セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編13 長野県大会 団体編⑤

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 控室に戻った美穂子を出迎えたのは、チームメイトの大歓声だ。キャプテンすごいしかっこいいし! と一人で盛り上がっている池田を抱えながら歩き、コーチである貴子の前に立つ。

 

 奥の椅子にふんぞり返っていた貴子の顔には池田ならばこれから人でも殺しそうと表現しそうな獰猛な笑みが浮かんでいる。口が悪く態度も刺々しい故に誤解されやすいが、麻雀への取り組みも選手の育成も真摯な人だ。コーチとしての彼女には美穂子も全幅の信頼を置いている。

 

「お疲れ。大活躍だったな」

「清澄の片岡さんの頭を上手く押さえることができました。井上さんと即席で共闘できたのが大きかったと思います」

「吉留の試合までまだ少し時間があるが――吉留には会ったか?」

「緊張している様子だったので少し言葉をかけてきました」

「なら良い。でだ。本格的な感想戦はまた今度やるとして、単刀直入に聞こう。今日お前が戦った中で来年最も警戒すべきなのはどいつだ? 私と同じ見解だったらジュースの一本も奢ってやろう」

「鶴賀の津山さんですね。レモンスカッシュで」

「可愛くねえ奴だなお前は!」

 

 ノータイムで、しかもそれが正答であると疑っていない様子の美穂子に、貴子は文句を言いつつも嬉しそうな態度で控室を出ていく。近くの自販機まで行くのだろう。そこにレモンスカッシュがあるのは美穂子も確認済である。

 

「キャプテン……鶴賀が一番危ないんですか? モンブチや清澄の方が危ないと思うし」

「現時点での実力ということならそうね。片岡さんも東場に限って言えば井上さんよりも脅威だったし」

「と言うか、特に良い所なかったですよね鶴賀」

 

 確かに、と星夏の言葉に美穂子は頷く。

 

 目立ったアガりもなく振り込みも多い。単純に得点の推移や多寡だけを見るのであれば、鶴賀に良い所はないだろう。脅威としては東場に猛威を振るった清澄の方が分かりやすく、配譜を見れば龍門渕の打ち回しが光る。

 

 だが、美穂子と貴子が言っているのはそういうことではないのだ。どう説明したものか……と考えている内に貴子が戻ってきた。小脇に全員分のジュースを抱えている。貴子が無言ですべてのジュースを美穂子に渡すと、それが当然とばかりに美穂子はレギュラー全員に配り始めた。何が良いとかならないように全員が美穂子のリクエストのレモンスカッシュである。

 

「コーチ。華菜ちゃん別に正解してないし」

「こういう時は大人しくいただきますって言っとくのがデキる後輩ってもんだぞ池田ァ!」

「いただきます!」

 

 慌ててプルタブを開ける池田に軽く溜息を吐き、貴子は自分用に買っておいたコーヒーをちびちび飲み始める。視線で美穂子に問えば、『話はまだ途中』という答えだ。どうやら解説は自分の仕事のようだと悟った貴子は、さて何と説明したものかと考えながら、

 

「技術力で言えば最低だろう。麻雀そのものの経験が浅いのは打ち筋を見ても解る。運も太いとは言えねえが……私や福路がやべえって言ってるのは、そういうところじゃねえ」

 

 見た目に反して、というと本人は気分を害するのだろうが、名門校のコーチに二十代で就任するだけあって貴子は物を教えるのが上手い。普段は荒い声の調子も教えるモードに入ると幾分穏やかに聞こえる。

 

 こうなると荒い調子でヤンキーに見える普段に反して、理知的なお姉さんに見える。普段からガミガミ言われている池田などは、ずっとこの調子なら良いのに……と思っているのだが、実際にはヤンキーの時の方が多い。

 

 常勝の風越で腕を磨き、大学リーグで揉まれ、プロとも接することの多い貴子から見れば女子高生というのはまだまだ至らない所が多く見えるのだった。

 

「収支を見てみろ。二半荘終わってウチの圧勝だが、吐き出した点数は他の三校見てもそう変わらねえ。一人技術のない奴がある奴三人に囲まれてこれだ。まぁここには色々思惑があっての結果だから一概には言えないんだが、それでも、奴の実力を考えれば大健闘って言っても良いだろう」

 

 一人実力が劣る人間がいる場合、そこから如何にムシるかの勝負になる。それは正々堂々としていないという意見もあるにはあるが、勝てる時に勝てるだけ勝っておくというのは小学生でも知っている戦術論の一つである。美穂子を始め風越のレギュラーになるような選手は十分にそれを弁えている。

 

 全国予選前のレギュラーの中に、入ったばかりの一年が放り込まれた仮定と比較してみると確かに鶴賀の津山の点数は大健闘と言えるだろう。

 

「その秘密は光らない打ち回しにある。基本しか知らねえような奴だが、それを外さないように丁寧に打ちまわしてるのが見て取れるな。失敗して振り込んでもいるが、それが最初から終わりまで一切ブレてねえ。技術と運とガッツで麻雀するとして、後から割と簡単に身に付くのが技術だ。運の強さと肝の太さってのは後ヅケじゃどうにもならんことが多いからな。その点、奴は技術こそ不味いが肝の太さでは及第以上だ。ここに技術が身についてくれば強敵とはいかないまでも難敵にはなるだろう。解りやすい強敵ってのは付け入る隙もあるが、普通に強い奴ってのはやりにくいもんだ」

 

 引きが良ければそれでもツモ力でごり押しすることもできるだろうが、常に引きが良い選手というのは中々いない。

 

 そういう外的内的要因でブレる状況を何とかするために、選手たちは日々技術を磨くのであるが、後から割りと簡単に身に付くという言葉の通り、技術だけでどうにかできる状況というのはあまり多くない。圧倒的な引きの前にはどんな技術も無意味になることが多い。

 

「ま、どうにもならない時にどうにかするために技術があって、その技術を活かすためにガッツが必要なんだ。運だけ、技術だけ、ガッツだけの奴は極論、大したことねえ。日々勉強だぞ小娘ども。サボんなよ」

 

 はい! と威勢よく答える後輩たちに貴子は目を細めて昔を懐かしむ。

 

(私がこんなことを言うようになるとはねぇ……)

 

 今貴子が言ったことは高校時代に自分などよりも遥かに厳しいコーチに毎日ガミガミ言われていたことだ。昔はあの婆いつかぶっ殺してやるとチームメイトと陰口を叩きあっていたものだが、卒業して同じ立場になってみると彼女の言っていたことは全て正しかったのだと身に染みる。

 

 今の生徒たちはかつての自分たちに比べると随分とお行儀が良く聞き分けも良い。当時のレギュラーは貴子も含めて言われた通りにしないことがかっこいいと思っていた節があったため、物を教えるのも一苦労だったろう。

 

 そんな鬼コーチも今は年齢を理由に引退し、今はOG会の代表と風越の理事を務めている。

ことあるごとにに突っ張っていた頃の貴子のエピソードを持ち出してくるためにやり難くて仕方がないが、コーチとしての振る舞いがとりあえず形になっているのは高校時代の経験と、大学時代にインターンとしてやってきた時に、彼女の仕事を近くで見ることができたからだろう。

 

 恩師と言えば彼女のことが真っ先に頭に浮かぶくらいに、指導者としての貴子にとって彼女の占める部分が大きい。

 

 コーチは今より遥かに問題児の集まりだった自分たちを指導して、全国に連れて行ってくれた。かつての自分たちより遥かに物分かりが良いはずの部員たちを前に、果たして自分はどれだけのことがしてやれるだろうか。

 

 池田と同級生の龍門渕の四人に、清澄の一年生たち。風越の歴史上、最初に全国行きを決めてから三年連続で全国を逃したことは一度もない。相手は強敵も強敵だが、それは勝てない理由にはならないのだ。

 

 やれるだけのことはやった。今の部員は最高なのだ。ならば自分のすべきことは彼女らが最大限の力を発揮し、悔いのない試合ができるようにすることだ。弱気になってはならない。弱気を見せてはならない。

 

 常勝風越のコーチは、かつて自分を導いたコーチは、どんな時も不敵に笑って自分たちを引っ張ってくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早めに歩いたつもりだったのだが、どうやら自分が最後であるらしいことをまこは何となく悟った。まさに会場に入る所だった風越の選手が、まこの姿を見て笑みを浮かべる。同級生の、確か吉留美春といった名前だった、と調査担当の京太郎が言っていたのを思い出した。

 

「よろしくお願いしますね」

「お手柔らかにの」

 

 試合前である。ナーバスになる選手も多い中、美春の雰囲気は柔らかい。誰が相手でも同じパフォーマンスを心がけるべきなのだろうが、どうせ一緒に打つならば人当たりの良い人間が良い。

 

 久と二人だけだった一年を超えて、今は清澄高校麻雀部もにぎやかになった。人の声の途絶えない部室など一年前は想像もできなかったのだが、贅沢になったものだと思う。

 

 適当な世間話をしながら会場に入ると、既に残りの二人は着座していた。龍門渕の沢村智紀と、鶴賀の妹尾佳織。佳織の方と面識はないが、京太郎曰く従姉であるらしい。言われてみれば燻った髪の色が良く似ている。この髪の色は母方の遺伝なのだそうだ。お父さん以外がこの髪の色である須賀家と逆に、お嫁にきたお母さん以外がこの髪の色をしているという。

 

「あぁ、そう言えば染谷さん。須賀京太郎くんっていうのはそちらの麻雀部なんですか?」

「唯一の男子部員じゃな。京太郎に会ったんか?」

「団体戦の初戦の日に。それで妙にウチのキャプテンと仲良しだったのが物凄く気になったんですけど、もしかしてお付き合いしてたりするんですか?」

 

 興味本位の質問なのだというのは、美春の気軽さを見れば解った。ははは、と軽く笑って否定するという部の先輩として当然の行動をするのが遅れたのは、美春の背中ごしの残りの二人の顔が見えてしまったからだ。

 

 視線で人間が殺せるならば、きっとこんな顔をするのだろうという、年頃の女子がしてはいけないような殺気に満ちた顔を二人はしていた。合宿の時の写真から智紀がガチ勢というのは何となく察していたが、佳織の表情からも智紀と同等のものをひしひしと感じる。

 

 従姉じゃなかったんかというのが正直な所であるが、従姉だからと言ってナニをしてはいけないということもない。そういうことは元来自由であるべきだ。きちんと節度を守って他人に迷惑をかけないのであれば、関係のない人間が口を挟むべきではないというのがまこ個人の考えではあるものの、既に咲と和がばちばちやりあっている環境を考えると、これ以上エントリーが増えるのは抵抗があった。久などはこれを楽しんでいる節があるが、この点においては考えが全く合わない。

 

「さあのお。彼女がいたことは今まで一度もないと言っとったから、それを信じるならそっちのキャプテンは彼女じゃないんじゃろうが、本人に聞くのが良いんじゃないんか?」

「京くんはお友達よーって凄くにこにこしながら言うんですよね」

 

 ん、とまこは反射的に強く咳払いをしたが、それは遅かった。聞こえてほしくなかった単語をしっかり聞き届けていたのか、美春の背中越しに二人の殺気が濃くなっているのが見えた。

 

(しかし、京くんか……)

 

 そもそも彼氏でもない男性に美穂さんと呼ばせる人間が、自分もそれに合わせていない訳がないのだ。これから風越と絡む時には注意が必要だろう。何の備えもなしに咲や和が京くん攻撃をされたら修羅場も修羅場だ。

 

「本当のところはどうなのか部員の私たちでも判断に困ってます」

「……ちなみに吉留さんはどう思っちょる?」

「本当に友達だと思います。彼氏だったら……これは勘ですけど、あんなもんじゃ済まない気がするんですよね」

「解らんでもないなぁ」

 

 京太郎の女版と思えばまことしても想像がしやすい。女慣れしているらしい京太郎は女子との距離の取り方が抜群に上手く気づけば距離を詰めている。それを全く不快に感じさせないのが恐ろしい所だ。元々友人との距離は詰めるタイプではあるのだろう。二人と二人だった一年の四人が、咲と和の衝突は度々あるものの何だかんだ仲良しでいられるのは京太郎の力が大きい。

 

 逆に美穂子はその手の距離の取り方は不得手に見える。女子高だから男子との距離の取り方が不得手なのかと思わないでもないが、まこの目にはそれだけではないように見えた。彼氏彼女でもないのにこの調子なら、咲や和は今の対戦相手のような顔をするだろう。音に聞くサークル・クラッシャーというのはああいうのを言うのじゃないかと思ったりもする。

 

 他人の恋愛だ。それこそ他人がめくじらを立てることでもない。そのはずなのだが……美穂子が京くん京くんと笑顔で呼びかけているのを想像すると、何だかむかむかしてきた。

 

 そもそも合宿の時に見た写真も写真なのだ。京太郎の家のキッチンは優希が『タコスを作ってる所がみたいのだじぇ!』と言い出した時、彼が自撮りした動画で確認している。まこの感性からすると大分今風のシステムキッチンで、写真のそれは何というか台所という感じだった。早い話が別の場所である。

 

 学校の家庭科室というのでもないし、趣味のケーキを作るのに高校生がどこか場所を借りるというのもないだろう。ケーキを作っていたどちらか二人の家と考えるのが自然だ。

 

 つまりあの野郎は、彼女でもないお嬢さんの家にやってきて美穂さん京くんとか呼びあいながら休日にケーキを作っていたということになる。あちらのご両親には何と自己紹介したか知らないが、同じ学校の同級生ならばまだしも、女子高に通っている娘が連れてきた他校の男子だ。気にするなという方が無理だろうし、本人がいくらお友達ですと紹介しても期待はしてしまうはずだ。

 

 まこにとって京太郎はかわいい後輩であるが、こうなってしまっては仕方がない。この試合が終わったら京くん案件について根掘り葉掘り問い詰めねばならない。咲も和もこういうことなら協力してくれるはずだ。久はこの大会の後に引退するが、二年の自分は後一年は彼らと過ごすことになる。不和を生むような問題はさっさと片づけるが良いに決まっているのだ。

 

 雑な理論武装をして、卓に着く。智紀も佳織も目が据わったままだ。普通にしているのは風越の美春のみ。普通の展開にはなるまいな、と苦笑したまこは、からころと回るサイコロをぼんやりと眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佳織にとって激しくいらっとくる出だしだったが、勝負そのものは平坦に進んだ。佳織がゆみから言われたことは二つ。守り気味に打てということと、あまり戦術を学ぶなということだった。

 

 ビギナーズラックを意図的に引き寄せるというのがその狙いである。何をバカなと普通なら思う所だが、佳織が幸運に恵まれていることは部内の全員が知る所だ。

 

 それをどうやってか活かせないものか、と考慮した結果が、初心者である期間を長くするというある意味、競技大会に対する冒涜とも言える方針だった。

 

 それは別に良いのだ。元より頭の回転には自信のない佳織の、唯一他人に長所と言える所がこの『幸運』だった。

 

 おじいちゃんから聞いた話だが、妹尾の家系は男の子ばかり生まれるという。事実、おじいちゃんもひいおじいちゃんも五人、六人兄弟だが全部男の子だ。

 

 昔も昔であれば男子ばかりが生まれる家というのはそれはそれは羨ましがられたそうだが、今はそうでもない。女の子がほしいというのは妹尾の家の宿願のようなもので、たまに生まれる女の子は大層可愛がられて育てられるという。

 

 そしてたまに生まれる女の子は非凡な才能を持って生まれてくるということだ。佳織はここ百年で生まれた三人の女の子の最後で、最初の女の子はひいひいおじいちゃんの妹。二十世紀の最初の方で生まれた彼女はそれはそれはデキる女として名を馳せ、中流の域を出なかった妹尾の家から、生まれた女の子に花の名前を付ける慣習のある名家にお嫁さんに行ったという。

 

 二番目が佳織の父の妹で京太郎の母の晶だ。どうせ男の子だろうと思って用意されていた名前をそのまま付けられた少女は、物心つくとすぐにバイオリンに興味を示したという。

 

 試しに地元の教室に連れて行った所、バイオリンに触ったその日に簡単な練習曲を引きこなした晶を自分の手に負えないと判断した先生は、音大時代の恩師に連絡を取り晶はそちらに顔を見せることになった。

 

 そしたらたまたま来日していたドイツ人のバイオリンの権威の目に留まり、彼に師事することになった。ドイツ人はそのまま晶をドイツまで連れて行こうとしたそうだが、これにおばあちゃんが激怒した。かわいい盛りの娘を外国に連れていかれてたまるかと猛然と抗議した所、世界的権威の方が折れて二月に一度遥々日本まで通うことになった。

 

 二か月に一度の教室であったが、それでも、普段の練習を怠らなかった晶のバイオリンの腕はめきめき上達し、小学校を卒業する頃には()()()()()()日本一になり、中学校を卒業する頃には()()()()()()世界一となっていた。

 

 天才少女と持て囃された晶の将来は約束されていたようなものだったが、彼女は地元の高校で後に夫になる男性と運命的な出会いをし、同じ大学に進学して卒業と同時に結婚して主婦になった。

 

 これには師匠以下、兄弟子姉弟子総出で考え直せと遥々日本まで押し寄せて説得を試みたそうなのだが、音楽家なのだから音楽で語るべしと、晶は自分で作曲した『私の愛』なる曲を披露し、一同を感動で号泣させ、海の向こうに追い返した。

 

 晴れて大好きな男性と結婚して主婦になった晶であるが、結婚式こそ両家の両親立ち合いのもとひっそりと行われたものの、新郎が就職してすぐに大阪に異動になったため、披露宴が行われたのは後に生まれた佳織と京太郎が物心ついた後だった。

 

 京太郎と一緒に晶のドレスの裾を持ったのも懐かしい思い出である。披露宴はとにかく盛況で、中でも新婦の友人代表として参加した晶の師匠とその弟子全員は、彼女の説得の際に披露された『私の愛』に対抗して、『若き二人への祝福』と題した曲を披露し、拍手喝采を浚った。

 

 基本的には主婦として過ごす晶であるが、師匠に請われて二、三年に一度くらいのペースでコンサートに参加する。本職でもないのにコンサートの顔としてデカデカとポスターに顔が載り、チケットはどこの国でも飛ぶように売れるとか。

 

 音楽家としての自分は結婚する時に過去に置いてきたということで、バイオリンを弾く時には旧姓で活動しているため、京太郎の友人関係でも晶が世界的な有名人であると知っている人間は少ないという。

 

 そんな二人と比べると、妹尾佳織の才能というのは何とも寂しく感じる。きっと前の二人で大切な何かを使い尽くしたんだねと自虐もしてみるが、その才能は誰が見ても解る特徴として

顕れた。

 

 その才能をゆみは『幸運』と呼んだ。佳織自身、自分の才能の仕組みを理解していない所があったが、佳織の話を総合して、ゆみは仮説を立てた。

 

『妹尾の運は降って湧くもの。例えば天江衣のような『強運』は、彼女が自ら引き寄せるか、自分の内から呼び覚ますものだ』

『あまり強くないんじゃありません?』

『そうでもない。あくまで人間が生み出す『強運』と違って『幸運』は天から降ってくるものだ。いざ目の前に現れた時、人間では対処が難しいだろう』

 

 佳織の『幸運』を麻雀で活かそうとした場合、多少の運や技術ではどうしようもない形で顕在するというのがゆみの仮説だ。

 

 案の定、経験者の中に交じった佳織は三人に遅れを取り始める。地道に経験を積んだ睦月と異なり、佳織はゆみの方針で極力練習からは遠ざけられていた。最低限、飛ばなければ良いと言われてはいるが、どうせなら勝ちたいし、かっこいい所を見せたい。

 

 どうにも彼は自分のことを鈍くさい頼りない女だと思っている節がある。たまにはすごいなってほめられたいのだ。

 

 そう思いながら配牌をめくる直前、目の裏がちりと痺れた。

 

 来た─―

 

 ゆみが『幸運』と名付けたオカルトには、予兆がある……ことがある。ない時もあるために起きないと断言することは困難を極めるが、予兆があった時、佳織にとって良いことが必ず起きる。少なくとも、この予兆があって肩透かしを食らったことは佳織の人生で一度もない。

 

 これはさぞかし良い配牌が来ているのかと期待を込めてめくってみると、

 

 一三四④⑤⑨78東東南西北 ドラ⑦

 

 良くも悪くもない配牌である。何を切るか考えた佳織は、少々悩んだ末に五筒を切った。解説を始め、観客も、控室で試合を観戦している選手たちも佳織の打ち回しに困惑する。勝負を投げたのか、と考えることもできたが、理外の打ち回しには理外の結果が伴うのが、女子麻雀の怖い所だ。

 

 この打ち回しに何かしら意図があるのであれば、鶴賀以外の選手たちにとって良くないことが起こる。

 

 そんな予感を当事者以外がぼんやり感じ始めた序盤を超え、中盤に差し掛かると対戦者の三人は違和感を覚え始めた。

 

 最もそれを感じていたのはまこである。河を見て直感する。字牌が明らかに少ない。捨て牌から見て風越と龍門渕には字牌はない。全て山という可能性もないではないが、河の雰囲気からして誰か一人がガメでいると考える方が自然だ。

 

 風越と龍門渕にその気配がない以上、見えない全てを鶴賀がガメているということで、それは親であるまこにとってはこの上なく嬉しくない予想だった。アガられる。何とかして妨害しなければならないが、過去の記憶から照らし合わせた予想でも、今現在の直感でも鶴賀のアガりを否定することができない。

 

 鶴賀に字牌が集中している分、自分も含めて他の三校は手が進んでいるはずなのだが、捨て牌も二段目が終わろうというのに、リーチの声はかからない。邪魔をするならもっと早い巡目に速攻でやるべきだった。自分の打ち回しのミスを悟ったまこが深々と息を吐くと、佳織のツモ、という声が卓上に響いた。

 

 

 

 

 白東東東南南南西西西北北北 ツモ白

 

 

 

 

 

 ツモ、とは言ったがそれに言葉が続かない。倒した手牌を見て硬直した佳織は明らかに困った様子で審判を振り返った。無言のまま指を五本立てて首を傾げる。

 

 役や点数の申告ミスはインターハイの競技ルールではペナルティを受けることがある。

 

 競技に参加する選手ならば点数、役の把握は当然していてしかるべきというのが運営の考えではあるが、弱小校など数合わせで選手を出している所もある都合上、これは何点? と審判に確認するのは推奨はされないがルール上は問題ない行為として黙認されている。

 

 佳織が確認を声に出さなかったのはその慣例を把握していなかったからに他ならない。自分では解らないけど、声に出したら怒られるかな……という不安が見え隠れしたその表情は、審判の男性からすると見慣れたものだった。

 

「今年のルールではいくつ役満が複合しても一つとして処理されます。どれでもお好きなものを一つ申告してください」

 

 そうでしたね、と佳織はさも思い出したという風に納得してみせる横で、まこは内心で安堵していた。国士無双十三面待ちに代表される『ダブル役満』として処理される手がアリでその複合が認められていた場合、佳織の手は字一色大四喜四暗刻単騎と指を五つ立てることになる。

 

 役満を親かぶりするだけでも痛いのにそれが五つで八万点の支出だ。佳織はたった一局で十六万点を稼ぐことになる。清澄の残りのメンバーであればそれくらいのビハインドは何とかしてくれるという思いはあるものの、まこの点棒は現在八万点を下回っている。そこで試合が終わってしまうのであれば、如何に強者と言えどもどうしようもない。

 

 競技者として卓についている以上、例え小鍛治健夜であってもルールの前には無力なのだ。

 

「それじゃあ、ツモ。四暗刻。役満です!」

 

 にこにこ顔の佳織を見て、まこは自分の前途が多難に満ちていることを感じていた

 

 

 

 


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