あの事件から、私の生活は一変した。
もちろん悪い意味で。
私はまだ殺したい相手が何人もいる。復讐をしようと綿密に計画を練り、実行するのが当然だろう。
だが、全てその計画が丸つぶれになるのだ。例えば計画通りの場所に向かったとする。そこには何故かコナン御一行様が必ずいるのだ。
仕方がなく、復讐は中断になる。あの事件のようなヒヤヒヤ感はもう二度と味わいたくないからな。
(ふざけんなよマジで。お陰様で少年探偵団やら鈴木園子やらと仲良くなってしまったんだけど!)
私が復讐を中断しても、何故だか起こる事件。巻き込まれる私。早く解決してほしいので、ついつい手を貸す私。
気がついたら仲良くなっていた。どうなっているんだ。レギュラー張れそうなくらいの遭遇率だぞ。
このままでは復讐が遂行できない。
どこか…どこかないのか?! コナンに邪魔されない場所はないのか?!
復讐相手が行く場所を必死にリサーチ。この時の私は死に物狂いで探していたと思う。寝る暇も惜しんで調査をした。コナンに遭遇しないために。
いや、だって、笑えないくらいの遭遇率だったからね?!
更にはコナンにこの前、「幾世さんはどう思う?」と助言を求められたのだ。これはいよいよアウトである。本当に復讐が出来なくなってしまう。
その結果、私はイギリスに行くことに決めた。復讐相手が次に向かう場所をリサーチしたらイギリスだと判明したのだ。
私は歓喜した。嬉しさのあまりにガッツポーズをした程である。
「イギリスならまだマシ! コナンや服部や安室は日本! 赤井はアメリカか日本! イギリスには白馬やその他諸々はいるけど…。コナンは来ないだろ! パスポートないし!」
直ぐに計画を立て、渡英。今で一週間が経過している。
事件が一つも勝手に起きていないのだ! なんて幸せなんだろうか! ようやく私が起こす側になれる! 万歳!
今は協力者との最終確認の為、カフェに来ている。比較的人の多い店のテラスだ。変装のために被っているウィッグが揺れた。
そんな中、協力者が店に入って来る。私の目の前に彼は座った。
「やあ、モリアーティ教授。待たせた」
「それ、やめてくれる? 好きじゃない」
目の下にクマがある、白髪の男がうっそりと笑った。私はそれに不機嫌そうに返す。この協力者は嫌いなんだよなあ。
——この男の名を、ハーデスという。
彼の経歴を掻い摘んで話そう。
難病の母親の手術費を作るため、彼は多方面から金を借りていた。
そこまでならいい。しかし、彼はその金を株やブックメーカーに突っ込んだ。結果は惨敗。
そのせいで彼の母親は手術が受けることができず、他界したのだ。自業自得である。
だが、残念なことにこいつはそうと思わなかったらしい。
母の死でハーデスは人が変わった。借金返済を迫った知人や友人を惨殺。更には手術を断った病院を次々に爆破したのだ。
そんな男が私の協力者である。全力でチェンジしたい。精神異常者は出来れば相手にしたくないものだ。
更にムカつくことに、彼は殺人を復讐と称している。
それが復讐なわけがないだろ!! 逆恨みやめろ!! と怒鳴りたい気分だ。復讐者の私からすれば容認できない範囲である。だから正直、こんなやつとは組みたくない。
でも、使い勝手がいいので手が切れないんだよね。
(この男は存外賢いからなあ。私の言うこともウキウキと聞いてくれるし。情報収集も上手いし。はあ)
ため息を吐く。そんな私をハーデスは嬉しそうに見ていた。新しい本を読み進めているガキのようにキラキラとした目をしている。
いや、良い方向に誇張しすぎた。ギラギラとした目だ。貪欲に本を読んでいる可愛くない野郎の目である。
恐らくは「モリアーティ教授」呼びを私が嫌がっていることに楽しんでいるのだろう。私の反応を面白おかしく見物していると見た。次はどんな反応をしてくれるんだろう! 的な感じで。性格の悪い奴め。
私は嫌そうな顔をしながら肘をつく。ハーデスはそんな私に視線を向けてきた。彼はそのまま役者のように話し出す。
「何故だい? 貴方に敬意を払ってこう呼んでいる。あのホームズに自分の命を賭けてでも捕まえたいと言わしめた男だぞ? 嬉しくないかい?」
「私はお前みたいにシャーロキアンじゃない。こう言ってはホームズファンに怒られるが——。モリアーティ教授は所詮、ホームズに倒されるために生み出されたキャラクターだ」
「そんなキャラクターにはなりたくないと?」
「そういうこと」
ズズッと紅茶を啜る。
倒されるキャラクターになりたくない以外にも理由はある。モリアーティ教授と呼ばれたくない最大の理由。それは——。
コナンが平成のホームズと呼ばれているからだよ!!
私がモリアーティ教授?! フラグが立つだろうが!!
ただでさえレギュラーメンバー入りしそうなぐらいの遭遇率を誇っているんだ。モリアーティ教授呼ばわりされた暁には死ぬ。復讐を遂げる前か後に死ぬ!! モリアーティ教授は最終的には死ぬからな!! やめろ!!
ハーデスはそれを聞いて再び笑う。薄気味悪い笑みだ。
「なら貴方がモリアーティ教授を越えればいい。ホームズと共にライヘンバッハの滝へ落ちるのではなく、ホームズだけを落とせばいいんだ」
「ホームズはそれでも死なないだろうさ。物語でも最終的には生き残っていただろ」
「なら、確実に息の根を止めればいいのでは?」
「できるか!」
ハーデスの言葉に吐き捨てるようにいう。それでも彼はニタニタと笑っていた。楽しくて仕方がないといったように。
だから嫌いなんだよ、こいつ。グッと眉を潜めた。
ハーデスの言う『ホームズ』は恐らく警察やその他の敵のことだろう。コナンのこととは間違っても思っていないはすだ。
だが、コナンのことを言われている気がしてイラついた。
今はコナンアレルギーなんだよ!あいつのせいでどれだけ苦労したと思ってんだ!
その話を一旦終わらせる。次の計画について話し始めた。もちろん周りに分からないようにしながら。
今回の計画は『ウィンブルドン選手権が行われる会場の爆破』だ。爆破を予告する暗号文の製作や仕込みの完了の報告をハーデスから聞く。
ウキウキと話す彼を見て、再び内心でため息を吐いた。
(無差別殺人なんてしたくはないが…。これも復讐のため)
今回のターゲットは相当の地位の人間だ。何か大きな混乱でもない限り、近づくことすら出来ない。
それ故に無差別爆破事件を起こす。混乱に乗じて復讐相手を殺す為と、同時に、『自分を誇示したいから犯罪を犯している』と警察に錯覚させるために。
その計画を実行するべく、ハーデスを連れてきた。こいつの犯行目的は自己主張が大半を占めるからなあ。本人は復讐らしいけど。丁度いい人材だ。
(ハーデスの存在を明るみにする為に別の無差別爆破事件も起こしたんだ。絶対に成功させる)
そう心に決める。ギュと拳を握りしめた。
どれだけ犠牲を出そうとも止まらない。止まれない。どれだけ罪を犯そうともやり遂げる。
エゴだ。これは私のエゴだと分かっていた。自分勝手な理由で無関係な人を殺す。一番やってはいけない領域である。最後の最後までやるかどうか悩みに悩んだ。
だが、私は実行することに決めた。例え地獄に落ちようとも、誰かから怨まれようとも構わない。復讐を遂げてみせる。
少しの罪悪感が胸に込み上げてきた。それを根性で押さえ込み、入念にハーデスと再確認を行う。数十分話した後、彼と別れた。
———ウィンブルドンは土曜日。その日が決戦の日だ。
ようやく復讐を再開できる。その事実に私は喜んだ。復讐を考えるだけで胸が踊った。ドロリとした真っ暗なものが心の中で疼く。それと同時に歓喜で体が満たされる。
ふう、と熱を体から出すように息を吐く。そっと紅茶を飲んで————
「早く行こうよ蘭姉ちゃん!」
「コナン君待って!」
「ホームズ博物館は焦らなくても逃げんぞ」
「これだからガキは」
————全力で噴き出した。
ブシャアッ! とティーカップの中に紅茶が戻る。なんとかテーブルには溢れなかった。だが、顔は紅茶まみれである。汚ねえ。
(そうじゃない! 聞き覚えのある声が聞こえたぞ…?!)
ゴシゴシと顔をハンカチで拭く。私の手は震えていた。
いや、そんなまさか。コナン御一行様がイギリスまで来れるわけがないじゃないか。HAHAHAHA! ちょっと神経質になりすぎじゃないか。
確かに夢にまでコナンは出てきている。だが、まさか現実世界まで居るわけないだろう! ここはイギリスだぞ? パスポートないだろアイツ!
そう信じる。私は声のした方向へ顔を向けた。
ほら、やっぱりいない。ロンドンの美しい街並みしかない。私の気のせいd「蘭姉ちゃん達早く早く!」……うん。うん。うん。
速攻で顔の位置を元に戻す。全力で後悔した。
(神は私を見捨てた!!)
なんでコナンいるの?! おかしくない?! パスポートはどうした?! 偽装したのか?!
混乱に混乱を重ねる。動揺で手が震えた。
まさかコナンがいるとは思わなかったのだ。イギリスまで来て遭遇するとはまず考えないだろう!
(イギリスに来る話なんてあったか? …あったな!)
薬で一時的に新一に戻る回があった。金持ちのおばさんの猫を見つけてイギリスに行けるようになったんだっけ? イギリスに行くためコナンは新一になる薬を飲んだ。そのまま新一のパスポートを使い、渡英。
なんやかんやあって事件発生。ロンドンの時計塔の前で元の体に戻った新一が蘭に告白をする話じゃなかったか…??
確か——『ホームズ黙示録』という題名だったはずだ。
ロンドンのお話なんて一回くらいしかなかったと思う。
その回がある時に態々被るのか! 私がイギリスにいない時期に来いよ! なんて確率だ! ふざけるな! 呪われているんじゃないか私!
それと、色々と覚えている内容が曖昧だ。マズイぞ!
そんなことを思いながら、必死に頭を回転させる。今回の私の復讐の邪魔をされないか。その一点のみが重要だ。
思い出せ。コナンがいるだけで復讐の成功率が下がるのだから! 思い出せ。何があったのかを!
(この話の犯人はハーデス。ハーデスだ)
あの話の犯行現場は『ウィンブルドン選手権会場』。今回の私の復讐を行う犯行現場も同じです。どうもありがとうございました!
カーーー〜〜ッ!! また邪魔をされるのか! ふざけるなよ、あの死神! どうして私が行く先々に出没するんだ! まさかイギリスで被るとは思わなかったぞ! 怖すぎるわ!
コナンとの遭遇率のあまりの高さに本気で震えた。このままではやられる。本当にあの死神に狩られる。
ガチガチと歯が音を立てた。動揺を隠すようにケーキを食べ始める。
この事件もどうせコナン様が解決してしまうだろう。そんな中、私が糸を引いていると知られてしまったらどうする? 私終了のお知らせが来てしまう。
どうする? どうする? この機会を逃せば、次にあいつを殺せるのはいつになる? いつまでもコナンに怯えていいのか?
今、私という異分子がいる。勝てるのではないか。前回もなんとか逃げ切った。ならば——
(————なんて思うかばぁあああか!!)
サッサと逃げるぞ私は! あの死神の怖さは誰よりもよく知っている。身を以て体験したからな。誰があんな奴と戦うか。
それに今回は確か工藤夫婦も参戦するはず。まず勝ち目がない。工藤父はコナンすらも越える推理力の持ち主だぞ。即死だ!
私はバッバッと荷物をまとめた。慌ててホテルへ向かう。
もちろんハーデスに連絡は取るつもりはない。作戦中止の理由がコナンだと伝えたところで納得するはずがないからな。私の頭がおかしいと思われるのが関の山。ハーデスには悪いが生贄になってもらう。
数時間程度でハーデスとの連絡手段や痕跡を全て消す。私はキャリーケースを片手に持ち、ふんすと鼻息を鳴らした。
「目指すはエディンバラ! さらばだ死神よ!」
・
・
・
(なんとか今回の事件も終わったが…。うーん、あの事件が終わってから違和感があるんだよなあ)
ウィンブルドン選手権の大会終了後。俺はうんうんと悩んでいた。ドカッとホテルのベッドの上に座る。小学生の体にはあまりにも大きすぎるベッドだ。
今回、犯人であるハーデスを捕まえることが出来た。
彼の目的はアポロとミネルバ・グラスの母親の殺害だ。ハーデスがアポロとミネルバの母親を殺そうとした理由は賭けによる失敗。
ハーデスは昔、テニス選手のミネルバ・グラスの勝利に大金を賭けた。
だが、結果は惨敗。ハーデスはミネルバの敗北理由を母親の所為だと思い込んだ。
それによりミネルバとアポロの母を爆破することに決定。その序でに世間を巻き込もうとしたハーデス。
(なんとかそれは阻止できた。最初にハーデスから暗号文を貰ったアポロの依頼も完遂。全て終わったじゃねーか。何で腑に落ちねーんだ?)
苛立ちを隠すようにベッドに倒れこむ。小さな体は簡単にベッドに沈んだ。
——疑問があるとすれば一つ。
ハーデスは活動資金をどこから入手していたのだろうか。
整形やウィンブルドン選手権のチケットの購入などに相当な金がかかっただろう。だが、奴にはそんな資金などないはず。
最近の事件もそんな違和感が多かった。
資金に限らず、他にも色々と。三人首吊り事件が起こってからずっとそれが続いていた。
ホームズ風に言うならば、「千本もの糸を張り出した蜘蛛の巣の真ん中に動かないで坐っている」——そんな人物がいるような気がするのだ。
(考えすぎか? イギリスで事件もあったし、蘭とのハプニングも起きたし、疲れてんのかなあ)
そう思っていた時だった。バタバタという足音が扉の向こうから聞こえてきたのだ。
「何だ?」と思ってベッドから起き上がる。博士が扉を物凄い勢いで開けて、入ってきた。右手に新聞紙を握りしめながら。
「新一、大変じゃ! 犯人のハーデスが死んだ!」
「な?! どういうことだよ!」
「自身に小型爆弾を仕込んでいたらしい。それを爆破させて死んだみたいじゃ」
「なんだって?!」
流石に爆弾をハーデスが自分の中にも所持しているとは思わなかった。
だが、何故やつは捕まった瞬間に爆破しなかった? 会場諸共消すことだって可能だったはず。
博士から奪い取るように新聞紙を掴む。ハーデスの記事に視線を向けた。デカデカと書かれた『犯人死亡!』という文字に顔をしかめる。
ハーデスはどうやらパトカーに乗った瞬間に爆破したらしい。ハーデスが身体検査を拒んだ結果がこれだ。
恐らくは自身に仕込んだ爆弾がばれると思ったのだろう。それならばこの場で爆破してしまえと思ったのか…?
(いや、理由としては弱いな)
そのまま新聞を眺める。警官3名のうち2名が死亡。残り1名が軽傷と書かれていた。
その軽傷者の警官はこう述べている。ハーデスは捕まった後、絶望的な顔をしていたと。
だが、それは捕まったことによる絶望ではなかった。何かに見捨てられた所為でハーデスは動揺していたというのだ。
ハーデスは死に際にこう言ったらしい。
「何故だ。モリアーティ教授よ。何故、私を見捨てた。
ああ、私は貴方の駒に過ぎなかったのか。やはり貴方はモリアーティ教授に似ている。私の目に狂いはなかった」
ハーデスは笑みを浮かべながら自爆。
スコットランドヤードはその発言を聞き、他に協力者がいるとみて調査を進めている。そう新聞には締めくくられていた。
俺は息をするのも忘れてその文章を眺める。博士が「新一? 大丈夫か?」と心配してくれている声が聞こえた。
だが、それに応えることが出来なかった。らしくもなく手がガタガタと震える。手以外も震え始めた。体の震えが抑えきれない。
(やはりいたんだ! 協力者が! 俺の勘は間違ってはいなかった!)
ギリッと歯を噛み締める。犯人をむざむざと殺してしまった事実に眉を顰めた。
そして、『モリアーティ教授』という一文を舐めるように眺めた。
(モリアーティ教授、か。ホームズのライバル…)
——俺は何故かこの時、ワクワクしていた。
この俺を出し抜いた程の実力者。その事実に胸が踊って仕方がなかった。悔しいという気持ちよりも強い感情。本来ならば探偵である俺が抱いてはいけない感情だ。
だが、この瞬間ばかりは俺はそのことすら忘れていた。
手が震え続ける。震えは驚愕からでも恐怖からでもなかった。歓喜から俺は震えていたのだ。
——確かにこの事件には違和感がある。入念に張り巡らされていた蜘蛛の糸。それに気がつくまで時間がかかった。
(もしかしたら今まで違和感を覚えていた事件にも関連があるのかもしれないな)
今回の事件と今までの事件は少し似ていた。このなんとも言えない綿密に考えられた計画。それを考えられる人間が何人もいるとは思えない。
蜘蛛の糸をようやく実態として掴めた気分だった。
「捕まえてやるぜ。モリアーティ教授さんよォ…!」
『21世紀のモリアーティ教授、出現か』という新聞の文字が目に入る。俺はそれを見て、口角を上げた。
必ず俺はモリアーティ教授を捕まえてやる。幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸の先にいる犯人。それを想像して笑みを深めた。
平成において、ホームズとモリアーティの戦いが再び始まる。
名探偵がアップし始めました。