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武部沙織は片手にスーパーの袋を抱えながら小刻みな弾みのある音を立てて西住みほの住むアパートの階段を駆け上がっていた。
普段からコンビニ弁当だとか沙織からすると余り好ましくない食生活を送る彼女を心配して、今日は栄養と温かみがある手料理を作りにやってきたのだ。
本当なら一緒に帰る予定だったのだが、みほは戦車道の隊長としてまだ作業が残っているらしく、鍵だけ預かって先にお邪魔し下拵えや準備などをしておくつもりであったのだ。
「…あれ?」
しかし、彼女の部屋の前にたどり着き、鍵を差しこんで回すと何やら違和感を感じる。
何度か繰り返すとどうやら最初から鍵が開いていたらしいのだ。
普段からおっちょこちょいな所もあるのは知っていたが、流石に女子高生が部屋の鍵をかけ忘れるのは少々不安だなと微かに笑いながら扉を開けて中に入った。
玄関で靴を脱ぎ、リビングに足を踏み入れた時であった。
「……だ、誰!?」
すると其処には座卓の下に体を潜り込ませてゴロりと寝ている男性の姿があった。
年は沙織よりいくつか上…恐らく20過ぎ位だろう。
浅焼けた肌に刈り込んだ髪型の活動的な様相の男であった。
普段の武部沙織あれば「さっきの人、何だかワイルドで格好良かったねー!」とでも会話の種にしていたであろうが、同性の友人の部屋に見知らぬ男性がいたのであれば警戒と不安を感じるのは当然の事であった。
元から起きていたのか、それとも沙織の声で起きたのか、男性はむくりと上半身を起して佐織の方へと向いた。
上体を起こす事によってその男性の長身長と筋肉質な体型がよく解り、その無地のシャツをもこりと浮きあげている筋肉が目に入ると沙織は無意識に後ずさりをした。
「……君は、ひょっとしてみほの友人かな?」
一体どうすればいいのだろうかと混乱していた沙織に男は静かな優しそうな声を発したのだ。
-2-
「みほのお兄さんですか!?」
「ああ、そうだよ。
驚くのは無理も無いかな?昔からよく僕だけはみほとまほに似ていないと言われるからなぁ。
みほとまほは母さん似だけども僕は父さん似なんだ。
尤も、みほは性格の方は父さん似だけどね」
みほの兄と名乗った男性は照れた笑いを浮かべながら頭の後ろをカリカリと掻いた。
なるほど確かに容姿は沙織の知るみほにもまほにも似ていない。
しかし、何となくその朗らかな動作はみほに通じるものが無い気もしなくは無い。
であればみほの父親もこの様な感じなのだろうと沙織は理解した。
「ところでえーと…君は…その袋は?」
「あ、武部沙織です。
えっとみほに料理を作ってあげようと思って」
沙織は簡単にみほの普段の食生活と自分が料理を作ってあげる経緯を説明した。
話を聞き終わると、彼は徐に鼻頭を押えて静かに泣き出したのだ。
「そうか…良かった。みほにも君みたいな親身になってくれる友人ができたんだな」
それを受けて慌てたのは沙織だ。
自主性を重んじる学園艦にて自分と接するのは同世代で同性の人間が殆どだ。
そもそも家族や教師以外で年上の男性と二人きりで話す機会が無いのだ。
ましてや目の前で泣かれるとあってはともかく困るしかなく、戸惑うしかないのだ。
「みほは内向的で受身な子だから…寂しい思いはしていないかと不安だったんだ…」
しかし、大の男がみっともないだとか恥かしいだとかそういう負の感情は湧いてこなかった。
確かにみほは沙織が話しかけるまでは彼が言う通りで、自ら話しかける事ができず、友達ができなくて困っていたのだから。
もしかしたら自分がいなければ切欠がつかめずに、彼の不安どおりに一人寂しい学園生活送っていたのかもしれない。
目の前で良かったと安心して泣く様子は妹を心の其処から心配している良いお兄ちゃんとしか見えなかったのだ。
「安心してください。みぽりん…あ、えっとみほさんは今ではこの学園艦でも有名人ですし人気者ですし…
皆から好かれています!」
「ああ…聞いているよ。戦車道でこの学園艦を救ったんだってな。
それと、構わないから普段から呼んでいる様に呼んでくれ。
妹があだ名で呼ばれているのも…その安心する。
戦車道を嫌っていたと聞いていたが、今ではまた戦車道を好きになってくれたんだな」
「はい!確かに最初は嫌々だったけれども…私もみぽりんと一緒の戦車に乗っているから解りますけど今は戦車道を楽しんでいます!」
「…君も戦車道をしているのか?
そうか、見えなかったから驚いたよ。
みほは戦車道でも上手くやっているのか…」
「えっと私達あんこうチームって言うんですけど、皆みぽりんが好きですし。
私たちだけじゃなく戦車道全体でもみぽりんは好かれていますし下級生から慕われていますよ」
「そうかぁ…良かった。
本当に良かったなぁ…」
それから二人は様々な話をした。
内容としては彼が日常におけるみほの交友関係を聞き、それを沙織が答えるといったものだ。
秋山優花里という戦車道が大好きでみほに憧れていてまるで可愛い柴犬の様に慕っているだとか。
可愛い一年生のうさぎさんチームに頼れる先輩として懐かれていて、特にリーダーの澤梓には特に尊敬されているだとか。
大洗だけではなく、他校の隊長や生徒もみほを好んでいるだとか。
そういう話をしては一々彼は良かったなぁと零すのだ。
その本当に妹を大事に想っている様子は沙織にますます好感を抱かせた。
「あれ?そういえばこの部屋、鍵はかかってませんでしたか?」
会話が一瞬だけ途切れたので、沙織はふと思い出したように聞いてみた。
と言っても実際には管理人に親族だと話して開けてもらったとかそういうのだと思っていたので本当に疑問に思っていたというよりは、会話を途切れさせない為の話題の一つとしてだしたものだ。
「いや?鍵はかかっていなかったぞ?
だから無用心だなと思ったんだが…そうだ、無用心といえば沙織さんもだぞ」
「え?私もですか?」
「よくよく考えればみほの兄と名乗ったがそれを信用して見ず知らずの男と二人っきりで話していては不味いだろう。
僕が暴漢とかだったらどうするんだ。
沙織さんも可愛い年頃の女の子なんだからもっと用心深くならないと」
「か、可愛い!?
私って可愛いですか!?」
初めて異性に可愛いと褒められた沙織は食らいついた。
いや、今までもそう言われた事もあったが、大半は商店街のおじさんたち…つまり、どちらかというと子供や孫に対するそれであった。
外見も中々整っており、内面も大人の優しさと懐に広さも感じさせるだけあって沙織は今までに無いくらい胸に興奮を抱いてた。
「え?気にするのは其処なのか?
いや、普通に考えて沙織さんは可愛い方だと思うぞ。
それに容姿だけじゃなく友達の為に料理を作ってあげるなんて内面も可愛いと思う」
「やだもー!……可愛いなんて、えへへ」
「いや、えへへじゃなくもっと気をつけないと…」
彼の説教など沙織にはもはや馬耳東風であった。
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「そういえばどうやって学園艦に来たんですか?」
「ああ、僕はちょっと家の仕事の手伝いで海外を飛び回っているんだ。
男だから直接戦車に乗り込んで…といった活動はしないけど他の色々な面では男だってできる事は結構あってね」
なるほど、そういえば日本戦車道連盟の理事長も男性であった。
戦車に乗って試合をするのは女性に限られるが、そういった多方面に対する仕事では男性が活躍する場面も多々あるのだろう。
「海外を飛び回って仕事をしているって…凄い!」
「まぁ主には色んな所に顔を見せて話すだけだけだから大した事はしていないんだけど。
僕の能力というよりは生まれが重要な仕事だし…。
それで日本に帰る機会があって、調べたら偶然この学園艦と近い航路を通る事が解ってね。
それでヘリでお邪魔させてもらったんだ」
そういえばみほからも実家によくヘリで客が来たり、自分もヘリで移動したという話を聞いた事がある。
お金持ちだからか、それとも伝統ある有名な流派の家とはそういうものなのかは解らないが、一般人とはやっぱりスケールが違うなと納得したものだ。
沙織が妙な所で感心しているとふとみほの部屋にあるボコの置時計が目に入った。
「あ、いけない!料理の準備をしないと」
そういうと彼も腕時計を確認してこう言った。
「おっと、もうこんな時間か。
そろそろ僕も行かなくちゃ」
「え?みぽりんに会っていかないんですか?」
「そうしたかったんだけど、予定が詰っていてね。
少しでも会えるかなと思ったけれど、どうやら都合が合わなかったようだね」
そんな折角、お兄さんが心配してきてくれたのに…
そう沙織が残念そうな悲しそうな様子を見せていると、彼がポンと頭に手を載せて軽く撫でた。
「そう悲しそうな顔をしないでくれ。
不安だったけれども君からみほの様子を聞いて安心したし、君がみほの友人である事も本当に嬉しかったよ。
今日は会えなかったけどしばらく日本にはいるしまた会う機会もあるだろうしな」
そう言うと彼は「ありがとう」と「これからもみほの友人でいてくれ」と最後に言い残すと静かに部屋から出て行った。
残された沙織は静かに先ほどまで大きく包み込むような手が置かれていた場所を触り、残された暖かみを感じていた…。
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「あ、おかえり!みぽりん!」
開始が遅れたので下準備だけではなく、料理が完成した所で丁度よくみほが帰ってきた。
外はすっかり暗くなっており、雨が降り出して少々空から音が聞こえてきた頃であった。
突然の悪天候にみほと彼が心配であったが、少なくともみほは本格的に振り出す前に帰ってこれた様で、然程濡れていなかったので沙織は安心した。
「ただいま沙織さん。
わぁ!いい匂い!」
「ほらほら、丁度良くできたから座って座って」
「あ、並べるの手伝うよ」
そうして二人でお皿に盛って、机に並べて二人で「いただきます」をした。
「うん!美味しいよ!沙織さん!」
「ふふふ、今日の私は女子力が高いから!
料理も高まる女子力によって美味しくなってるんだよ!」
「あ、今日は沙織さん凄く機嫌がいいよね。
何か嬉しい事でもあったの?」
「えへへ、実は素敵な出会いがあってね…!」
「沙織さんに!?」
みほは心底驚くように言った。
唯でさえこの学園艦では年頃の男性は少ない。
勿論そういった出会いが皆無な訳ではないが、あの沙織が妄想ではなく実際にそういう機会に恵まれるとは思ってもいなかったのだ。
しかし、彼女にとって大事で大切な友人である。
その友人に素敵な出会いがあったと聞いてみほは嬉しく思ったのだ。
その様子を感じ取ったのか沙織も嬉しくなり、そして少々もったいぶった言い回しをした。
「うふふーーこれもみぽりんが鍵をかけ忘れていたおかげかな?
駄目だよ、みぽりん。女の子の一人暮らしなんだからちゃんと用心しないと」
「―――え?私、鍵かけたけど?」
箸を持ちながら首をかしげて不思議な様子なみほを見て、沙織も首をかしげた。
「かけ忘れたんじゃなくて?」
「ううん、そんな事は絶対に無いよ。
だって私、階段下りてから不安になってわざわざ上りなおして確認したもの」
外では雨がますます強くなってきた。
遠くから聞こえる微かな音は徐々に近づいてきた。
「え?え?だってみぽりんのお兄さんが」
「お兄さん!?私に?
私にお兄ちゃんなんていないよ!」
沙織は先ほどまで話していた男性の事を思い浮かべる。
優しそうな笑顔で、妹に友達ができたと喜んでいた彼の姿を。
「だ、だって…みぽりんのお兄さんだって
海外から帰ってきたって」
「やめてよ!そんな冗談、たちが悪すぎるよ…!
ねぇ沙織さん…さっきから何の話をしているの?」
そんな馬鹿な。
彼は明らかに身内のそれの様な情報を知っていた。
西住家やみほの周囲に関して詳しすぎた。
だから沙織も信用していた。
混乱し、心の其処からなんとも言えぬ恐怖を感じてきた沙織はしどろもどろに今日この部屋で出会った男性について語った。
「知らない…そんな人知らないよ……」
もはや二人とも一切箸は進んでいなかった。
先ほどまで頬を赤く染めていた沙織の顔は今度は真っ青になっていた。
いや、沙織だけではない。
みほも顔から血の気が引き、体を僅かに震わせていた。
思い返せば…その時は気にならなかったがこの部屋に入った時、僅かにベッドの布団が乱れていた気がした。
タンスの引き出しが僅かに開いていた気がした。
洗面室のドアが閉まっていなかった気がした。
畳まれていた洗濯物に乱れがあった気がした
洗おうとしていた食器の内、箸やスプーンといったものが皿の数に対して多くの数がシンクにあった気がした。
―――予想外の沙織だけ先に部屋に入り、そしてみほが何時帰ってくるか不確定だったから…。
もし…もしも、普段どおりにみほだけ帰っていたら……。
色んな事を話してしまった。
みほの普段の生活や交友関係等も。
先ほどまで、暖かみを感じていた頭を撫でられた箇所は、今では何だか粘り気を感じる気がした。
外では勢いを増した雨が窓を大きな音を立てて叩いている。
ピカリと輝いた次の瞬間、大きな音を立ててゴロゴロと雷が鳴った。
-了-