セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編03 清澄麻雀部改造計画①

「……………………」

「どうした優希?」

「何だか何年も一言も発していなかった気がするじょ」

「悪い。ドリル難しかったか? 何だったらもう少し簡単なのを用意するが」

「それは大丈夫だじょ。タコスまで作ってもらったんだからな。これくらいクリアしないと申し訳ないじぇ」

 

 黙々とドリルをこなしていく優希を見ながら、京太郎は彼女の評価を改めていた。

 

 対局中には余計なことに思考のリソースを取られないようにするべきだ。点数計算などはその『余計なこと』の筆頭である。自分の手がいくらになるのか。またどの程度の手をツモったり直撃すれば逆転することができるのか。長く麻雀に親しんでいれば誰でもある程度まではスムーズにできるのだが、優希の場合は計算そのものが苦手であったため、特に逆転にどれくらいの手が必要なのかの判断に時間がかかってしまうのだった。

 

 相手がコンピュータならばまだしも、人間、それも競技麻雀の場ではそれは問題だ。ルールブックには持ち時間に関する明確な規定はないものの、各駅停車では遅延行為とみなされかねないし、そもそも長考は頭のエネルギーを余分に使う。

 

 優希の計算に対する苦手意識をなくすのは急務だった。ドリルをやらせようというのはその解決のために京太郎と久が一緒に決めたことである。

 

 しかし高校一年の今になってから算数ドリルだ。どれだけ効果が見込めるか未知数であるし選手に座学が好まれないことを京太郎は経験として知っている。優希のような落ち着きのないタイプは特に座学を忌避するイメージだったのだがこのタコス、物覚えは全く良くなく文句も多いが、与えられた課題を途中で投げ出すようなことはしなかった。

 

 見た目に反して根性があるし、仲間思いで義理堅い。京太郎からすれば実に友達がいのある少女だ。タコスが大好きだというから作ってきたら、目を輝かせて喜んでくれたのも評価が上がった原因の一つである。一歩一歩遅くとも着実に前進する優希を見るのが、京太郎は楽しみになっていた。

 

 にこにこしながら珍獣四号(優希)の監督をしている京太郎を、二号()は複雑な思いで見つめていた。衣との対戦を経てある程度完成を見た咲は、他のメンバーのフォローが仕事だった。具体的には和とまこの経験値である。特にネット麻雀が主戦場であった和は、リアルでの強敵との対戦回数が不足していたからだ。

 

 インターミドルを制覇したという華々しい実績こそあるものの、部員数に恵まれていた訳ではない和の中学では対戦数はそれほど確保できなかったし、そもそも和と対等に打てる人間が同級生以下にはいなかった。ネットと同じようにリアルでも打つことができればというのが彼女の目指す所で、今はそれを部内で補っている形だ。

 

 理想を言えば対戦相手を変えて行うのがベストなのだが、団体戦出場ぎりぎりのメンバーしかいない清澄麻雀部ではそれも無理からぬことだった。実績がなく予算も組めない現状では県内県外の学校と練習試合を組むのも難儀する有様である。

 

 経験値を欲しているという点ではまこも一緒だ。実家が雀荘ということもありリアルでの対戦数こそ部内で圧倒的なものを誇っているが、まこはオカルトの性質上、特殊な人間と戦う程に強くなる。和とは逆に量よりも質を求めているような状況だ。

 

 咲も久も特殊な打ち回しをするタイプであるが、そういう相手との対戦を数多くこなすことが急務であると言える。とは言え、これは単純に回数をこなせば良い和と比べても更にハードルが高い。特殊な打ち手というのは数が少ないからこそ特殊なのであり、近隣では条件に合致する相手にさえ難儀する有様だ。龍門渕が県大会を前に練習試合を組んでくれたのは、まこの立場からすれば奇跡と言っても良いものだ。

 

 龍門渕との対戦を経てまこの麻雀は一段階上にパワーアップしたが、であるからこそ、自分の力不足を痛感していた。ならばせめてそれを回数で補うしかない。今年入部した一年は四人が四人とも特殊な打ち手である。そこから吸収できるだけ吸収してやると、部員の中ではある意味、一番気持ちが高まっているのがまこだった。

 

 部長である久からすれば、理想的な精神状態と言えるだろう。特に長期的な視点に立って選手の成長を考えることができる京太郎が入部したことが、久にとって僥倖だった。部長としての役割の一部を京太郎が肩代わりすることによって、久は気持ち的にも大分余裕ができていた。

 

 今は主に優希の面倒をみてもらっているが、久の目から見て優希は目覚ましい進歩を遂げていた。自分でやっていたらここまでにはならなかったという確信が持てる程だ。優希は元から人懐っこい性格ではあったが、今ではペットか愛犬かというくらい京太郎に懐いている。異性でないとできないことはあるのだなと痛感する毎日だ。

 

 中学時代は、宮永照をおかしで餌付けした『珍獣マイスター』として名が知れていたらしいが、珍獣(タコス)の有様を見るとその手腕に唸らざるを得ない。彼ならば自分が引退した後も、珍獣揃いの一年生を引っ張って行ってくれるだろうと久も内心で安堵していた。

 

 これなら自分が引退しても部は大丈夫だろう。女子が四人になるというのは不安であるが、今年活躍すれば部員の問題は何とかなる……かもしれない。

 

 ともあれ、来年のことよりも今年のことだ。久と京太郎。清澄麻雀部のブレイン二人が顔を突き合わせて考えた結果、とにかく今の清澄に一番必要なことは――

 

 

 

 

「バイト……ですか?」

「そうよ。まこの実家が雀荘なのは知ってるでしょ? そこで打ち子をしてほしいの」

 

 久も含めた全員の育成方針を検討した結果、早急にテコ入れをしようとなったのが和だった。他のメンバーはゴールを模索している最中だが、和はネット麻雀を打っている時は最高の状態であるという明確なゴールが見えている。地力は既に保証されているのだから、それを発揮できるようになるだけで良い。

 

 当日のコンディションを最高な状態にするというのも本来は中々難しい話だが、京太郎が見る限り和は対局中の精神的な揺らぎが現時点でも驚く程少ない。このまま経験を重ねていけば十分にネットでの力を発揮できるようになるだろうと見ている。

 

 そのためには回数が必要な訳だが、男子の京太郎を含めて部員六人の麻雀部ではそれも限界があった。何しろこの内二人に予定が入ってしまうと面子が固定され、三人に予定が入ると卓さえ立たなくなる。これから県大会に向けてという時期に、特に回数が必要な和にとってそういう事態は避けたいという久の発案だった。

 

 もっとも、この案は打ち子を和が受け入れてくれるかというのが一番の問題だった。家庭環境を考えれば親の許可も得ないといけないだろう。和本人は部で打つので十分だと思っていたようだが、久と京太郎の説得によりまず本人が折れた。後は親の許可、と京太郎と久が不安に思っていると、これは和があっさりと獲得してきた。部活動の一環で先輩の実家ですということで押し通したらしい。

 

「ないと思うけど、雀荘でおっさんとトラブルになったらどうするつもりだ?」

「父から言われました。その時は『私の両親は検事と弁護士です。最高裁まで戦う覚悟はありますか? 私はあります』とでも言ってやれと」

「火に油を注ぐことになりそうだけどまぁ、そういう気持ちでいるなら大丈夫だろう」

 

 澄ました様子の和は、内心で興奮しているようにも見えた。人生初のバイトならば無理もない。その初バイトが雀荘の打ち子というのも中々ないことだとは思うが、何でもそつなくこなしそうな和なら大丈夫だろうと京太郎もそれ程気にしてはいなかった。

 

 まこの実家に向かう道のりである。和一人じゃ不安だから須賀くんも行ってきてという久の指示で、和がシフトに入る時は一緒に入ることになったのだ。場の空気を知るために和に先立って昨日からバイトを開始した京太郎の感じる所によれば、お客さんは皆行儀が良く、初見の京太郎にも良くしてくれた。

 

 女子麻雀が競技麻雀の主流ということもあって、巷の雀荘には女性も多いのだが、まこの実家は男性の方が多くまた年齢層も高めだった。おじさんとおじいさんが主流で若者はあまり顔を見せない。

 

 それで大丈夫かと思わないでもないが、普通はおっさんじいさんの方が金を持ってるものだとまこのお父さんは笑っていた。昨日だけで小遣いをやろうとおじいさんたちに声をかけられまくった京太郎である。納得するより他はない。

 

「それに、何かあったら京太郎くんが守ってくれますよね?」

「当然だろ。女の子を守るのは男の義務だからな」

 

 京太郎の物言いに、和は小さく溜息を吐いた。

 

 かっこつけで言っているなら和も素直に笑うことができたのだが、京太郎はこれを本気で言っているらしい。短い付き合いではあるが、どうも彼には女性を立てすぎる所がある。どういう環境で暮らしてきたらこうなるのだろうと同級生である京太郎の過去を思うと心が痛んだが、和も年頃の少女である。同級生の男性に持ち上げられてそれ程悪い気はしなかった。

 

(これじゃあ、宮永さんがああなのもうなずけますね……)

 

 少々方向音痴なところはあるが、宮永咲という少女は何もできないという訳ではない。ところが京太郎が絡むと途端に精神的な急ブレーキがかかるようなのだ。

 

 早い話がぽんこつである。

 

 そのぽんこつを生み出したのがこの京太郎(ダメ女製造機)だ。お世辞一つを言うのも如才がない。食堂に行く時も先に立ってドアを開けてくれたり、席が隣になった時には椅子を引いたりしてくれる。加えて麻雀に対する見識は部内でも一番だ。長いこと真面目に勉強したのだろうと解るその知識は、他人に無頓着な和でさえ一角の敬意を払う程だ。

 

 こんな男性が三年間隣にいたらそりゃあああもなるだろうとしみじみ思う。自作らしい京太郎の弁当のあまりの彩りの華やかさとおいしさに愕然としたのは昨日のこと。女子が五人もいて一番女子力の高いのが男性の京太郎というのも何とも悔しい話だった。

 

『それはあれだね。その少年は和のことが好きなんだよ』

 

 久しぶりに電話で話した母は、同級生の少年のことを聞くや開口一番にそう言った。真面目一辺倒な父に比べて突飛な所のある母はたまに娘の和でもついていけないくらい話を飛躍させることがある。

 

『どこをどう聞くとそう思うんですか?』

『親の贔屓目込で言うと、同級生に和がいて恋をしない少年はいないと思うよ。それにそういう付きまとい方をするのは恋をしてる少年特有のものだね』

 

 恵くんもそうだったし、と電話の向こうでにへらと笑ったのが解った。母はことあるごとに父の方が言い寄ってきたと言うのだが、今の入れ込みっぷりを見るに母の方が言い寄ったというのが真実だろうと和は思っている。大体にしてあんな寡黙で何を考えているのか解らない父が女性に言い寄るなど想像もつかない。

 

 およそ共通項のない両親であるがそれでも深い絆で繋がっているらしい。和が母と電話をするのは久しぶりのことだが、両親は三日と開けずに電話で声を聴いているそうだ。仲睦まじくて良いことだと思うが、娘としてはたまに鬱陶しくも思う。世間的にはああいうのをバカップルと言うのだろう。共通項のなさそうな両親が一体どういう経緯で夫婦になったのか。興味がないと言えばウソになるが、聞くと砂糖を吐き続けることにもなりそうなので怖くて聞いたことがない。

 

『私も気になるから、機会があったら家まで連れてきてよ』

『京太郎君を家にあげるんですか?』

『本人があがりたいって言うならそれでも良いと思うよ。そうじゃなくても、よっぽどご近所さんじゃなければ車で送ってくって建前が使えるしね。ちょっと恵くんに面接してもらわないと』

 

 何だか話が大きくなってきた。別に和は京太郎とお付き合いをしている訳ではない。ただの同じ部に所属する同級生だ。夜道を送った帰りにその同級生の父親から面接されるというのは、心の広そうな京太郎をしても苦行ではあるまいか。

 

 友人としては、ここで全力で阻止するべきなのだろう。自分が京太郎の立場であるとして、友人の親に面接をされるなど気分が良いこととは思わない。男女の性別の差こそあれ、この感性はそう隔たりのあるものではないと確信が持てた。そうなったとしても京太郎は笑って許してくれそうな所が、和に一層の罪悪感を齎す。

 

 だがそれでも、和の口から否定の言葉は出てこなかった。『彼は自分に恋をしている』という母の冗談が心に残っていたからだ。まさかそんな、と思う気持ちが大半であるものの、もしかしたらという気持ちを捨てきれない。仮にそうであったとして、咲が彼に好意を向けている現状、待っているのは面倒くさい未来でしかないのだが、気持ちを確認するくらいはという気持ちを抑えきれなかったのだ。

 

『バイトの時、家まで送ってもらいます。お父さんにはそのように伝えておいてください』

『たまにはお話してあげたら? 恵くん寂しがってたよ』

 

 父が寂しがっている様など想像することもできなかったが、母が言うのであれば本当なのだろう。思えば最近は進学の意見が対立したことなどから、それ以外のことでも所謂塩対応をしてしまったような気がする。親子仲が悪くて良いことなどあるはずもない。母の願いだ。少しくらいは優しくしても良いかもしれない。

 

「京太郎、すまん。すぐに4卓に入ってくれ」

 

 初バイトの日にバイト終了後のことを考えていた和は、いつの間にかバイト先に到着していた。するとすぐにまこがすっ飛んでくる。制服らしいやたら今風なメイド服はまこが考案したものらしく、主に男性客に好評なのだそうだ。

 

「何かありましたか?」

「何かも何も……昨日おんしと打った島さんらが、今日も京太郎が来るならいくらでも待つ言うて聞かんのじゃ」

「それは……光栄な話ですね」

 

 手馴れた様子でエプロンを付けた京太郎が控室からホールへ移動すると、わっとおじさん達の歓声が聞こえた。おそらくこれが島さんたちなのだろう。祖父ほど年齢が離れているだろう人たちに歓迎されている同級生の姿を見て、和は一抹の寂しさを覚えた。

 

「まぁ、気にすることもなかろ。人間、向き不向き言うもんがあるからな」

「私は客商売には不向きでしょうか?」

「やってもみんうちからそんなもん解らんじゃろうが。そうじゃなくて、京太郎のことじゃ。ありゃあ客商売に向いとるき、自分と比較せんでもよかろうっちゅうことじゃな」

「ああ、そういう……」

 

 和が今まで見てきた人間の中で、京太郎の人当たりの良さは群を抜いていた。客商売が天職であったとしても不思議はない。それに比べて自分が客商売に不向きな性質であるということは、和も自覚していた。同じ一年なのにと気に病むことをまこは気にしてくれていたのだろう。久と言い良く気の回る先輩たちだ。

 

「別に気にしませんよ。京太郎くんが向いていて、私は向いていないかもしれない。ただそれだけのことです。彼のことをすごいな、と思ってもそれ以外のことはありません」

「なら安心じゃ。他人を素直に褒められるいうんは和の美徳じゃな」

「褒めても何も出ませんよ」

 

 軽口を言いながら更衣室に入った和は手早く雀荘の制服に着替えた。

 

 誰にも言っていないことだがこれがバイトを引き受けることにした最大の理由である。ふりふりしたかわいい服が和の麻雀以外で継続している趣味の一つだ。

 

 着替えてフロアに出ると、主に男性客の視線を集めているのが解った。それにぞくぞくしたりはしないが、視線を意識した和は僅かではあるが不満を覚えた。肝心の京太郎の視線がほとんどなかったからである。ホールに出て来た時にちらっと見ただけで今も視線は卓上に集中している。

 

 知識が深く判断も早い京太郎だが、麻雀をしている時の集中力は全中を制覇した和でさえ目を見張るものがあった。

 

 『見るともなしに全体を見る』という表現がその昔何処かのマンガで使われたと聞いている。京太郎の意識はそんな風に卓上だけでなく、共に卓を囲んでいる対戦者にも向けられていた。和の視線は卓と手牌を行き来する程度だが、横で見ていると京太郎の視線が忙しなく動いているのが良く解る。

 

 人間と闘っているんだから人間も見ないといけないというのは京太郎の弁だ。

 

 ただ欠点もある。全方位に向けた集中力だけあって、京太郎のそれはあまり長続きしない。連続では精々四半荘が限界のようで、それ以上は休憩を挟まないといけないらしい。京太郎曰く頭のスタミナが全然足りず、ペース配分も上手くいっていないそうだが、高校生のアマチュアでこれだけ集中できるのであれば大したものだと和は思った。

 

 そしてそれだけに集中しているかと思えば、それだけではない。部活や競技会場であればそれでも良いんだろうが、ここは雀荘で相手にしているのはそこの客である。打ち子として打っている以上、完全に無愛想という訳にもいかない。ここがまこが『向いている』と評した所なのだろう。

 

 どういう状況で誰に話しかけられても笑顔で対応し、時には冗談も言って笑いを取り、しかし牌は全くおろそかになっていない。背筋はピンと伸びていて牌捌きも美しい。

 

 競技としての麻雀でこそ彼は結果を出せていないが、およそ『他人に気持ちよく麻雀をさせる』ということにおいて、彼の右に出る人間はそういないのだろう。振り返ってみれば、部活で打っている時も彼は常に気を配っていた様に思う。

 

 会話が途切れれば会話をつなぎ、卓についていない時には飲み物やお茶請けにも気を配っている。たまに作ってきてくれるお菓子はとてもおいしく、部員全員に評判が良い。優希もとても懐いており、私は京太郎に出会うために清澄に来たのだじぇ! と豪語する始末だ。学食のタコスよりも京太郎が作ってくれるタコスの方が美味しいようで早速餌付けされている。流石珍獣マイスターという評判が和のクラスにさえ届いてくる程だ。

 

 そんな気を配りながらも当たり牌だけはきっちりと止めている。ひっかけだろうがストレートな攻めをしようが常連客の当たり牌を京太郎が振ることはなかった。これでアガれるのであれば勝ち組になれるのだろうが、結局は他の人間が振るかツモるかする。京太郎のいつものパターンだ。

 

 振らないがアガれもしないため、ラスはないがトップも取れない。それでも部にいる時よりは振れ幅は小さいように思う。強い相手ほど弱くなるというのは京太郎が良く主張する『偶然』であるが、それを事実と捉えて考えるのであれば、雀荘の客たちは清澄麻雀部よりも数段実力が下ということになる。

 

 回数をこなすべしと指示を受けている自分はそれでも良いが、京太郎はそれで良いのだろうか。部室で打っていた方が彼のタメになるというのであれば、自分のためにバイトに付き合わせるのははっきり言って無駄だ。

 

 自分以上に客商売に向いていなそうな咲を連れてくるという選択肢もあったはずだが、久は京太郎が行くように指示を出したし、京太郎もそれで納得しているようだった。

 

 ならばそれで問題ないとは流石に和でも考えることはできない。面倒見の良い京太郎であれば、不本意なことでも笑顔で引き受けるはずだ。自分のために同級生に不本意なことを引き受けさせてしまったのでは。バイトの最中そればかりを気にしていた和は帰り道、京太郎にそのまま疑問をぶつけた。

 

 難しい顔をした和に話があると言われた時には実はバイト中、おもちをチラ見していたことを追及されるのではと身構えた京太郎だったが、内容を聞いて苦笑を浮かべた。

 

「師匠は『どんな場面、どんな環境、どんな相手からでも学ぶべきことは絶対にある』ってさ。環境の良し悪しは確かにあるけど、それを絶対の理由にしちゃいけないってことだな。俺はバイト楽しいし得るものも沢山あると思ってるぞ」

 

 バイト代も出るしなー、と軽い口調で続けると和はひとまずは納得したようだった。嘘だ! と追及するのは簡単だが、たった一度のバイト。本人が納得していると言っているものに反論するには、状況証拠が足りないのである。

 

「送っていってくれますか?」

 

 という和の要望に、京太郎は二つ返事で頷いた。家も遠い訳ではない。若干遠回りであるが、同級生の女の子を送るのであれば誤差の範囲だろう。中学時代は咲や淡をよく送ったものだ。

 

 隣を歩く和をちらりと見る。

 

 まず最初に浮かぶ感想はおもちがおもちということ。そして美少女だなということだ。美少女を見慣れている贅沢な環境にある京太郎である。今更おもち美少女というだけで心を強く動かされたりはしない。精々興奮はする程度であり、大興奮はしない。

 

 中学時代一緒にいて高校に進学してからも一緒にいる咲がちんちくりんであるため、和との落差が際立って見える。同じく同級生の優希もちんちくりんであるから、巨乳の和は一年の中でも取り分け目立っている。

 

 おもちがあるという一点で特に男の評価は和がぶっちぎりになるだろうとも思うが、美少女度では三人にそれ程差はないというのが京太郎の見立てだ。眼福だし幸せなことだと思う。加えて三人とも麻雀が達者なのだから言うことはない。部活に所属するというのもなんだかんだで不安だったのだが、先輩二人も優しく実力者だし、打てるバイト先まで紹介してもらった。強豪校とはまた違うのだろうが、これはこれで最高の環境だと思う。

 

 ではこれで全国を狙えるかと言われると聊か厳しいというのが京太郎の見立てである。

 

 まずもって最大の障害となるのが龍門渕だ。京太郎たちから見ると一学年上のため、三年生になる頃には卒業しているはずだが、それは現状何の慰めにもならない。五人全員が全国常連の強豪校のレギュラーと比べてもそん色ない強さであり、事実彼女らは全員一年補欠なしという環境で全国に出場し好成績を収めた。衣に至っては照を差し置いて最多獲得点数記録者である。

 

 次いで風越。ここは何より選手層が厚い。龍門渕と双璧を成す県内の強豪校であるが、龍門渕が透華たちが革命を起こして部員たちを叩きだしたため、目下県内で最大の部員数を誇る。特待生制度も充実しており、県内外の選手を集めるのにも熱心だ。

 

 数多い部員の代表だという思いは、精神的な支柱になるものだということは名門校の方々から良く聞く話である。個人としては美穂子が龍門渕の五人と比べても油断できない相手であり、それに池田華菜を始めとした二年生が続く。強いて目に見える弱点を挙げるとするなら、美穂子以外の三年生が物足りないことだろうか。今の三年生が美穂子と同等かそれに準ずるくらい強ければ、去年の龍門渕ももっと苦戦したはずなのだが……こればっかりはどうにもならない話である。

 

 チームとして脅威なのはそれくらいだが、団体の全国への出場枠は一つしかないのだ。県内に二つもあれば多すぎるくらいである。解決しなければならない問題は山積みだがさて、大会までに何とかできるのだろうか。焦燥感は募るばかりだが、興奮している自分もいる。

 

 結果がついてくるとは限らない物事に気持ちを傾けるなどいつものことだ。ならばいつもの通りに全力を尽くすのみである。幸い、部員五人は自分よりも遥かに才能に恵まれている。共に戦うことができるのは幸運なことだし何より自分の勉強になる。和が言うほど京太郎の環境は悪いものではなかった。

 

「ここです」

 

 色気もない麻雀の戦術論を話題にした帰り道はあっと言う間に終わりを迎えた。原村家の門扉を背に和は小さく頭を下げる。

 

「送ってくれてありがとうございました」

「気にするなよ。咲にも優希にもすることだからな」

「遊んでいる風に聞こえますよ?」

「遊んでないのにそう思われるのは割に合ってないな……」

 

 苦笑する京太郎はそれを冗談だと思ったようだが、同級生の中には京太郎は咲と交際していると思っている人間が結構いる。そんな面々からすれば女ばかりの部活の唯一の男性部員である京太郎は、それだけでうわついていて見えるだろう。細やかな気配りのできる反面、自分のことには微妙に無頓着だ。そういう所は単純に好ましいと思う。

 

 そういう男性を罠にかけるようで気は重いのだが、それとこれとは話が別だ。和は心を鬼にして――少なくとも本人はそのつもりで家の呼び鈴を鳴らした。それが父への合図だったからである。

 

 ぬらりと玄関から出て来たのは、背の高い男性である。男性としてはそこそこ長身であるはずの京太郎よりもわずかに上背がある。身長にそれ程差がある訳でもなく、筋肉質という訳でもないのに威圧感を覚えるのは、その表情に寄るものだろう。

 

 いまだ未成年である京太郎には理解できない感覚であるが、年頃の娘が同級生の男子を家まで連れてくる状況というのが、父親から見て愉快なものであるはずがない。早々に退散するべきだと判断した京太郎はすぐさまそのように動こうとするが、

 

「あ!」

 

 という和の、実にわざとらしい声音に出足をくじかれてしまった。何だどうしたと和を見ると、彼女はわざとらしい声音で父に語り掛ける。

 

「もう遅いですから須賀くんを送っていってあげてくれませんかお父さん」

 

 まぁびっくりするくらいの棒読みである。家まで送ったこともここで和の父が出てきたことも仕込みであることは疑い様がない。状況は全てコントロール下にあると言わんばかりの真面目な顔をしている和に対し、娘がここまで大根役者とは思っていなかったお父さんはあきれ顔だ。

 

 男性二人の視線が交錯する。小さく、口の端を上げるだけの苦笑を浮かべた同級生の父親に京太郎は微妙な親近感を覚えた。

 

 

 

 




次回原村父編。カツ丼さんは出番調整中です。

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