第2話
「う……ん」
少年は、カーテンに遮光された薄暗い部屋の中、目をこすりながらベッドから体を起こした。起きる直前まであの夢を見ていたためか、どうにも気分のよくない目覚めだった。
あの夢――およそ一ヶ月前、ネットゲームで体験したあのときの出来事を夢に見たのだ。
ゲーム上での体験とはいえ、少年にとってはあまりいい思い出ではなかった。
眠気眼のまま、ベッドの枕もとに置いてある目覚し時計を見ると、時計はすでに朝の八時をすぎる時刻をしめしていた。
「やっべ、遅刻するっ!」
一気に眠気が吹き飛ぶと、少年はベッドから飛び起きて登校の準備を始めた。
夏休み前、梅雨も明けていよいよ暑くなる七月初旬の朝は、雲ひとつ無い蒼穹の空だった。
昨晩まで降り続いた雨もあがり、雨に洗われてすんだ空気は関東圏とは思えないほどきれいで、息をするのが楽しくなる。
肺の中が清々しくなる。
そんな空気の中、閑静な住宅街の一角を占める高校へ、ブレザーの制服に身を包んだ高校生と思しき何人もの生徒達が、学び舎へと足を運んでいく。
近くの国道を走る路線バスから通う生徒、自転車通学、徒歩…… 公立高校故かバイク通学は認められていないため――免許を取ること自体は禁止されていないのだが――、エンジン音の騒々しさは無いが、部活の朝練のために登校した生徒達の声や、ブラスバンド部の、いささか調子っ外れな練習曲が、静かな朝の住宅街にちょっとした騒々しさを与えていた。
そんな中、高校の正門が面した道から一丁ほど離れた一軒家の住宅から、一人の男子高校生が、大あくびをしながら出てきた。自宅の前を歩いている生徒達と同じ制服に身を包み、若干やせ気味の眼鏡をかけた少年だ。
大理石を模した表札には、瀧寛一、瀧水穂、瀧亮一、と名前が刻まれている。
その少年は、玄関に鍵をかけてから、小さな声で
「いってきまーす」
とつぶやいて、家を離れる。
家の世帯主である父親と、その配偶者である母親――すなわち、寛一と水穂は仕事でめったに家に帰ってくることはなく、前日も二人はずっと職場で仕事をしていて、めったに帰ってくることは無い。
帰ってきたとしても、すぐに仕事に出てしまうのが両親だ。
そして、今この家から出てきた者は、二人の息子であるところの瀧亮一だった。
瀧は、今の学校に入学して三ヶ月になる。五月病とやらにもかからず、高校の生活にも慣れ始め、休日は高校で知り合った友人とも出かけるようになった。
「いよーぅっ!」
朝、聞くには少々やかましい声が瀧の耳に届く。
級友の岸辺孝雄だ。
瀧と同じく徒歩通学だが、中学は瀧とは別学区で、高校で同じクラスになり友誼を結んだ仲だ。
痩せぎすの瀧とは違って筋肉かついているタイプの固太りで、中学三年の時に柔道の初段を取ったという実力者でもあり、高校生にしてはがっちりしすぎているその体格も納得だ。部活ではなく道場で柔道を学んでおり、毎日三時間程度だがみっちりしごかれているらしい。
高校になってから知り合った友人で、アニオタゲーオタという微妙な趣味ながらも、お調子者のにぎやかしなためか、そのことについてイジメにあったとりかそういうこともない。
「朝からにぎやかだねぇ」
はふ、と小さなあくびをしながら、駆け寄ってきた友人に答える。朝、彼が元気に声をかけてくるときは、朝稽古がない日だ。
二人は、他の徒歩通学者やバス通学の生徒達に混り、歩幅を同じくして歩き始める。
「なぁなぁ」
「ん?」
「瀧って、ガンダムのネトゲやってんだろ?」
岸辺は、声を少し押さえ気味にたずねてきた。一応、周りをきにしてのことらしいが、彼の小声は普通の声量だ。
「ああ、うん。まぁそれなりにね。興味あるの?」
「ちょっとな。オヤジがさ、パソコンを新調するってんで今まで使ってたのをお下がりでもらえることになったんだよ。で、ちょっとやってみたくなってさ。どんなゲームなんだ?」
「うーん……なんていえばいいのかなぁ……FPSっていうジャンルなんだけど、聞いたことある?」
「おう、あるある。あれだべ? バトルフィールドとコールオブデューティーとかそういうのあったよな。きいたことある」
「ああ、バトルフィールド知ってるんだ。それなら話が早いや。ほぼアレと同じゲームだよ。世代は、ファーストガンダムがベースになってて、ちょっとだけZガンダムのモビルスーツもでてる」
それを聞いて、岸辺はなるほど、と納得した。
二人は校門についたので、門を通って敷地内に足を進める。校門からグランドを通って生徒用玄関にたどり着く作りになっているため、野球やサッカーの朝練の生徒なんかがいて、かなりにぎやかだ。
「一応、視点はFPS以外に、モンハンみたいなTPS視点でもできるようになってるけど、大体あんな感じ。一応、ストーリープレイはあるけどメインは対人プレイだから注意ね」
「じゃあ、ストーリープレイってなんのためにあるんだ?」
「シナリオをクリアすると、使えるモビルスーツとか武装が増えたり、参加できるマップが増えたりするんだよ」
「したっけさ、クリアしないと……」
「いつまでも、ザクⅡとかグフとかトリアーエズとかしか扱えないねぇ。あと、課金シナリオがあって、これをクリアしないと手に入らない武器とかモビルスーツとかあるけど、まあ、それは手に入れる必要はないかなぁ」
「ふむふむ……」
「それはともかく、パソコンのスペックが足りてるかのほうが気になるんだけど」
「あ、それは大丈夫。うちのオヤジもゲーマーだから」
「なるほど」
一応、瀧が今やっているゲームは、二世代前のスペックでも動くように作られているので、よほどじゃない限り動作は可能だ。おまけに、ゲーマーのパソコンを譲り受けるのだから、相当しっかりしたものだろう。数世代前でも、十分な性能を持っているに違いない。
二人は、登校や部活の生徒でごった返す生徒用玄関に入ると、それぞれの下駄箱にむかったのだった。