「それでは仕事についてだが」
「ちょっと待って政次郎くん」
セーフハウスで、蓮と政次郎は椅子に座りお互い向き合う。生死を賭ける仕事の話をするのだ、細かい打ち合わせも必要であり、腰を落ち着けて話すのは当然な事だ。
腰を下ろしていざ話そう、といった矢先に蓮が政次郎に静止をかける。
「……なんだ野曽木。もう一度言うが茶はいらんぞ。コーヒーなら許すが」
「そのふてぶてしさには怒りと呆れを通り越すけど、そうじゃなくて」
政次郎は一切動じず、泰然と座って嗜好品まで要求する。彼もまた政府の隠密として数々の事件を秘密裏に処理してきた紛れもない裏側の人間であり、少年の見た目にそぐわない自然な落ち着き様は不自然ですらある。
だが蓮が言いたいのはそんな
「なんで政次郎くんがソファーに座って、私がパイプ椅子に座ってるのかしら」
「空いていたからな」
蓮は外出から戻ってきた時、今回の補充品である薬品や護身用の銃器類――蓮は警察や政府に話を通し、非常時に備えて銃器を携帯している――、情報屋から受け取った暗号化された書類など、荷物を一旦下ろしてきた。
その時間の間に、さも当然の様に政次郎はこのセーフハウス内唯一のソファーに腰掛けていた。差し押さえられる前の屋敷にあった、蓮お気に入りの家具である。その座り心地は今や質素極まりない暮らしであるこのセーフハウスの家具において、まさしく最高級のものだ。
政次郎もまた、その事は知っている。蓮がこのソファーをいたく気に入っている事も、このセーフハウス内において最も座り心地が良い場所である事も。
「まぁ悪くないソファーだ。このまま売り飛ばしても足しにはなると思うぞ」
「わかってて言ってるんだから最高にタチ悪いわ政次郎くん」
挙句の果てに品評して嫌味を飛ばしてくる。さすがに蓮のこめかみにも怒りマークが浮き出るレベルだ。当の政次郎はそれを見ても一切動じず、ソファーに深く腰掛けているが。
「そんな事はどうでもいいだろう。仕事の話をするぞ」
「”そんな事”なら私とポジションの変更を要求するわ。私がソファー、政次郎くんがパイプ椅子よ」
「断る。無駄な手間を取るほど僕は暇では無い」
「何かしら、てめェ……」
ついツテの診療所の強面の院長の顔と口調をトレースしてしまう程には蓮は
こちらのペースに引き込む事が不可能な以上、こちらが折れるしかない。蓮にとってはソファーはこのセーフハウス唯一の癒しであり、帰宅前には常にソファーに沈みながらダラける事を考えている位には大事な物なのだが。せめて”おのれ政次郎くん”と思念を込めた睨みを飛ばす。
「まず、邪神教団に関連しているかどうかは不明な案件だ。今回の仕事はどちらかと言うと、調査に近い」
蓮が睨みつけた所で政次郎の
「……調査?」
「ああ。調査対象はとある客船。ある国内クルーズ会社社長の
「……」
「心の中で僻んだ所でお前の借金は変わらんぞ」
「勝手に人の心を読まないでくれるかしら」
金というものはある所にあり、平等に回らない。そんな実例を身を以て知っているつもりだが、やはり自分に無い物は羨ましく、妬ましい。心に感じた不平等感を言い当てられてさらに悲しみが増す。
「この客船はこの社長のコネクションのみが乗船を許され、国内あちこちの社長・重役・その他関係者の遊び場と化している。ここまでは何ら問題が無い」
「そんな船の調査って事は……行方不明者か、何らかの輸送?」
「不明だ。だが諜報班は、その両方を疑っている」
個人所有の大型船、という事はそれだけの人が出入りし、また人や物を運ぶ事が出来る。その上で蓮の分野に関わるとなると、最も考えられうるのは人身の誘拐や違法物の運送の二つだった。
超常現象、特に邪神関連で頻発するのが「生贄」だ。人を憑代に化物を作る、魂を捧げて邪神を呼び出す、力の維持に血肉を必要とする……同様に、表面上では出回らない
そうやって「利用」された犠牲者は、警察の捜査の届かぬ所で命を奪われ、殆どが「行方不明」となる。真実を家族に知られる事は永遠に無い。裏側で起きた真実は、表では歪曲し虚実と化す。この手の話の、
「客船の乗務員は公的な手続きを済ませていない。あくまで社長が個人的に金で雇った、契約書無しの人間だ。その分給料は破格で、金に困った人間を捜して声をかけているらしい。――……」
「その”そう、お前のような”みたいな間を生む必要あるのかしら」
「随分な言いがかりだな」
「言葉より伝わる沈黙ってあるのよ」
「被害妄想というヤツだな、十分な睡眠を取りストレスに備えろ。お前が使えないと多少困る」
「…………マジで首輪の鎖のネックレスはめてぶん殴ってやろうかしら」
”暇が無い”などとアピールしつつ、政次郎は忙しい様な節を見せない。この男が十分な余裕も確保せずに行動するなどまず無く、こうして目の前に姿を現しているという時点でじゃれ合う程度の時間は確保できているという事だ。
本当に暇も無く緊急な要件ならば、一方的に電話で要件と場所のみを伝えてくる。”報酬は用意した、伝えたぞ、行け”といった感じに、だ。……正直寝てる所を叩き起こされるのは勘弁なのだが、こちらの身を考えると文句は言えない。
「話を戻すぞ。今回の行方不明者は、その船の非正規雇用者に集中している。船の上でいなくなったか、船から降りた後でか、全体像はまだ把握しきれていない。だが、無視できる程の人数でもない」
「……それだけなら、まだ”買われた”って事もあるんじゃない?脂ぎった人間の集まる場でなら、無い話じゃないでしょ」
「無論そのケースは想定済みだ。行方不明の中には、船内での”取引”によって移動した雇用者も少なからずいるし、一部は保護済みだ。……だが、その
「……さっき言った、船の上で、ってやつ?」
「その通りだ。船上で姿を見せなくなった雇用者が多数いる。自身を案じての身投げ、と見て暫くは調査していたが……調査の結果、それも無かったらしい」
船の外でお持ち帰りされた、船から海へ投身……これらが無ければ、考えられるケースは一つ。
「”船の運行中に、消えた”」
「調査の結果、そう考えている」
人が掻き消える、などという事は本来あり得ない。証拠も無ければ、誰かの罪を証明できない。だが、その”ない”事こそが、紛れもない証拠となる事象もある。
「それに加え、その船の運行のタイミング……船が着岸して少し日を置いてから、その付近で怪異関係の事件がいくつか起きている。各地の隠密部隊だけでも処理できる程の些細な物だが、な」
「犯人はその船に乗り合わせ、人を消し、また怪異の種を運んでいる……または、船内で与えている、ってトコね」
「船の運行との関連性は未だ立証できていないし、各地の犯行も犯人が捕まっていないが……これ以上大掛かりな事になる前に、その客船を確認する必要がある、という訳だ」
「……なるほどね」
政次郎の情報は不確定な部分が多いが、本当にあやふやな情報であればわざわざ蓮の所に回すような事はしない。野曽木蓮という個人は高い能力を保有しているが、まだ人として逸脱こそはしていない。本気で問題を解決しようと思えば、政府の隠密部隊に事を回すほうが余程確実である。
だが、非公認の部隊を動かす事にはリスクが伴う。あまりに大人数で派手に動きすぎれば、隠密部隊は
また、警察などの公的組織を動かせるのは「踏み込まない」段階までだ。超常に対する理解の無い表の組織がいくら束になっても、ミイラ取りがミイラになりかねない。そんな問題が公に知られてしまえば、警察や政府に対する民衆の不信感は
……よって、政次郎が蓮に仕事を頼む場合、その仕事は確実な案件か、限りなくグレーに近いブラックだ。蓮は政府から暗黙されているだけの非関係者であり、失敗した所で「代わり」がいる。そしてその中において、単独での状況処理能力に優れ、何よりも身軽な身だ。
最初に動かす駒として、蓮は自分の身軽さを売りにしている。金さえ払えば仕事はする、逆らう事はしないし、監視も了解する。そういった「都合の良さ」によって、蓮は仕事を得ていた。
「……で、その客船に忍び込めばいいわけ?私に切り出すって事は、その客船が次に来る場所はあんまり遠い場所じゃないんでしょ?」
「察しが良くて助かる。次に到着するのはここより隣の市の港だ。日時は三日後、深夜二時頃。それまでに準備を整え、潜入しろ」
「かなり急ね……まぁいいわ、準備自体は整ってるし。……それより」
「報酬については調査内容次第だ。とはいえ、犯行が明らかで元を根絶出来たなら…このぐらいは堅いだろうな」
政次郎が報酬の頭一文字を指で表す。
「……桁は?」
「百だ」
「受けたわ」
悩む必要は無い。未来の懐が既に一桁万円になる事が確定している以上、蓮に選択の余地は無かった。
成功報酬では、と言ってはいるが、調査するだけでもある程度は保証してくれるだろう。カルト信者の違法物が輸送されているなら、少しぐらいの臨時収入も見込める。
「そう言ってくれると助かる。それと潜入の手続きだが、今回は何分急な事でな。潜入まではこちらで用意した通りに従ってもらう」
「そうなの?ま、船が来るまでの時間的猶予も少ないし、私の負担が減る分には構わないわよ。……で、どうすればいいの?」
「まず、客船に潜入するのはお前とシスターと僕の三人。伊達、真魚は潜入できない。今回お前達は、非正規雇用者として乗船してもらう」
「…………」
十三と真魚が潜入出来ず、ユーリヤと共に客船で非正規雇用。
政次郎のその説明から、何故か蓮の脳裏には理由のない嫌な予感が走った。
「……一応聞いておくけど、なんでそんな事に?」
「社長による個人的な非正規雇用だが、若い女性に集中している。男性雇用者は既に足りているらしく、また昨今の行方不明者も主に女性が多い。穴埋めとしてお前達二人は申し分ない訳だな」
「……」
「また、船の発着場の警備は十全で、僕だけなら潜り込めるが他二人は厳しい。とはいえ、大型客船とはいえ狭い船内で僕が表立って調査するのは厳しいだろう。必然的に僕は無線によるサポートが主となる」
「……うん、なるほどね」
確かに政次郎の話には筋は通っている。なるほど、たまたま女性雇用者が必要とされていて、大人数の潜入はリスクがある。
容疑に過ぎない”確認”の為、客船に対して荒っぽい手段は取れない。それで表面上は雇用者として潜り込み、隙を見つけて船内の調査をするのがベスト。なるほど。
「それに加え、非正規雇用者は主に借金で首が回らない者が多い。お前達のプロフィールを公開しろという訳ではないが、雇用されるにあたりお前達の雰囲気はこれ以上なく有効だろう」
「雰囲気」
……うん。いや、わかるけど。
蓮の心中には言いようの無い靄がかかったが、そこはまあ納得は出来る。
しかし”借金”と”若い女性”という二つの単語の隙間にあるだろう何かが、どうにも蓮の頭で警鐘を鳴らして止まなかった。
「さらに言えば、船内の主だった施設は娯楽施設……小規模なカジノで、そこで調査するならば実際に従業員として居合わせるのが望ましいだろう」
「カジノの、従業員」
……なんか、
大型客船、非正規雇用者、若い女性、カジノ。全ての点を、蓮の嫌な予感が一筋に繋げていく。
「……政次郎くん、ちなみにその客船の名前って、何かしら」
「”ホーフニュング”と呼ばれているらしい、”希望”という意味らしいな」
希望の客船。名前だけなら明るい未来を予感させる、よくある名の一つ。
しかし当の蓮にとっては、ろくでもない未来しか予想出来ない名だった。
見たいものを書きます(欲望)