メールペットな僕たち   作:水城大地

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昨夜の続きになります


タブラさん救出作戦 ~後編~

 漸く案内されたのは、楼閣の中でも最上階にある一番上等な座敷の前だった。

 辿り着いた座敷と廊下を隔てる様な、大きな襖を前に膝を曲げて腰を落とすと、一度その場で正座をする楼主。

 例え楼主であっても、見世の客がいる前では厳格な決まりによって定められた作法をきちんと守らないと、太夫の待つ座敷の襖一つ開ける事は出来ない。

 

「……白雪太夫、お客様だよ」

 

 そう、座敷の中に居る太夫に声を掛け、一拍間を置く事で返事を待つ。

 すると、座した彼の前でゆっくりと横へ襖が両側からゆっくりと開かれ、廊下から部屋の中が全部見える状態になった。

 左右に襖が開いたのは、そこで待機している太夫の身の回りの世話役の禿たちだろう。

 楼主が掛けた声に、太夫が合図して彼女達に襖を開けさせたのだ。

 

 襖が開かれた座敷の奥、金屏風の前にゆったりと座って待っていたのは、頭の先から爪先までこの廓の太夫としての誂えを身に纏った、美しい白雪太夫だった。

 

 太夫としての彼女の姿を、建御雷が直接見るのは今回が二度目だ。

 前に一度見た時は、初めて遊女として水揚げされる為、後見役として披露の場に参加して以来である。

 何故、そこまで彼が太夫としての白雪の姿を知らないかと言えば、実に簡単な理由だった。

 それこそ、ほぼ毎日の様に建御雷はこの楼閣で彼女に会う機会があるのだが、それはあくまで会計役として集金作業を行う為に彼女たち遊女のオフタイムを訪れるだけであり、ここまで支度をきちんと済ませた状態ではなかったからである。

 むしろ、当然の話だと言えるだろう。

 

 あくまでも、彼の立ち位置は父親兼後見人であり、廓の会計士と集金相手の遊女と言う繋がりであって、彼女の客ではなかったのだから。

 それはさておき。

 座敷に案内されるまで、ずっと黙って建御雷の横にいたウルベルトさんも、太夫として美しく装った彼女の姿を見て「ほぅ」と感心したような声を漏らす。

 多分、ネットで出回っている「花街の遊女」としての「白雪太夫」の映像より、目の前の実物の方がより美しいのだと言う事を、目の当たりにして驚いたと言った感じなのだろう。

 そして、自分たちの間に立ち楼主に怒りを感じて身を震わせていた筈のみぃちゃんは、目の前の麗しい白雪太夫の姿に目をキラキラと輝かせ、感嘆の声を漏らしていた。

 

「……お姉ちゃん、すごく綺麗……」

 

 スルリと、彼女の口から零れた言葉は、白雪太夫にとってこれ以上無い程の、褒め言葉だろう。

 単純に、目の前にいる自分の美しさを子供の感性で「美しい」と認めた上で、「綺麗」だと感嘆の声を上げたのだから。

 そうして、心の底から太夫の姿を綺麗だと思った彼女は、心の赴くままスタスタと座敷へと入っていった。

 本来ならば、白雪太夫から招かれて初めて座敷の中へ入るのが、この花街で定められている守るべき決まり事なのだが、そんな知識はみぃちゃんにはない。

 この際なので、「花街の作法を知らない少女のやった事」として、多少の事は押し通してしまっても問題はないだろう。

 そもそも、だ。

 本来なら、この場を仕切るべき白雪太夫自身が、花街に〖客〗としては絶対にいない筈の〖少女〗が居た事で、あり得ない状況に目を白黒させてしまい、返事をする余裕もなさそうなのだ。

 何故、楼主が〖マナーがなっていない〗と騒ぎださないのかと言うと、もちろん理由がある。

 座敷の襖が開き、案内した客と太夫との対面が成立した時点で、余程の事がない限り客と太夫の間の問題になる為、楼主が口を挟む権利は無くなるからだ。

 何より、太夫の許しを待たずに座敷の中に勝手に入り込んだのが、小学生くらいの少女と言う本来花街に客としてあり得ない相手だった事で、太夫の権限を無視して叱る事が難しいと判断したのだろう。

 そこで、ひとまず自分がみぃちゃんに声を掛ける事で、場を持ち直させる事にした。

 

「こら、みぃちゃん。

 幾ら白雪太夫が綺麗でも、〖入って良いですよ〗って言われる前に、勝手に座敷の中に入っちゃ駄目だろう?

 ここに来る前にも言ったけど、色々守らないといけない決まり事があるんだ。

 まぁ……みぃちゃんは本当に白雪の事が綺麗だと思ったから、その姿をもっと側に近付いて見たくなったんだろうけど、それでも決まり事はきちんとは守らないと駄目だからな。」

 

 そう言いながら、急ぎ足でみぃちゃんの事を捕まえると、そのまま素早く腕の中に抱き上げる。

 本来なら、俺が入るのも問題なのだろうが、今回は「何も分かっていない少女を連れ戻す」と言う名目で押し切るつもりだ。

 出来るだけ、急ぎ足でウルベルトさんが居る場所へと戻りつつ、軽く肩をポンと叩いて彼女の事を諫めると、宥める様に頭を撫でながらスッと視線を白雪太夫へと向ける。

 こちらが視線を向けた事で、漸くハッとした様な顔するとスッと頭を下げた。

 

「皆様、〖白妙屋〗へ、ようこそお越しくださいました。

 どうぞ、奥へとお入りくださいませ。」

 

 にっこりと柔らかな笑顔を浮かべ、俺達に座敷の中へ入る様に勧めてくる彼女の言葉は標準語だ。

 割と勘違いを生むのだが、言葉に関してはかつて花街があった江戸時代の様に、独特な廓言葉を使う遊女はほとんどいない。

 言葉を含め、花街で一般的になっている細かな決まり事のいくつかは、江戸時代のものとは違っている。

 最初に、花街をアーコロジー内に作る際に上の方で色々と話し合った結果、「遊女の使う言葉は、解り易く標準語で」と言う事になったのは、独特過ぎる廓言葉をわざと曲解するものが出るのを防止する為だったらしい。

 そんな風に、この街の決まり事を教えらえたのは、今の仕事を始めたばかりの頃だった。

 

 多分、この事をペロロンチーノさんが知ったら、シャルティアのあの独特な似非廓言葉と言う、変な言葉遣いを変更するかどうか気になるものの、職業柄知り得た情報なので、敢えて彼には教えたりはしていない。

 

 つらつら、そんな事を考えていた建御雷だが、どうやらその間に話は進んでいたらしい。

 元々、入り口付近に控えていた禿によって、ウルベルトさんとみぃちゃんが座敷の上座へと案内されて、そのままゆっくり腰を下ろしていた。

 建御雷自身は、あくまでも廓の中までの付き添いだけで済ませる予定だったが、先程のみぃちゃんの行動を止めなかったウルベルトさんの様子を考えると、このまま一緒にいた方がいいだろう。

 現時点で、色々な理由で廓のマナーなどに詳しいもう一人の主役たる人物が来ていない為、この場に花街に来るのが初めてで何も知らない二人をこの場に残して帰るのは、細かなマナーの点で問題が出そうな気がして仕方がないからだ。

 素早くそう判断を下すと、建御雷はみぃちゃんを挟む様にウルベルトさんとは反対側の場所を陣取り、ゆっくりと腰を下ろした。

 そんな風に、サクサク自分の行動を決めた建御雷とは違い、楼主は身請けに関する交渉の事を考えてこの場に残るべきか、それとも一旦この場を辞すべきなのか、迷う素振りを見せている。

 正直言って、今ここで彼にこの場に居座られるのは邪魔だった。

 もし、この段階で白雪太夫の身請けに関する交渉に入るのなら、確かに楼主に居て貰わなくては困るだろう。

 しかし、だ。

 そんな話を、まだ楼主に対して怒りが消えていないみぃちゃんの前でいきなり始めたら、多分彼女の機嫌は降下したままで直らないだろう。

 この辺りを明確に示す為に、花街の事を一番よく知る建御雷が楼主に向けて軽く手を払う事で、彼に「下がれ」と言う合図を送った。

 

 その仕種を見た瞬間、楼主の顔が一瞬のうちに頭に血が上ったかのように朱に染まり、怒りで醜く歪む。

 

 ある意味、それは建御雷の予想通りの反応だった。

 彼からすれば、まるで邪魔な野良犬を追い払うかの様に、一番雑な合図である「軽く手を払う」と言う仕種でその場から追い払われるなど、あってはならない事だったのだろう。

 それと同時に、そんな扱いをこちらから受けるだけの事を、自分が既にしてしまっている事も理解している。

 だから、怒りに顔を赤く染めて顔を醜く歪めながらも、何とかこの場は堪えたのだ。

 

 そう……今の楼主の状況では、声を荒げる事なく頭をゆっくりと下げて、座敷の前から退出していくのを選ばざるを得なかったのである。

 

 もっとも、雑な扱いを受けた事に対する怒りを抑えられず、客の前で感情の赴くまま顔を歪めている時点で、楼主としての品格の無さは露呈してしまっており、こちらからのマイナス評価にしかならないのだが。

 多分、そんな自覚すら、彼には無いのだろう。

 この場から、太夫付きの禿以外に余計な者がいなくなったと判断した所で、建御雷はゆっくり声を掛けた。

 

「さて、まず彼女の前で一曲舞を見せてやってくれないか、白雪?

 俺達がここに足を運んだのは、お前が舞を舞う姿を見る為だからな。」

 

 その言葉を聞いて、本気で「訳が分からない」と言わんばかりに白雪太夫は目を白黒させるものの、俺が真剣な様子で望んでいる事に気付いて、そこに意味があると理解したのだろう。

 こちらに向けて、ゆっくりと作法に合わせた仕種で頭を下げると、懐から舞扇を手に取った。

 元々、昼見世にしても夜見世にしても、まずは遊女の芸事を楽しむ事から始まるのが一般的であるため、この要求は花街での最初の遊びとしても、理にも適っているものだ。

 それが判っているからか、彼女の動きに合わせて彼女付きの禿たちも、自分のすぐ横に用意してあった楽器を準手に取り、そのままゆっくりと音を奏で始めていた。

 

******

 

 かつて、高尾太夫の舞を一度だけ見た事があるが、こうして座敷を取って改めて見比べてみると、白雪の舞もなかなかに見事なものだと言っていいだろう。

 

 流石は、この廓の昼見世で太夫を張るだけはあると言っていい。

 そう思いながら、彼女が曲に合わせて最後まで舞い終わるまで見届けた所で、ウルベルトさんは曲を奏でていた禿たちへ、先程俺が楼主にした様に軽く手を振った。

 もちろんその意図は、彼女達に対して「この場を辞せ」というものである。

 だが、彼女たちはそれに対して顔を見合わせるだけで、動こうとしない。

 流石に、紹介者の建御雷が座敷に同席しているとは言え、太夫と初回の合わせである客だけを置いて、自分達が太夫の側から離れる事に躊躇いを感じたのだろう。

 だが、彼女達に対して下がる様に言い出した理由はちゃんとあるので、従って貰わないと困るのだ。

 彼女達にそれを判らせるべく、みぃちゃんにスッと視線を向ける事で判り易く示すと、ウルベルトさんは口を開いた。

 

「正直、同じ年の頃のあなた達がこの場にいては、彼女が太夫に対して色々と聞きたい事があったとしても、躊躇いを覚えて話をする事が出来ないでしょう?

 だから、この場から一時的にでも下がって下さいませんか?」

 

 口調こそ丁寧だが、言っている内容は割と強気な態度だと言っていいだろう。

 流石に、初回の客が禿たちを別室へ下げる様に言い出しても、聞いて貰うのは難しいのだ。

 だが、そんな事は言って居られないので、ウルベルトは彼女達に対して別のメリットを示す事にしたらしい。

 彼女たちの事を手招きし、自分の方へとその場にいた禿たち二人を呼び寄せると、まずは小さなカードを一枚ずつ渡した。

 

「これは、私からあなたたちへの小遣いです。

 もし、あなたたちが大人しくこの場から下がってくれるのなら、同じ額のカードをもう一枚追加して上げますが……どうしますか?」

 

 そのカードに、入金済みとして書かれていた金額は、一万。

 俺達にとって、これから行う取引を考えればそれこそはした金と言っていい金額なのだが、禿たちにとっては大きなお小遣いだった。

 二人は、お互いに顔を見合わせて少しだけ迷う素振りを見せた後、ウルベルトが目の前に差し出したそれをもう一枚受け取って、そそくさと隣の座敷へ移動していく。

 多分、そこは彼女たち元々の控えの間であり、そこへ移動する事までならぎりぎり許容範囲として、認められている場所なのだろう。

 二人が隣へと座敷を移り、襖が完全に閉じられ座敷の中に居るのが四人だけになった所で、ウルベルトさんはニッと口の端を上げた。

 

「改めて、この姿では初めましてだな、タブラさん。」

 

 その言葉を聞いた途端、ハッとなった様な顔をする白雪太夫、いや、タブラさん。

 本気で、「まさか」と言わんばかりにこちらを見たので、軽く頷くと肯定してやった。

 こちらの返事に、ますます信じられないと言った顔をする。

 どうやら、本気で動揺しているらしい彼女の様子を窺っていると、今まで何も言わずに黙ったままうっとりとした様子で舞う姿を思い返していたらしいみぃちゃんが、白雪太夫の…タブラさん元へと歩き寄った。

 そして、キュッと小さな手を伸ばして彼女の手を握ると、にっこりと笑い掛ける。

 

「あのね、私、タブラお姉ちゃんの事を迎えに来たんだ。

 数日前に、ルー先生の所にアルベドお姉ちゃんが来て、タブラお姉ちゃんの事を〖助けて〗ってお願いされた時から、ずっと助けに来るんだって思ってたんだもん。

 ここにいたら、あの嫌な男の人がタブラお姉ちゃんの事を悪い奴の所に無理矢理送られちゃうって、アルベドお姉ちゃんがすごく心配してたんだからね。

 お願い、タブラお姉ちゃん。

 アルベドお姉ちゃんの為にも、そんな事にならない様にみぃと一緒にお家に来て!」

 

 そう言いつつ、手に持っていた鞄の中から小さな端末を取り出すと、まだどこかつたない手付きでそれを立ち上げていく。

 画面が立ち上がると同時に、立体画像としてその場に浮かび上がったのは、ウルベルトさんの元へ今回の一件の助けを求めに来て以来、ずっとタブラさんの元へ戻る事が出来なくなっていたアルベドだった。

 そう、主の元に戻れなくなってしまった彼女の身柄は、ウルベルトさんとみぃちゃんが主体となって身柄を預かっていたのである。

 ホロホロと涙を溢し、今の状態では触れられないのを承知で己の主へと手を伸ばし、全身で「会いたかった」という思いを伝えてくるアルベドを見て、それこそ吸い寄せられるように端末を手に取るタブラさん。

 今まで、彼女はずっと己の親とも言うべきタブラさんの事を心配しながら、それでも人前で泣く事だけは耐えていた事は伝え聞いていた。

 そんな彼女が、漸く再会出来たタブラさんを前に安堵で涙を溢すのは当然の話なので、暫く二人の好きにさせてやる事にした。

 タブラさんもまた、漸く会えたアルベドを前にホロホロと涙を溢していたのだから、むしろ誰も水を差すつもりはない。

 

 自分だって、何かが理由で可愛いコキュートスと会えない状況が続いたとしたら、こんな反応をしてしまうだろうから。

 

*****

 

 暫くの間、泣き止まないアルベドの事を宥めようとしつつ、自分も涙を溢しながらオロオロしているタブラさんの姿は、どう見ても娘の事が可愛くて仕方がないのに、どう構って良いのか判らない母親の様だった。

 とても微笑ましい光景ではあるが、いつまでもこのままでいる訳にもいかない。

 そんな風に思い始めた所で、口を開いたのはウルベルトさんだった。

 

「……ほら、まずはあんたが涙を拭けよ、タブラさん。

 あんたがそんな風に泣いてたら、アルベドの涙も止まる訳がないだろう?

 それで、だ。

 これからに関しての話なんだが……あんたは、身請け金その他諸々を含めた一切の問題を心配しなくていいから、このまま素直にみぃちゃんと一緒に来て欲しい。

 正直に話すと、最終的な金額交渉とタブラさんが花街から出る為の楼主側の手続き以外、外で必要になるだろうその他諸々に関して全部手配済みなんだ。

 まぁ、楼主側との最終的な交渉に関しても、こちらの思惑通り向こうから先に俺達に対して喧嘩を売ってくれたからな。

 まさか、るし☆ふぁーさんからの提案された内容を参考にして、〖元は貧困層の人間だと楼主に判り易い雰囲気〗になる様にわざと衣装とちぐはぐな小物をチョイスしただけなのに、あそこまで見事にこっちの罠に引っ掛かったのは、本当に予想外だったんだぜ? 

 あの瞬間、俺は本気で〖るし☆ふぁーさんの観察眼は怖い〗って思ったからな。

 そんな訳で、こちらに有利な条件で話を進める為の準備は、既に済んでいるんだ。

 もちろん、あちらに文句は言わせるつもりはないぜ?

 何も、無理を押し通す訳じゃない。

 向こうが、最初に提示した金額以上のものを支払う予定だ。

 だから、タブラさんは何も心配する事なく、俺達と一緒に来てくれるだけでいい。」

 

 そう、自信満々と言った様子できっぱりと言って退けられ、ますます困惑した様子を見せる。

 まぁ……今までの状況を考えれば、タブラさんのその心境も良く判った。

 まさか、こんな風に自分やウルベルトさん達が手間暇を掛けて、助けに来てくれるなどとは思っていなかったのだろう。

 

 と言うか、あの楼主の自爆とも言うべき言動を引き出す様に、ウルベルトさんとるし☆ふぁーさんが裏でそんなやり取りをしていた事自体、俺は知らないんだが。

 

 だが、同時に納得もいった。

 あの時、ウルベルトさん自身もみぃちゃんと共に〖侮辱された〗と怒り出す事なく、むしろどこか溜息交じりにあんな風に話を切り出せたはずだ、と。

 いつの間に、彼らだけでそんな打ち合わせをしていたのかと、ちょっとだけ遠い目をしている間にも、タブラさんの困惑は続いていたらしい。

 

「そんな……でも、だけど……どうして……」

 

 本気で、困惑しきった様子のタブラさんに対して、ウルベルトさんやみぃちゃんはもちろん、端末の中でアルベドやデミウルゴス、パンドラズ・アクターと言ったメールペットたちが、にっこりと笑う。

 彼らが笑ったのに合わせ、俺は彼女へと手を差し伸べると、この場にいないみぃちゃんの父親の口癖の様な言葉を口にした。

 

「「そんなもの、困っている仲間を助けるのは、当たり前だろう?」」

 

 まさか、自分がその言葉を口にする機会があると思って居なかったのだろう。

 何となく、どこか面映ゆそうな様子で頬を掻きながら、ウルベルトさんは更に言葉を追加する。

 

「まぁ……何より、アルベドに〖助けてやる〗って約束したからな。」

 

「みんな、お姉ちゃんの事を助ける為に頑張ってたんだからね!」

 

 それはもう、どこか楽しそうにそう断言するみぃちゃん。

 正直、ギルド全員が協力者と言う訳ではない為、彼女が言う様に「みんな」と言い切るのはどうかと思うものの、あの会議の後のメールペットたちの動きを見れば、表立って協力出来ないなりに助けようとして動いていたのも事実だ。

 どうやら、まだ彼女は自分を助けてくれようと仲間が動いた事を信じられないのだろう。

 グルグルと、困惑した表情で思考を巡らせる事で、逆に変な方向へ考えが向き掛けているのが良く判る。

 なので、その混乱状態を止める意味も含めて、俺は彼女の肩を軽くポンッと叩いた。

 

「何、別に遠慮する事はないぞ。

 俺達だって、ただ単純にお前さんの事をここから助け出そうとか、そんな風に考えている訳じゃないからな。

 ここから出た後、お前さんには色々とやって貰いたい事もあるし。」

 

 一先ず、この先の事を話す為に前振りをしてやれば、きょとんとした顔をした後、不思議そうに首を傾げた。

 どうやら、この楼閣の中で生まれながらに育った彼女には、外に出た後に自分が何か出来る事があるとは思って居ないらしい。

 そんな彼女の思考が手に取るように解って、〘 これはちょっとだけ困った反応だ 〙と思った時だった。

 ゆっくりと、だが確実にこの部屋を目指して、誰かが階段を上ってくる足音がする。

 多分、こちらが待っていた人物が到着した為に、誰かが案内してきたのだろう。

 それから間もなく、外の廊下から楼主の声が掛かった。

 

「こちらのお連れ様だと、おっしゃる方がいらしてるのですが……」

 

 その困惑に満ちた楼主の声を聞き、俺はウルベルトさんとみぃちゃんに視線を向ける。

 これに関しては、最初の計画の段階で決まっていた予定通りでもあった事から、二人はあっさりと同意する様に頷いてくれた。

 

「あぁ、やっと来たのか。

 そのまま、ここへ入って貰ってくれ。

 確かに、ここで待ち合わせをしていたから、こちらの〖連れ〗と言うだと言う話は、別に間違いじゃない。」

 

 こちらの返事を聞いて、今度は楼主自ら襖を開ける。

 禿たちが、襖の側にいない事など普通にあり得る事なので、こちら側の承諾があれば廊下側から襖を開けても問題ないからだ。

 それによって、襖の向こうから姿を見せたのは、今回の一件の協力者の一人である朱雀さんだった。

 彼まで登場した事で、一旦落ち着いた筈なのにまた混乱し始めるタブラさんに苦笑を浮かべながら、今度は楼主も一緒に座敷に入る様に招く。

 

「教授、今回この廓から身請けする相手ですが、彼女に確定でいいです。

 みぃちゃんも、彼女の舞を見てすぐに気に入りましたからね。」

 

 この場で、交渉役になる予定だったウルベルトさんが、楼主側に〖身請けしたい〗と言うこちらの意図を明確に示す為に、着たばかりの朱雀さんに声を掛ける。

 それを受けて、案内がなくてもサクサク自分で上座に移動してきた朱雀さんは、軽く首を竦めながらタブラさんとみぃちゃん、そしてウルベルトさんと言った順番で視線を巡らせた。

 

「……なるほど、やはり彼女になったんだね。」

 

「はい、それでお願いします。」

 

「……分かりました。

 では、当初の予定通りまず君たち側に彼女の事を身請けして貰います。

 その上で、彼女の事を私の養女として迎え入れた後、改めてそちらに行儀作法の先生役として向かわせると言う形で、正式に話を進めて構わないね?」

 

 サクサクと、ここに来る前から決めてあった段取り通り、さも最終確認と言う様にこれからの予定に関しての打ち合わせを楼主の前でする事で、わざと彼に聞かせる二人。

 その会話を聞き、困惑した様な素振りを見せる楼主に対して、ウルベルトさんが駄目押しする様にサクッと言ってのける。

 

「……おや、どうされました?

 酷く驚かれている様ですが……今の話は、あくまでも彼女を身請けした後の話ですし、あなたには一切関係ない事ですよね?

 ですが……まぁ、身請けが済んだ後に面倒な事を言い出したりしない様に、状況をはっきり把握させて釘をさしておく意味でも、お教えしておきましょうか。

 この話が出た時点で、例え太夫であったとしても楼閣出の女性を良家の令嬢である彼女の行儀作法の家庭教師役に据えるなら、それ相応の身元保証人を付ける必要があるだろうと言う事は、既に判っていましたからね。

 太夫の座に就く程の遊女なら、富裕層でも上流社会の住人の中にも、彼女の客だった相手もそれなりにいるでしょうから。

 ですが、彼女は正式に上から数えた方が早い家の後継者の教育係の一人になるのです。

 それこそ、今更消す事が出来ない過去の柵を持ち出そうとする愚か者を牽制する意味でも、それ相応の後見人として教授が養女に迎える話がついていたんですよ。」

 

 きっぱりと言い切ったウルベルトさんは、それこそ人を食った笑みを浮かべている。

 その笑みの裏には、幾つもの意味が込められているのを楼主も感じ取ったのだろう。

 未だに、信じられないと言った様子で朱雀さんに対して視線を向けて否定を求めるが、その視線をサラリと無視してタブラさんを見ると、スッと手を伸ばした。

 

「ふふ、そういう話になっている訳なんだが……改めて君にお願いしよう。

 どうか、私の娘になってくれないか、白雪。

 私は、子供も居ないまま妻に先立たれた男やもめの身でね。

 娘と言う存在に、実はちょっとあこがれていたんだ。

 君が私の娘になってくれるなら、私は全力で君の後ろ盾として君の事を守る事を約束するよ。

 だから……君には、迷わず私の手を取って欲しい。」

 

 「駄目だろうか?」と問い掛ける朱雀さんに、タブラさんはどう返答したらいいのか困った様な顔をした後、おずおずと手を伸ばした。

 多分、ここで彼女が朱雀さんの手を取るのに少しだけ躊躇った理由は、ここでこの話を自分が了承したとしても、楼主が何か邪魔をするような事を言い出すのではないかと、どこか怯えていた部分があったのだろう。

 しかし、だ。

 既に、こちらに対して礼を失する言動をしてみぃちゃんの怒りを買っている楼主は、あからさまにこちらの行動を邪魔する真似は出来ない。

 更にそれを駄目押しする様に、ウルベルトさんが楼主の前へと移動すると、その前で腰を落とす。

 

「さて……白雪太夫本人もこの身請け話に同意してくれた事ですし、正式にこちらが支払う彼女の身請け金に関する話をしましょうか?

 何、私も鬼ではありません。

 先程のあなたの言動を逆手にとって、そちらに損をさせるつもりはありませんよ。

 彼女が同意した時点で、もしあなたが抵抗して他に身請けさせようとしても、それはあくまでも不当行為。

 むしろ、あなたが下手な小細工をすればする程、気に入った相手に同意を貰えた事で機嫌が良くなっている彼女の怒りをまた買う事になりますからね?

 もし、あなたがきちんと状況を理解してこの場で同意して下さるのでしたら、正規の手続きに必要な額以上のものを全額即金でお支払いしましょう。

 そうですね……まず、先に〖手付〗を払われている方がいるとお聞きしてますので、その方が支払った推定金額とこちらからの〖詫び金〗として更に同額は最低用意したのですが……切りが悪いので、この際全部で一億お支払いします。

 どうか、それで相手の方への手打ちをお願いいたします。

 向こう様も、こちらが身請けを横取りした〖詫び金〗として、自分が先に支払った手付の倍額以上を提示している事を知れば、流石に文句を言う事はないでしょう。

 次に、この楼閣に対してこちらが支払う、白雪太夫への身請け金ですが……そうですね、こちらも切り良く二億お支払いする事に致しましょう。

 その代わり、本来なら身請けされる太夫が馴染み筋や花街の人間に対して行う、披露その他は一切行いません。

 このまま、この場で彼女の身柄はこちらに引き渡していただきます。」

 

 そう言いながら、ウルベルトさんは手にしていた小型のアタッシュケースに手を伸ばすと、中から事前に準備していたのだろう一千万ずつ入金済みの支払い専用カードを取り出し、ゆっくりと見せ付ける様に楼主の前へと並べていく。

 相手方へ渡る一億、そして楼閣に支払う二億を並べ終えた所で、更に一千万が入金済みのカードを五枚取り出すと、また別の場所へと置いた。

 

「こちらの五千万は、楼閣への身請け金とは別のもの。

 あくまでも、披露などを一切しないで太夫を身請けする為に手間を掛けるだろう、楼主に対してのお礼金です。

 本来、行わなくてはいけない披露等を取りやめるには、あなたから花街への他の廓の楼主への相応の根回しなど、様々な労力が必要でしょうからね。

 それに対するお礼、として受け取っていただくべく用意しました。

 最後に、こちらの五千万は方々への太夫の身請けが決まった関係各所への祝儀と、それ以外に必要な諸経費として用意しました。

 あなた自身が、〖太夫が、金払いの良いお大尽を捕まえた〗と宣伝する意味でも、遠慮なく使用して下さい。

 ざっくり計算ですが、これで不足する事はない筈です。

 もし、祝儀と諸経費として使ってもまだ余剰分が出た時は、それも楼主への祝儀として差し上げます。

 合わせて総額四億、白雪太夫の身請け金としてこの場で即金にて用意させて貰いましたが……これでも、まだ楼主はこの話にご不満かな?」

 

 そう言いながら、ウルベルトさんは最後に百万と書かれたカードを四十枚、十万と書かれたカードを百枚と纏めて取り出し、その場にドンッと並べて見せる。

 最後に出されたカードの金額が細かいのは、出来るだけ各方面に配り易く配慮したからだろう。

 ここまでされてしまったら、流石に楼主だってこの話を断る事出来なければ、何かと不足していると金額を吊り上げる事も出来ない。

 既に、こちら側の手配でここまで細かく必要な経費を算出し、きっちりと用意されてしまっている以上、下手にケチを付ける方が自分の首を絞める可能性が高いからだ。

 そもそも、最初に話があった相手が提示した金額は、祝儀などの諸経費込みで二億五千万だった事を考えれば、五割以上総額が増えているのに、文句を言う理由もない。

 

 何より、楼主個人への礼金を五千万も積まれているのを前にして、断る理由はどこにもなかった。

 

「……いえいえ、滅相もございません。

 白雪太夫自身が同意し、更にここまで手厚く支度金を用意していただいた上で、何の文句がありましょう。

 確かに、太夫を身請けする際には相応の手順と共に披露が必要でありますが……今回の太夫の身請け相手がそちらのお嬢様と言う事でしたら、その事実を人前に晒すのを嫌うのも、また道理。

 手前が、責任を持ってその辺りの始末を仕切らせていただきます。」

 

 こちらが、楼主に対して祝儀と経費の残りもくれてやると言う太っ腹な所を見せたのも、この反応を引き出す要因になったのだろう。

 正直、金で全部片を付けるやり方になってしまっているが、これに関しては最初から花街のルールによってタブラさんの事を身請けする必要があるので、仕方がないと割り切っていた。

 それに、早めにタブラさんの身柄をこの廓から引き取っておかないと、るし☆ふぁーさん側の動きによってはどんな影響が出るかもわからない。

 

 とにかく、速攻で動く必要があったのである。

 

******

 

「それで、白雪の事をこのまま連れて行くとおっしゃいましたが、これまでこの廓で使用していた品々はどうさせていただけば宜しいので?」

 

 無事に身請けの話が纏まり、タブラさんが外に出る為に必要な手続きをするべく席を立とうとした楼主が、思い出したように問い掛けてきた。

 基本的に、遊女が誰かに身請けされて花街から出ていく場合、余程個人的な品以外は楼閣へと残していく。

 余程思い入れがあるか、身請け人から贈られた品などと言った理由が無い限り、自分が遊女として使っていた品々を手元に残したいと思う事はない為だ。

 だが、生れた時からここで育ったタブラさんの場合、話が変わってくる。

 今まで目の敵にしてきた割に、母親の写真などそれなりに持ち出す品があるだろうと楼主が気を使う素振りを見せたのは、先程ウルベルトさんが気前よく大盤振る舞いをしたからだろう。

 その言葉を聞いて、タブラさんは迷う事なく部屋の中に設置してあるアルベドの為に増設した端末を指差した。

 

「私の持っている物のうち、遊女としての衣装及び宝飾品その他細々とした品々に関しては、このままここへ残していくつもりです。

 持ち出すのは、必要最低限の日常用の衣類だけで構いません。

 それ以外で、私が持ち出しを希望するのは、数少ない母との思い出が刻まれているアルバムと、今まで私が愛用してきた端末でしょうか。

 この端末には、ネットを介して出来た友人たちのアドレスが残っていますし、流石に私以外に使う者も居ないだろう端末をここに残していく訳にはいきませんから。」

 

 にっこりと笑ってそう言い切ったタブラさんに、楼主は困った様に顔を撫でる。

 流石に、この部屋に設置した端末を取り外して持ち出す為には、専門の業者を呼ぶ必要があるからだ。

 今から業者を呼んだ場合、どれだけ時間が掛かるか想定が出来ないからこそ、この要望に対する対応に困った様子を見せたのだろう。

 それに関しては、建御雷が助け舟を出す事にした。

 

「だったら、うちに出入りしている業者を呼ぶか?

 確か、今日はうちの事務所に入ってる機械の点検に来ているから、今から呼べば十五分くらいで作業しに来てくれるぞ?」

 

 実際、話の流れによってはこういう状況になる事を想定したヘロヘロさん自身が、事務所に設置してある会計機器のシステムチェックを兼ねてスタンバイしているので、嘘は言っていない。

 そもそも、うちの事務所のシステムチェック自体は、元々予定されていた案件だった。

 ただ、それを普段から依頼している業者だけじゃなく、ヘロヘロさんにも来て貰っただけで。

 こういう機械関連の情報通達は、経理の時間に関わってくる事もあり集金を請け負う花街側にもしてあるので、楼主もその予定は覚えていたのだろう。

 

「それじゃ、建原さんにその辺りの手配を頼んでも構いませんか?

 手前は、白雪がここに出る手続きを済ませて来ますので。」

 

 それだけ言い残すと、スタスタと楼主は部屋を出てく廓の事務所へと向かっていく。

 ただし、この場ではウルベルトさんが提示したカードを一部だけ受け取り、全額回収したりはしなかった。

 この場で入金済みのカードを見せたのは、あくまでも即金で払う意思があると言う事を示す為であり、その辺りをちゃんと心得ている楼主側も、支度金分だけまずは受け取って必要な手続きに入るのである。

 残りは、白雪の身柄が自由になるパスと引き換えだ。

 

 その発行手続きするのに、建御雷が知る限りだと一時間ほど掛かるので、その間にヘロヘロさんを呼んで端末の取り外しをして貰えばいいだろう。

 

 素早くそう判断すると、建御雷は事前に聞いてあったヘロヘロさんの端末へ連絡を入れる。

 禿たちは、既にこの部屋の控えの間から姿を消していたので、楼主が退出する際に連れて行ったのだろう。

 これで、この辺りにいるのは自分達だけになった。

 そう思った瞬間、今まで太夫の顔を維持していた白雪が、ジトッとした視線のままこちらににじり寄ってきた。

 

「どういうつもりなんですか、あの大金!

 流石に、あそこまで大盤振る舞いする必要、無かったですよね?

 そもそも、私一人を自由にするのに必要な額を、どうやって集めたんです!

 まさか、犯罪に手を染めたりはしていませんよね?」

 

 怒涛の様に問い掛けてくる彼女の様子に、思わず全員で顔を見合わせると噴き出していた。

 流石に、こちらのその反応を見た瞬間、自分が何か勘違いしているだろうと言う事に気付いたのか、思い切り口を尖らせてこちらを見る。

 そんな彼女の反応に、ウルベルトさんなどはますます笑みを浮かべつつ、こちら側の手の内を簡単に教える事にしたらしい。

 自分の端末を取り出し、慣れた手付きで手早く立ち上げると、そこで待ち構えていた面々を呼び出した。

 元々、その端末の住人であるデミウルゴスやモモンガさんの所のパンドラズ・アクター、そして先程までみぃちゃんの端末にいた筈のアルベドが揃っている。

 

「先程、俺がここの楼主に見せた金をどうやって準備したのかって?

 そんなもの、俺のデミウルゴスを中心に、ここにいるナザリック知恵者組三人が共同でネット回線をフル回転で資金運用した結果に決まってるだろう。

 先に言っておくが、元手は俺が全部用意したって訳じゃないぞ?

 元々、俺が前にお年玉としてデミウルゴスに与えた口座に、ちょこちょこ余剰金を与えていた物を資金運用で億単位になるまで増やしてたんだと。

 で、今回アルベドからの救助要請を受けて、資金援助として仲間達から結構な額が集まったんだが、それまでの資産とか全部ひっくるめてデミウルゴスが総指揮を執って、元々資金運用に強かったパンドラがメインバンクを、サブバンクをアルベドが担当してこの一日半で増やせる最大値まで増やしたらしい。

 今回、楼主に提示した額は四億で済んだが、実はごねられた時の事を考えてもう二億予備金として持っていたりするんだよな、うん。」

 つらつらと口にした金額が、実にえげつない。

 正直、るし☆ふぁーさん側にまわった株式等の資産までひっくるめて考えた場合、どこまで一気に増やしたのか想像したくない数字になっていそうな気がするので、それに関してはこちらから突っ込むつもりはなかった。

 これは多分、知らなくて済むなら知らない方が良い類の話だろう。

 実際、昨夜の段階で最終確認の為に顔を合わせたウルベルトさんは、どこか疲れた何とも言い難い顔をしていたから、間近で彼らの事を見守りつつ暴走しない様に資産運用の手綱を握る為に、かなり神経を使ったのが予想出来た。

 

 もっとも、みぃちゃんやメールペットたちにそんな素振りを見せるつもりはないらしく、今だってタブラさんからの問いに余裕を持った素振りで返事をしているが。

 

 つらつら、そんな事を思いながら彼らのやり取りを見ていると、再び廊下から声が掛かった。

 どうやら、ヘロヘロさんが到着したらしい。

 流石に、案内してきただろう廓の人間に、デミウルゴスたちの姿を見られる訳にはいかないと、ウルベルトが端末を一旦見えない位置に隠そうとした瞬間、それまで立体画像の中に映っていたパンドラズ・アクターの姿が掻き消える。

 普段なら、礼儀正しく退出の挨拶をする子が、あんな風に消えた時点で何かがあったのだろう。

 

 正直、非常に気になるのだが、今はそんな事を言っている状況ではない。

 

 何と言っても、外にヘロヘロさんと彼を案内してきた廓の人間がいるのだ。

 いつまでも返事をしないまま、彼らを待たせておく訳にもいかなかった。

 それに、パンドラズ・アクターが突然姿を消した理由の確認する為、既にデミウルゴスが彼の後を追跡しているので、後から確実に状況報告が上がってくるのだろう。

 自分の記憶が正しければ、パンドラズ・アクターの主であるモモンガさんは、現在るし☆ふぁーさんと行動を共にしていた筈だ。

 状況的に、こちらのミスであちらの足を引っ張る訳にもいかない。

 そう間を置かず判断すると、周囲に素早く視線を向ける事で了承を取り、建御雷は外に向けて声を掛けた。

 

「あー、待たせて済まなかったな。

 そのまま、部屋に入って貰ってくれ。」

 

 その返事を聞いて、再び襖が開く。

 予想通り、案内されてきたのはヘロヘロである。

 彼を、ここまで案内してきたのが見世の若い衆だったのは、色々と必要な事務作業をする為に楼主自身の手が離せなかった事もあるだろうが、それ以上に客ではなく部屋の端末を取り外す為の業者の案内だったからだろう。

 ウルベルトさんが、更に気を利かせて案内してきた若い衆にちょっとした小遣いを握らせると、ほくほくとした様子で部屋から立ち去っていく。

 建御雷とも顔なじみの若い衆は、割と目端が利く利発な青年だったので、こんな風にわざわざ業者の人間を案内してきただけの自分に、それなりの小遣いを握らせた意味が〖口止め料〗だと、ちゃんと判っているのだろう。

 部屋に辿り着いた際に聞こえた会話の内容を、漏らす心配はない筈だ。

 

 もっとも、もし青年が誰かに内容を漏らしたとしても、既に〖白雪太夫〗の身請けは正式に済んでしまっている事だし、そもそも顔なじみが協力して助けに来たとしても手続きは正当なものを取ったのだから、文句を言われる筋合いはない。

 

 そう、こちら側は一切不当な手段は取っていないのだ。

 後から、明日以降の予約客が「予約を取っておいて、身請けされて即日出ていくなど急すぎるだろう」と文句を言ったとしても、最後の披露をしなかった点もちゃんとした理由があり、楼主側が承諾して後始末に動いている時点で、問題はないと判断されるだろう。

 その為に、楼主に対して多めの金額の礼金と諸経費を支払ってあるのだ。

 元々、予約自体が前金を支払っている訳ではないので、多少の「詫び金」を支払うだけで、話に片を付けられる案件である。

 もし拗れたとしたら、それは楼主側の手腕の問題だけ。

 こちら側に、苦情を言い立てる事は流石に出来ない筈だ。

 

 それから一時間後、ウルベルトさんが手配した一般人の装いに着替えた白雪太夫、いやタブラさんは花街から外へ通じる門を始めて潜ったのだった。

 

 




ふふふ、気付いたら予定よりも大幅に後編が伸びました。
まぁ、加筆する状況が判り易くなったので、前より読みやすくなったと思います。
そして、次の話の更新予定ですが、今月中を予定しています。


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