「あっはっはっ! 『これは交渉などではない。強制だ。貴様の立場を弁えろよ』? こんなことを言われたのは久々よ」
――――だけど、冗談にしては行き過ぎているわね。
私は思わず声を上げて笑ってしまった。自分らしくない大声。まさかこんなことを幾世あやめが言うとは思わなかったのだ。一通り笑った後、スッと表情をなくす。
現在、私は二人の生徒に囲まれている。しかも、拳銃を突きつけられていた。私の目の前にいるのは幾世あやめ。私の後ろにいるのは森谷帝二だ。
どうしてこうなっているのか? いや、それよりもこの状況を打破しなければいけない。高鳴る鼓動を聞きながら、頭を高速回転させる。
(ミステリートレインでは私の紫の銃剣(ヴァイオレット・ベイオネット)は普通だったはず)
ジンからの頼まれごとの処理をした数日後、私はミステリートレインに乗り込んだ。理由はシェリーを始末するためである。まあ、残念ながら、あのシルバーブレットの坊やに出し抜かれてしまったのだけれど。
そのシェリー捕獲作戦での下準備を幾世あやめに頼んでいた。勿論、彼女にはどんな作戦を練っているかは伝えていない。準備だけだ。
何故、作戦内容を伝えないのか? 理由は二つある。一つは、前にも言ったように、お互いに干渉しないという契約を結んでいるからだ。
もう一つの理由は、彼女は弟子ではあるが、所詮はただの『道具』だからである。道具を長く使うためには余計な情報を与えない方がいい。
(今回、彼女は私の頼み事を請け負ってくれただけと思っていたけれど…。この様子じゃあ違うみたいね)
私のヴァイオレット・ベイオネットはいつもの優しげな風貌が一変していた。いや、雰囲気自体は変わっていない。前と変わらず、凡人で、平凡で、守られるべき人間の雰囲気を纏っている。決して裏社会の人間などではなく、どこにでもいる一般人にしか見えない。
しかし、目が違うのだ。
彼女は私と会ったばかりの時と同じ目をしていた。目の奥に炎が眩く煌めいているのだ。周りどころか、自分の身すらを燃やしかねない、紫色の炎。
――――嫌な予感がする。
今の状況は絶体絶命。しかも、幾世あやめは『あの』目をしている。覚悟の炎が灯った目を。
だが、この程度なら斬り抜けられるだろう。嫌な予感? それがどうしたというのだ。私を誰だと思っている? 何十年もこの裏社会を一人で渡り歩いてきた。秘密を着飾り、人々の絶望で輝いてみせた女。それが私。いつ何時、どんな状況であろうと、逃げ出す手段は何通りも確保している。
私は余裕ありげに幾世あやめに微笑んでみせた。
「フフ、随分と大口を叩けるようになったわね。でも、少し行き過ぎよ。そんな悪い子には――――消えてもらわなきゃ」
「ベルモット、この状況が分かっていないのですか」
「私がこの程度、逃げ切れないと思って?」
「貴方ならできるでしょうね。逃げたいのなら逃げても構いませんよ」
「あら、逃げてもいいの?」
「ええ。もちろん。貴方の大切なシルバーブレットやエンジェル、後はシェリーのことをバラしても良いのなら」
「――――なんですって?」
耳を疑った。どうして彼女がそのことを知っている…? 私があのクールガイを『シルバーブレット』と呼んでいることはごく一部しか知らないはずだ。しかも、彼の幼馴染の少女の呼び名まで調べられている?
(一体どこから漏れた?)
考えても考えても、情報のルーツが思いつかなかった。何故ならば、『ありえない』からだ。
確かに私と彼女はお互いの行動を干渉しない契約を結んではいる。だが、私から彼女への情報は完全に制限していた。私が彼女へ恩恵を与えていようとも、今のように裏切る場合があるからである。裏社会では裏切りは当たり前。どんな人物でも警戒して然るべきだ。例え、能力が凡庸な『幾世あやめ』だとしても。
(情報が漏れる可能性は極めて低いはず)
シルバーブレットに関する情報は私にとっては重要中の重要だ。あのジンにさえ漏らしていないというのに、何故彼女が知っている? 一体どこから流出した…? 私は彼女への情報制限だけではなく、不自然な動きをしていないかの定期調査までしているのだ。
―――― ありえない! 彼女がその情報を知っているなど!
私は私の腕に自信を持っている。重要な情報を『幾世あやめ』程度に知られてしまうヘマなんて絶対にしない。だが、実際には私の情報が彼女へ流れている。それは絶対的な事実。逸らすことのできない真実。認めざるをえない現実。思わず内心で舌打ちした。
(『幾世あやめ』は間違いなく私が一から育てたと言うのに…)
拳銃の扱いも、人の騙し方も、変装の仕方も、ありとあらゆるすべてを彼女へ授けた。一番近くで見守り、一番手をかけて育ててやったのだ。
だからこそ分かる。彼女は絶対に私を出し抜けるはずがない。それくらい凡庸だった。それくらい普通だった。とはいえ、私が教えたから一応、彼女は平均より上だが。
しかし、私を上回るはずがないのだ。一番彼女の側にいた私だからこそ知っている。実感している。理解している。10歳からずっと彼女を見守ってきたのだから。
(私は彼女の細かい癖まで全て把握しきっている。どうやって私の深いところまで調べたというの?)
彼女の今の上司である『森谷帝二』を使ったのか? 彼はかなり優秀であり、能力としては上位だ。彼なら調べ切ることが可能ではある。しかし、可能性としてはかなり低い。『森谷帝二』は優秀だが、経験不足だ。私に勝てる域にはまだ達していない。
そこまで考えて、今の現状に少し疑問を抱いた。
(どうして『森谷帝二』が彼女へ付き従っている…?)
『森谷帝二』がリーダーではなかったのか。先程までの二人の発言や、森谷帝二の幾世あやめに対しての態度がおかしいのだ。まるでリーダーは『森谷帝二』ではなく、『幾世あやめ』かのようである。そこまで考えて、私は眉をひそめた。
(この二人の上下関係は森谷帝二が上ではない)
幾世あやめだ!
どうして気がつかなかった。どうして『気がつけなかった』? これ程までに近くにいたというのに。これ程までにそばにいたというのに。
いや、それは今、考えることではない。動揺は正常な判断を鈍らせる。ただ頭を動かせ。この場をどう切り抜けるかを。このくらいの危機はいくらでも越えてみせた。策ならまだある。
「随分と面白いことを言うわね。でも、その情報をどこかへ流せばどうなるか分かっているのかしら?」
「私のした『復讐』、貴方風に言うならば『悪事』を世へ晒すとでもいうのでしょうか。犯人はすでに捕まっているというのに?」
「それだけではなく他にもよ。貴方の復讐は確かに終わった。でも、それ以外にも色々としてきたでしょう? 私を舐めないことね」
そう言った瞬間、幾世あやめはキョトンとした間抜けヅラを晒した。突然の表情の変化に私は少々面食らってしまう。彼女がキョトンとする場面などなかったはずだ。そう考えていると幾世あやめはブツブツと下を向いて呟きだす。
そして、彼女は腹を抱えて笑った。
いつも朗らかな笑い声でも、上品な笑い声でもない。狂気を孕んだ笑い声。その声は裏返り、引き攣り、掠れ、酷く醜い。だが、醜いからこそ、どうしようもなく美しかった。
「何も知らない君のために答えあわせをしようか、ベルモット。私の復讐はまだ終わってなどいないよ」
「…どういうことかしら」
「終わってなどいない。終わってなどいないよ。終わるわけがない!」
「いえ、終わっているはずよ。使用人の両親達が働く屋敷もろとも燃やした議員の男――――彼の殺害を完遂できたはず」
「その通り。ふむ、だが、貴方は一つ思い違いをしているようだ」
役者のように手を広げる、『幾世あやめ』。私は何故だか分からないが一歩後ろへ足が下がっていた。私の背後にいた森谷帝二の拳銃が髪に触れる。
「一体、どうして、私の両親が屋敷の使用人だと思っていたんだ?」
ヒュッと息を呑んだのは誰だったか。
(私の目の前にいる『女』は『何』?)
一瞬の思考の停止。そして、ジワジワと理解していく彼女の発言。この言葉は脅しでもなんでもないのだろう。悠然たる事実であると私は理解していた。
彼女は使用人の子供ではないのだ。恐らく、彼女の経歴も、能力も、目的も、全てがフェイク。『幾世あやめ』は全てを偽ってきた。敢えて私と接触し、無能を装ったに違いない。でなければ、説明がつかないのだ。今の状況に。
あれ程近くにいながら、彼女は完璧に無能を演じ切った。たった10歳の少女が!
(あの経歴がフェイクだというのならば、彼女の復讐相手は一体誰だというの)
分からない。これ程までに理解できないと思った人物に出会ったのは二人目だ。一人目――――それはもちろん、『シルバーブレット』の坊や。
だが、彼とは種類の違う理解のできなさだ。シルバーブレットは『胸が高鳴るような不思議さ』だとすれば、幾世あやめは『背筋が凍るような不思議さ』。同じようで、同じではない。
彼女は何をしようとしている? 誰を――――。そこまで考えて、不意に思い出したのが『ジンからの依頼』だった。
――――「最近、俺達のパトロンが死んでいっている。だが、どこかいつもの死とは違う。誰かが糸を引いている――そんな気がしてならねぇ。もう一度探せ」
(まさか、)
ゾッと身体の芯から震えた。これ程までに自分の根本が揺れたのはいつぶりだろう。これ程までに頭が真っ白になったのはいつぶりだろう。それくらいに久方ぶりの感覚。久しぶりの『畏れ』。口紅が引かれた唇が小刻みに震えた。
(まさか、あの『首に関する事件』が全て彼女がやったことだとしたら?)
『首に関する事件』は『幾世あやめの復讐が終わった日(仮)』から始まっていたはず。そして、彼女が殺人を行なった旅館事件での被害者達は一様に『首吊り自殺に見せかけた他殺』。しかも、この事件で幾世あやめは他の犯人を仕立て上げ、自分は逃げ果せていた。
もしかしたら。
もしかしたら、ジンの言っていた事件全ての裏に『幾世あやめ』がいるのではないか。
嫌な妄想だった。私や他の組織のもの、警察が『首に関する事件』は調べ切ったはずだ。それなのにもかかわらず、そう考えてしまうなんて。だが、どうしてもそうとしか思えなかった。今の今まで誰にも気がつかれず、私の頭へ拳銃を当てる芸当ができている、彼女ならば。この『幾世あやめ』ならばできるのではないか、と。
(幾世あやめは凡人なんかじゃない。ましてや、ただの復讐鬼でもない)
――――怪物だ。
『森谷帝二』が『モリアーティ教授』? 馬鹿を言うな。『幾世あやめ』の方が余程、『モリアーティ教授』ではないか。数多の蜘蛛の糸を張り巡らせ、決して自らは動かぬ、怪物。とんだ犯罪者がいたものだ。
(ああ、そういうこと。だから、私が『幾世あやめ』に契約を持ちかけた時、彼女は『拳銃』ではなく、『銃剣』がいいと言ったのね)
彼女は『弾丸』を加速させるだけの『拳銃』では終わらない。『弾丸』なくてはただのモノに成り下がる『拳銃』などではないのだ。扱い難くとも、その身一つで戦うことのできる、『銃剣』。間違えれば自分すらも怪我しかねない『銃剣』なのだ。
「どうやら私は扱い方を間違ってしまったようね。アヤメの花の装飾がなされた『銃剣』の扱いを」
「うっかり持ち主ごと刺してしまったようだ。我々の『紫の銃剣』は誰にも扱えませんから」
私は肩をすくめる。それを見た森谷帝二は私の後ろで和かにそう言った。その会話を聞いた幾世あやめは嬉しそうに笑う。私のこの発言で、『ベルモットは自分の傘下へ入ってくれるのだろう』と実感したのだろう。
そう思っていたのだが。
「――――この『銃剣』にはアヤメの装飾などないよ。装飾されている花は別の花だ」
・
・
・
(ベルモット、マジで怖かった…)
はー…と溜息を吐く。顔が青くなっているのを感じながら、ホテルへと歩いていた。
森谷帝二さんがベルモットへ『傘下へ入れよオラァ(要約)』と言い出したときはどうなるかと思ったものだ。何故、森谷帝二さんがこんなことを言うのか意味が分からなかったし…。その上、どうしてここに彼が居るのかも知らなかったしな! 森谷帝二さん、勝手に色々行動するのやめて!
(彼とコンビを組んでいる私は否応なしにベルモットに喧嘩を売る羽目になっちゃったからなあ…)
私は『このまま終わらせてしまえばベルモットに殺される! どうにかして彼女を脅さなくては…!』と焦った。それにより、まさかのシェリーやコナンの秘密を暴露。これには流石のベルモットも若干驚いていたものである。この時の私は『これで勝つる!』と調子に乗っていたが、『ちょっと待てよ』と考え直した。
(組織フラグが立ってない?!)
組織でも少数しか知らないことを私が知っているとか色々とヤバイ! 余計に死亡フラグを乱立させてるよ私!!
それに加えて、ベルモットの『それがどうしたの? お前がその情報をどこかへ流せばお前の悪事をバラすぞオラァ(要約)』な発言。正直に言っていい? 私の命、これで終わりかと思いました。マジで死ぬかと。背中ビッショビッショになっていたから。若干、唇を震わせながら、当時の私は必死に思考した。
(考えろ、考えるんだ! この危機から脱するアイディアを!)
そう考えた瞬間にベルモットの『貴方の復讐は確かに終わった』という言葉を聞いたのだ。一瞬、何のことか分からなかった。えっ、終わってないけど? 私、まだまだバリバリ復讐するつもりだけど? と思ったものである。ベルモットがまさか『幾世あやめの復讐は終わった』『私の両親が屋敷の使用人』などと勘違いしているとは夢にも思わなかった。だが、これは私にとって光同然。
(全力でこれをネタに脅す!!)
とんでもない奇跡がやってきた!! 九死に一生を得たとはこのこと!! ベルモットなら私が昔、偶然にもやらかしたことまで全て知っていると思い込んでいた。だが、私のやらかしちゃったことを知らず、とんでもない勘違いをしているとは!! 何でこんな勘違いしているかさっぱり分からないけれど!!
随分後の話になるが、この時と昔の私に神がかり的な偶然が起きていた。これに気がつくのはもっと先のことになる。しかし、そんなことを知らない私はただひたすらに自分の運の良さに咽び泣いていた。
「はー…早く帰って寝よう」
そう考えて、私は道の角を曲がろうとした瞬間だった。前から来た男へドンっとぶつかってしまったのだ。私は「すみません」と謝るが、当たってきた男はそれをスルー。腹立つな〜と思っていたら、下にハンカチが落ちていた。仕方なく、それを拾って振り返る。
「ちょっと貴方、ハンカチを落としましたよ………ってアレ?」
私にぶつかってきた男がもういない。え? 消えるの早すぎない? 怖…。少々恐ろしさを感じながら、私はハンカチを見た。
――――怪盗キッドマーク入りのハンカチを。
しかも、ご丁寧に『後日伺わせていただきます。怪盗キッド』というメモ入りである。
「……、……、……?!」
数秒の思考停止。その後、私は口をパクパクさせた。ジワジワと胸に湧き上がってくる恐怖。しかし、直ぐにそれへ蓋をする。ありえないと首を振った。いや、まさかこれがキッドからのわけがない。そんなわけがない。どうしてキッドが私へ接触してくるんだ。これはきっとキッドのファンの方が落としただけだろう! あー嫌だ嫌だ。最近神経質になりすぎ――――
――――そう思った刹那、ハンカチからポロリと2枚目のメモが落ちた。
私が森谷帝二さんへ渡したはずのメモが落ちたのだ。
「え? ……えっ?」
震える手でそのメモを掴む。そっ、そんなまさか。私が森谷帝二さんへ渡したメモのわけないじゃん。ありえないありえな……いや、これ、私の字だわ。完全に私の字だわ。間違えようもなく私の字だどうもありがとうございました!!!!
(わあああああああぎゃあああああああああああああああああああ?!)
どっ、どっ、どっ、どうしよう?! キッドが私の元へ来る?! 何で?! つーか、どうして私のメモがキッドへ渡っているんだ?! まさかあの森谷帝二(変装済み)は森谷帝二さんではなかった…? 森谷帝二(変装済み)にキッドが一時的に変装していたとか…? 変装したキッドに私は間違えてメモを渡してしまったのだろうか。だから、事件は原作通りに始まってしまった…? それなら辻褄があう。しかし、どんな偶然だ?! 運が悪いのにも程があるだろう!! 怖いわ!!
私は再びドッと冷や汗を流していた。これからどうするべきかと考えながら。まだ友人の待つホテルへは帰れそうにない。
【悲報】幾世あやめ氏、渡す相手を完全に間違える