その日、モモンガが【ユグドラシル】にログイン出来たのは、ギルドの定例会議が始まる時間の直前だった。
今日に限って、急な仕事による残業が予想よりも延長した為に、自宅に帰り付いた時間がかなり遅くなってしまったからだ。
スッと、モモンガが円卓の間に居るギルメンたちへと視線を巡らせると、その場にはほぼ全員が揃っていたのだが、たった一人だけ居ない人物がいる。
いつも、必ずこの会議には早い時間からログインしてきて、色々とメールペットの事に関して仲の良い相手と談笑している筈の、タブラさんだ。
彼が〖この場に居ない〗という、この状況に何となく微妙な違和感を覚えながらも、それを敢えて口には出さずにモモンガが席に着けば、時計が時間になった事を告げてきた。
このまま、彼が来るのを待たずにギルドの定例会議を始めてしまっていいのかと迷った瞬間、それまで黙って自分の席に座っていた建御雷さんが、漸く覚悟を決めたかの様に口を開く。
「あー……タブラさんなんだが、今日の会議には出席出来ない。
じつは、今のタブラさんはものすごく厄介な状況に陥っていてな。
その辺りの事情を含めて、出来れば相談に乗って欲しい。
いや、と言うよりも何とかする為に協力して欲しいんだが……構わないか?」
どうして、建御雷さんがまだタブラさんが来ない事を知っているのか、それに対して疑問を感じたモモンガだが、すぐに彼がリアルでタブラさんと直接の知り合いだと言う事を思い出した。
それと同時に、何となくモモンガは嫌な予感がして、思わず口ごもる。
今回のタブラさんが出席出来ない理由として、三年前のウルベルトさんの騒動を連想させたからだ。
あの時もウルベルトさんも、この会議になかなかやって来なかった。
それに対して、今回は既に建御雷さんから「厄介事に巻き込まれてた」と明言された上で、欠席する旨を告げられている。
この状況を考えれば、絶対に前回のウルベルトさんの時と同じ位厄介な事になっているのだろう。
普通に考えて、ネットにログイン出来ないなんて相当の事だ。
「……相談って、どんな話なのかしら?
内容によっては、私達で相談に乗る事も難しいと思うんだけど。
建御雷さんの言ってる〖協力して欲しい〗って言うのも、相談に対しての事だよね?」
この場で、他のギルメンの先鋒の様に話を切り出したのは、茶釜さんだった。
かつて、まだ幼かったアルベドの暴走した一件によって、色々と自分の所のマーレが迷惑と被っていた茶釜さんは、こんな風にタブラさんが関わる事によっては厳しい物言いをする。
もちろん、何もかも彼のやる事に対してケチをつけている訳ではない。
最近のタブラさんは、随分とアルベドに対していい意味で親バカになっていたし、何よりアルベド自体が大きく心が成長して、淑女の雰囲気を漂わせる様になっていたから、それに対して文句はないのだろう。
むしろ、今回のような騒動を持ち込む事に対して、厳しいって言うべきなのだろうか?
そんな彼女の問いに対して、答えたのは建御雷さんではなく、ちょっと離れた席に座っているウルベルトさんだった。
どう説明するべきなのか、言葉を選ぶのにちょっとだけ困っていると言いたげな、そんな様子で軽く頬を掻きつつ口を開く。
「あー……その一件なんだが、タブラさん本人が俺たちに対して、直接何かを相談してきた訳でも頼って来た訳でもない。
むしろ、今のタブラさんは現在進行形で第三者による監視下に置かれていて、メールを含めてネットへの接触すらまともに出来ない状態だ。
建御雷さんは、元々仕事的に毎日直接会って話す必要がある関係から、一応、邪魔される事なく直接接触出来るんだけど、な。
それだって、今のタブラさんの側についてる監視役が置かれているから、今までの様に世間話をしたりちょっとした友人として会話をしたりする事はもちろん、お互いに抱えている問題の相談も出来なければ、メールペットを出してその話をする事も出来ない状態らしい。
そこで話した内容はもちろん、していた行動全部が相手に筒抜けになるからな。
このタブラさんの状況を、俺に泣きながら訴えてきたのはアルベドの方なんだ。
〖 お願いします、今はもうご自分でどうする事も出来ないタブラ様を助けてくださいませ 〗と、俺とデミウルゴスの前で土下座までしてな。
その状況に、俺は事情を知っていそうな建御雷さんに連絡を取って、タブラさんが置かれている現状を把握した、と言う訳だ。」
そこで言葉を切ると、ウルベルトさんは軽く顎を撫でながら天井を見上げる。
何となく、言って良いのか迷う様なそんな素振りだと思った瞬間、彼は徐に続きを話し始める。
「……ただ、ここから更に詳しく話すとなると、本当にタブラさんが誰なのか個人特定が可能な情報になるから、最初から協力してくれるという相手にしか話したくない。
今後の事を考えるなら、全員で情報を共有した方が良いかもしれないとも思わなくもないんだが、ここで話した内容を相手方にリークされても困るんだよ。
残念な事に、この中にはそうする事で様々な点で利を得ようとする、愚か者がいないとも限らないからな。」
そこまで言って、再び言葉を切ったウルベルトさんが、スッとギルメン全員に対して冷ややかな視線を流したのを見て、モモンガは猛烈に反論したい気持ちになった。
大切な仲間を売るなんて、そんな真似をするギルメンがいるとはとてもモモンガは思いたくなかったからだ。
多分、それに関しては誰もが似た様な気持ちになったんだろう。
場の空気が、一気に悪くなる。
それだけでは足りないと、ウルベルトさんが口にした言葉に対して、不快そうな様子で機嫌の悪いアイコンを浮かべるメンバーも何人かいた。
だけど、ウルベルトさんは涼しい顔をして、最初から予想していたかの様にそんな彼らの反応を受け流すと、更に言葉を重ねる。
「もちろん、俺だってそんな奴が仲間の中に本気でいるとは思いたくないさ。
だけど、これから話す情報は結構色々とヤバい案件も混じっていて、例えこの場に居る仲間を裏切る事になっても、この情報を相手側に持っていけば、自分の置かれる状況がかなり変化すると考える奴がいないとは言い切れないし、むしろこの状況を楽しんでわざと相手側に垂れ込もうとする愉快犯だっているだろう。
だから、本気で協力してくれるって言ってくれるやつ以外に、タブラさんの状況を含めた今後の相談を聞かせるのは、ちょっとばかし躊躇われるんだ。」
ウルベルトさんの説明に、ほぼ間を置く事無くギルメン全員が視線を向けたのは、ギルド一の問題児で愉快犯的なるし☆ふぁーさんだった。
そんな、ギルメンからの疑惑に満ちた視線を受けて、ちょっとだけ軽く肩を竦めたるし☆ふぁーさんは、小さく横に首を振る。
何となく、彼がギルメンたちに対して向けている視線は、何とも言い難いものがあった。
「……この際だから言っておくけど、今回のタブラさんの件に関して言うなら、俺は二次的な被害者になる可能性があるんだよね。
もちろん、そうなったとしても悪いのはタブラさんじゃないし、俺自身が今の時点ではタブラさんの件に関わっていない事だけは明言しておく。
まぁ……そんな理由もあって、俺は既にタブラさんの一件に関わる事になってるんだわ。
そもそもさぁ、愉快犯って聞いただけで俺の事を見るのって、ある意味偏見だよね。
だってさ、ウルベルトさんの説明を聞いた途端、みんな勝手に〖愉快犯と言うならこいつだろう〗って、決めてた様な視線を向けたでしょ。
そりゃ、確かに普段はギルドメンバーに対して色々やらかしてる事は認めるけど、メールペット関係とかリアルに絡む事に関して、ここに居る面々に迷惑を掛けた事は一度もないはずだよ。」
どこか憤慨した様な様子で、そうきっぱりと告げるるし☆ふぁーさんの主張を聞いた途端、モモンガも「そう言えばそうだったな」と今までの彼の行動を振り返り、思わず納得して頷いていた。
確かに、るし☆ふぁーさんは色々とギルドの中で問題行動をやらかす人だけれど、三年前のアルベドの一件の際に宣言した通り、リアルやメールペットが絡む事に置いては一切の問題行動を起こしていない。
まぁ、恐怖公絡みでリアルのメールサーバーで更に進化した【黒棺】を作り出そうと考え、実際にヘロヘロさん達に相談しながら色々と動いている様だけれども、あくまでもそれは「セキュリティの機能向上」と言う前提がある。
実際に、三年前のハッカーの顛末に関してはネットで拡散済みらしく、彼のサーバーには恐怖公のセキュリティシステムとして仕掛けられている罠が怖くてハッカーたちは近寄らないと言う事だから、その外見と能力を上手く利用していると言っていいだろう。
そうやって、今までのるし☆ふぁーさんのリアルの行動を考えて見ると、確かにメールペットやギルメンに対して被害を出す真似は一切していないので、彼は対象外だと言っていい。
だとしたら、ウルベルトさんは一体誰の事を想定して、あんな事を言っているんだろうか?
正直に言うと、るし☆ふぁーさん以外だというなら誰を想定しているのかとても気にはなったが、この場でそれをわざわざ問い詰めるのはやめておく。
漠然と、この件に関してあまり深く追及しない方がいいと感じたからだ。
そんな風に、モモンガがるし☆ふぁーさんの発言に対して色々と考えている間に、ウルベルトさんへ質問するべく手を挙げたのは、ぷにっと萌えさんだった。
「正直、今のお話だけで協力するか判断しろと言われてもかなり難しいですよ、ウルベルトさん。
ゲームの中とは違って、リアルで私達に出来る事なんてそうそうありませんからね。
本当に協力出来る事があるのか、それすら情報が少なすぎて全く判らないと言っていいでしょう。
ですが、タブラさんが本当に困っていて助けを求めているというのなら、私に出来る事があれば手助けをしたいと思う気持ちはあります。
実際の所、あなた達が欲しがってる協力というのは、どういう内容なんですか?」
静かに問う、ぷにっと萌えさんの言葉に対して、正面からそれを受け止めたウルベルトさんは軽く顎髭を撫でると、スッと視線を建御雷さんに向けて確認を取る。
その様子を見ただけで、ウルベルトさんだけの判断では話せる内容にも限度があるのだと、すぐに判った。
ウルベルトさんが、わざわざ建御雷さんの顔を見て確認したのは、彼がタブラさんから今回の件への判断を一任されてきているから。
そう考えれば、今の状況的にも納得がいった。
誰もが、ウルベルトさんの視線を受けた建御雷さんへ視線を向ける。
周囲から集まった視線に、ちょっとだけ困った様に頬を軽く掻くと、建御雷さんはウルベルトさんに了承する様に頷いてみせた。
本当は、一任されている筈の彼が説明するべきなんだろうが、今までの流れから考えても同じく事情を知るウルベルトさんが説明した方が早いと考えたのだろう。
彼の説明で足りない部分に関しては、建御雷さんがフォローするといった所だろうか?
どちらにせよ、ある程度話しても構わない所まで内容を聞いてからじゃないと協力出来るかどうか、その判断は難しかった。
それに……先ほどるし☆ふぁーさんが言った事も気にならない訳じゃない。
本当に、彼自身の命も危険な状況にいるのだとしたら、どうしてそんな事になったのか詳しく聞きたいと思うのは、当然の話である。
もちろん、無理にその事を話させるつもりはない。
何となくだが、るし☆ふぁーさん側の話に関して無理矢理事情を聞き出すのは、筋違いの様な気がしたからだ。
モモンガが、頭の中で自分なりに考えを纏めている間に、ギルメンたちの間で話は進んでいた。
建御雷さんの視線を受け、ウルベルトさんがざっくりとした事情説明し始めたからである。
「あー、そうだな……簡単に説明すると、今、こうしている間にもタブラさんは雇用主から富裕層に売られそうになってるんだ。
タブラさんは、三年前の俺の一件の時に〖接客業をしている〗と言っていただろう?
そこの客は、基本的に富裕層でもそれなりの立場と力がある人間が多いんだが、その中の一人がタブラさんを気に入ったのかどうかは判らないが、強引に金で買おうとしているんだよ。
もちろん、タブラさん自身はその申し出に対して同意している訳じゃない。
同意している事なら、アルベドが〖助けてくれ!〗なんて駆け込んでくる訳がないし、な。
かなり腹が立つ話なんだが、客側から提示された金額に目が眩んだ雇用主と客の富裕層の間で勝手に話が纏まり掛けているそうだ。
雇い主にしてみたら、タブラさんは大事な金蔓だからな。
予想外の大枚で、それなりに立場がある人間に買い取りが決まりそうな大事な時期だからこそ、〖ネットで事故にも遇われたら困る〗と言う名目を付けられたタブラさんは、現時点でネットにログインが出来なくなってるのさ。」
苦い声でそう告げるウルベルトさんに、その場が一気に騒めく。
普通に考えて、ネットの使用制限までされてしまう状況と言うのは、おかしいと思えたからだろう。
それ以上に、思っていたよりもタブラさんが働く環境が劣悪な状況だと知った事によって、幾つか疑問が浮かんだ面々がいたのも騒めく声が広がった理由だった。
もし、タブラさんが自分とそれほど変わらない様な立ち位置だとしたら、あの蘊蓄を語れるだけの知識はどこから来たのだろうか?
正直、モモンガ自身も色々と教わる側であったが故に、あっさりと雇い主から富裕層の人間に売られてしまう様な環境にタブラさんがいた事がとても信じられない。
しかし、だ。
実際にそれが起き掛けているからこそ、彼のメールペットのアルベドがウルベルトさんへと助けを求め、建御雷さんと共にこうして協力者を求めるべく動いている。
更に、ウルベルトさんの説明は続く。
「どうして、雇い主側がタブラさんに対してそこまで行動制限出来るのかって言うと、タブラさんは雇い主の用意した寮に住み込みと言う形で働いているからだ。
住み込みの寮の回線を押さえられたら、ネットに繋げなくなるのも当然だからな。
更に問題なのが、タブラさんを金で買おうとしている男の方か。
そいつは、既に妻と成人した子供がいる中年男で、もし本当にタブラさんの事を買い取る事が出来たら、自分の子供を産ませる為の道具にするつもりだ。
あぁそうだ、一つ言い忘れていたんだが……タブラさんのリアルは女性、つまりネナベだったらしい。
これに関しては、俺も数時間前にアルベドから頼まれた際に教えられて、更に建御雷さんに確認を取るまで知らなかったからな。」
忘れていた、と言わんばかりに最後に説明を追加するウルベルトさんに、今まで以上にどよめくギルメンたち。
正直、タブラさんが強引に富裕層に金で買われて愛人にされそうな状況よりも、実は女性だという事の方が驚きだったからこそ、こんなにも周囲から騒がれているのだろう。
そこで、今まで大人しく話を聞く側にいたるし☆ふぁーさんが、追加の説明と言わんばかりに口を挟んできた。
「ちなみに、タブラさんの事を金で買って愛人にしようとしている糞中年親父って言うのが、俺の名ばかりの父親に当たる奴だから。
あの野郎、俺が産まれる前から今までずっと溺愛し続けている愛人がいる癖に、その女が二十年以上一緒に居ても自分の子供を産まなかったんだよ。
色々とあって、そろそろ自分の後継者となる相手が必要だとなった時、自分の血を引く後継者が産まれてからずっと放置して来た正妻の子供の俺しかいない事に気付いて、凄く焦ってるんだ。
だって、産まれてからずっと放置して見向きもしなかった息子を後継者にしても、今更自分の言う事を聞かないだろうって事位、あんな男でも流石に判っているみたいでさ。
しかも、昔から俺の事を〖後継者から外す〗って周囲に明言していた割に愛人との間に子供も出来ないし、会社の経営とか後継者問題とか本当に色々と問題があって、親戚から追及を受けそうな状態になってるらしいんだ。
どうも、そんな時にタブラさん働いている店に客として出向く事があったらしくて、そこの店主に勧められたらしいんだよね。
〖それなら、お客様が気に入ったらしいうちの店員を金で買って、そのまま子供を産ませる道具にしたらどうか?〗ってさ。
それを受け入れちゃう辺り、ホント性根が腐ってるよね、あのクソ爺。」
補足と言う割には、予想以上に家庭の事情をサクサクと口にするるし☆ふぁーさんに、思わず彼を二度見するギルメンたち。
もしかして、るし☆ふぁーさんがギルメンに対して質の悪い悪戯をするのって、この家庭環境の悪さも影響しているからなんだろうか?
思わずそう思うモモンガに対して、更にるし☆ふぁーさんの説明は続いていく。
「そんな訳で、タブラさんに対しての買取契約なんて話が持ち上がった訳だけど……ここで、あの男の側に一つ問題が出て来た訳さ。
富裕層の中でも、それなりに力と金がある人間が出入りするそこの店の従業員を金で買い取るのには、それ相応の金額が必要になるって点がね。
普通なら、その話で折り合いが付かなかった段階で諦めるんだろうけど……どうしても、自分が溺愛している愛人が最優先のあの野郎は、そこで諦めなかった。
どうも、その為の資金とか全部を邪魔な存在である俺と俺の母親をどうにか事故死か自殺に見える様に殺して、それによって手に入れた遺産を使ってタブラさんの買取金額を賄おうとか考えているらしいんだよね。
邪魔者を始末して、その遺産で自分の跡継ぎを産ませる女性を買い取る事が出来れば、一石二鳥なんてレベルじゃないとか考えてるんじゃないの、あのくそ爺なら。
だから、このタブラさんの一件に関して言うなら、俺も他人ごとじゃないって訳なんだ。」
自分の親が絡んでいるにも拘らず、さくさくと自分が置かれている状況を説明していくるし☆ふぁーさんに対して、周囲の視線はだんだんとドン引きしていくのが良く判った。
むしろこの状況だと、タブラさんよりもるし☆ふぁーさんの方が命に関わる分だけ危険なんじゃないだろうかと、モモンガは思えて仕方がない。
だが、改めて説明された内容を考えてみると、るし☆ふぁーさんが今回の一件に協力する事を申し出たのだって、不自然どころかむしろ当然の話だった。
実の親から、子供を産ませる為に新しく愛人にしようとしている相手を買い取る資金の不足分を補うのに必要だからと言う理由で、自分の命が狙われている状況を知ってしまったとしたら、それをそのまま抵抗せずに受け入れるなんて事が出来る筈がない。
〘 ……まして、新しく愛人に迎え入れるべく狙われている人物がギルドの仲間で、本人の意思を一切無視して強引に金で手に入れようとしているなんて事を知ってしまったら、それを放置出来るほどるし☆ふぁーさんは人でなしじゃないからな。
そうだ……るし☆ふぁーさんは、未だにユグドラシルの中ではギルドの仲間に色々と悪戯したりしてくるけど、あくまでもユグドラシルの中だけだ。
リアルでメールをやり取りする分には、何だかんだ言ってきちんと礼節を守る人なんだよなぁ……
正直、メールペットとして恐怖公を飼い始めた頃から、るし☆ふぁーさんからのギルメンへの悪戯は随分と大人しくなっているし。
ここで、全くなくなったと言えないのがるし☆ふぁーさんがるし☆ふぁーさんたる所以なのかもしれないけど、むしろそこまで大人しくなられたら、逆に不気味だから今ぐらいの加減で問題ないと思うべきかな。
そういや、ギルドに所属した頃の様な酷い悪戯をするよりも、メールペットたちの為に何かを作る事の方が楽しいんだと、ちょっと前に俺に話してくれたっけ。 〙
そんな風に、モモンガが納得していた所で、るし☆ふぁーさんの話を聞いてるうちに気になった事を見つけたのか、ぷにっと萌えさんが片手を挙げて質問を口にした。
「……今のお話ですと、るし☆ふぁーさんの父親がタブラさんを買い取る為に、るし☆ふぁーさんとそのお母さんを殺して財産を狙っているという事ですが……〖後継者が必要だ〗と言っている時点で、るし☆ふぁーさんの父親は富裕層でそれなりに権力を持っている人なのでしょう?
アーコロジー内で、ある程度の地位に居る富裕層に身を置く人物なら、貧困層出身だろうタブラさんの雇い主がそれを勧めている時点で、金で人を買い取る事が出来る程度の資産はあると思います。
むしろ、そこでるし☆ふぁーさん達を手に掛ける方色々と面倒事が起きたりする点などを考えれば、余計に危険だと思われるのに、どうしてそうなると言う結論に至ったんでしょうか?」
そう、疑問に感じた事をそのまま問うぷにっと萌えさんの言葉に、周囲もハッとなった顔をする。
確かに彼の言う通り、この世界の貧困の差を考えればある程度力のある富裕層の人間なら、わざわざ息子と妻を殺して無理にその財産を得なくても、貧困層の人間一人位なら金で強引に買い取って囲う事は出来るんじゃないだろうか?
タブラさんの雇い主も、相手が金を持っていると思ったからこそ、タブラさんの事を売り付け様とした筈だ。
そんな疑問に対して、答えたてくれたのはウルベルトさんじゃなく建御雷さんだった。
「あー……この話が最初に出た時点で気が付いてると思ったんだが、どうやら本気で気が付かなかったんだな、ぷにっと萌えさん。
幾ら、タブラさんが貧困層出身で、客側が金満な富裕層の住人だったとしても、実際に自分だけのモノにする為に買い取ろうとするなら大枚を叩く必要がある存在が、アーコロジー内には存在しているだろう?
そもそも、俺が仕事で出入りしている先がどこなのか、ウルベルトさんの騒動の時にたっちさんが指摘してただろうに、それすら忘れたのか?」
そこで言葉を切った建御雷さんに対して、ぷにっと萌えさんはハッとなった様な顔をした。
今の指摘で、タブラさんが置かれている状況を正確に察したのだろう。
モモンガ自身も、今の彼らのやり取りと今までの情報から、何となく状況を察してしまっていた。
そう……建御雷さんの言葉通り、彼が仕事で出入りしている場所で働いているとしたら、タブラさんは花街の住人だ。
状況的に考えると、良くて花街の【美しい徒花】である遊女を支える下働き、悪ければ徒花として貧困層にもその存在を知られている遊女そのものだろう。
実際、タブラさんが花街の中でどれ位の立場に居るのかは分からない。
判らないけれど、少なくともるし☆ふぁーさんの父親だと言うある程度の力と財を持っている富裕層の人間が、タブラさんを買い取る為に彼と彼の母親の遺産を充てにしなければならないほど大枚を叩く必要があるのだとしたら、まず下働きじゃなくそれなりに高い地位にいる遊女だと考えるのが、一番妥当な所だろう。
とは言え、アーコロジーの中にある花街の遊女など、モモンガは自分には絶対に手が届かない存在だと判っていたから、花街の仕組みに関してそれ程詳しい訳じゃない。
多少知っているのだって、モモンガが自分から積極的に調べたからじゃなく、ペロロンチーノさんがたまに出回る遊女のネット情報の中にお気に入りの存在を見つけた事で、彼女の事を調べ回った揚げ句にそれを教えてくれたからだ。
だから、実際にどこまで知っているのかと問われたとしても、知らない事の方が確実に多いだろう。
そんな風に、自分が殆ど詳しく知らない世界の話になっていく事に気付き、どう対応したらいいのか悩んでいるモモンガの横で、話はどんどんと進んでいった。
「……と言う事は、リアルのタブラさんは花街の住人、その中でも客に相手をする遊女として花街に属していると言う事でよろしいんですか?
そして、その客の一人がるし☆ふぁーさんの父親で、タブラさんを無理矢理身請けする金を得る為に、るし☆ふぁーさんとその母親の財産を奪うべく殺そうとする可能性がある、と?」
出来るだけ、慎重に確認を取るぷにっと萌えさんに対して、建御雷さんはるし☆ふぁーさんやウルベルトさんと素早く顔を見合わせ、お互いに頷き合う。
多分、ここで全部話していいのか建御雷さん達にとって迷う所なんだろうと、すぐに察せられた。
この三人がこんな風に言い淀む位には、面倒な状態なのだろう。
それこそ、タブラさんが花街に置ける立場が判らないからはっきりと言えないけれど、何となくこの場ですぐにその内容を聞いてしまうという選択をしてはいけない気がする。
何となく、先程からモモンガ自身の中で嫌な予感が警鐘を鳴らしているからだ。
ここから先の内容を聞くかどうかは、やはりまずギルメン全員できちんと話し合って、どうするか決めてから聞くべきだろう。
そう、これ以上この件を掘り下げる様な下手な突っ込みを入れてしまう者が出る前に、この辺りで一旦会話を止めるべきだろうと思った瞬間、モモンガが座っている場所から少し離れた位置でぼそりと呟いた人物がいた。
今まで、今回の話が出てからずっと黙っていた下を向いて何かを考え込んでいた、ペロロンチーノさんだ。
「……もしかしてさ、タブラさんって花街でも特に有名な……」
もしかして、ペロロンチーノさんがずっと黙っていたのは、花街の遊女たちの情報からタブラさんの事を割り出そうとしていたからだろうか?
例えそうだったとしても、この場で名前を挙げようとするのはかなり拙い。
今の時点で、建御雷さん達に〖協力するか、それとのしないのか〗まだどちらにも決まっても居ない状況なのだ。
そんな状況下で、彼が勝手に名前を挙げて誰なのか示してしまえば、協力する事を躊躇っていたギルメンたちまで巻き込むしかなくなるだろう。
特に、るしふぁーさんなど自分と母親の命がかかわっているのだから、最初にウルベルトさんが言った様な裏切り者が出たら困ると、容赦なく協力をさせる筈だ。
もし、そんな事になってしまったら、それこそこの先の遺恨として残りかねない。
モモンガやその周囲が、この状況の拙さに気付いて慌てて留めようと思った時には、既にペロロンチーノさんの言葉は遮られていた。
いつのまにか、ペロロンチーノさんの背後に移動していたたっちさんが、ペロロンチーノさんの口をそのまま素早く塞いだからだ。
「……ペロロンチーノさん。
あなたが、今までの情報を元に何を想像したのか、それに関してはこの場で問いません。
ですが、現時点でその創造の人物が一体誰なのかという名前を挙げる事に関しては、まだどうするか迷っているギルメンたちへの余計なミスリードの原因になりますから、申し訳ないですけどこちらで干渉して発言を途中からミュートに切り替えさせて貰いました。
正直に言って、あなたの想像があっているのかどうかは現時点では言えない以上、その不用意な発言によってこの場で名前を挙げられた相手にも、多大な迷惑がかかる可能性があります。
特に、今回の様な協力を申し出るのにも微妙な案件では、あなた自身の含めてこの件に協力するかしないかまだ決めかねている状況ですし、下手な発言でタブラさんが花街で誰なのかと言う特定はして欲しくありません。
あなた自身には、そんなつもりが無かったのでしょうが……このまま思った事を口にされて、本当にタブラさんを助けられなくなると困りますから。」
スッと、鋭い視線を向けながら顔を覗き込む様にたっちさんに告げられ、ペロロンチーノさんは青ざめながらコクコクと頷いて同意する。
そんな彼の様子を見ながら、別の場所に座っているぶくぶく茶釜さんが小さく舌打ちしている姿が、今のやり取りをどんな風にギルメンたちが聞いているのか、様子を窺う様に視線を巡らせたモモンガの視界に入った。
多分、ウルベルトさんや建御雷さんがしていた状況説明を碌に話を聞かず、必要な言葉だけ拾って自分の思考に入り込んでいたペロロンチーノさんが、思い付いたまま余計な事を口にしようとした事に対して、強い苛立ちを感じたのだろう。
最初こそ、状況を把握するべく先鋒を切る様に質問をしていたのに、ウルベルトさんが説明し始めてから一切口を開いていない。
もしかしたら……茶釜さんは今の時点で下手な発言をする事によって、ペロロンチーノさんや自分が巻き込まれる事を嫌っているのかもしれなかった。
状況的に考えれば、茶釜さんの判断はある意味間違いじゃない。
唯でさえ、今回のタブラさんの一件はたっちさん達だけの協力だけでは足りなんていう、はっきり言って面倒な状況なのに、そこに るし☆ふぁーさんの家庭内のいざこざを含めた厄介事まで絡んでいるなら、下手に口を挟まない方が面倒事に巻き込まれないで済むだろう。
それなのに、幾つかの情報を元に自分の知っている花街の情報と憶測のまま結び付けた上、そのままうっかり思い付いた人物の名前をタブラさんとして口にしようとしたのだ。
あのままだと、折角建御雷さん達が名前を伏せる事で協力を申し出てくれた者以外の、この場に居るギルメンを守ろうとしていたのに、問答無用で全員が巻き込まれる形になり掛けたのだから、そんな彼の不用意な行動に怒りを覚え、そのままそれを舌打ちしたとしても仕方がないことかもしれない。
それに、だ。
茶釜さんの場合、リアルが【人気声優】と言う立場にある事を考えれば、このまま問答無用で巻き込まれる訳にはいかないだろう。
それが分かっているからこそ、茶釜さんは冷静に最初のやり取り以降はずっと沈黙を保っていたというのに、ペロロンチーノさんがそんなうっかりをやらかそうとしたのだから、むしろあの反応は当然だと言っても良かった。
「……それで、私の質問に対してそろそろ答えてくれませんかね?」
ぷにっと萌えさんが、たっちさんの威圧によって微妙になった場の雰囲気を変えるかの様に再度質問をすれば、それに対して建御雷さんは軽く首を竦めた。
どうやら、この質問に対して返答をするのは、ウルベルトさんじゃなく建御雷さんらしい。
「あー、そうだな……簡単に言えば、それなりの位置にはいる。
とは言っても、元々花街の遊女は富裕層との会話についていける様に教養をしっかり身に着けさせているから、それらの付加価値の分も下っ端と言っていい遊女でも身請けをするにはかなりの金額がいるけどな。
少なくとも、現役で稼いでいる遊女を身請けするなんてぇのは、一部の富裕層の中でも一部の人間にしか出来ない事だと言っていい。
一応、俺はアーコロジーの住人で割としっかり稼いでいる身ではあるが、それでももし花街で遊ぼうとしたら、どれだけ金を溜める必要があるかって話になるし、な。
そもそもだ、そうやって質問しているぷにっと萌えさんは、花街の遊女一晩の花代がどれくらい掛かるのか、知ってるのか?
最低ランクの遊女でも、一回の花代は八万円前後が相場だし、太夫クラスになると一回の花代が最低百万だぞ?
更に、いきなり床入りなんてぇのは無粋だからと、絶対に料理やら酒やらが出るのが決まりだ。
……そうだな、花街で食事やらなにやら諸々全部込みにしたら、最安値でもざっくり計算して十万、最上位の太夫が相手だと太夫の身の回りの世話をする禿やら諸々の手当てまで払う必要があるから、それらを全部含めて百五十万は用意していないと、次から廓の楼主から軽んじられる事になる。
簡単に言えば、指名する客が重なった時の優先順位が金払いの良い方に傾く訳だ。
そんな彼女たちを、もし十年の年季が明ける前に身請けしようと思うなら、最低ランクの遊女でも数千万掛かるし、太夫クラスになれば確実に億は下らない。
それ位の価値があるだけの教育を施され、遊女として日常の身に付けるものも一流の品に囲まれてるからな。
だからこそ、遊女は庶民には手が届かない【高嶺の花】であり、金持ち遊びって言われる所以なのさ。」
建御雷さんは、仕事でずっと関わっている事もあって、この中で一番花街の事情に詳しい人だろう。
だからこそ、サクサクと実際の例を挙げて話してくれたのだろうが、正直言ってモモンガには遠い向こうの世界でしかない。
そこで、ふと思い出した様にベルリバーさんが手を挙げた。
「もし、それが本当なんだとしたら……三年前、ウルベルトさんの一件が起きた時に、タブラさんがアルベドの事で〖責任を取って生活費を〗とか言ってたのを、建御雷さんが止めたのって……」
彼の問いを耳にして、あの時のタブラさんの行動を思い出したのか、建御雷さんは少しだけ困った様に天井を仰ぎ見る。
そう言えば、あの時はタブラさんがそう言い出したのを、上手く言葉で往なして止めたのは、確かに建御雷さんだった。
「そこまでの事をされてしまったら、ウルベルトさんが逆に恐縮してしまう」と言う言葉と共に、上手くタブラさんがそこまでの負担を負わなくてもいい様に誘導し、逆に自分の職場にウルベルトさんの事を誘っていて。
あの時は、色々とあって結局ウルベルトさんの就職先はたっちさんの娘さんの家庭教師に落ち着いたけど、もしタブラさんが本当にそこまで請け負っていたとしたら……
「……あぁ、そうだよ。
あの時、俺がタブラさんの事を止めたのは、ウルベルトさん側にとって負担になるって言うのも勿論あったが、それ以上にあいつが借金を重ねるのを止めさせる為だ。
基本的に、自分の金をほとんど持つ事が出来ない遊女が人一人分の生活費を用意するとしたら、廓の楼主に借金するしかないからな。
多分、あいつは全部承知の上で腹を据えて申し出たんだろうが、流石に後見の立場としてそれを見逃してやる訳にはいかなかった。
下手をすれば、タブラさんだけじゃなくウルベルトさんまで巻き込む可能性もあったから、そう言う意味でも止めるのは当然だろう?」
建御雷さんの肯定の言葉を聞き、あのやり取りの中にそんな裏事情があったのかと、モモンガを含めたその場にいるギルメンから低く唸る声が漏れる。
まさか、あの時のタブラさんがそこまで覚悟を決めていたとは、思っていなかったからだ。
どうやら、あの時の当事者であるウルベルトさんは、既に建御雷さんから詳しい事情を聴かされていたのか、口元に手を当ててはいるものの、唸り声を上げてはいない。
今の時点で、思っていた以上に深刻な話になりそうな状況を前に、モモンガは溜息しか出なかった。
予定以上に更新が遅くなり、申し訳ありません。
一先ず、ざっくりとした事情とるし☆ふぁーさんの立ち位置、ぼんやりとタブラさんの立場とかを明らかにしてみました。
pixivにあげてから、こちらにアップするまで一週間以上かかったのは、書き直しの部分が多かったからです。
全部細かな部分の変更ですし、文字数もあちらと比べて三千字ほど増えただけなんですが、予想よりも時間が掛かったと言っていいでしょう。
次の更新も、また時間が掛かると思います。
すいません。