第5話
瀧は、学校の授業も終わり足早に帰宅すると、ブレーザーの胸ポケットからキーホルダーを取り出した。自転車や家の鍵かいくつかついたキーホルダーがずしりと重い。
鍵穴に鍵を差し込むときの音が、どこか空しい。
どうせ家に家族は居ないし――両親ともに仕事に忙しく、二人が自宅に帰らないこともままあることだ――、このまま居なくなっても、両親はきっと食事の問題以外では特に困ることはないだろう、などと考えるものの、はたと思い至ってその思考を切り上げた。
こんなんじゃあ、僕も父さんや母さんと同じじゃないかと。
そう自分に言い聞かせ、高校生らしくない苦笑を浮かべながら鍵を開けて帰宅する。
「ただいまー」
玄関のドアを開けがら、誰もいないとわかりきっている家の中に帰宅の挨拶をした。
玄関には両親の靴がそれぞれ一足ずつ、玄関の右側にある下駄箱の前に並んでいる。
どちらも履き古してもいいような安いエナメル靴だが、あまり履かれている様子は無く、新品のままだ。
「まぁ、いないよね」
など一人ごちる。
一人の生活が長いと、どうしても独り言も多くなるものだ。
もっとも、両親、あるいはどちらかがいたところで何をするわけでもないし、会話が弾むわけでもない。挨拶を交わして、学校でなにがあったかを報告。それ以上会話が続いたためしはない。
後ろ歩きをするように靴を脱いで家に上がり、かばんを放り出して急いで台所に向かう。
流し台には両親それぞれがメモを残してあって、その上にそれぞれ千円ずつ現金が置かれていた。仕事の合間にこうやって家に帰ってきては、食べたい晩御飯のメニューが書かれたメモを伝言として残すのがいつもの習慣だった。
現金は、そのおかずを買うための食費だ。
そして、メモには二人そろって同じメニューがしたためられていた。 父親はペン習字を習った人らしく整った字で、母親は丸文字で、ただ一つ。
カレー、と。
仕事のことで喧嘩が絶えない二人だが、なんだかんだと気は合う。合うからこそ、仕事で食い違いが起きたら許せないし、腹立たしくもあるのだろう。
なぜ、自分とここまで同じなのに、こんなことがわからないのかと。こんなことができないのかと。
現在、離婚を考慮にいれて家庭内別居に近い状態だが、未練があるかのように離婚に踏み切らないのは、子供である自分の存在よりもやっぱりお互いがお互いのことを必要としているからだろう。 「まあ、それでも、僕にはいい両親なんだけどね」
一方通行な思いかもしれないが、瀧はそう思うのだ。
なんだかんだいって自分を高校はおろか、大学まで絶対にいかせると断言しているし、希望があるなら大学院にいけ、やりたいこと全部大学でやってこいと言っている。
病気になれば仕事を切り上げて看病のために早退してくれたりもする。
誕生日も交代制とはいえ祝ってくれる。
正月もクリスマスも。
こんな両親なんて、今どきなかなかいないだろう。
もっとも、それよりなにより一番大事なことは、自分にキラキラネームなどというものをつけなかったことなのだがそれはともかく。
瀧は、注文を確認して鞄を二階にある自分の部屋にもっていき、服を制服から部屋着のスウェットに着替えると、台所に戻ってさっそく料理を開始した。
両親のおかげで、というべきか、瀧はおさんどんの日々が続き、今ではすっかり料理が趣味の一つになってしまっていた。
とはいえ、今日両親から注文を受けた料理は手抜き料理の代表格であるカレーだから、別段気合を入れる必要も無いのだが、それでも二人がおいしそうに食事をしているところを想像すると、ジャガイモの皮をむく手にも、ついつい気合がこもってしまう。
カレーは、家庭ごとの隠し味やらなにやらこだわりが出るものだが、瀧はとくにはない。しいて言えば、ジャガイモを切らずにいれることと、にんじん嫌いな母親のために、にんじんをすっていれることぐらいだ。
なにしろ、二人ともカレーは大の好物で――子供かよ、といつも心の中でツッコミをいれている――下手なこだわりをいれてしまうと、家族全員の会議を開きかねない事態になる。
いちいち面倒なので、それは是が非でも避けたいことだ。
よって彼は、両親の要望通りひねりをあえてきかせない、ごく普通の日本風カレーを作り終えると、一日の汚れと疲れをとるために風呂へと向かうのだった。