メールペットな僕たち   作:水城大地

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遅くなりましたが、るし☆ふぁーさんサイドのタブラさん身請け当日の話になります。


るし☆ふぁーさんちのお家騒動 ~ タブラさん身請け当日の裏側 ~

 るし☆ふぁーが、【ユグドラシル】からリアルに戻って、まず真っ先にしたのは祖父への連絡である。

 現時点で、母は父が随分昔に用意した寂れた別宅で暮らしている為、先程の情報を踏まえて身の安全を確保するなら、そこから脱出する必要があったからだ。

 その為に協力して貰う相手として、るし☆ふぁーが選んだ絶対的な信頼を寄せる相手こそ、祖父なのである。

 

 あの祖父以上に、自分にとって頼れる相手はいなかったから。

 

 既に深夜と言うべき時間とは言っても、日付が変わるまでまだ一時間以上あった事もあり、祖父も祖父の側近たちもまだ起きていて直に行動に移せる状態だったのは、かなり幸運だったと言うべきだろう。

 なので、名ばかりの父親がやろうとしている計画の内容を全て祖父にぶちまけ、そのままかなり危険な状態にある母の身柄の保護を頼む。

 元々、自分の事を出産するとほぼ同時に別宅に押し込められ、そのまま放置されている事を把握していた祖父も、現状に対してかなりの苛立ちを覚えていたから、孫である俺からこちらの状況説明と保護の提案にすぐ乗ってくれた。

 

 流石に、名ばかりの父親よりも格上の地位にいる祖父としても、立場的にこのままアイツを放置して好き勝手させたままにしておく訳にはいかないのだろう。

 

 こちらの連絡受けた途端、その場で側近たちを相手に幾つも指示を飛ばして、母の事を助け出すべく行動してくれたというのだから、これで少しは安心出来る状況になったと言っていい。

 とりあえず、母の一件はこれで決着と安堵した所で、今度は自分の方が置かれている状況とそれに対する対応策、仲間の協力などを事細かに祖父へと説明し協力を仰ぐ事にした。

 このまま、大人しく父の手に掛かるつもりが欠片も存在していない以上、自分の身を守る為に行動する必要がある事は間違いないし、その為に仲間たちにも色々な協力を仰いだのだから、それを失敗させる訳にはいかない。

 その為にも、祖父の協力は必須条件だと言っていいだろう。

 なので、それなりに親しく信用が出来る友人たちを、他社からヘッドハンティングして自分の側近にしたいのだと言う話も、包み隠さず話していく。

 その流れで、今回、自分の状況を知って協力してくれる友人の中に、実は祖父すら認めていたモモンガさんがいる事を話すと、祖父が何とも言えない表情で低く唸った。

 

 どうやら、祖父的には自分の営業担当との一人として、正式にモモンガさんの事を引き抜こうと準備をしていた所だったらしい。

 

 それが、孫の友人として孫に協力するべく側近の一人になる予定だと知って、色々と思う所があるのだろう。

 ここで唸るだけで留めているのは、孫自身の命にもかかわる差し迫った状況だからで、そうじゃなければここから交渉合戦に入っていたんじゃないだろうか。

 更に、自分が愛用しているメールソフトの存在を明かし、それをプログラムしたメンバーの一人もこちらに協力してくれるという話になっている事を説明したら、祖父から〖その二人だけなのか?〗と確認を取られる。

 流石に側近が二人だけでは、色々と人手が足りないとか投げてくれたのかもしれない。

 そこで、三人目の協力者としてベルリバーさんの名前を上げ、同時にちょっと問題を抱えてしまっている事まで説明した。

 その上で、〖彼も優秀だから、身の安全を確保した上でこちらに引き込みたい〗と話せば、暫く何かを考える素振りを見せた後、るし☆ふぁー自身が考えていた様なヘッドハンティングを、代わりにやってくれると祖父の方から言い出したのである。

 

「こう言う事は、本人たちが思っている以上に上の柵で面倒が掛かる事が多い。

 それを承知で動くなら、儂も手伝わない訳にはいかんだろう?

 何せ、お前は儂にとって可愛くて大事な孫じゃからな。」

 

 快活に笑う祖父を見て、やはり心強い味方だとそう思ったるし☆ふぁーだった。

 

*******

 

 ひとまず、ここから先は割とサクサクと早く話が進んでいった。

 ベルリバーさんとヘロヘロさん、モモンガさんの三人の身柄をこちら側へ迎え入れる為に、祖父自ら彼らが属する企業との交渉を最優先で行ってくれたからだ。

 この話が決まって、それぞれの所属する企業へ交渉する為の準備として調べた事で判明した事が一つある。

 実は、彼らは三人とも一つの企業が運営する会社に所属し、それぞれ別部門で働いていたらしい。

 その事実を告げた途端、本気で驚いて顔を見合わせていた様子から察するに、自分達が同じ企業で働いている事すら気付かなかったのだろう。

 思わぬ事実を前に、るし☆ふぁー自身もつい笑ってしまった。

 結果的に、祖父は一つの企業にこの話を通すだけで済んだ訳だけど、その分、相手に対する借りも大きくなったかもしれない。

 まぁ、その辺りをどう祖父に対して報いるのかに関しては、後からみんなで意見を出し合いつつ色々と考えるから問題ないとして。

 そうやって、俺の所に正式に直属の部下としてきてくれた三人だけど、モモンガさんがウルベルトさんの分も込みで嬉しいプレゼントを持ってきてくれた。

 

 二人から渡されたのは、俺のクソ親父の会社の株の所有権である。

 

 最初、この株の権利を提示された時は、〖どうしてこれをモモンガさんたちが持っている?〗と、本気で驚いたものだ。

 と言っても、事情を聴いてすぐに納得しけどね。

 どうやら、ワンマン経営で問題が水面下に山ほどあるものの、それでも他から見てまだ成長株だった親父の会社の株は、デミウルゴスとパンドラズ・アクターから見て丁度良い投機の対象になっていたらしい。

 結果として、あの二人によって資産運用の為に購入されていた株の総額は、会社が現時点で発行している株式全体の約五%まで行ったっていうんだから、結構恐ろしい状況だったと言っていいだろう。

 普通、個人投資家が所持している株式がその会社の発行株売数の五%に届くなど、余程じゃないとあり得ないからである。

 

 だけど、これで俺の方はあのクソ親父と戦う為の準備が、ある程度まで整ったと言っていい。

 

 今回の為に、結婚当初から母が持っていた株も譲り受ける事が出来た結果、元々持っていた分も含めた俺の所持株数はなんと二十五%にまで到達したからである。

 会社にとって、自社の株を二十五%も保有している株主の存在は、そう簡単に無視出来る存在じゃない。

 むしろ、会社経営等に関してかなり大きな発言力がある存在だと言っていいだろう。

 まず、俺が選択した最初の行動は、その大株主としての立場から会社に対して、正式に〖会計監査請求〗を要求したのだ。

 もちろん、そんな請求をした理由はちゃんとある。

 くそ親父の指示によって、会社の資金の内数%が私的な面で消費されているのを知っていたからだ。 

 つまり、株主として〖会社の資産が正しく運用されているか、その辺りを明確に提示しろ〗と要求して、まずはタブラさんの身請けに会社の資金を使えなくしつつ、不正に資金を横領している事実を知らない他の株主に、その実情を知らせようとしたのである。

 

 そんなものを請求されて、困るのはあのクソ親父とその側近側だ。

 

 当然、今までは親父のワンマン経営だったから、色々と資金の流用も可能だった。

 株主側に対しては、きちんと利益を上げて配当を問題なく配る事が出来ていたから、少しずつ細かな資金の横領程度は上手く誤魔化せていたけれど、〖会計監査報告〗を請求されてしまった場合、どうしても私的な流用部分が〖使途不明金〗となり、問題が発生してしまう。

 まして、花街へ〖身請け金〗を支払おうとすれば、億単位の金額が必要となる訳で。

 そうなると、流石に今までの様な少額の資金の私的流用程度で収まる額ではなく、どうやっても誤魔化しが出来ないレベルになる。

 だから、もしどうしても会社の金を使おうとすれば、こちらが請求した〖会計監査報告〗が済んだ後じゃないと出来なくなると言う訳だ。

 

 もし、これを請求したのが少額の株主だったら、それこそ黙殺される可能性があった。

 だけど、流石に会社の総株数の二十五%の株を持つ大株主、いや多分筆頭株主になっているだろう俺からの請求は、会社側は断る事が出来ない。

 それだけ影響力があるのが、株主筆頭だからだ。

 あのくそ親父だって、自分の会社の株の所有数は個人では十%程度しかない筈だから、どんなに反対したくてもこちらの要求に対して抵抗する事も出来ない。

 俺が知る限り、あのクソ親父と親戚筋が所持している株の総額は、七十%程度だったと言う記憶がある。

 その中には、母が結婚の際にアイツの両親から譲られたものとして持っていた十%も含まれていた筈だから、それがこちらに来ている時点で、親族合わせた残りの株数が六十%程だ。

 更に、父を見限って「こちらに付きたい」と以前から言ってくれていた親戚たちから、一時的に委任状を預かっている株式が十八%程ある。

 そこに、祖父が持つ十%の株式への委任状も受け取っているから、事実上こちら側が保持している株数は五十三%になった。

 

 この段階で、こちら側にある会社の株の総額は過半数の五十%を超えるので、それこそ株主総会を開いてあの親父の事を社長から追い落とすのも可能だろう。

 

 そうやって考えると、やはりデミウルゴスとパンドラズ・アクターには、心から感謝するしかない。

 あの二人が、クソ親父の会社の株を五%所持してくれていなければ、過半数の株式をこちら側の株に出来ない可能性だってあったからだ。

 とは言っても、それだけで気を抜くのは危険だろう。

 今の時点で、こちらが所有していたり委任されていたりする会社の株数の事はもちろん、あちら側の動きがこちらに筒抜けになっているとは思われていない筈だ。

 だが、その状態がいつまで続くのか判らない以上、色々な意味で警戒が必要なのは当然の話だった。

 

 もちろん、身内やギルドの仲間が情報を漏らすとは、るし☆ふぁーだって考えている訳じゃない。

 

 アイツ自身はもちろん、アイツの側近もなんだかんだ言って無能じゃないのは、ちゃんと判っている。

 だから、母が祖父の手によって実家に引き取られた時点で、母を〖病死を装って毒殺しようとしていた〗事を察知される可能性は、既に視野に入れている筈だ。

 何せ、俺が祖父にこの話をした途端、それこそ殆ど間を置かず……それこそ深夜の時間帯なのも気にする事なく、母を別宅から強引に連れ出している事から、余計にその可能性は高いだろう。

 翌日の朝一番に、俺が今まで勤めていた会社へ辞表を提出して退社し、それに合わせて祖父が何人か他社からヘッドハンティングしている事も、そろそろ相手側に伝わっている筈。

 そこに加え、俺の名前で正式に〖会計監査請求〗などをしているのだから、こちらの意図が正式に親戚の要請に答えた上で、アイツを追い落とそうとしている事は理解していると思っていいだろう。

 だからこそ、今が一番警戒する必要があった。

 

 こちらが動いた事によって、追い詰められたアイツが暴走して何をしでかすか判らず、それに対して今まで以上に警戒する必要があるからだ。

 

 とは言っても、流石に多くの人目がある場所で何かを仕掛けてくる真似など、様々な理由で出来ないだろう。

 既に、こちらは「父親の運営に問題がないか、株主筆頭として〖会計監査請求〗をする」と宣言しているからだ。

 ここで万が一俺の身に何かあった場合、真っ先に疑われるのはそれが実行されたときに責任を問われるクソ親父である。

 例え、アイツが色々裏で手を打って周囲が流されそうになっても、今回ばかりは先に事情を話してある祖父が黙っていない。

 だからこそ、こちらも打って出る事にしたのだから。

  

「……それにしても、本気で驚いたね。

 まさか、前の会社を相手にそれ程揉める事なく、こうして無事に転職が出来るとは思わなかったよ、俺。」

 

 そう、ここ数日で大きく変わった自分の立ち位置に対して、思わずと言った様子で感慨深い声を漏らしたのは、ベルリバーさんだ。

 特に彼の場合、転職直前まで自分の置かれている状況が状況だっただけに、前の企業から命を狙われる可能性すら視野に入れていた。

 だからこそ、自分の転職に関しては簡単に話が進まないと、本気で思っていたのだろう。

 

 ところが、実際に交渉内容の蓋を開けてみたら、一番会社側が転職に対して難を示したのは、実はモモンガさんに対してだったのである。

 

 以前から、うちの祖父は営業としてそこの企業からモモンガさんが来ると、割と早い段階ですんなり契約まで話が進むケースが多かった事から、祖父の会社に対する営業の切り札的な扱いをされていたんだと思う。

 だからこそ、あちら側がこちらの交渉に対して簡単に首を縦に振らず、結果的にモモンガさんの転職を認めさせるのに時間が掛かったのだ。

 祖父は祖父で、モモンガさんの事を自分の会社に引き抜く為に色々と根回しとか準備を進めていたから、こうなる事を予測済みだったらしい。

 今回、モモンガさんを含めた三人が多少手間取る程度で無事に転職が出来たのは、祖父が引き抜きの為に準備していた内容を、そのまま使ってくれたからだ。

 

 祖父に対しては、この件も含めて全部の面倒事の片が付いたら、何らかの形でお礼をしようと思って居る。

 

 先程、モモンガさんの所のパンドラズ・アクターを経由して、ウルベルトさんの方も予定通りの金額が集まったという連絡が来ていた。

 タブラさんを身請けする為に、絶対に一度は座敷を取って顔合わせをする必要があるのだが、その為の座敷が今日の昼に決まったという話は、昨日のうちに建御雷さんからのメールを貰っている。

 状況的に考えて、あちらは割と順調に進んでいると言っていいだろう。

 それこそ、タブラさんが置かれている窮状が判明してから、たったの二日で彼女の座敷を取る所まで持っていったんだから、かなり凄いと考えていい筈だ。

 

 このまま、身請けの話を楼主に対して即決で話を持って行けるだけの金額も貯まっているし、あちらはこのまま押し切っても問題ないと思うべきじゃないだろうか?

 

 念の為に、パンドラズ・アクターにはあちら側のサポートに回っても貰っているけれど、向こうは今日の決着が確定出来るだけの準備が整っているから、そこまでは心配していなかった。

 むしろ、こちらの方が予想より手間取るかもしれない。

 一応、俺が申告した事によって正式に行われる事になった〖会計監査報告の為の緊急株主総会〗が開かれるのは、明日の昼の予定だ。

 正直言って、完成させるのはもっと遅くなると思って居た会計監査報告がここまで早く仕上がって来たのは、クソ親父の会社の内部に以前から「あの暴挙を続けていれば、いつか株主に訴えられるだろう」と考え、ある程度まで資料を準備していた面々がいたからだろう。

 

 つまり、あのクソ親父に対して水面下に潜って反旗を翻す機会を狙っていた面々は、親族以外にもそれなりにいたと言う事だ。

 

 ただ、どんなにこの事を株主に対して訴えたくても、自分達だけではアイツの圧力によって握り潰されてしまうから、そうさせない為の旗頭が欲しかった。

 そこに、俺と言う血筋的にも立場的にも文句がない後継者候補が現れた事で、彼らは少しでも改善される事を願ってこちらの味方に付いてくれたと言う事だろう。

 何せ、今回の会計報告をするべくこれだけの資料を揃えた面々は、こちらが負ければ確実に会社に居場所がなくなるのは間違いない。

 今まで、それがあったからこそ我慢していた面々が今回こちら側に付いてくれたのは、流石に「遊女の身請け」と言う大金を支払う為に会社の金まで食い潰す勢いで使い込むクソ親父に、とうとう付いて行けなくなったからだ。

 

 だからこそ、この期待に応えるべくアイツを追い落とさないと、彼らからも恨まれる事になるだろう。

 

 一先ず、ざっくりと現在までの状況を整理する為に、つらつらと今までの流れを頭に浮かべながら、ギルド会議の翌日にヘッドハントして以来、俺と一緒に祖父の家に泊まり込んでいるモモンガさん達と一緒に、取り合えず明日の株主総会の為の打ち合わせに向かうべく家を出た時だった。

 一瞬、どうしようもない位に嫌な予感がして周囲に視線を巡らせた途端、いつも絶対に手元から手放さない端末が激しい警告音を発した。

 この警告音は、恐怖公がリアルやネットを問わず何かるし☆ふぁーの身の周りで危険を察知した時に、それを知らせる為に発動するものである。

 

 随分前に決めた手段だったが、三段階で設定されていた中でも危険度が高い事を示す、一番甲高い音が発せられている時点で一気に気を引き締めた。

 

 当然、もう一つの警告を示すシグナルも表示されているだろう。

 きっちり、当時決めた細かな部分まで全部覚えていたるし☆ふぁーは、素早く上着の中から手元に端末を取り出すと、端末の端に出ているランプの色とその表示状態を確認した。

 端末に表示されるランプも、同じく取り決めた通りに恐怖公側から察知した危険度を示すもの。

 

 警告音とランプと言う、その二つの組み合わせを使用して連絡してくるのは、こちらの側に危険な相手が既に居る可能性まで視野に入れているからだ。

 

 現在、画面の端に映し出されているランプの色は赤で、表示状態は点滅。

 幾つかあるランプの色の中で、赤はリアルで直接命に関わる危険を示している。

 つまり、それだけ危険度が高いという事だ。

 これが出ている時点で、確実に犯人がるし☆ふぁーの命を狙ってきている事を示すパターンなのだが、それにしては表示状態を示す点滅が遅い。

 点滅パターンも三種類あって、その中でもそれこそ最速で点滅していた場合は広範囲での無差別テロの危険を示す為、本気で拙いのだが……今回は違っていた。

 点滅速度は最も遅く、点滅表示の中で一番危険度は低い個人的な行動だと予測出来るもので。

 

 その二つの点から考えるなら、るし☆ふぁーの命を脅かす危険は迫っているものの、実行力は低いと想定していいだろう。

 

 恐怖公が、わざわざこの警戒シグナルを使って知らせてきた以上、実行力は低くても確実にこちらの命を狙われていると考えていい。

 そんな状況を前に、これは一体どう対応するのが正解なのか、流石に過去に命を狙われた経験があるるし☆ふぁーでも状況判断に迷う所だと言っていいだろう。

 モモンガさんたちも、ただ事ではない端末の警告音とシグナルに困惑した表情で視線を向けてくるので、それに対してどう答えるべきなのか少しだけ返答に迷って首を傾げた時だった。

 

 ふらりと、どこかで見た事がある様な女性の姿が数メートル先の角から曲がって来るのが見えたかと思うと、こちらに向かっていきなり駆け出してきたのは。

 

 その手に、刃が剥き出しの出刃包丁を持っている点から見ても、この女性こそが恐怖公の警告してきた相手だと考えて間違いない。

 多分、恐怖公によるセキュリティが反応したのは、この剥き出しの出刃包丁だ。

 るし☆ふぁーの手によって、彼に搭載されたセキュリティプログラムの中には、刃渡り五センチ以上の刃物に反応するものがあるから、間違いないだろう。

 

 それにしても……流石にこんな風に刃物を持った女性に襲われる理由を考えて見たのだが、どうしても心当たりが浮かんでこない。

 

 リアルでは、祖父と母の為に出来るだけ生まれた家柄に相応しく見える様に品行方正に過ごしている為、本気でるし☆ふぁーには身に覚えがないのだ。

 なので、本気でこんな風に女性が出刃包丁を振り回しながらこちらへ向かって来るという状況は、想定外も良い所である。

 余りに予想外な状況を前に、咄嗟に反応出来なくて呆然としている間にも、角を曲がった時点でかなり勢いを付けていた彼女は、すぐ目の前まで接近し……そのままるし☆ふぁーの護衛に付いていたSPによって取り押さえられていた。

 

 そう、恐怖公からの警告音を受けながら、それでも色々と思考を巡らせる余裕を持つなど、るし☆ふぁーがのんびりとしていたのには、ちゃんと理由がある。

 

 こんな風に、自分達を守ってくれるSPの存在を知っていたからだ。

 最初から、「何らかの手段で命を直接狙われても対応出来る様に」と言う名目で、祖父からるし☆ふぁー達の身の安全を守るべく、直接自分達の側について警護する役目のSPを周囲に四人、それ以外にも半径十メートル以内に五人、それと判らない様に配置されていた。

 状況的に、これ位警戒するのが当然だと言われて手配されてしまえば、反対など出来る筈もない。 

 

 もっとも、彼ら護衛役のSPの中には今回特別に一時的な配置換えによる警備主任を任命され、現場の総指揮を執っているたっちさんの姿もあったので、余計に安心していた部分もあったのだが。

 

 それにしても……と、るし☆ふぁーは考える。

 こんな風に、包丁を持った女性に襲われる理由が、どうしても思い付かない。

 元々、両親の不仲や愛人の存在などが原因で、るし☆ふぁーは恋愛に対してどちらかと言うと否定的なタイプである。

 少なくとも、こんな風に包丁を持って押しかけてくる様な相手と付き合うのは、自分の中にある許容範囲をはるかに超えている事もあって、絶対にしていないからだ。

 だからこそ、自分に対する恋愛絡みでこんな状況になったと言う事は、到底あり得ないという確証があった。

 更に付け加えるなら、今までのるし☆ふぁーはインテリアデザイナーとして、殆ど人前に出ない職種だった事を考えれば、仕事絡みで女性に包丁を向けられる記憶はない。

 可能性としては、一般社員の家族があいつ側近に上手く使われているケースもあるが、それにしては身なりが良すぎるのだ。

 

 そもそも、今、確かに株主筆頭として会社に対して色々しているけど、それに対して一番影響を受けるのはクソ親父であって、妻子持ちの一般社員に迷惑が行くケースは少ない筈。

 

 つらつらとそこまで考えた所で、ふと女性の身に着けている指輪が目に入る。

 それを見た瞬間、るし☆ふぁーは思わず目を見開いた。

 今の時代じゃなくても、早々簡単に手に入らない様な大粒のダイヤが中央に填め込まれたその指輪は、確かアイツの母親が死ぬまで手放さなかった代物である。

 その指輪が指に填まっている時点で、目の前の女性が誰なのかその答えがすぐに頭に浮かんだ。

 

〘 この女、あのクソ親父の愛人だわ。

 あいつの母親が死んだ後、形見分けの時点でかなりの宝飾品が既にその中から消えてて、消えた品々はアイツが愛人に貢いだって、噂だったし。

 実際、社交界にそれを付けてアイツにエスコートされてる姿も目撃されてたから、ほぼ確定だろ。

 もしかして、アイツが今まで色々やらかしてた事が表沙汰なって厳しい状況に置かれてるから、その元凶と言うべき俺を排除しようと思い立って、こんな風に襲って来たのか?

 もし、俺の予想通りの理由で行動したなら……それこそ非常に滑稽だよね?

 そもそも、女一人で何が出来ると思ってたのさ。

 むしろ、アイツの愛人である自分がこんな事をしでかしたら、状況的に考えても確実に向こうが不利になるって言うのに、そんな事も判ってないなんて…… 〙

 正直、この愛人の行動の余りのお粗末さに、るし☆ふぁーは思わずため息を漏らした。 

 今までは、「未遂」と言う事や色々と面倒な柵などもあって、あのクソ親父の行動は見逃されていた部分があったのだが、今回、るし☆ふぁーが自分で動いた事によって、状況は変わったと言っていいだろう。

 こちらの身辺護衛に、同じ富裕層のたっちさんが警備主任として組み込まれている時点で、富裕層の中でも上層部に属する面々との交渉は済んでいると言っても過言ではない。

 

 つまり、こんな風に彼女が暴走してるし☆ふぁーたちの事を襲えば、それこそこちらの思う壺と言っていい状況だった。

 

 現在の状況を冷静に考えるなら、彼らは……少なくとも愛人である彼女は、何があっても絶対に動くべきではなかったのだ。

 そう、結婚する前からずっと入れ上げていた愛人が暴走してこんな真似をしでかしたと判明したら、確実にあのクソ親父には未来はない。

 もちろん、愛人の行動を〖自分は関与していない〗と切り捨ててしまえるなら、もう少し話は変わるだろうが……今までのアイツの行動を考えれば、それもあり得なくて。

 

 どう考えても、この先に待っているのはアイツとこの愛人の身の破滅しかないだろう。

 

 流石に、凶器を持って襲撃してきた所をたっちさんが現行犯で捕まえている以上、どんなにアイツが動いたとしてもその事自体を無かった事にするのは、現状では難しい。

 既に、警察はもちろんこの辺り一帯の企業の上層部は、祖父が動いた事によってこちら側に付いていると言っていい状況なのだから、アイツ程度の立ち位置では揉み消す事が出来ない状況なのだ。

 この行動をしている時点で、彼女はそんな状況すら理解出来なかったのだろう。 

 むしろ、アイツの愛人として長年甘やかされて生きてきた事によって、彼女は「自分も富裕層の人間だ」と変な勘違いをしてしまったのかもしれない。

 だからこそ、それが失われる未来が示唆された途端に恐慌状態に陥り、元凶を消してしまおうと暴走してしまった可能性はかなり高かった。

 ざっくりと状況を推測した所で、るし☆ふぁーは思い切り溜息を吐き出した。

 

 まさか、こんな暴走をしでかす女性があのクソ親父が入れ上げ、正妻である母を押し退ける程の愛人の座に納まっていたなどと思いもよらなかったのである。

 

 何せ、あのクソ親父はるし☆ふぁーと顔を合わせる機会がある度に、「彼女は、お前の母親よりも賢く美しい最高の女性だ」と愛人の事を常に持ち上げ、母の事を「家柄だけのくだらない女」と貶していたから、それなりに頭が良いと本気で思って居たのだ。

 それが、実際に蓋を開けてみればこのお粗末さである。

 こんな風に、ちょっとした状況の変化の兆しが見えただけで、恐慌状態に陥ったかの様に後先考えずに相手を襲撃する女が、どこが「賢く美しい最高の女性」なのだろうか?

 

〘 ……まぁ、恋は盲目とか言うし、正妻じゃなく愛人の座に座っているだけだったから、何とかあのクソ親父の目も誤魔化せたんだろ。

 昔はどうだったのか判らないけど、今、目の前にいるこの女の事を俺はとても美人だとは思えないし。 〙

 

 もちろん、この辺りに関しては個人の好みも入って来るだろうが、どう考えても欲に溺れて醜く歪んだ顔を前に「美人だ」と評するのは、流石に無理があった。

 むしろ、髪を振り乱して取り押さえられている状況から抜け出そうともがく姿は、山姥の様にすら見える。

 SP達に取り押さえられた女性を見て、彼女が誰なのか気にしながら心配そうにこちらに寄って来るモモンガさんたちに対して、るし☆ふぁーは首を竦めて答えを口にした。

 

「多分、コイツがあのクソ親父の愛人だと思う。

 随分昔に、遠くからチラッと顔を見ただけだからはっきりと言えないけど、それ以外にこんな風に女性に襲われる理由は流石にないし。

 昔、あのクソ親父の母親がそれだけは常に身に付けて手放さなかった大粒のダイヤの指輪を、これ見よがしに左手の薬指に付けてるから、ほぼ間違いないと思うよ。

 そんな訳だから、一先ずそいつも連れて移動しようか。

 流石に、こんな往来でいつまでも騒いでいる訳にはいかないでしょ?」

 

 そう笑って、まずはこの場から移動した方が良いだろうと、この場にいる全員に提案した瞬間だった。

 るし☆ふぁーの顔のすぐ横を、何かが通過したのは。

 通過した何かが頬を掠めたのか、たらりと一筋血が流れ落ちる。

 その瞬間、それまで捕らえた女の対処に意識を向けていたSP達が、一気に緊張感を漂わせつつ防御盾を展開しながら周囲を囲い込むと、俺の顔を掠めたもの……銃痕から相手の射出角を割り出して盾の角度を調整していた。

 幾ら外れたとはいえ、るし☆ふぁーに向けた狙撃とSPたちの物々しい警戒行動を目にした事によって、本来なら荒事に関わる事など無いモモンガさんたちが恐怖に呑まれそうになっているのが手に取る様に解る。

 

 それこそ、次に誰かを狙って狙撃でもされたら、そのまま恐慌状態に陥ってしまいそうな位に、結構危ない精神状況になっているんじゃないだろうか。

 

「皆さん、落ち着いてください。

 ここで下手に慌てれば、余計に相手の思う壺です。

 見ての通り、周囲には防御盾も展開してますし、既に応援もこちらに向かっています。

 今は、とにかく身を隠せる場所へ移動しましょう。」

 

 この場にいる部下に対して、既に幾つもの指示を出し終えたらしいたっちさんからの言葉に、誰もが素直に頷いた。

 この状況下で、まずは安全を確保する事が最優先なので、その指示に俺達も異論はないからだ。

 むしろ、現在のこの場の状況を冷静に分析するなら、彼女はこの狙撃を行う為の囮に使われたんだろう。

 もちろん、本人にはその自覚はないだろうが。

 実際、この集団の中には自分もいるのにも関わらず、この場に向けて俺達への狙撃が行われた事によって、今まで俺の事を狙っていた彼女はかなり恐慌状態になっている。

 最初から、自分が狙撃を行う為に警備の気を引く囮と承知していれば、そんな状況にならないだろう。

 だが、そんな風に狙撃に怯える彼女に対して、るし☆ふぁーは冷めた目を向けた。

 

「さっきから、凄く怯えて身勝手に騒いでるけどさぁ……別におかしくないでしょ、あんたも一緒に狙われても。

 あのクソ親父は、あんたが愛人になるまではそれなりに会社の運営に問題なかったみたいだし、そう言う視点でものを考えるなら、アイツの側近からしたら邪魔なのはあんたの方じゃない?

 むしろ、アイツの経営手腕を知っている連中からすれば、あんたさえ排除出来ればあいつが元の様にまともに戻るんじゃないかと思ってる奴らなんて、それこそ結構いるんじゃないかな。

 だからこそ、あんたに余計な事を吹き込む事で上手くこんな馬鹿な真似をする様に誘導しておいて、一緒に射殺するつもりだったかもね。

 あいつは、アンタにこれでもかって甘かったから、とてもこの件に巻き込むとは考えられないし、誰か別の奴に唆されたんじゃないの?」

 

 るし☆ふぁーがそう言った瞬間、ビクンッと震える女性。

 どうやら、こちらが思い付くままに指摘した内容は、間違いじゃなかったらしい。

 この襲撃を実行する時点で、自分がその話を持ち掛けてきた相手にとって【捨て駒】扱いだったという事を知った途端、呆然としている彼女ごとたっちさんの指示で一先ず物陰に移動すると、安全を確保しながら、狙撃犯の身柄を確保する為の指示を更に追加で出している。

 暫くして、たっちさんが要請していた警護側の増員が到着し、こちらの安全が確保された時点でこの件を祖父や関係者に連絡する事になったのだが……るし☆ふぁーは、その際にあのクソ親父にも愛人の身柄が警察に拘束されている事を含めて事情を全て連絡した。

 

 わざわざ連絡した理由など、実に単純なものだ。

 

 この件をアイツに伝える事によって、今回の襲撃を愛人に示唆しただろう側近と親父の間に、明確な溝を作る為である。

 確かに、昔はそれなりに経営者としてその手腕を振るっていたかもしれないが、今の親父は誰よりも愛人が最優先の男だ。

 今回の事を知れば、確実に愛人とこちらを潰し合わせようと考え指示を出した側近が誰なのかを察して、そのままその面々だけを排除しようとし衝突するだろう。

 そうなれば、こちらにとってかなり都合がいい状況になる。

 あちらが、勝手に仲違いして自分達の陣営の力を落としていくのだから、どんどんやればいいとすら思う。

 どちらにしても、彼女は今回のるし☆ふぁー襲撃の実行犯の一人なので、クソ親父がどんなに金をばら撒いて揉み消そうとしても無罪放免になる事はない。

 まして、今回は警護主任に警察の中でもそれなりの立ち位置にいるたっちさんが当たっていた時点で、この襲撃そのものを無かった事にする事すら不可能だろう。

 そもそも、るし☆ふぁー自身もなかった事にしてやるつもりはない。

 

 だからこそ、相手に側に騒動の火種を与える事が出来るなら、これ以上都合が良い事はなかった。

 




すいません、大変お待たせいたしました。
予想より、時間が掛かりました。
たっちさんが、娘と一緒に行かなかったのは、こちら側で仕事をしていたからです。
そして、パンドラがあちらから姿を消した理由は、この襲撃の知らせを恐怖公から受けたからです。

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