妹が殺人鬼で家族が暗殺者、なのに俺だけ平和主義 ―殺し屋リーベルの勘違い無双―   作:里奈使徒

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第七話 「暗黒街に潜入せよ(前編)」

 俺達兄妹は、殺してもいい奴らがたむろする場所、ボムズのねぐらがある暗黒街へと足を踏み入れた。

 

 時刻は夜の九時を回ったところ。街のメインストリートから外れた裏通りへ入ると、空気が一変した。昼間の健全な市民達が姿を消し、代わりに現れるのは夜の住人達だ。

 

 ピンクのネオンが街を染めている。飲み屋やバー、ラブホや連れ込み宿が軒を連ね、胸元の大きく開いたドレスを身に纏った女性達が道行く男達に声をかけていた。煙草と酒と香水が混じり合った独特の匂い、そして奥の方からは甘ったるい薬品の匂いまで漂ってくる。

 

 街の角々では、眼光鋭い男達が縄張りを見張っている。腰に凶器を隠し、新参者を値踏みするような視線を送ってくる。特にカミラへの視線が気になった。十歳の美少女など、この手の街では格好の獲物だろう。

 

「お兄ちゃん、この街変なにおいがするー」

 

 カミラが鼻をしかめるが、その声に既に異変が現れていた。

 

「ここは大人の街なんだ。あまりキョロキョロ見回さない方がいい」

 

 気配を消しながら目的地へと向かう。ボムズの邸宅の場所は、マキシマム家の執事達が念入りに調査してくれていた。詳細な見取り図から警備体制まで、全てが頭に入っている。

 

 しかし、カミラの様子がどんどんおかしくなってきた。

 

 歩きながら時折俺の袖を掴み、身体を支えている。呼吸も荒く、額には脂汗が浮いていた。顔色は蝋のように青白い。

 

「お兄ちゃん……まだ?」

 

 カミラが震え声で尋ねてくる。その瞳は既に血走り、野獣のような光を宿していた。

 

 これが殺人の禁断症状か。

 

 カミラにとって殺しは、もはや麻薬と同じレベルの依存物質になってしまっている。セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質が殺人行為と結びついて、それなしでは正常な精神状態を保てないのだ。

 

「もうすぐだ。我慢しろ」

 

 優しく答えるが、内心は穏やかではない。この状態が続けば、カミラは確実に暴走する。そうなったら、俺でも制御できない可能性がある。

 

 

 

☆★

 

 

 

 やがて、ボムズの邸宅に到着した。

 

 三階建ての重厚な石造りの建物。まるで要塞のような佇まいで、周囲には高い塀が巡らされ、有刺鉄線まで張り巡らされている。正門の上部には毒蛇のエンブレムが刻まれていた。

 

 厳重な警備が敷かれている。見えるだけでも数十人の武装した警備員が配置されていた。だが、俺達マキシマム家の者にとっては、この程度の警備など障害にもならない。

 

 「カミラ、準備はいいか?」

 

 妹に声をかけるが、返事がない。

 

 振り返ると、カミラは限界に近い状態だった。小さな身体を震わせ、歯をガチガチと鳴らしている。瞳孔は異常に拡張し、呼吸は浅く早い。まるで溺れる者のように酸素を求めていた。

 

「お、お兄ちゃん……もう、我慢……できない……」

 

 カミラが絞り出すような声で呟く。その手が俺の腹部を執拗に叩き始めた。一撃一撃が、普通の人間なら即死しかねない威力を持っている。

 

 これはまずい。

 

 このままでは、作戦云々の前にカミラが暴走してしまう。

 

「わかった。正面から行くぞ」

 

 潜入作戦を放棄し、強行突破を選択した。

 

 俺達は忍者の如く、塀を飛び越え屋内に入った。

 

 塀の高さは約四メートル。普通の人間なら梯子でも使わない限り越えられないが、マキシマム家の人間にとっては朝飯前だ。軽く跳躍するだけで、音もなく塀を越える。

 

 庭に着地した瞬間、番犬達が反応した。しかし、俺が軽く殺気を放つと、犬達は恐怖で震え上がり、尻尾を股に挟んで逃げていく。

 

 さらに庭の奥で警備員が二人、俺達の侵入に気づいて近づいてきた。

 俺は素早く背後から近づき、首筋に手刀を打ち込む。意識を刈り取る一撃。力加減は完璧だ。しばらく眠っているだけで、命に別状はない。

 

 屋内には予想通り大勢のボディガードがいた。だが、どれも素人レベル。プロの暗殺者からすれば、隙だらけの警備体制である。

 

 カミラの様子を確認する。すでに禁断症状は危険域に達していた。

 

「カミラ、まだ突入するなよ」

 

 声をかけるが、返事がない。

 

 カミラは苦しそうに息を乱しながら、俺の内臓を抉ろうとしてくる。ドス、ドスゥと衝撃が伝わってきた。返事もできないほど、血に飢えているようだ。

 

 そろそろ兄ちゃん辛いぞ。さすがに血が滲んできたからな。

 

 マキシマム家の人間である俺でさえ、皮膚が赤く腫れ上がっている。カミラの禁断症状は、予想以上に深刻だった。

 

 早くボムズを探して処置をしよう。俺の身がもたん。

 

 忍び足で各部屋を探す。

 

 一階は主に警備員達の待機所と武器庫、それに拷問室があった。壁には血痕が飛び散り、床には得体の知れない染みが広がっている。ここで一体何人の人間が苦痛に喘いだのか、想像するだけで反吐が出そうになる。

 

 二階は幹部達の居住区らしい。豪華な調度品で飾られているが、人間の頭蓋骨を模した灰皿、拷問器具を模したオブジェなど、悪趣味な装飾が目立つ。成り上がりの品性の無さが露骨に表れていた。

 

 三階の最奥、角部屋。そこに最も多くの警備員が配置されている。間違いなく、あそこがボムズの私室だろう。

 

 ボディガードの巡回をかいくぐり、進む。彼らの動きは規則的で予測しやすい。途中、どうしても衝突が避けられない地点では、首筋への手刀で気絶させた。相手を殺すことなく無力化する技術だ。

 

 そして、ついにボムズの私室に到達した。

 

 重厚な扉の向こうから、くちゃくちゃと何かを咀嚼する音が聞こえる。俺の聴力なら、室内の会話も聞き取れる。

 

「この娘、まだ反抗的だ。もっと薬を盛れ」

「で、でも旦那、これ以上は危険かと……」

「うるせぇ! 俺の楽しみを邪魔する気か!」

 

 ドスンという音と共に、誰かが床に倒れる音が聞こえた。

 

 情報通りの屑だね。

 

 扉の隙間から室内を覗く。

 

 いた。

 

 豪華なソファに座り、くちゃくちゃと骨付き肉を咀嚼しながら、傍らにいる少女の肩を抱いている巨漢の男。それがボムズだった。

 

 噂以上の悪党面である。身長は百九十センチを越え、体重は百五十キロ近くありそうだ。顔は傷だらけで、右目には黒い眼帯。左頬の十字傷が、照明の光を受けてぬらりと光っている。

 

 少女は眉を寄せ、嫌悪感に必死に耐えているようだ。年の頃は十五、六といったところか。美しい栗色の髪をした、可憐な少女だった。その瞳には絶望の色が宿っている。その瞳が俺の胸を締め付けた。

 

 さらに傍らには鎖に繋がれ、ぼろぼろにやつれた奴隷。その奴隷を監督するためなのか、ムチを手にしたボムズの部下もいる。奴隷の背中は鞭で叩かれ傷だらけで、栄養失調で頬はこけ、まるで骸骨のように痩せ細っている。

 

 室内には他にも、明らかに人身売買の犠牲者と思われる女性達が数人いた。皆、恐怖で震えており、ボムズの機嫌を損ねないよう必死に媚びを売っている。その光景一つ一つが、俺の怒りを煽った。

 

 これなら躊躇なく殺せる。カミラに「悪い人だから殺していい」と説明するにも、これ以上ない好例だ。

 

 よし。

 

 俺とカミラは、ボムズの前に堂々と現れた。重厚な扉を静かに開き、まるで招かれざる客のように室内に足を踏み入れる。

 

「なんだ、貴様は?」

 

 ボムズの野太い声が響く。酒に酔っているのか、反応が鈍い。長年この地区を支配してきた慢心があるのだろう。自分が襲われるはずがないという、根拠のない自信に満ちている。

 

 さて殺すか……いや、待てよ。

 

 ここで殺っておしまいって言うのは簡単だ。カミラは、ボムズを躊躇なく殺すだろう。

 

 ただ、それだとカミラは、衝動のままに殺したことになる。殺すのはしょうがないとしても、殺したのは悪人だからという認識をさせたい。

 

 これは教育の絶好の機会だ。カミラに「なぜ殺すのか」を理解させなければならない。

 

 前世の記憶にある当たり前の倫理観。

 人を殺してはいけない。だが、この世界では悪人を殺すことが許されている。ならば、なぜ殺していいのかを教えるのが俺の責任だ。

 

 コホン、一つ咳払いする。

 

 そして、一歩前に進み出ると、

 

「ボムズ、貴様の悪行もそこまでだ!」

 

 びっとボムズを指差して高らかに宣言したのである。

 

 まるで正義のヒーローのような決めポーズ。我ながら少し恥ずかしいが、カミラに善悪の区別を教えるためには必要な演出だ。

 

「ガキが世迷言を! おい、見張りは何をしてやがったぁああ!」

 

 ボムズが怒鳴り声を上げた。その声質は、暗黒街のボスらしく高圧的で殺気に満ち溢れている。怒号と共に唾が飛び散り、酒臭い息が室内に充満する。

 

 数分後、慌ててボディガード達が駆けつけてきた。階下で気絶させた連中以外の、生き残りの警備員達だろう。総勢で二十人ほどか。

 

 ふむ、ひっそりと潜入した意味が無くなったね。

 

 だが、それでいい。俺は立派な殺し屋になりたいわけではない。妹を更正させたいだけなのだ。だから、殺す意義は、丁寧に説明する必要がある。

 

「ボムズ、人身売買に違法な殺人、あまつさえ無実な少女を拉致監禁するなど言語道断。良心が痛まないのか?」

 

 まずはボムズの悪行を指摘する。これから殺すにあたって、ターゲットはこれだけ悪い事をしたんだよってカミラに教えてあげるのだ。

 

 室内を見回し、ボムズの犯罪の証拠を一つ一つ指摘していく。鎖に繋がれた奴隷、怯える少女達、壁にかけられた拷問器具。どれもボムズの残虐性を物語る動かぬ証拠だった。

 

「小僧、何を青臭い事を言ってやがる。お前、俺が誰でここがどこだかわかって言ってるのか?」

 

 ボムズが鼻で笑う。その表情には、微塵の後悔も見られない。

 

「もちろんだ。それよりボムズよ、お前にも親はいるはずだ。田舎の母さんが悲しむぞ」

 

 悪い事をしたら家族が悲しむ。行いは自分だけに留まらない。大切な人にまで影響するのだ。これをカミラにもわかって欲しい。

 

 家族の絆、愛する人への責任。それを理解すれば、カミラも無差別な殺戮から遠ざかるはずだ。

 

「……このバカをノコノコ俺の寝室まで入れたのは誰だ? このガキともども処刑してやる」

 

 ボムズが獰猛な声で吠える。額には青筋が立っていた。

 

 やはり話し合いは通じない。根っからの悪党に、人間的な感情を求めるのは無理な話だった。

 

 うん、わかっていた。ボムズには、良心にも両親にも訴えても無駄だってこと。これほどの屑が改心するわけがない。

 

 ただね、この手順は必要なのだ。

 

 悪人は殺す。それはいい。ただ話し合いをした上でやむをえなく殺す。殺しは最終手段だってことをカミラに教えてあげるのだ。

 

 手間だと思うよ。すぐに殺したほうが楽さ。でもね、これは人間として生きる上で大切な事なんだからね。人間と獣の違いはそこにあるのだから。

 

 うんうんと満足げに頷く。

 

 ボムズは、ぴくぴくと瞼まで痙攣し始めた。そろそろボムズの堪忍袋の緒が限界のようだね。

 

「カミラ、そういう事だ。こういう屑だけを殺すんだ。わかったか?」

 

 振り返ってカミラに説明しようとして、愕然とした。

 

「お、お兄ちゃん、ま、まだかな。僕、も、もう我慢ができな……い」

 

 カミラが顔を上げ、苦しそうに訴える。

 

 その瞳はもはや理性の光を失っていた。完全に野獣の目だ。小さな身体は小刻みに震え、呼吸も荒い。時折、意味不明な呟きを漏らし、まるで重度の禁断症状に苦しむ麻薬中毒者のようだった。

 

 殺人への渇望が、もはや限界に達している。

 

 全然聞いてねー。

 

 今までの話は欠片も聞いてないようだ。ずっとうつむいてたのは、衝動を必死に耐えてたわけだ。真摯に聞き入ってたわけじゃなかったのね。

 

 ……悲しいが、これもうすうすわかってた。

 

 だけどね、どんなに勉強をしない子でも、親は勉強しなさいって叱るでしょ。言葉は、無意味だとわかってても言い続けなきゃいけないんだよ。

 

 教育とはそういうものだ。一度や二度で効果が出るものではない。諦めずに、根気強く続けることが大切なのだ。

 

 カミラは、もうだめ、限界、早く()べたいと繰り返す。

 

 はてさてこれって、ボムズとカミラどちらが獣なんだろうか。

 

 う、う~ん、き、厳しいなぁ。

 

 一方は金のために人を虐殺する欲深い豚。もう一方は純粋に殺戮を楽しむ天真爛漫な殺人鬼。どちらも人間の範疇を超えているが、方向性が違う。

 

 その時ボムズが口を開いた。

 

「ほぉ~~そっちのガキ! ガキはガキでも上玉のガキじゃないか。貴様、さっさと顔を見せておけ。あやうく二人ともぶっ殺すところだったぞ!」

 

 ボムズがニタニタといやらしい笑みを浮かべた。その視線がカミラの身体を舐め回すように見つめている。まるで品定めでもするかのように。

 

 その瞬間、俺の中の何かが切れた。

 

 あ、ボムズのほうが獣だね。

 

 疑問は一瞬で解決した。金や権力のために人を虐げる者と、まだ善悪の判断がつかない子供。比較するまでもない。

 

 ボムズの視線がカミラに向けられた瞬間、心の底から殺意を覚えた。

 

 妹に、そんな目を向けるな。

 

 殺してやる。

 

 今すぐにでも。

 

 俺の身体から、今まで抑えていた殺気が爆発的に放出された。室内の空気が震え、窓ガラスがビリビリと音を立てる。ボディガード達が一斉に身を竦ませた。

 

 これが、マキシマム家の血を引く暗殺者の本気の殺意だった。

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