国家、組織、財閥、名家、それら多くの枠組みがそのことによって滅亡してきた。
それは国などといった巨大組織において血液のようなものである。過剰にあっても体を壊すし、少なすぎれば体が動かない。そして血液が回らなくなれば肉体は崩壊する。
俗物的だと儒学者は思うのかもしれないが、それは間違いなく生きていく上で重要なものなのだ。
そして曹真もまた古の国々と同じようにその問題に直面していた。お金が、ないのである。
「さぁさぁ皆さんご注目。種も仕掛けもないこの外套。引っ繰り返しても振り回しても何にもありません」
曹真は許昌の街角で西方からやってきた商人に譲ってもらったシルクハットを被り、赤い
左手には曹真が無一文になった原因でもある青釭の剣が握られている。
「しかし、この天下の名剣と名高き青釭の剣でちょちょいと叩いてみると……そらっ!」
群衆の目が見開かれる。先程まで何にもなかったと思われていた赤い外套から花束が飛び出してきたのだ。
おお、という歓声が轟き拍手が降り注ぐ。
「では花束は一番先頭で最初から見ていてくれたお嬢さんに贈呈」
「あら私に下さるのですか?」
このまま花束を持ちかえるのもなんだったので、どうせならと手近にいた黒髪の美女に花束を渡す。やはりプレゼントは男より女だ。
「ありがとうありがとう。お題はここに入れてね~」
曹真の手品を見た群衆が空箱へお金を投げ入れていく。
なくなったものは簡単に元通りになりはしない。子桓は前に金は使うべき時に使うのが正しいと言った。これはある一点からみれば正しいのだろう。この大陸の民全員が金を使わずに貯金に全力を傾け始めれば経済は回らない。だが使った金は戻ってこないというのも一つの真理だった。
今月分のお小遣い(生活費込み)を全て二振りの剣のために使いきってしまった以上、生活するには新たに金を増やすしかない。有体にいえば金を稼ぐしかなかった。
そこで曹真はこうして都の往来で大道芸に励んでいるのである。
岩を泥のように切り裂く名剣・青釭の剣。それの使い道が大道芸の小道具だと聞けば、この剣を売った商人はどういう顔をするだろうか。
「どうやら貴方の方も上手くやってるようね。安心したわ」
カツカツと地面を鳴らしながら子桓が満足気にやってきた。その手には戦利品であるお金をもっている。
かなりの額だ。見た目から察するに曹真が稼いだ額よりも多いだろう。
「そっちも、凄い成果じゃないか?」
「私だけの成果じゃないわ。お兄様にも少し口利きをして貰ったもの」
「お兄様? ああ曹昂様か」
曹昂は子桓とは異父兄妹の兄で曹孟徳の嫡子にあたる。今のところは曹操の子の中では唯一の男子だ。
元々は劉氏の息子だったのだが、劉氏は早くに亡くなったため劉氏なき後に正室となった丁氏に育てられたという複雑な経緯をもつ。もっとも丁氏は自分の子供がいなかったこともあって大変にそのことを喜んで、その関係は本物の親子よりも親子らしいと評判だった。
母である曹操との仲があまり良いともいえず、構って貰う時間もなかった子桓にとって兄である曹昂は父であり母でもある存在だといえた。
「お兄様は許昌の街ではそれなりに知られているから、色々な書店に掛け合ってくれたの。私の詩集を売ってくれるようにね」
「羨ましいね。俺は詩なんて大したもの書けないからな」
一度子桓に倣って詩を書いた事もあるのだが、その時は散々駄目だしを喰らった挙句に『貴女には詩のまるで足りない』という有り難いお言葉を頂戴してしまった。
当時は苦々しかった記憶があるが今では良い思い出だ。
「別に。妹の植と比べれば大したことでもないわ。……貴方の方はどうやってお金を稼いだの?」
「ご覧の通り」
シルクハットをとって洒落っけにお辞儀をする。
子桓は分かったように頷いた。曹真は何度か酒の席で持ち芸としてマジックを披露したことがあったので子桓には直ぐに察しがついたらしい。
付き合いが長いと無駄な会話を省けるから楽で良い。
「曹丕様、曹真様。なにをしておられるのですか?」
「あら楽進じゃない」
銀髪の少女が声をかけてくる。両腕には物々しい手甲が装着されており、発している闘気と独特の足運びから単なる少女でないことは明白だった。
彼女は楽進。元義勇軍の将で今は曹操軍を代表する一角の将だ。平時はこうして警備隊を率いて街の巡回などをしている。おそらく曹真のマジックの喧騒を聞いてやって来たのだろう。
「なにをしてるかなんて見ての通りよ。ちょっと掘り出し物を買うのにお金を使っちゃったから、使った分のお金を補填するために労働してるのよ。別に警備隊の手を煩わせる覚えはないわ」
長い金髪をかきあげながら颯爽と子桓が言う。
楽進は困ったように「はぁ」と頷いていた。……実のところ楽進は子桓のことが苦手なのだ。だからどう対応すればいいのか測りかねているのだろう。
仕方ないので比較的に楽進たちとも上手くやれている曹真が前に出る。
「概ね子桓の言った通りだ。岩を泥のように切るという天下の名刀を前に俺も子桓も興奮してしまってね。今月分の御小遣いがすってんてんなんだよ」
「それなら華琳様から来月分を前借すればいいのでは?」
「ほら。子桓が気難しいの知ってるだろう」
「………………」
ここで同意するのは主君の娘に対し不敬と思ったのだろうか。楽進は難しい表情で黙り込んだ。
そんな楽進をみて子桓がふっと笑う。
「お母様は天下を計るのでご多忙。この程度のことで煩わせることはできないわ。お金を使い果たしてしまったのは私達の責なのだから。私達でなんとかするわ。
それとあんまり畏まらなくていいわ。貴女のことはそこまで嫌いじゃないから」
そう、貴女のことは、だ。子桓が好いていないのは楽進ではなく楽進と共に義勇軍の将で、今も同じように将として仕えている于禁の方だ。
于禁の名誉のために言うと彼女は独特の服飾センスの持ち主ではあるが決して悪徳の人ではない。天下無双の呂布や美髪公と謳われる関羽とは比べるまでもないにせよ、能力的にも性格的にも十分〝良将〟といえる人物だ。
子桓が于禁を嫌うのは寧ろ子桓の方に全面的に問題がある。前に何気なしに曹真が聞いたところによると「あのファッションセンスと言動が好かない」とのことだ。
この気難しさと性格の悪さがなければ次世代を担う大人物として大成するだろうに、と人知れず曹真は嘆息した。
「……はい。では私は警邏の任務があるのでこれにて」
楽進は頷くとそのままさっさと警備に戻っていく。楽進が子桓を苦手とする理由もこれだ。
義勇兵時代からの戦友を嫌う相手に好意を向けられる人間は余程のお人好しくらいだろう。
「子丹。私達も行くわよ」
だが欠点も多くある子桓だが美点も多くある。友人としては欠点をやんわりと咎めつつ、美点に目を向けるべきなのだろう。
肩をすくませながら曹真は子桓の後に続いた。
――――曹子桓の運命を大きく変える張繍征討戦が開始されるのは、これより三日後のことだった。