第3話
昼休み前、四時間目の体育の授業というのは、あまり好きではないのが瀧だ。
ただでさえ、空腹気味のところに運動なんてやらされるものだから、空腹の度合いが激しくなる。対策として早弁しようにも、着替えの時間があるからせいぜい食べれて菓子パン一つで、それだけだと逆に胃腸の動きが活発になって、空腹をいや増す結果になるのが目に見えている。
ただ、どれだけ嫌だと思っても時間は過ぎていくわけで、瀧は隣のクラスの男子と一緒の体育の授業を迎えていた。
内容は、最近色々と問題になっている柔道の授業。
二階建ての道場の一階で一通りの事前の練習を終えると、生徒達は場外のラインにそって正座してた。
教師が中央でこれから行う授業の説明を始めようとしているのだ。
先日の柔道の授業で、今日は乱捕りを行うと通達されていたので、いよいよこれまで教わった技を試せると、大半の生徒が気もそぞろだった。
「今日は、この前話した通り、乱捕り稽古を行う」
柔道専門の教師である荒畑は、生徒全員に目を配らせながらどら声でそう言った。あんこ型の体型で、昔はよくいたタイプの重量級だ。
人懐っこい達磨顔に浮かぶ笑顔とそのまるっこい体型が愛らしく、意外と彼のファンが女子生徒の中には多かった。その人気は本物で、誕生日やバレンタインテーには、いつも生徒から幾つかのプレゼントが届けられるほどだ。
「乱捕りとは、二人一組になって、試合形式で技を掛け合う練習のことだ。ただし、審判をつけず寝技は行わない。とにかく投げ技だけを掛け続ける。試合のように、投げておしまいではないわけだ。まぁ、百聞は一見に如かず。乱捕り稽古とはどうやるのかをこれから実演する。宮前」
荒畑教師は、柔道経験者である宮前という生徒を呼んだ。岸辺を選ばなかったのは、実力を理解できているか否かにあった。たとえ道場通いでならした黒帯であっても、実力がわからない以上、身近な生徒を選ぶのは当然だ。
「はい」
呼ばれた生徒が立ち上がり、教師の前に立った。
柔道部員で、中量級選手でもある。
新人にしてレギュラーを取った逸材だ。
「なぁなぁ」
岸辺が、自分の隣に座って、のほほんと乱捕りの実演を見ている瀧に声をかける。。
「二ノ宮のやつ、おまえのほうみてるぜ。あいつ絶対、乱捕りでお前狙ってくるぞ」
そういわれて、瀧は向こう正面に座る二ノ宮のほうを見ると、確かに岸辺の言う通り、何が面白いのか自分をにやにやとした顔で見ていた。
素行不良者、所謂DQNで、クラス全員から煙たがられている生徒達だが、イジメの対象になりかねないので、みんながみんな、彼らには文句も注意もできないでいる。
体格は、明らかに瀧よりも一回りは大きい。
「まぁ、多分大丈夫だと思うよ」
瀧には、ずいぶんと余裕があった。なにが大丈夫なのかわからないが、妙に確信めいたものがあって、軽口ともとれる台詞とは裏腹に、その雰囲気は岸辺から一瞬言葉を奪うほどだった。
「大丈夫ってお前……」
「うん、大丈夫。まぁ、やってみればわかることだよ」
瀧がそんなことを言っている間に、説明を終えた荒畑教諭が宮前との乱捕りを終わらせて、
「というわけだ。道場の広さにも限度があるから、それぞれぶつからないよう、注意して行うこと。一本三分、合計三本行う。では、各人自分の体格とあった生徒と組み合うように」
と、言った。
瀧は、心配そうにはらはらしている岸辺を後にして、二ノ宮に近づいていく。
二ノ宮と三名いる彼の取り巻きは、自分達に近づいてくる瀧に逆に不意をつかれ、呆然としていた。まさか、ひょろっぽくて体力がない瀧が自ら近づいてくるとは、これっぽっちも考えていなかった。
「お、おい瀧!」
呼び止める岸辺の言葉も意に介さず、
「さぁ、二ノ宮。乱捕りやろうか」
と、自分よりあきらかに頭一つは高いそいつに声をかけた。
二ノ宮は、そう言われるとにやぁ、と粘っこい笑みを浮かる。
「いいぜ、やろうやろう」
明らかに、瀧をイジメの対象としてみていると思わせる顔だった。
彼の取り巻きも、おそらくは彼に続いて瀧をいいように投げ飛ばしたいのだろう。歪んだ期待に満ちた笑顔が、顔にはりついていた。
「乱捕り開始!」
教師は、それぞれ乱捕りの相手を決めたのを確認して、掛け声をかけた。
その声と同時に、二ノ宮が覆い被さるように瀧の奥襟を取ろうと掴みかかってくる。
――うん、やっぱりそうくるんだ。なら多分、これが正解。
二ノ宮の右手が奥襟に届きそうになった瞬間、ふ、と瀧は身を低くして彼の懐に入り込むと彼の右側面に回り右手で右手を取った。
「え?」
本当なら瀧の奥襟をつかめたはずなのに、掴もうとした右手が逆に瀧につかまれたことに驚いて動きが一瞬停止する。
そのまま、瀧は左手で右足を取り、左足を右足で内股から払いながら体を預ける。
瀧は、そのまま二ノ宮と一緒に畳に落ちる。
ずだぁん!
道場に、乱捕りが始まってから最初の受身の音が響いた。
その後、あちこちで畳を叩く音が鳴り始める。
瀧と二ノ宮はそのまま立ち上がり、頭に血ののぼった二ノ宮が、瀧に突っかかるように組み付いてくる。
―――これも、わかる。
力任せに押し込んでくるので、その勢いを利用して巴で投げる。
――次は大内刈りだ。
起き上がり、組み合うと、相手が体格差を生かして大内刈りをやろうとしてきたところを、タイミングをはかったようにすかして小外掛け。申し合わせたような、見事なタイミングだ。
――次は振り回して出足払い。返し技はテレビで見たことあるな。
頭の中で、金鷲杯のテレビ中継で見た燕返しの様子をのんきに思い返した。そのイメージ通りに振り回してからの出足払を燕返しで返してしまう。
――体落としはこう、かな。
帯を掴まれると、自分の腰を相手の腰にぶつけて技の入りを邪魔すると、そのまま密着して小内刈で投げる。
二ノ宮は、徹底的に返し技をくらい続け、疲労で息を切らせていた。
好き勝手に投げて、徹底的に嗜虐心を満たすつもりだったのだろうが、逆に技の入りをつぶされ、返し技でことごとく投げられてしまい、今ではその欲もなくなりすっかり萎縮してしまっている。
最後は、これなら、と、懐にはいりこみ様背負い投げできれいになげてしまった。
「乱捕り一本目、終了~。互いに礼。一分間の休憩の後、二本目を行う」
瀧は、乱捕り開始前とはうってかわって、すっかり意気消沈してしまっている二ノ宮に礼をして、岸辺の元にもどってきた。
二ノ宮の取り巻きは、しょげている彼になにやら辛らつな言葉を投げているようだが、当の本人は日ごろの不摂生がたたってか、投げられすぎて体力をかなり消耗してしまい、その言葉に反応できるような元気も気力もすっからかんだった。
「な、大丈夫、だった、だろ」
さすがに技を出しつづけた瀧も、いいように投げられまくった二ノ宮ほどではないにしろ、かなり息をきらせていた。
「あ、ああ……凄いな。お前、柔道やってたんだ。とてもそんな風には見えなかったけど」
岸辺は、ちんたらやっていたのか、あるいは瀧のことが心配になって気が気ではなかったのか、集中して乱捕り稽古をやっていたわけではなかったようだ。あるいは、普段やっている柔道の稽古でなれているので、この程度では疲れないのかもしれない。あまり息は荒れていなかった。
「いや、やって、ない、よ。なんと、なくだけど、どうすればいい、か、閃いた、から、そのとおり、に、やって、みた、だけ」
ぜ、ひ、と息を切らせながら、なんと言葉を繋いだ。
「閃いたって……それであんなに返し技できるのかよ」
「う、ん」
そう答えると、荒れた息を整えようと深呼吸を繰り返し、背筋を伸ばす。
「そういうもんか」
岸辺は、どこか納得できないものを抱えながらも、そういうものかと思うことにした。
なにしろ、瀧は柔道有段者である岸辺が関心するような動きで、相手の技のことごとくをかえしていったのだ。閃いたうんぬんは別にしても、今すぐにでも黒帯をとれそうなぐらいの技の入りを見ては、納得するほかはなかった。