(いた。丁度森谷帝二さんが向こう側からの廊下から歩いてくる)
運がいい。変装した森谷帝二さんを早めに発見できたなんて。私は内心で笑う。
ベルモットと別れた後のことを少し話そうか。あの後、私は即行でトイレへ入室。そして、メモ用紙に暗号文を書き出した。その後、すぐにトイレから退出。森谷帝二さんがいそうな場所を必死で探した。
(今回の依頼の詳細をもっと聞いておけばよかった…)
先程言ったように、今回は依頼の詳細を殆ど知らない。ああ…私の馬鹿…。でも、下手に詳細を知りすぎていたら、探偵共に勘付かれるかもしれないからなあ…。もしかしたらコナンたちにトリックの内容を無意識にうっかり言ってしまうかもしれない。一瞬のミスが命取りになっちゃうコナン世界マジ怖い。
『やべえ、早く見つけよう』と焦りながら森谷帝二さんを探した。結果、なんとか早めに森谷帝二さんを発見できたのだ。
(すれ違いざまにハンカチを落とそう。そのまま姿を消せばミッションコンプリートだ)
私は森谷帝二さんを視界に入れないようにしながら、前だけを見る。彼とすれ違う瞬間に肩を『敢えて』ぶつけた。
「ああ、すみません」
「いえ、大丈夫です」
そして、私はメモ用紙が入ったハンカチを落とす。自然に、本当にうっかり落としてしまったかのように。ベルモットから教わった全てを出し切り、私はハンカチを落としてみせる。終わった後は早足でその場を去った。他の人達に見つかれば注意される可能性があるからな。その後、私は友人と自分が予約した列車の部屋へ戻る。
(ミッションコンプリートォ!)
内心でガッツポーズをした。これで大丈夫だろう。部屋でホッと息を吐きながら、着席する。ドッと疲れが出てきた…。座席に全身を沈めた。そして、気を紛らわせる為に外の景色を眺める。
何十分かそうしていると、友人がトイレから帰ってきた。げっそりとした様子の友人に、申し訳ない気持ちになる。下剤を飲ませたのはこの私です。利用してごめんな…でも、仕方がないんだ…。そう考えながら、私は心配そうな顔を作った。
「お帰り〜お腹、大丈夫…?」
「うう…あやめ、ほんっっっっとにごめんね…なんか死ぬ程お腹の調子悪くて…」
「結構酷いみたいだね…。今日は謎解きには参加しないで、部屋でゆっくりしよ?」
「いいよいいよ! あやめは一人で参加してきなよ!」
そう友人が言った瞬間だった。放送が車内に響き渡ったのは。
《お客様にご連絡致します。先程、車内で事故が発生しました為、当列車は予定を変更し、最寄りの駅で停車することを検討中でございます》
「ファッ?!」
「ええ?! 事故って何? はー…今日はお腹の調子も悪いし、列車も止まるみたいだし、最悪だ…」
自分の顔がサッと青くなるのが分かった。友人が項垂れている姿を尻目に入れながら、私は頭を高速で回転させる。じわりと額から汗が滲む。若干手が震え始めた。
(この放送が流れたということは――――)
――――事件が起きたんだ。
何故?! 確実に私は森谷帝二さんにメモを渡した。暗号文も間違いなかったはずだ。もしかしたら彼が犯人を止める時間がなかったのか? いや、ギリギリ間に合ったはずである。あの程度なら優秀な森谷帝二さんなら軽々やってのけるだろう。なのに何故? 何故だ?! 不具合でも起きたか? ええ…不具合とか考えるだけで恐ろしいのだが!
(いや、何が起きたかは関係ない。大切なのは結果だ。考えろ、対策を!)
こうしている間にもコナンは犯人である私の依頼者の周りを嗅ぎまわっていることだろう。そして、最終的に彼は事件を解決するに違いない。
解決するだけで終わるならマシだ。しかし、焦った依頼者がうっかり私達のことを話すかもしれない。もしくは、コナン自身が依頼者へ質問する可能性もある。今回のトリックと今までに私が起こした事件に類似点を見つけ、コナンが依頼者に詳細を聞けば――――ヤバイ。ヤバイ! 冷や汗が止まんねぇ!
(仕方がない。こうなったら、)
今回の依頼者を殺す。
森谷帝二さんが復讐を支援する際に必ずやっていることがある。それは小型の毒薬入りの機器を依頼者へ渡すことだ。いや、渡しているのではなく、『飲ませている』が正しいか。毎回、依頼者を言いくるめて、それを飲ませている。ボタン一つで毒が溶け込み、証拠も残らない優れものだ。
本来なら、こんな毒薬入りの機器なんて渡したくない。私と同じく復讐に臨む相手には全力で支援したいものだ。
(だけど、もしも依頼者がうっかり私達について話してしまったら? 犯行を行う際、致命的なミスを犯してしまったら?)
私達の存在がバレてしまう。そこで登場するのが毒薬入りの小型機器だ。証拠も残さずこれで殺す。ちなみに何日か経てば便と共に排出されるので、発動しない限りは安心だ。もちろん解剖しても毒の反応は出てこない仕様になっている。まったく、コナン世界の科学力は色々とおかしいな。
(これを発動させるのは初めてだが、まあいい。死人に口なし。死んでもらおう)
突然の依頼者の死にコナン達はきっと驚くだろう。依頼者を殺した犯人を見つけようと足掻くに違いない。しかし、先程言ったように『死人に口なし』。死んだ犯人から情報を仕入れる事は出来ない。それに加えて、一応、他を探っても私達へ辿り着かないよう、いくつかのダミーも用意している。
(それでもコナンはいつか私にたどり着くだろう。それでいい。私の本懐は復讐相手を殺す事なのだから。時間稼ぎができれば構わない)
本音を言うと、捕まりたくないけどな! 復讐を終えた後はぬくぬくと幸せに過ごしたいものである。まあ、こんな罪まみれの女が幸せになれるとは思わないけれど。きっと罪を償わなければならない日が必ず来るだろう。
(本当に最低になった。なんの罪もない、寧ろ、被害者である依頼人を簡単に殺そうとするなんて)
私は自嘲する。自分を最低だと自覚していても、それでも私は依頼者を殺すのだ。紛れもない自分のエゴの為に。
(はは、手が震えてやがる。今でも人を殺すのにはこうなってしまうんだよなあ…罪悪感で)
――――それでも目的のために殺人を行う私は、人として破綻しているのだろう。
あーあー…自分、暗いわ。それに若干厨二病チックだな。恥ずかしいから、悩むのはやめよっと。
そう考えながら、唯一の森谷帝二さんとの連絡手段である簡易の機械のスイッチを入れる。この瞬間、彼へ信号が伝わった。ちなみに、この機械は『依頼者を殺す』という判断をした時のみ使うものだ。先程述べた『とある連絡をするためだけの通信手段』とはこれのことである。
(こうすれば森谷帝二――『モリアーティ教授』がベストタイミングで依頼者を殺すだろう)
さぁて、やってくれよ、『教授』。コナンに気がつかれないタイミングで依頼者を殺してみせろ。誰にも悟られず、誰にも捉えることができない、『犯罪界のナポレオン』と呼ばれた『モリアーティ教授』。貴方ならできるはずだ。
――――ホームズと対をなすモリアーティ教授である貴方なら!
(私は所詮モブでしかない凡人だからね。モリアーティはやはり森谷帝二さんの方が似合う。原作でも森谷帝二さんのモデルは教授だし)
そう考えながら、私は列車内で友人と談笑する。今回の私の役目は終わった。出来ることといえば待つことのみ。これ以上は余計に自分の首を絞めかねない。
その後、部屋でずっと待機しようと意気込んでいたのだが、途中、そこから出ることになってしまった。理由は後ろの列車内で火事が起きたとアナウンスがあったからだ。私達は火の手が回らないうちに逃げなければならなかった。
(何事?! って一瞬だけ焦ったな…)
『あっ、そういえば原作で起こったやつだった』と思い出して、普通に逃げることに専念したものである。焦るわ…やめてほしい。つーか、私、さっきから『やめてほしい』しか言ってねーな…。
余談だが、この火事騒ぎはベルモットとバーボンの仕業である。シェリーを捕まえる為、わざと火事の煙だけを発生させたのだ。シェリーの性格上、火事の起こった列車へ逃げ込むと見込んでのことである。
どうしてそんな場所へシェリーは逃げ込むのか? 理由は簡単だ。彼女は少年探偵団達の前だけでは殺されたくないと考えているからだ。迷惑をかけたくない、彼らを悲しませたくない――――その想いが彼女を突き動かすだろうとベルモットは予測した。
(まあ、これもコナンの掌の上なんだけどな! 恐ろしいな!)
コナンの策略によりシェリーはちゃっかり保護済みである。火事が起こった列車へはシェリーに化けたキッドが向かっているはずだ。
本当にコナンはなんなの? 数々の探偵や悪の組織を欺き、その上、キッドにまでコネクションがあるとか…。寧ろ、コナンが黒幕なんじゃね?
(はー…コナンは絶対に敵に回したくない相手だよね! でも、そいつが私の敵なんだよな! 本当に意味が分からないよね! 世知辛い!)
ついさっき列車が爆発した音が聞こえたから、そろそろ物語も終幕だろう。バーボンとベルモットは『シェリーを列車ごと爆破できた』と勘違いしている頃ではなかろうか。一応、後に彼らはそれが間違いだったと気がつくのだけれど。
(上手く列車が爆破されたようで良かった)
ちなみに今回の爆弾の配置は私がやった。ベルモットこと先生から依頼されたのはこれだったのだ。ジン達に悟られないようにするため、私が使われたのだろう。原作でベルモットはこのことを内緒にしていたみたいだし。
(この混乱に乗じて森谷帝二さんも依頼人を殺しただろうな。さて、私の役目は終わりだ)
火事のために途中下車した駅で私は小さく笑う。ホッと溜息を吐いた。隣にいる友人と笑い合いながら、その場から直ぐに去ろうと足を早める。
(あー…終わった終わった。今回はコナンと直接顔を合わせることにならなかったから良かったかな)
そう思いながら、友人と適当に取ったホテルへと向かう。本当はこの後、友人とその辺りで散策と洒落込みたかった。しかし、友人へ下剤を仕込んだせいで、現在の彼女の体調は最悪である。これでは遊びにいけない。もう休もうということでホテルへ向かっていた。
(本当にごめんな、我が友よ。後日何か奢ります)
ホテルに着くと、早々に友人はベッドへ倒れ込む。友人があまりに可哀想だったので、コンビニで薬を買ってくることに決めた。薬を購入後、私はホテルへ戻ろうとする。だが、その帰り道で眉をひそめた。
「トイレに行きたい…」
今からコンビニに戻るか? いや、でも、さっき出たばかりだしなあ…。ホテルはまだ遠いし…。
トイレはないかとキョロキョロすると、公園を発見した。公園なら公衆トイレがあるかもしれないと思い、公園へ足を向ける。やはり私の考え通り、トイレがあった。良かったと思いながら、トイレへ入った瞬間、私は声をかけられる。聞き慣れた声がトイレの中で響きわたった。
「あら、あやめじゃない。どうしているのかしら」
(それこっちのセリフゥ!)
ベルモット、お前は何で公衆トイレにいるんだよ?! ビックリしたわ! まさかあのベルモットが公衆トイレにいると思うわけがないじゃん! 驚くくらい公衆トイレが似合わねーな! いや、似合っていたらそれはそれで嫌だ――――そうじゃない! 話がそれている! 落ち着け、私!
視線がうろうろと彷徨う。本当に落ち着け、私。別に偶然、ベルモットに遭遇しただけだ。今の私に何もやましいことはない。「ああ、偶然ですね。トイレに行きたかっただけですよ」と言って、普通にトイレへ行けばいいのだ。私はにっこりと笑みを浮かべた。
「いえ、ただ、」
「――――貴方と交渉しに来ただけですよ」
カチャという音と共にベルモットの後頭部へ拳銃が突きつけられた。音もなく、気配もなく、ベルモットの背後にいる人物――――森谷帝二はうっそりと笑う。その刹那、ベルモットの形のいい目が限界まで見開かれた。それと同時に私も目を見開く。
(おっっっっっまえは何をしているんだ?!)
ベルモットへ拳銃を突きつけるのはやめて! 死ぬだろ! 私が!! ベルモットに「これは…裏切りかしら」と言われた暁には本当に死ぬ。消される。なんとか逃げ帰っても、私がした悪事を世間へ晒されてしまうかもしれない。一つだけベルモットに事件の内容を報告したことがあるから…!
後、森谷帝二さんよ、お前はどうしてここにいるんだ?! 怖いわ! そして、何故、女子トイレに入ってきているんだ?! お前は男だろう?!
私が混乱で硬直している間に森谷帝二さんはドンドン話し始める。おい、やめろ。本当にやめろ。やめてくれ。
現在、彼は変装したままであるが、表情は既に『モリアーティ教授』スタイルになっていた。歌うように森谷帝二さんは言葉を紡ぎだす。
「この姿でお会いするのは初めてですね、先生――――いや、ベルモット」
「あら、どうしてその名前を貴方が? 現時点ではまだ貴方は知らないはずよ」
「まさか我々が、幾世あやめが、貴方のコードネームを今の今まで知らなかったとでも?」
「……へえ?」
「まあ、それは今は置いて起きましょう。 貴方に交渉があってここにきたのですよ」
「交渉、ねぇ。恩人たる私にこの仕打ちをした上での交渉? 出来ると思っているの?」
「はい」
「ふうん、まあいいわ。用件だけでも聞いてあげましょう」
「ベルモット、貴方に我々の傘下へ入って欲しい」
だから、森谷帝二さん、お前は何を言っているんだ!
頭を抱えるワードのオンパレードで泣きたい。いや、咽び泣きたい。もうお前は口を塞げ! 何もこれ以上言うな! 頼むから!! 最早、取り返しがつかないレベルの言葉ばかりを並べているけれど!
つーか、お前、どうして先生の名前がベルモットって知っていたの?! 私は知らなかったよ?! 何で『私は昔から知っていた』みたいな言い方しているわけ?! 知らないから!!
私は森谷帝二さんへ対して、『どういうつもりだ』という表情を浮かべる。しかし、森谷帝二さんは『わかってます』という顔しかしない。いや、わかってないわかってない。まるで分かっていないぞ、森谷帝二!!
私が混乱しきっている間、ベルモットはずっと無言だった。怖い怖すぎる。彼女へ恐る恐る視線を向ける。ベルモットは一旦、目を閉じたと思えば、ククッと喉を鳴らした。
「随分と大口を叩くわね。――――できると思って?」
思ってねーよ! 思っていないから、ここまで私は内心で荒ぶっているんだよ! 森谷帝二さんはどうして出来ると思った?! お家に帰りたい。帰りたいよ! やはり依頼人を殺し、友人を下痢にしたツケが回ってきているのかな…?! いや、もしかしてアレの所為か。それともあっちか? 思い当たる節が多すぎて辛い。ちょっ、改めて思うけど、自分が最低すぎる! ……そうじゃなくて! 混乱し過ぎて余計なことまで考えてしまった!
(今の森谷帝二さんの発言は撤回出来るか…? いや、無理だろうな。あの発言をした時点で私の首は落ちたも同然)
背中が汗でびっしょりになるのを感じた。笑顔を保っているが、崩れそうになる。何か、何かないのか…?! なんとか誤魔化せる方法は…?!
頭を高速回転させる。本日何度目か分からない脳の酷使。絶対に明日は頭痛で苦しむに違いない。
私は考えに考えて、考えすぎて――――こんなトチ狂ったことを口にしてしまった。
「ベルモット、貴方はそんな態度で良いのですか? 『教授』が『交渉』だなんて言い方をしたから、勘違いさせてしまったのかもしれませんね」
「何ですって?」
「――――これは交渉などではない。『強制』だ。貴様の立場を弁えろよ」
何を言っているんだろう、私。本当に何を言っているんだろう。立場を弁えるのは私の方である。
(ヤバイ、死んだ?)
ドッと冷や汗が更に流れ落ちるのが分かった。急速に身体中が冷えて行く。ヤバイ。真面目に殺されかねない。本当に馬鹿すぎることを言ってしまった。
確かに、ベルモットは原作では『悪側だけど、そこそこ助けてくれる』みたいなキャラクターである。少しくらいなら見逃してくれそうに思えるだろう。だが、あれは主人公とヒロインの毛利蘭限定だ。残念ながら主人公パワーもなく、ヒロインパワーも持たない私には無理だ。
いや、私も適用してもらえるかな…? 今までベルモットの可愛い生徒でいたから――――アッ無理だな。今、ベルモットをチラッと見たけど、絶対零度の目になっていた。駄目だ。ああ…だめだァ…殺される…。
(やっぱり私にはそんな優しさ適用されねぇよな)
あああ何でこんな言葉を言ってしまったのか……! 私、テンパりすぎ!ちくしょー! 完全に取り返しがつかなくなってしまった…! ええい! もうなかったことには出来ない! こうなったら全力で脅してやらァ!
私は自分の唇をペロリと舐めた。若干、手を震わせながら。