メールペットな僕たち   作:水城大地

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いよいよ、作戦開始です。


タブラさん、救出作戦 ~前編~

 会議から二日後、タブラさんを花街の廓から助け出す為に、彼女の座敷に会いに行く当日になった。

 

 元々、ウルベルトさんが「早急に」と言って希望していた会議の翌日は、流石に急すぎて予約客が居た事もあり座敷の予約は取れなかったものの、あちらもこの話に大金が舞い込む予感がしたのだろう。

 その翌日と言う、最短の昼の時間帯に座敷を取る事が出来た。

 話を持って行った建御雷自身、流石にここまで上手く話が進んだ事に驚くしかない。

 

 本来なら、予約で座敷の予定は一か月先まで埋まっていてもおかしくない筈のタブラさん……いや、昼見世で名を馳せる白雪太夫の座敷だが、身請け話が出始めた辺りから楼主側の判断で予約そのものが少なくなり始めていた。

 それこそ、昔からの馴染み客に関しては流石に断らないものの、そこまで馴染みと言い切れない客の予約は入れない様に、楼主が調整していたのである。

 わざわざ楼主が出て断る理由は、身請けが近い事を匂わせる為だ。 

 

 そんな状況で、今回の座敷が無事に取れたのは、あの日のるし☆ふぁーさんからの提案を元に、道筋を立てて「お嬢様の行儀作法の師範探し」の話を持ち込んだからだろう。

 

 更に、彼の側から周囲に明確に判る様に、それこそ会議の翌朝と言う早い段階で大きく動いてくれた事も、こちら側の動きをかなり楽にしてくれていた。

 もっとも、あちら側が予定よりも早くに大きく動く事が出来た理由に、ウルベルトさんの所のデミウルゴスとモモンガさんの所のパンドラが、それぞれ別所有で彼の父親の会社の株式をそれなりに所持していたという、それこそ加味されるのだが。

 

 まさか、あの二人が所持していた会社の株式を合算したら、現在発行されている総株数の五パーセントにも及ぶなど、誰が想像出来るだろうか?

 

 それこそ、お互いに情報を擦り合わせる段階で判明した事実に、本気で仰天したものである。

 と言うより、るし☆ふぁーさんがまさか社交界でご婦人方を中心にこっそりと〖廃王子〗の愛称で呼ばれているあの人だとは、本気で予想外だった。

 だが、あの人の今までの生い立ちを改めて考えれば、恐怖公の気品ある紳士ぶりにも納得がいく。

 

 そして、あの複雑な家庭環境の影響が、彼の対人関係に色濃く出ているだろうと言う事にも。

 

 とにかく、だ。  

 当初の予定からすると、かなり予想外の部分から大きな足掛かりが出来た結果、るし☆ふぁーさんは早速それを使って父親側に対する攻勢に出る事にしたらしく、その影響であちらもすぐに白雪太夫の元を訪れて身請けするだけの余裕がなくなったらしい。

 元々、あくまでも白雪太夫は自分の血を引く子供を産ませる為の道具であり、相手に側にとっての本命は別にいる事から、そこまで必死になって小まめに花街へ通うという頭がないのも、現状の理由なのだろう。

 こちらとしては、その油断のお陰で目的達成のためにかなり有利な状況が作れた訳である。

 ただし、こちらとしても予定が狂った事が幾つかあった。

 まず、みぃちゃんとウルベルトさんに同行する予定だったやまいこさんが、一緒に来る事が出来なくなった事を挙げるべきだろう。

 これに関しては、予想外の場所から上がった不満の声が原因だ。

 

 そう……たっちさんの長男でありみぃちゃんの弟であるレイくんが「二人が出掛けるなら自分も一緒に行く!」と、泣き喚いたのである。

 

 レイ君はまだ三歳になったばかりだが、とても利発で既にウルベルトさんによる幼児教育も始まっていて、姉とも兄弟仲が非常にいい。

 先生役のウルベルトさん自身にも、母親と同じ位(つまり、たっちさんよりも)懐いている事もあって、姉と大好きな先生が自分を置いて出掛けると言う状況に、納得がいかないのである。

 しかし、だ。

 流石に場所が場所だけに、レイくんを連れて行く訳にはいかない。

 かと言って、みぃちゃんは主役として色々とやって貰う事があるし、ウルベルトさんは交渉役であり支払い関係も任せる都合もある為、こちら側に残ると言う事も出来ない。

 頑なに、「自分も行く」と主張する彼を前に、どうしたものかと困惑した面々の中で「自分が残る」と言い出してくれたのが、やまいこさんだったのだ。

 元々、小学校の教師としてこの場の誰よりも子供の扱いになれていた彼女が、上手くレイ君の意識を誘導してくれた結果、彼女と母親が側にいる事で納得してくれたのである。

 

 正直、このままだと話が破綻しかねない状況だった事を考えると、彼女の申し出は本気で助かったと言っていいだろう。

 

 そんな風に、花街への出発前に問題があったものの、それでもそこから花街へ入るのは話を事前に通してあった事もあり、みぃちゃんが同行していても特に訝しがられる事もなくすんなり出来た。

 こう言う事は、何事も先に根回しが済んでいると話が早く済む者である。

 と、ここで何事もなく身請けまで話が進めば良かったのだが……白雪太夫の廓に来た所で、一つ楼主自身がやらかしてくれた。

 

 多少、当人曰く「普段よりも数段上の品の良いスーツ」を身に纏ったウルベルトさんを前にした途端、絶対に客として廓に来て居る相手に対して、口にしてはいけない事を言い出してくれたのである。

 

「フン……見てくれはそれなりに整えている様だが、お前は貧困層の出だね。

 多少小金を持って、この場に合わせた服を着る事が出来たとしても、その根底に部分にある貧困層の卑しさに関しては、どう取り繕ってもこの私には隠し通せる訳がないだろう?

 これでも、長年廓の楼主として貧困層の見た目だけは美しい娘を売り買いしてきた身として、こうして直接会えばすぐに判るものさ。

 一体、どうやって富裕層でも上層に生まれたお嬢様と知り合う切っ掛けがあったのかは知らないが、その麗しい美貌と身体でお嬢様の近くに居る人間に取り入ったんだろう?

 そんな風に、分不相応に富裕層の人間に侍っているのだって、今回と同じく〖お嬢様の気紛れ〗なんだろうね。

 もし、そこのお嬢様に捨てられる事態になったのなら、是非この廓に来るがいい。

 それだけの美貌なら、多少年を取っていてもその見てくれだけで十二分に買ってくれる金持ちが幾らでもいるだろうからね。

 なに、私は男娼専用の廓も幾つか持っているから、君を売り出すなど造作もない話さ。」

 

 にやにやと、そこ意地悪くいやらしい笑みを浮かべつつ、本気でウルベルトさんの事を男娼だと思い込んだ揚げ句、見下した態度を取る楼主。

 昔から、ここの楼主の選民思想が強かった事を建御雷も自身の経験から知っていたが、まさかここでこんな風に言い出すとは予想外だった。

 多分、こんな風にこちら側と顔を合わせるなりこんな事を言い出した楼主の思惑は、この後の身請け交渉を行う際のマウントを取る為だったんだろう。

 最初の段階で、わざとウルベルトさんの容姿と生まれについて触れる事によって、交渉が始まる前に「貧困層の人間が、例え代理人としてでも身請け交渉に出てくるのはおこがましい」と言い出し、話を有耶無耶にするつもりだったんだろうが……それは、ウルベルトさんだけじゃなくみぃちゃんに対しても巨大な地雷だ。

 むしろ、あちらからわざわざ地雷を踏み抜きに掛かるとは、流石に思っていなかった建御雷である。 

 

 今の発言一つで、ウルベルトさんに対してはもちろん、彼を家庭教師として雇い入れているたっちさん、ひいてはみぃちゃんが後を継ぐ祖父母の家に対する侮辱にもなると、どうして気付かないのだろうか?

 

 もしかしたら、彼女がまだ子供で「わがままお嬢様」だと言う話だけで、自分の方が大人で人生経験があると勝手に侮った挙句、あんな発言をしたのかもしれない。

 まぁ、確かに彼女が普通のお嬢様だったなら、強ちその推測も間違いじゃないだろう。 

 大企業の後継者と言う立場だとしても、確かに彼女と年齢と同じ年代の他のお嬢様が相手なら、楼主にあった時点で彼の持つ独特の雰囲気に呑み込まれてしまい、その後のまともな対応など出来なかったかもしれない。

 

 だが……建御雷から言わせれば、目の前にいるみぃちゃんに対し、そんな考えで対応をしようとしたのは、かなり甘い判断だったと言っても過言ではない。

 

 もちろん、彼がそう考えるのには根拠が幾つもあった。

 その根拠を並べるなら、まず彼女は既にこの年で正式な後継者候補としての初等教育を既に終えかけており、それをウルベルトさんから聞いていた事が挙げられるだろう。

 元々の彼女の頭の良さに加えて、ウルベルトさんが家庭教師についてからすぐ始めた、彼女の中にある幾つもの適正を伸ばす為の教育が、本来なら数年後に受け始める初等教育よりさらに高度な内容だったらしい。

 

 みぃちゃん本人は、ウルベルトさんやデミウルゴスと遊びに交えて学んでいた事もあり、そんな自覚がないまま学習を進めていった結果、改めて後継者としての初等教育の基礎を始めた瞬間、ほぼそれが終わっている状況が発覚したのである。

 

 更に言うと、現時点での彼女は既に電脳空間でデミウルゴスから大企業のトップになる為に必要な事をシミュレーションゲームとして学び、日常ではウルベルトさんと言う人を育てる最高の師の下でその才覚を伸ばす為に必要な教育を受ける段階に入っているのだそうだ。

 それを聞いた彼女の祖父母は、改めてウルベルトさんの子供の才能を伸ばす事に関する優秀さを認め、正式に後見としての契約をしている。

 同時に、彼女に施した教育は弟のレイくんにも与えられる事になっていて、周囲の期待は割と大きいと言う事も聞かされていた。

 

 つまり、彼女はこの時点で自分にとって誰よりも最高の師の下で学習しており、その内面は他のお嬢様など足下に及ばない程に成長していたのである。

 

 その辺りの事情を、ここの楼主は全く知らないからある意味仕方がないとは思うものの、だからと言って先程の言動は今の彼女の前でとっていい態度ではなかった。

 と言うより、客商売をする花街の楼主としても、まずあり得ない言動だったと言っていいだろう。

 その事を理解しているからこそ、今までの経緯も含めて我慢の限界に来ていた建御雷は、ここで楼主の事を切り捨てる事に決めたのだから。

 

 建御雷が、そんな風に思考を巡らせるほんの一瞬の内に、小さなみぃちゃんの瞳の奥がキラリと輝いたかと思うと、そのまま怒りを瞳に宿したままにっこりと笑う。

 

 その表情を見た瞬間、建御雷は「これ、アカン奴だ」とすぐに理解した。

 少なくとも、彼女にとって幼い頃から家庭教師としてずっと側にいてくれたウルベルトは、もしかしたら両親よりも自分を大事にしてくれているだろう、数少ない大人の味方だ。

 そんな大事な人の事を、初めて会った人間にこんな風に酷く侮辱されたまま、黙っていられる筈がない。

 まして、楼主がウルベルトさんに対して正面切って口にした言葉の一部は、そのまま彼女に対する侮辱にも繋がる部分があった。

 富裕層の中でも上層の人間として、既に自分の立場に対して自覚を持ち始めている彼女は、目の前で自分よりも遥かに格下からそんな事を言われてしまった場合、笑って許す程優しい言動をするタイプじゃない。

 元々、彼女はメールペットをきっかけにして自分達と知り合った頃から、あらゆる意味で行動力に定評がある子である。

 そんな子にとって、一番の地雷スイッチを思い切り踏み抜いた楼主の言動を考えれば、後はどんな惨状が待ち構えているかなど、想像するよりも解り切った事だった。

 

「……ねぇ、建原の叔父様。

 ルー先生に対する今の楼主さんの嘲りは、私、ひいては我が家を侮辱に繋がるものと思って構いませんよね?

 だって彼は、私が幼い頃からずっと離れる事なく側にいて、私の父や母からはもちろん、母方、父方両方の祖父母からも家庭教師として信頼の厚い、私の大事な先生にあんな暴言を口にするんですもの。

 特に、母方の祖父母は先生の私の家庭教師としての手腕を認め、先生の正式な後見になった上で、私の弟の家庭教師役も依頼していると聞いています。

 それって、つまり先生をあんな風に侮辱した時点で、祖父母の事も侮辱したのと同意語でしょう?

 ねぇ、楼主さん?

 この私がどこの誰なのか、それを分かった上での今の発言だと、そう受け取ってもいいのですよね?」

 

 それまで、色々と楼閣の中の様子を物珍しげな様子で、子供の無邪気な笑顔を浮かべながら見て回っていた筈のみぃちゃんが、ウルベルトさんや自分達への侮辱ともとれる発言を聞いた瞬間、剣呑な雰囲気と共に見せたその表情は、どう考えても周囲を従える女王様のものだった。

 正直、今の彼女の放つ雰囲気を真正面から受け止められるだけの気力とか根性は、ここの楼主にはない。

 やってきた相手が、本当に小学生とはっきり解る位子供だった事から、大人の自分なら軽く言い包められるだろうと馬鹿にした結果、このアーコロジーの中でも上位に属する企業の後継者から本気で睨まれる事になったのだと、漸く楼主は自分の言動の拙さに気付いたのだろう。

 サーっと、全身から音を立てて血の気が引いていく様子が、それこそ手に取る様に良く判った。

 

 まあ……元々ここの楼主は、今の立ち位置を利用して上位にいる権力者に媚びる事で、その特権のおこぼれに預かる小悪党であり、それ程肝が太い訳ではない。

 

 そもそも、白雪や彼女の母である高尾太夫と言った、自分の足で立とうと言う気概を持った遊女に対してあんな態度を取っていたのは、自分に無い者を持っていたからだ。

 改めて考えれば、例え替えが簡単に見付かる貧困層出身者ばかりだったとしても、沢山の遊女を預かる楼閣の主としてはもちろん、男としても狭量が故の情けないものでしかないと言っていいだろう。

 その辺りの自覚がないまま、子供や自分よりも弱い立場にいる(と本気で思っている)貧困層のウルベルトさんを前にしたら、こういう態度に出るのも当然の話の流れだった。

 だが、今のこの状況に関して言うなら、自爆とも言うべき楼主が口にした失言は、こちらにとってかなりのメリットになったと言っていいだろう。

 楼主自身、既に自分がやらかしたという事は気が付いている筈だ。

 この失言を挽回しなければ、この後にどれだけ厳しい制裁が自分に対して向けられる事になるのか、その程度の事は流石に理解しているだろう。

 

 だからこそ、現在進行形で顔から血の気が引いた状態なのだから。

 

「……全く、人の容姿や生まれと言った上辺の情報だけで、相手の事を碌に調査する事無く自分の価値観で推し量ろうとするから、そういう愚かな失言に繋がるんですよ。

 普通なら、事前の連絡を受けていた客の情報は、最低限でも調べておくべきでしたでしょうに。

 先に言っておきますが、彼女を本気で怒らせる発言をしておいて、無事に済むと思わない事ですね。

 それより、早く目的の人物が待つ座敷まで案内してくれませんか?

 正直、こちらもそれ程暇な訳ではありませんからね。」

 

 どこか溜息交じりに、ウルベルトさんがそう声を掛けた事によって、漸く自分が失態で青褪めたまま動けなくなっていた事に気付いた楼主は、深々と「申し訳ございません」と言う謝罪を口にしながら頭を下げる。

 今のやり取りで、自分の言動が客に対してとって良い態度じゃなかった事に、漸く気付いたのだろう。

 少しでも挽回する為に、これ以上自分の動揺が少しでもこちらに伝わらない様に気を張ったらしい楼主は、改めて俺達の事を座敷へ案内するべくゆっくりと前を進み始めた。

 しかし、その楼主の努力など無駄な努力だったと言っていい。

 

 建御雷が、事前に〖上客〗だと告げておいたにも拘らず、顔を合わせると同時にあの発言をしただけで、何だかんだと言って白雪太夫を育てていた事に対して、僅かに残されていた彼への恩情は消えてしまっているのだから。

 

******

 

 楼閣の中で、遊女はその位が上がれば上がる程、奥に部屋を持つ事が決まっている。

 その為、夜見世よりも格が落ちる扱いを受ける昼見世の〖太夫〗だが、夜見世側に太夫が居ないと言う事情も重なり、現在この廓で唯一その位にいる白雪の部屋は最上階の奥に位置していた。

 だからこそ、普段白雪が住む部屋に辿り着くのにも時間が掛かる仕様になっていて、建御雷も楼閣の集金の際には最後に訪れる様にしていたのだ。

 ここ暫くの間、そんな彼女がどんな気持ちで自分の座敷に出ていたのか、建御雷は誰よりも知っている。

 それこそ、いつ、楼主たちの勝手で〖身請け〗の話が強引に推し進められるかもしれないと、その事に対して酷く怯えていた。

 自分を指名する客の前にいる時は、それこそ〖身請け〗の話すら「何でもない」と言う顔していた彼女だが、赤ん坊の頃から彼女を知っている建御雷は、それが強がりでしかない事も理解している。

 

 だからこそ、こんな風に楼主が自ら案内をする様な客がいると事前に知らされて、どれだけ心の中で怯えているか考えるだけで、可哀想な気がして仕方がない。

 

 しかし、だ。

 この作戦を無事に成功させる為には、白雪に事前に何か情報を渡す訳にはいかなかった。

 それこそ、彼女の身の回りにいる禿すら楼主の手先として動いている状況だった為、下手をすれば禿たちから情報が流れてしまい、楼主に出し抜かれる可能性があったからだ。

 むしろ、そうなる可能性が高いとデミウルゴスが主張していた為、ウルベルトさんは建御雷に「可能な限り早く座敷を取って欲しい」と頼んできたのである。

 

 いつ、どこから情報が洩れるか判らない状況だからこそ、白雪太夫の身請けに関しては速攻で話を纏める為に必要な行動なのだと言うのが、彼らの主張だった。

 

 事実、その判断が間違いじゃなかったと言う事を建御雷も知っている。

 幾つかの偶然が重なり、当初の身請け相手が動ける状態でなくなっていなければ、今日の昼には強引に白雪の身請けは決行される予定になっていた事を、楼主の下で白雪を預かり働く遣り手婆から聞き出していたからだ。

 

「正直、私ら楼閣の遊女の予定仕切る遣り手側にしてみれば、随分と身勝手な相手だよ。

 そりゃぁ、最初の頃は大層なお大尽ぶりで〖金なら、それ程間を置かずに纏まって入る予定がある〗とか言って、楼主にも私らにもそれなりにいい顔をしていたから、こっちもかなり期待していたもんさ。

 私らだって、夫は出来るだけそれなりにきちんとした相手に身請けして貰わなきゃ、それこそ見世の格が落ちるからね。

 だから、日頃のお大尽ぶりを見込んで楼主も白雪の身請けの話を切り出したし、相手もそれに乗って身請け金の支払い期日を◆月〇日、つまり明日って決めたんだよ?

 こういう話に関しては、きっちり段取りを決める必要があるからね。

 向こうだって、〖大丈夫、当日の昼過ぎには身請け金として纏まった金を持ってくるなんて造作もない〗と、それはもう豪語していたんだよ?

 それなのに、昨夜急に〖暫くそちらに行く時間的な余裕がなくなった、身請け金の支払いは時間が出来るまで待って欲しい〗と言う連絡をよこしてさ。

 あんな風に、私らに対してもいい顔が出来るだけの大層なお大尽だって聞いていたのに、こんな急に〖太夫の身請け〗の予定を変更するなんて……本当に白雪の事を身請けする気があるのか、信用していいもんかねぇ……」

 

 そんな風に、不満タラタラの様子で建御雷に対して彼女がぼやいたのは、昨日の話だ。

 この話を聞いて、最初に感じたのは楼主への強い苛立ちだった。

 建御雷から口利きで、アーコロジーの中でも上から数えた方が早い家から、身請けの見定めの為に白雪太夫への座敷の予約を受け付けておきながら、最初の段階ではその約束を反故にする気満々だったのだから、むしろ当然の話だろう。

 もし、本当にそのまま予定通り相手側に白雪の身請けをさせていた場合、楼主は多少馴染みになっている程度の格下の客を優先する為に、遥か格上の相手から同じ遊女への身請けの打診を受けておきながら直前で断ると言う、それこそ格上の家の顔に泥を塗る様な真似をしていたのだ。

 しかも、自分から喧嘩を売ったのと同じ状況を作り出しておいて、当人がそれに全く気付いていなかった点が実に恐ろしい。

 元々、上層部の様々な思惑が働いて成立している為、ついつい花街は一種の治外法権と言った感じで扱われているが、だからと言ってそこで楼主が上層物の顔に泥を塗るなどと言った余りにも目に余る行動をすれば、その首を挿げ替える事位簡単に出来る。

 周囲に対して、見せしめとしてそれを簡単に出来るだけの力を持っているのが、みぃちゃんの母方の祖父母なのである。

 そして、もし本当に楼主の座から追われる様な状況になった場合、確実にこの目の前を歩く楼主は生きていられないだろう。

 

 花街の楼閣を預かる楼主として、色々と公に出来ない様な事を多々知ってしまっているからこそ、ここから外へ生きて出る事など敵わないのだ。

 

 非情に残念な事に、この楼主はその辺りに関しての自覚がなく、ただ漫然と「遊女たちの主である自分には、富裕層の人間でも頭を下げる」などと勘違いしている男だった。

 だからこそ、自分は廓の中なら富裕層の客相手にでもどんな横柄な態度も取れると、あり得ない思い違いをしていたのかも知れない。

 好みの遊女との座敷を取る為、それなりに力がある富裕層も楼主に対して何かと融通していた事も、その考えに対して拍車を掛けていたのだろう。

 だから、今まで自分よりも本気で格上の存在である富裕層の住人を本気で怒らせた場合、自分が最終的にどうなってしまうのか、それを楼主は理解していなかった。

 その結果、かなり傲慢な思考を抱いてしまった事に対して、手痛いしっぺ返しを楼主は現在進行形で受けている状況なのである。

 

 もしかしたら、こんな風に客としてやってきた相手が楼主に対して、明確に格上として〖無礼な態度を取った事への制裁を一切の手加減をしない〗と示したのは、初めての経験なんじゃないだろうか?

 

 一先ず、今の時点ではっきり言える事があるとすれは、色々と欲を掻き過ぎた上に自分の立ち位置を正確に把握しないまま、大きな失敗しすぎたのが楼主側の敗因だろう。

 多分……彼としては白雪への最大の嫌がらせとして、最初に予定していたるし☆ふぁーさんの父親に身請けさせるつもりだった。

 相手側の事情が、「本命の愛人を守る為に子を産ませる為の存在が欲しい」と言う時点で、愛情を持って身請けされるのではないと言う状況が、彼にとって最も喜ばしく白雪を不幸に出来る最大の状況だったから。

 だが……それよりも色々な面でもっと美味しい相手がいるかもしれないと知って、そこで思わず考えてしまったのだろう。

 

〖 より自分が、得をするのはどういう方法なのか? 〗と。

 

 そこで、本当に楼主があらゆる意味で損得勘定が出来る人間なら、話の相手が格上でそして払いも良いと判明した時点で、あちら側を切ってこちらの手を取っていただろう。

 もしそうなっていたら、何の問題もなくお互いに利だけを含めた状況で、この話は進んだ筈なのだ。

 少なくとも、もしかしたら最初に申し込んだ側に〖恥をかかせる〗と言う事もなく、きちんと双方の面子を守った上で話が纏まっていただろう。

 だが、楼主が選択したのはどっちにもいい顔をしようとして失敗した挙句、双方に対して恥をかかせる言動をし続け、最終的に格上の顔に〖泥を塗る〗なんて言う、愚かな選択をするところだったのである。

 普通の常識があれば、こんな状況を生み出すなんて真似はしない。

 むしろ、本気で楼主が双方の間で上手く立ち回るつもりなら、まずは白雪太夫にこの話を持って行き、どちらを選ぶか選択させるべきだったのだ。

 

 どちらが何を言おうと、身請けされる立場の白雪太夫に選ぶ権利があるのだから。

 

 今回の件で、るし☆ふぁーさんから聞いた父親の情報を纏めた人物像が正しければ、自分よりも遥か格上の相手に対して早々簡単に噛みつける程、愚か者ではない筈だ。

 元々、彼が白雪太夫を身請けする気になったのは、〖太夫を身請け出来るだけの財力がある〗と親戚縁者に見せ付ける事で、自分の立場を強化したかっただけ。

 自分よりも格上から、きっちりと話を通して立場を悪くしなければ、「これで別の上層に縁が出来た」とすんなり受け入れていた筈だ。

 その点に関しては、確実に楼主側の判断のミスだろう。

 正直、この段階ではそれこそ今更なので、建御雷は何も言うつもりはない。

 

 それよりも、早く彼女と顔を合わせたかった。

 

 




と、本来なら一話で纏める予定でしたが、現時点で二万二千文字を超えたので、流石に長すぎると分断する事にしました。
後編は、明日の投稿予定です。

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