太陽がその輝きを増し、見下ろすように燦々と照り付ける真夏日のことである。
避暑地までの林道を歩く私は、この身をもってその恐ろしさを実感していた。
拭えども尽きることのない汗、体を包み込む倦怠感、出所のわからない疲労感、蝉の大きすぎる声……言い出してしまえばきりのない数々の問題点が噴出していた。
そして両腕両肩にかかる合計数十キロになろうと言う重みもまた、私の体を着実に痛めつける。
「おや、お疲れのご様子だね?」
隣を歩く古賀が日差しを反射させたショートカットを揺らし、楽しげに顔を覗き込んでくる。荷物を私に持たせることに成功した彼女は、清々しい空気を肺いっぱいに吸い込みご満悦だ。
そもそも何かにつけて自分の優位を確保することに余念のない彼女が、運に任せる古典的遊戯『じゃんけん』で荷物持ちを決めよう、と提案すること自体おかしかった。
そこで気が付くべきだったのだ。
結果的に惨敗を喫しこうして顔を真っ赤にして孤軍奮闘しているわけだが、もし勝っていたとしても、私の荷物を渡し一人悠々として何の罪悪感も湧かない、ということもなかろう。
私はフェミニストではないがしかし、女性に荷物を持たせて悦に浸れる人間でもない。
つまりは消極的善人なのである。
古賀とは有体に言えば幼馴染関係にある。
そんなわけであるから、ある程度の人となりと言うのは心得ている。
当然彼女も、そう言ったことは把握しているに違いない。
となれば私が荷物を持たされると言う末路は、荷物持ちを決めよう、と言う悪魔的企みをその裏に宿す提案に了承した時既に、決定してしまっていたわけである。
策に嵌まった間抜けが私だった。
「……やられたな」
私は諸々の感情を抑え込み、ただ一言呟いた。
「もしかして持ってほしいのかな?」
耳ざとく私の消え入りそうな声を拾った古賀は、相も変わらずの笑顔でそう言う。
私がどう言おうか迷ってしばし口をつぐんでいると、彼女は勢いよく語りだした。
「いいかい? これは厳正な、正々堂々、誇りと誇りをかけた決闘を経ての結果なんだ。簡単に変えられることじゃないね。『じゃんけん』だからと甘く見た君が悪いのさ」
でも、と小さく言って古賀は言葉を切った。
そして何気なく私の分の荷物を入れたバッグを取った。
「これでどうだい? 交換で荷物持ちと言うわけだ。公平だろう?」
右手の空いた私は軽く腕を回す。
まるで筋トレ後のような軽さである。
「公平かはさておき、状況は改善されたかな」
「うんうん、それはなによりだね。よし、もう少しのはずだから頑張って歩こうか」
そう言うや否や、古賀は小走りに進んで行く。軽やかなステップだ。
暑さを感じさせない爽やかさで満ち充ちていた。
私と古賀の関係はこの通りである。何であれ大抵一枚上をいかれ私はうごうごとして終わる。
それがまた楽だった。
見返してやろう、そう思ったことがないと言えば嘘になる。だが、絶対に追い越せない壁は諦めよりも早く尊敬を抱かせた。ゆえに、私は古賀に対して劣等感を味わったことがない。もしかしたら私が鈍感だから、という理由かもしれないが、人間関係を円滑にしているのならばよいのだろう。
そんな我々の関係が今日で崩れてしまうかもしれない、そう思うと無性に感傷的になってしまう。自分はこんな弱い人間だったかと驚くのだ。そして気が付く。私が強くなれたのは彼女が手を引っ張ってくれたおかげだと言うことに。
けれど私の心は決まっているはずだ。今回の小旅行を企画したのもそのためだ。私だけが唯一作り出せる千載一遇の好機と言っていい。これを逃せば二度と現実にできない儚い夢となり果ててしまうに違いない。そんなことは、絶対に嫌だ。それなのに、一歩踏み出すのを恐れている自分がいる。子供らしい率直な想いと、大人の振りをして無駄な装飾で飾り立てた言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。本音は果たして、どちらが近いだろう。
「おーい、どうしたの?」
少し先にいる古賀が立ち止り、軽く手を振って来た。
「いや、ほら、普段こんなところ来ないだろ? だからしっかり目に焼き付けておこうと思ってさ。先に行ってていいぞ?」
咄嗟にしてはうまい具合に口が回った。古賀は碌に疑った様子もなくうなずき、また歩き出した。その姿を見た私は急に馬鹿らしくなり一人笑みを浮かべた。ぐちぐちと言葉を並べ立て考えたところでどうせ無駄なのだ。経験則である。ならば古賀のように、いつも通りの自分でいればいい。
それなら結果がどうあれ、私は納得できる。
ふっ、と肩の力が抜けた。
計画は所詮計画、当然その通りに進むこともあれば、そうでないこともある。予定通り事を運ぶことに執着しすぎて今出来ることを見逃すのもおかしな話だ。
それに、何というか、そう言うのは格好悪い。
大きく息を吸い込み、彼女の名を呼んだ。
「ん? 何かあった?」
古賀はまた立ち止まり、不思議そうに私を見て来る。
私は何をやっているのか分からなかった。ただ自分の衝動に突き動かされるままだ。旅行はこれからである。楽しいのはこの後のはずだ。私が試算した最も成功確率が高いのももっと先である。けれど、けれども、私はもう我慢ならなくなった。仮定の話を繰り返せばきりがない。だから実直に、自分の欲に従うことにした。
「古賀、私はな、今とても楽しいよ」
「藪から棒にどうかしたのかい? 熱中症かな」
「当たらずと雖も遠からず、かな。苦しいほど熱いと言えばそうだし、頭が痛いってのも当たってる」
「んー? いつにも増して遠回りな喋り方だね。……分かった、当てようか。君もしかして泊まるコテージの予約を取るのを忘れていたんだな? そしてそれを今思い出した。うん、そうに違いない。まあでもそんなハプニングもいいじゃないか。思い出に残る旅と言うのは往々にしてそう言う――」
滔々と語り続ける彼女は何時にも増して綺麗だった。ずっと聞いていたい気もしたが、それは私の逃げでしかない。
「お前が好きだ」
私は彼女の言葉を遮った。けれど彼女は話すのを止めない。
「そういうものなん、だよ。そう、普通じゃない、記憶に残るものがあった方が楽しい。うん……えっと、例えばこんな風に? 旅の始まりで告白、みたいな……ははは、さすがだね。私の言いたいこと分かってるじゃないか」
「好きなんだよ」
私はもう一度、古賀の瞳を見つめて言った。
長い沈黙が下りた。さっきまで騒がしかった蝉の鳴き声はもう届かない。私はひとえに彼女の言葉を待っていた。どんなものであったっていい。ただ、答えてくれればそれで。時間にしたら一分もいかないかもしれない。けれど私にとっては永遠にも近かった。
古賀がゆっくりと口を開き言葉を紡ぐ。
――蝉が私を代弁した。