第4話
柔道のあとの昼休みは、瀧のクラスでは彼が話題の中心になっていた。
あのあと、瀧は乱捕りで二ノ宮の取り巻きも投げ飛ばしてしまったからだ。もちろん、一度も投げ飛ばされず、何度も一本を取れる形で投げ飛ばしてしまったのだ。しかも、最後の投げ技は隅落としというおまけつきである。
無傷の連勝をかざっては、さすがに教師も無視はできなくなったらしく、ほかの生徒には乱捕りをやらせている中、瀧を呼び寄せて、今まで柔道をやっていたのか、とか、柔道部にはいらないか、など、授業中に柔道部へ入るよう勧める始末だ。
瀧は、さすがにへっとへとで酸欠による軽い吐き気もでているので、逸材を見つけたといわんばかりの荒畑教師の追及も空返事ですませてしまった。
さすがに、教師という立場上、そんな瀧の様子を見ては、これ以上の追求もできない。本当にしぶしぶながら、瀧に保健室にいって休憩をとるよう指示して、それでおしまいだった。
ともかく、そんなことがあって、瀧は昼休みが三分の一ほど過ぎたころに教室に戻ってくる。
教室や廊下は、昼休み独特のにぎやかさにあふれていて、授業でたまったストレスをここ一番に発散しようとする生徒の談笑が騒音レベルで校舎内に満ち満ちている。
そうした騒がしい中、瀧はあくびをしながら教壇側の扉から教室に入ると、入れ違いで教室の後ろの扉から二ノ宮とその取り巻きは教室からでていって、かわりに瀧がクラスの視線を一身に集めることになった。
「え……と……」
瀧は、教壇側の扉のレールに立ったまま、クラスメイトの視線を受けて戸惑い、立ち止まる。
生まれてこの方、こんなに他人から注目されたことはなく、痛覚を覚えるほどの興味津々な視線を浴び続けているのが怖くて、きびすを返して教室から逃げ出そうとする。
「ちょいちょい、こっちこっち」
岸辺は、そんな瀧を呼び止めて、教室の中心で瀧を手招きする。
「みんなが、お前の武勇伝聞きたがってんだよ」
「ええっ? 武勇伝って、ただ柔道の乱捕りで投げただけなのに、なんで?」
声が上ずる。若干、のどが痛い。
突然、すごい緊張が全身を支配して、のどをからからに渇いてしまったらしい。
「それがすげぇんじゃねぇかよ。四人全員、一度も投げられずに投げまくっただろ。大体最後の投げ技なんて隅落としだぞ。あんなの、打ち込みでもできるやついねぇぞ」
岸辺の声が若干大きくて、言葉が荒い。
よほど興奮してるんだろう、などと、瀧の頭の片隅にそんな思考が浮かぶもそれは一瞬で、
「いやいや、たまたまだよ、たまたま」
といって、教室の中に入っていく。
「たまたまじゃないって」
別の男子が、あきれたような口調で否定した。
「ほんとほんと。瀧って、実は黒帯もってんじゃねーの?」
別の男子が肯定する。
「やってないから」
苦笑しながら、級友の言葉を否定した。
実際、自分は高校に入るまで、格闘技はおろか、武術、武道といった類のものは一切学んだことがない。なぜ、唐突に返し技や投げ技のタイミングがひらめいたのか、理由がわからないのだ。
だから、彼としても男女問わず発せられる問いにはただ、偶然だ、とかひらめいたから、とかしか答えられなかった。
そして、どうして自分があんなまねをできたのか、その理由を一番知りたいと思っているのは、たぶん瀧本人だろう。
「なんかさなんかさ、たっきーってすっごいなよっとしてておたくっぽかったけど、結構しっかりしてたんだねぇ」
うるさがたの女子が、当人が目の前にいるのに辛らつな台詞を口にする。
「いや、それ当人目の前にしていう言葉じゃないから」
などと、瀧は苦笑しながら突っ込みいれると、その女子の親友が、
「ほんっと、あんたってデリカシーないよねぇ」
と、ツッコミをいれた。
「え? なんでなんで?」
まったくわかっていないようで、それを聞いた瀧は、ははは、と空笑いするしかない。
「ん?」
瀧は、突然なにかを感じて、あたりをきょろきょろと見回した。誰かが、自分を自分の頭の中で呼んだような感じがしたのだ。
「どうしたんだ? 瀧。いきなりきょろきょろして」
岸辺が、神妙な顔をして辺りをみまわした瀧に尋ねる。
「いや、なんか……うん。みんなごめん。ちょっとトイレ」
そういって席を離れると、クラスメイトの輪の中から抜け出てしまった。クラスメイトは、異口同音に彼を呼び止めようとするが、
「ほんとごめん、ちっともれそう」
などと言って、廊下に飛び出してしまった。
「おい、ちょっと、瀧」
教室の中から、岸辺が自分を呼び止める声が聞こえる。
しかし、瀧にはそれ以上に、得体の知れない、頭の中の他人の声のほうが重要だった。
どうしても、それがなんなのか突き止めたくなったのだ。
そう、今すぐに。早急に。
その声の主が、どうして自分がこんなに奇妙な閃きを持つにいたったのか理解しているように感じたからだ。
廊下は、相変わらず生徒が雑談に花を咲かせていたりして騒がしい。
その雑踏の中、瀧は自分の教室から一番遠い突き当たりの壁に、女子が一人立っているのを見た。
見ただけで、容姿なんかはまったく見えない。
ただ、どんな容姿なのか、理解はできた。目で見なくても、なんとなくわかった。
背は高めで、自分と同じぐらいだろう。ショートカットで活動的な風貌だ。スカートは若干短めで、健康的な足がすらりと伸びている。いやらしさとか、そういうのは一切無縁のさわやかさがあった。
もっとも、瀧はそう感じただけで、彼女の顔を直接目で見ているわけではない。
――瀧、亮一クン、だよね。
そう口が動いたのがわかった。見えたのではなく、そう認識した。
彼女は、くすっと笑うと、廊下を走り回る生徒や、次の授業の準備の手伝いをするために、荷物を運んでいる生徒の間を、まるでダンスでもおどってるかのように縫い歩き、自分に近づいてきた。
しかも、ごく自然に。それができて当たり前だと。見るものにそんな印象を与えるほど自然に。
結局、誰ともぶつからず、自分のそばまできて、すれ違いざまに、
「今日、ニューヤークで待ってるよ、瀧、亮一クン」
彼女は、瀧にしか聞こえない声でそうつぶやいた。