろう。少し難しいだけで良い子でかわいい人だ、というのは時間をかければ解ることである。和にも優希にも、衣の友達になってほしいというのが、京太郎の希望だ。

 

 逆に久とまこの上級生コンビには、咲を覚醒させることとなった今回のことは、好意的に受け止められていた。

 

 むしろ、汚れ役を押し付けてしまってすまないと謝られたくらいだ。咲の気持ちをどうにかしなければならないとは二人も常々思っていたらしい。

 

『そうか。きょーたろの役に立てたのならば、衣は満足だ』

「咲をどう思った?」

『きょーたろが推すだけあって強いな。受けた感じは、宮永照や神代小蒔にも匹敵するだろう』

「あの二人とは姉さんは戦わなかったんだよな?」

『うむ。巡り合わせが悪かったのだな。個人戦に出ていればまた違ったのだろうが……』

 

 その口調からは、今年も個人戦に出るつもりがないのだということが窺い知れた。出る出ないは衣の自由であるが、勿体無いような気もする。出てほしい、というのが京太郎の偽らざる気持ちだったが、それを無理強いすることはできなかった。京太郎が出てほしいと強く頼めば、きっと衣は出てくれる。それが解っているだけに、余計に頼みにくい。

 

 衣以外の四人は出るというし、まだ来年もある。一年あれば気が変わることもあるだろう。衣の個人戦については、気長に行くのが良いのかもしれない。

 

『ここから先はきょーたろの仕事だ。せっかくの好敵手だからな。更に磨きをかけておいてくれると、衣はとても嬉しい』

「姉さんの期待に応えられるように頑張るよ』

『ではな、きょーたろ。名残惜しいが今日はさよならだ』

「またな、姉さん。今日は本当にありがとう」

 

 

 

 

 


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