「はい、京太郎です」
『おっす。出るとは思ってなかった。合宿中だろ? 今大丈夫か?』
「軽食の準備に区切りがついた所なんで大丈夫ですよ」
歩に断りを入れて廊下に出る。先ほど蓮華から連絡が来たからそろそろかなと待ち構えていたのだ。エプロンで手を拭きながら先を促すと、咏はいつも通りの軽い口調で言った。
『お前、弘世の御前の馬選んだんだって?』
「はい。名前まで決めさせてくれるとは気前が良いというか何というか。ということはもしかして今日デビュー戦大勝利を飾ったアーちゃんのことで?」
『そうそう。そのアーちゃん大勝利の現場にうちのおばあ様もいたらしいんだよ。御前がお前のことベタ褒めで推してきたからならうちもってことになったんだとさ。で、うちのおばあ様から伝言だ。牧場行く時に連絡すっから御前と同じに牝馬を選んでくれと』
「責任重大ですね」
後にアーちゃんとなる彼女を選んだ時も感じた責任であるが、なら私もと手をあげてくれた人となるとまた別種の責任を感じてしまう。咏の祖母の若菜さんには神奈川にいた頃に良くしてもらった。何度かおこづかいをもらったこともあるし、神奈川にいた時には咏ともっと仲良くなりたいという京太郎の相談に応え、本人からは絶対に聞けないだろう恥ずかしいエピソードを咏同席の上で沢山聞かせてもらった。
咏はその間顔を真っ赤にしたまま京太郎の隣で綺麗な正座をしていた。本音は逃げ出したかったのだろうけれども、自由に生きているように見える咏も若菜には頭があがらないようでそこで黙って聞いていなさいという若菜の言葉を律儀に守っていた。
若菜の話が終わり二人で部屋を出た後。顔を覆って廊下に蹲ってしまった咏に『うたさんかわいい!』と慰めの言葉をかけたら奇声をあげた咏に襲われて関節技をかけられたものである。孫とその弟子が廊下をごろごろ転がる様は大層面白かったようで、若菜は手を叩いて喜んでいたものだが……今になってようやく恩返しらしい恩返しができるのだと思うと身も引き締まる。
『高い金出して全く走らねぇなんてのはザラらしいから気にすんな。あと、名前も決めてほしいらしいから二つ三つ候補考えておいてくれな』
「弘世さんちは『アイ』でしたが三尋木さんちにも冠名とかあるんですか?」
『うちは雄雌で違って雌の場合は『ドンナ』だ。ドンナなんとかでもなんとかドンナでも良いから九文字以内でよろ』
「わかりました!」
『言うまでもないことだと思うが『ウタサンドンナ』とかにしやがったらはっ倒すからな』
「……えっ!?」
『何がえっ!? だよお前ふざけんな。言っとくがフリじゃねえぞ! おばあ様の前でその名前出したやがったら知り合いのレスラーから教わった関節技片っ端からお見舞いしてやるから覚悟しとけよ!』
「あ、それならかけられに行きますよ。都合の良い日を知らせてください」
『技の練習したい訳じゃねーよっ!!』
ぜえぜえ電話の向こうで荒い息を吐く咏に、京太郎は笑い声をあげる。ウタサンドンナは良い線行ってるなと思った。止められなかったら候補の一つとして若菜に提案していたことだろうが敬愛する師匠にここまで言われたのだ。海よりも深い師匠への敬愛を形にする良い機会だと思ったのだが、残念だけれど他の名前にしようと思う。須賀京太郎と言うのは師匠の言うことをそこそこ聞く良い弟子なのだ。
「それじゃ、お話お受けしますと若菜さんにもよろしくお伝えください」
『全くお前って奴は……まぁあれだ、気にすんなって言っておいて何だができるだけ勝てる馬を頼むぞー。暮れの中山走る時は特等席で見せてやるっておばあ様燃えてっから』
知らんけど、と気を取り直していつものノリに戻った所で咏の電話は終了した。咏さんだなぁとスマホを眺めてにやにやしていると、ひっそり苦笑を浮かべた歩が声をかけてくる。
「お師匠様?」
「ああ。そのおばあ様が馬を選んでくれって言ってるらしい」
「また? 京太郎くんも大変だね」
京太郎の細かな事情については龍門渕の面々は大体知っているが、同級生である歩は二年生の五人に比べて話していることが少しだけ多い。歩を含めた面々は程度の差はあっても皆話上手であるが、歩はその上で更に聞き上手なのだ。
片手で摘まめるような軽食を作っている最中である。京太郎が出張るということで料理が得意という自負のある少女たちが名乗りを上げようとしたが、メイド服の歩にそんなに人手はいらないということで断られてしまったのだ。そこらの料理自慢よりもよほど説得力のある恰好をした少女から言われるとあまり強くも言えない。
それ以前に半端に人数が抜けると卓が立たなくなるという問題もある。合宿に参加した四校は団体メンバー全員が参加しているため彼女らだけで卓が立つが、そのため余剰人員は常に三人以下しかいなくなる。
今は清澄の京太郎、龍門渕の歩、風越の貴子と三人のみだ。ハギヨシも存在はしているのだがあまり男がでしゃばってもと呼ばれない限りは近くで控えていることになっているので数には含まれていない。
最低限三人で作業をするなら五卓維持したまま回せるのだが、料理自慢を全員受け入れると卓の数が減ってしまう。強化合宿なのだからそれは良くないという歩の正論は無敵だった。
「手伝ってくれてありがとう」
「歩なら一人でも何とかなったろうけどな。でも手伝えて楽しかったよ」
まだ見習いとは言え中学生の時から働いているだけあって、メイドとしての歩の技能は中々のものである。正直料理はコックの仕事であってメイドの仕事ではないような気がするが、行き届いたお仕事をするのが龍門渕のメイドの流儀だそうで、見習いの内は幅広い仕事を学ぶのが普通なんだとか。
そんな訳で歩はほわっとした見た目の割に家事万能で当然料理も得意だ。京太郎が付き合いのある女子高生の中では文句なしに一番上手いと思う。これで見習いというのだからメイド道というのも奥が深い。
「ハギヨシさんも良く言ってるよ。京太郎くんは身のこなしが機敏だから執事に向いてると思うって」
「執事かぁ……」
高校生と言えばそろそろ将来のことをぼんやりと考えなければいけない時期……と世間では言われているらしい。聞けば父は就職先の職種さえ就職活動をし始めてから決めたと言い、母は父が就職活動を始めた頃にたまにバイオリンを弾く専業主婦になると決めた言う。特に母は特殊過ぎて当てにならない。
ハギヨシのことは同じ男としてかっこいいなぁと思うが、自分の進路として執事を考えたことはあまりない。それだけ京太郎の中で麻雀が占める割合が大きいということでもあるが、ハギヨシにそう言われるのも悪い気はしなかった。
「執事ってどうやってなるものなんだ?」
「
「養成学校」
どういうカリキュラムなのか全く想像もつかない。執事素人としてはまだ歩パパの方がイメージがしやすかった。霧島はとっ捕まえた――巫女さんをお嫁さんに迎える決意をした男性が仮に
自分の名前を書き間違えるようなへっぽこでも、二年で立派な神主にしますという厳しくも愛情溢れる苦行を強いて本当に立派な神主を輩出していたから、きっとあんな感じなのだろうと考える。
「興味があるならハギヨシさんにお話聞いてみたら?」
「そうするよ。面白そうだ」
「ちなみに龍門渕は代々女系の一族なので使用人も女性の方が多いです。そして龍門渕のメイドさんたちはデキるメイドさんなので、方々から引く手数多だったりします。私はまだ見習いだけど高校卒業するくらいにはデキるメイドさんの仲間入りの予定だよ」
確かに透華や衣について屋敷をうろうろする時も、すれ違う人は女性の方が多かったような気がする。家人に女性が多いならその世話をするのも女性の方が良いのだろう。事実透華の周辺にいるのもハギヨシ以外は全て女性だ。
龍門渕の使用人に思いを馳せている様子の京太郎に、歩は少し眉を顰めた。だから私なんてオススメだよ! と言ったつもりだったのだが売り込みが少し遠回りだっただろうか。それなら、もうちょっと踏み込んでみよう。軽食の用意を大体終わらせた歩は正面から踏み込む――。
なお、その意図は当然京太郎には看破されていた。歩は京太郎相手に何か決意を固めるときりりとした――本人はそう思っているらしい非常にほっぺをひっぱってからかってやりたい表情をする。つまりはとても顔に出やすく対策も立てやすいのだ。
「男女平等とか色々言われてるけど、殿方は基本的に尽くしてくれる女性に弱いというのが私のイメージです」
「返す言葉もないな」
「京太郎くんもなんだかんだでメイドさんに弱いということは実は皆知っています」
「薄々そうなんじゃないかと思ってた」
「そしてここにメイドさんがいます」
「見まごうことなきメイドさんだな」
「メイドさんは良いよーご奉仕するよー彼女にすると楽しいよー」
「今だって歩と一緒は楽しいよ」
「…………」
「からかうならもっと堂々とだな」
両手で歩の頬を抱えむにむにとする。歩はされるがままだ。押し込むつもりが押し返されて好き勝手に頬を弄ばれても、何故だか許してしまうどころか自分から頬を差し出したりもしてしまう。普段は優しく頼りになってかっこいい人なのに、たまに意地悪になるのだ。その彼我の距離がゼロになる時間がたまらなく好き、という
基本、年上の女性にはそこまで踏み込んだりしないので、智紀でも一でもここまでしたりはしない。同級生で良かったと思う瞬間だ。
「京太郎くんのばか」
「そのおばかさんから質問だけど、歩は卒業しても姉さんのメイド?」
「衣様がお嫁に行って屋敷を離れるまではそうなるかな。まぁ衣様がお嫁に行くならそれなりに裕福なおうちだろうからそのままついていくことになると思うけど」
衣からもういいと言われることも自分がお嫁に行って離職することも全く考えていない辺り、歩の衣への好意と忠誠心の高さが伺える。一人だけ年下ということもあって外から見ると一緒にいる時間は少ない印象だが、実際に衣のお世話をしているのはハギヨシではなく歩なので透華たちよりも接する時間は長いのだ。
歩からも衣からもお互いの話をよく聞くので、仲も悪くないのだと察せられる。弟分としても友達としても良いことだと思う。
「きょーたろ! きょーたろ!」
廊下からご主人様の声が聞こえてくる。作業は一通り終わっていたが歩は手を止めてエプロンで手を拭き、すばやくメイド服と髪を整えてから出入口に向き直る。この時点で京太郎よりも後ろに下がっていた。完全にメイドモードである。振り返ってみればさっきばかと言った少女とは思えない柔和な笑みが浮かんでいた。
「お知らせありがとう姉さん。軽食の催促かな?」
「そうではないが今そうなった!」
あー、と小さく開けられた衣の口に、衣他小食の面々のために作った小さめのサンドイッチを放り込む。あむあむ幸せそうにサンドイッチを平らげた衣は、改めて、両手を広げて宣言する。
「透華がお前を呼んでいるぞ! 席をきんきんに冷やしてやったから、いつかの再戦を希望するとのことだ!」
衣の言葉に京太郎は笑みを深くした。周囲の人間の強者具合と己のテンションによって引き出される一曰く『つめたいとーか』の登場である。これを任意に引き出せるようになるなら今年の全国は危うかったかもしれない。こちらの面子が実力で拮抗していたとしても麻雀は四人でやるゲームであり今大会のルールでは箱下清算はない。去年龍門渕が臨海にやられたように、凹んだ誰かにトドメを指されたら逆転も何もない。
だが、今年勝ったのは龍門渕ではなく清澄だ。麻雀は勝った方が強くて偉いのだ。全員残る龍門渕に比べて、清澄は久が抜けて和が少しだけ怪しいがフルメンバーではなくなる。全員順当に成長するにしてもそれは龍門渕だって一緒だ。久に匹敵する一年が入ってこない限り、今年よりも劣勢にということなのだが戦うのは来年だ。一年もあれば何か良い対策が思い浮かぶだろう。
まぁ何はともあれ勝ちは勝ちだと思うことにして、対策は来年までの課題とする。今は自分で麻雀を楽しむことだ。
「後は私が引き継ぐから、京太郎くんは楽しんできて」
「悪いな歩」
「お礼はデート一回で良いからね?」
「たまには静かな場所に観光でもどうだ? 夏休みだから混んでるだろうけど」
「いいよー。むぎわら帽子準備して待ってるよ。楽しみにしてるね!」
にこにこ微笑む歩に見送られ、ダッシュで京太郎はキッチンを後にする。そんな京太郎が見えなくなるまで手を振り、廊下に顔を出して彼が完全に遠ざかったことをしっかりと確認してから歩は大きくガッツポーズを取った。
「やった!!」
「大きく前進だな。今日の手ごたえはどうだ?」
「悪くないんじゃないかと思いますが、正直攻め手に欠いている気もしています。ここまで女の子に囲まれてるのに未だに彼女いないんですから、京太郎くんもああ見えて難攻不落ですね」
「それを攻め落とすのもまた楽しだ、と伯母君ならば言うだろうな。無論衣も同意見だがきょーたろと歩が仲良しでも衣は嬉しい。二人が夫婦になったら、衣も全力できょーたろに執事になってくれるようお願いするからな」
「そうなったら素敵ですね、衣様」
「しかしきょーたろのことは一や智紀も狙っているし、衣も姉ではあるがきょーたろの子供を産むのも吝かではない。四人で卓を囲んだらとても楽しいと思うのだ」
「私と京太郎くんの子でも卓は囲めますよ衣様」
「二人で五人産めば二卓も立つな!」
わははと衣は軽快に笑う。そこに後ろ向きな感情は一切なく、ただ家族が増えて嬉しいと喜んでいる風である。見た目は子供で人間関係に聊か夢見がちな所はあるが、そこは龍門渕の血を引く女性らしく、男性関係に関しては酷く直接的で打算的だ。
見習うべき所だと歩は思う。高校生になったことだし、夏休みのデートだし? そろそろ一つか二つくらいステップアップするというのが歩のこの夏のテーマである。
でもまずは、メイドとしての実力で彼を魅了しましょう。す、と気持ちを切り替えた歩はメイドの顔で仕事を片付ける。そんな自分の専属メイドを、衣は楽しそうににこにこ見守っていた。
「ばかな……」
「こんなはずでは……」
「だじぇ……」
対局室に戻ると清澄の一年生ズが死屍累々だった。席を外していた時間は一時間程である。負けたにしても一半荘にしてはダメージが大きいような気が、と咲たちの態度を疑問に思っていた京太郎の背後にすっと星夏が忍び寄る。差し出された牌譜は二戦分あった。
「俺がいない間に三人揃って二回も大負けしたのか」
「正確には三回ですね。三回目の牌譜は起こしている途中だったので」
残りもすぐにやります、と星夏は忍者のようにフェードアウトしていく。同級生なのにやたら腰が低いのはやり難くて仕方がないが、本人の性分ということであれば我慢するより他はない。今は腰の高い同級生どもの話だ。
牌譜をぱらぱらめくって確認する。控え目に言ってもまるで良い所がない。一方的に透華がアガりまくりどうにか半荘を終えた風である。咲や和は失点をしないように立ち回っている努力が見えるが残念ながら結果に結びついていない。加えて風が吹かない上に脇が甘い優希が一半荘目と二半荘目で立て続けに飛んで終了している。
咲と和も飛んでいないだけで局を流した以外のアガりはゼロだ。これで団体戦を勝ち全国に行くメンバーと、決勝で負けたチームの選手という構図なのだから、麻雀というのはやはり面白いものである。
一人満足しながら頷いていると星夏が三戦目の牌譜を持ってきた。さて咲と和はどんな立ち回りを、と見たらその半荘は東四局の透華の親で終了していた。全員飛ばしてのマルAトップである。京太郎が視線を向けると、一年生ズは皆視線を逸らした。強化合宿での一幕とは言えここまで一方的に負けたことには流石に思う所があるらしい。
別に怒ってないぞと笑顔でアピールしつつ、牌譜を肩越しに後ろにやると星夏がすかさず回収してフェードアウトする。中々の忍者っぷりに感心するが、当の星夏は離れた所で『お前どこ高なんだし!』と怒られていた。
後で星夏にはフォローしとこうと心に決めつつ、卓の透華を見る。衣を使いに出しただけあって絶好調の様子だ。卓に座らなくても、何か不可思議なものがぐおぐおと渦巻いているのを感じる。心なしか透華の周辺だけ気温が下がっているように感じるのは気のせいではないのだろう。そんな透華と再び戦える興奮を抑えつつ、京太郎は笑みを浮かべた。
「大活躍されたようで」
「生で見せられなくて残念ですわ」
「軽食の方は歩が残りを詰めてますので、対局中にはお届けできるかと。片手で摘まめる良い感じの奴です」
「流石京太郎、と褒めて差し上げますわ! さぁ、いつかの再戦をいたしますわよ。姉の余裕で面子は後二人選ばせてあげますわ!」
「良いんですか?」
「淑女に二言はありません!」
誰が相手でも叩き潰すという強い自信を感じる。自分のやりたいデジタル路線とかみ合わないということで、最近の透華はこの状態に思う所があるらしいが、今日は気持ちが良く乗っているように思う。咲たちがまとめてなぎ倒されたのも納得だ。
そんな透華に勝つためには、全力を尽くさねばならないだろう。以前に対局した時から透華を倒す作戦は考えてきた。今はそれを実行に移す時だ。
「ありがとうございます。それじゃあ、美穂さんとゆみさんで」
「はい!」
間髪入れずに返事をした美穂子と対照的に、ゆみは自分が? という怪訝な顔を返した。良い位置で観戦する気満々だったのか、すぐに動けるようにパイプ椅子を抱えて場所取りまでしていた。
「私で良いのか?」
「是非お願いします!」
「わかった。全力を尽くそう」
男の京太郎でも惚れ惚れするような男前である。桃子のひゃー、という小さな歓声にステルスで気づいていなかった面々が驚きの声を上げるというハプニングを無視しつつ、美穂子たちにプランを説明しようとした京太郎の袖がぐいと引っ張られる。
難しい顔をした久に袖を引かれて連れ込まれたのは柱の陰だ。三年女子の部長が一年男子の京太郎にするには後ろ暗い行為であるという自覚はあるのか、視線を送ってくる他のメンバーを気にしながら、久はぼそりと呟いた。
「なんで私じゃないの」
「あの状態の透華さんを倒すには、と前から色々考えていたんですが、今日いるメンバーで最適なのが美穂さんとゆみさんだったので指名しました」
本当に誰でも良いのであればゆみではなく貴子を指名したかった所であるが、これが選手の強化合宿であることを考えると貴子は良い顔はしないだろう。言動に怖い所はあるが靖子も認めるデキるコーチである。コーチの自分が打つくらいならその機会は選手に譲るに違いなく、それが解っているのであれば最初から口にしなければ角も立たない。
京太郎が美穂子とゆみを指名したのは貴子を指名できないということと、既に清澄の一年三人が三半荘もやっているという前提の、聊か消去法めいた根拠となる。
久にその内心は解らない。一の言う『つめたいとーか』の状態について、京太郎本人は透華から自己分析を聞いており、今日の対策もその根拠に基づいて行われているが、その分析を他人に話したことはない。
それでも、久は京太郎を心の底から信頼していた。麻雀に対して彼は非常に真摯であるので、
他意なく、勝つためのメンバーを純粋に選んだということは理解できる。メンバーについても何か彼なりのプランがあって選ばれたというのも解る。解るのだが、頭で理解した通りに身体と口が動いてくれない。なんて面倒くさい女なんだと自虐しつつも、気づけば彼の袖を引いて責めるような言葉を吐いてしまった。
視線を彷徨わせてから顔を上げ、結局京太郎の顔を見れないまま視線を落として小さく呟く。
「私は、頼りないかしら」
「貴女ほど頼りになる人はいません」
京太郎の言葉に迷いはない。久の目線に合わせるように腰をかがめた京太郎は、努めて優しい口調を心がけて言った。
「俺の考えに基づいて面子を選んだ結果、美穂さんとゆみさんにお願いすることにしました。あの状態の透華さんは……いや、それは対局をご覧ください。対局前に話すと面白くないですからね。何であの二人かというのも、対局を見てくれれば解ってもらえるかと思います。とにかく久さんが頼りにならないなんてことは絶対にありません。俺は久さんを信頼してますし、尊敬してます。嘘じゃありません」
「そこまで力説しなくても解ってるわよ……」
嘘だ。解っていないからこんなことをしたのだ。何でもない風にお姉さんぶりたいのに、顔がにやけるのを止めることができない。何て面倒くさい女だと思うのに、先ほどよりも幾分心が晴れやかなのは彼の言葉を聞いたからだろう。
「こんな面倒くさい女と一緒にいられる男は、多分京太郎だけね」
「久さんのそれは長所ですよ。世の中の男は見る目ないですね」
ダメだ。もう顔が見れない。顔を見られないようにしながら『がんばりなさい』とだけは何とか言えた。部長らしくかっこつけたい時に限って、普段はよく回る口は動いてもくれない。ちらと横目で見ると京太郎は微笑みながら『行ってきます』と卓に向かっていった。
「さて、お待たせしました」
「上……竹井さんは何て?」
「各校一人ずつなんだから、清澄代表として頑張ってきなさいと励ましてくれました」
ゆみと美穂子は揃って久の方を見る。空調のしっかり効いた部屋なのに大汗をかいたらしい彼女は、パイプ椅子に座ってぼーっとしていた。心ここにあらずといった風である。とても後輩を励ました後の人間には見えないが、それも人それぞれだろうとゆみは思うことにした。
美穂子の心中は複雑だったが、京太郎がそうであると言った以上、それが事実なのだと話を進めるより他はない。ここで嘘だ! と直球を投げないまでも、一歩踏み込んでいける女になる。それが福路美穂子の一夏の目標である。
だが、まずは――
「それでは以前に対局した時から考えていたプランを説明します。俺たちの頭がどれだけ回転するかがカギです。知恵熱出すくらい、思いっきりいきましょう!」