曹子丹の恋姫†演義   作:有る魔

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第5話   宛城に散る

 火のあがった宛城を曹昂は部下たちと共に駆け抜けていた。曹昂の手には母・曹操の愛馬である絶影がある。飛将と渾名される呂布の愛馬たる赤兎馬に一歩劣るものの、その速さは影も留めないほどだという。これを曹操に届ければ、必ずや絶影は乗り手を安全な場所まで逃がしてくれるはずだ。

 

「いたぞ! 曹操の息子だ! 討ち取って手柄にしろ!」

 

「ちっ! 邪魔を……!」

 

 張繍の部下である兵士達が曹昂の姿を見咎めて襲い掛かってくる。母・曹操に劣るが曹昂の首級はこの宛城で第二位の価値があるといっても過言ではない。張繍の兵士達は手柄を得るためにも我先にと曹昂へ迫ってきた。

 

「若には手を出させん!」

 

「覧!!」

 

 曹昂配下の兵では一番の腕利きである覧が曹昂の前に飛び出すと獲物の槍で兵士達を薙ぎ倒した。左右の兵士達も部下たちが撃破する。

 曹操の嫡男たる曹昂に宛がわれているだけあって部下の兵士達の技量は曹操軍の中でも飛び抜けている。その実力は兵士でありながら下手な将軍を上回るだろう。雑兵が群がろうと簡単に倒せはしない。

 

「功を焦るな! 相手は少数だ。遠巻きにして矢で仕留めろ!」

 

 だが張繍軍とて無能者の集まりではなかった。普通に倒せないとみるや、弓矢で仕留めるという戦術に切り替えてきた。

 張繍兵たちも曹昂の首級をとって手柄が欲しいという思いはあるが、自分の命を投げ捨ててまでというものではない。

 

「放て!」

 

 兵士達の中で一番偉そうにしていた男の号令で、弓兵たちが一斉に矢を撃ってきた。四方八方からの矢の掃射。体を守る盾もない。曹昂の命もここで尽きたかと思われた。

 だがそうはならなかった。

 

「ぐっぅぅ……! 若、どうか殿の下にお急ぎを……」

 

 部下の兵士達がその身を挺して曹昂と絶影の命を守ったのだ。

 

「覧!?」

 

 曹昂が庇った部下の名を叫ぶと、覧はにっころ微笑む。喉元に矢が突き刺さった信は血を吐き出すと馬から転げ落ちて絶命した。しかしそれだけではない。他の部下達も曹昂と絶影に矢があたらないようピッタリと馬をつけて並走する。それは自分の命を捨てることと同義だった。

 

(皆が母上のために命を捨てている。母上、やはり貴女はここで死んではならない!)

 

 曹孟徳という人物が本当に世を乱し、人々を苦しめる悪鬼であれば末端の兵がこうも命を投げ捨てたりはしないだろう。末端の兵が命をかけて忠義を捧げることが曹孟徳が世界に必要とされている証だ。

 いつのまにか曹昂の周囲に並走していた者は誰一人としていなくなってしまっていた。だが振り返りはしない。感謝も言わない。

 礼の言葉を告げるのはあの世に行ってからでいいだろう。あの世ではあちらが少しばかり先輩だ。敬語を使うべきかもしれない。

 

「どけどけーーーーっ! 曹子脩、最期の親孝行を邪魔するな!」

 

 邪魔をする木端兵を馬で踏みつぶし、跳ね飛ばし進む。

 遂に曹昂の目に母・曹昂のいる屋敷が飛び込んできた。屋敷の門の前では先程会って真名を交換しあった曹軍屈指の豪傑たる典韋将軍がたった一人で侵入しようとする兵士達を薙ぎ払い、門に開かない鍵をかけていた。

 

「将軍! もとい流琉殿!」

 

「華昂様!」

 

 曹昂は馬の勢いを止めず、馬を跳躍させた。跳躍した馬は典韋の上を通りすぎこれまでただの一人の敵兵も入れずにいた屋敷の中へと突入していく。

 

「――――お勤めご苦労様です!」

 

「はい! 華昂様こそ!」

 

 それが曹昂と典韋が交わした最後のやり取りとなった。

 曹昂は屋敷を土足ならぬ馬足で駆けると寝所に母の姿を見つけた。

 

「母上、ご無事でしたか!?」

 

 この騒ぎを聞いて即座に準備したのだろう。曹操は甲冑を纏い、愛用の得物たる鎌の絶がその手にはあった。

 

「華昂、この騒ぎはなに?」

 

「はっ! 張繍が裏切り母上の御命を狙っております。母上の愛馬たる絶影をおつれしました。どうかお逃げを!」

 

「……分かったわ。張繍、この借りは必ず」

 

 曹操が絶影にのると、絶影は主と曹昂を鼓舞するかのようにヒヒンと嘶いた。

 絶影が駆ける。曹操と曹昂は共に屋敷から脱出した。

 

 

 曹操たちが脱出した後も悪来・典韋は唯一人で主君の寝所を守護していた。

 武器である伝磁葉々が振るわれる度に〝曹操〟という最上の首級を狙って群がって来た兵士達が切断され、押し潰され、薙ぎ払われていく。

 まるでそこに小さな台風がいるかのようだった。兵士達は怯んでしまい典韋に近付けずにいる。

 

「なにをしているか!」

 

 そこに状況を打破する人物がやってくる。誰であろうこの反逆の首謀者である張繍その人だった。

 もはや張繍に曹操の大軍を前に一度も剣を交えず降伏した卑屈さはない。西涼で馬を走らせていた頃の将軍・張繍に戻っていた。

 

「張繍様、それが門の前に典韋が立ち塞がっていて先に進めません」

 

「馬鹿な」

 

 典韋一人のせいで自分の軍団がしり込みしているという事実に張繍は顔をしかめる。

 

「なにを恐れる! 典韋が如何に曹操軍に名だたる豪傑といえど所詮は一人! こちらが何人いると思っている?」

 

「で、ですが……」

 

「ふん。やれ、胡車児!」

 

『御意』

 

 闇の中から黒衣に身を包んだ暗殺者(アサシン)が典韋の背後をついた。

 

「あ、ぐっ……」

 

 これまで掠り傷程度で確かな痛手を受けなかった典韋の体に初めて剣が突き刺さった。寸前で左に躱し致命傷を逃れたのは典韋の武才の素晴らしさを物語っている。

 だがそれもこれまで。致命傷ではなくとも寿命が僅かに伸びただけに過ぎない。

 

『諦めろ。我が刃には毒が塗ってある。治療したところでもう助からん。そしてお前の主である曹孟徳も今宵この宛城で躯を晒す』

 

「そんなこと……」

 

『むっ!』

 

 動かない筈の典韋の体が動く。典韋の身から溢れる闘志に反応して伝磁葉々が脈動する。

 

「させるかぁぁぁああああああああああああーーーーッ!」

 

『な、なにぃぃぃぃいい!?』

 

 竜巻のように振り回されたヨーヨーに巻き込まれ胡車児の肉体が木端微塵に吹き飛んだ。闇から奇襲を仕掛けた暗殺者を殺しても悪来の異名をとった豪傑は止まらない。

 兵士達の中心にいる張繍を狙い突き進んでくる。

 

「馬鹿な! 有り得んぞ。あの傷でしかも全身に毒が回っていて動くだと!? ええぃ、かかれ!!」

 

 恐怖を払うかのように壮絶な形相で迫ってくる典韋に襲い掛かる兵士達。だがその悉くが全身に毒が回り指一本動かせないはずの典韋により躯へとかえられていく。

 その余りの強さに張繍は普通に典韋を討ち取ることを諦めた。

 

「くっ! 矢だ、矢を放ち仕留めろ!」

 

 天下の豪傑といえどやはり全身に回る毒は苦しかったのだろう。伝磁葉々で全ての矢を叩き落とすことができず何本かの矢が典韋に突き刺さる。

 だが尚も典韋は進撃を止めようとはしない。ただ自らの背中の先にあるものを守るためそこに君臨する。

 典韋に突き刺さる矢が十本を数えた。典韋はまだ動き張繍の首を刈り取らんと迫ってくる。

 突き刺さった矢が二十本を超えても典韋は倒れなかった。張繍は腹をくくる。

 

「こうなれば儂自ら討ち取ってくれるわ! 行くぞ典韋!」

 

 抜刀し張繍が典韋に斬りかかった。兵士達の視線が典韋と張繍の激突に釘づけになる。しかし張繍は刃が典韋に触れるか触れないかというところでピタリと剣を止めた。

 

「こ……こやつ」

 

 目を見張った。悪来典韋は不動明王の如き威圧を放ちそこに君臨している。だがその体は二十本以上の矢を全身に突き刺したままピクリとも動いていない。

 

「し、死んでいる……立ったまま死んでいる……」

 

 典韋は死んでいた。死んでも地面に足をつけて立っていた。曹操に認められ親衛隊の隊長となった典韋は死にながらも主君を守っていたのだ。

 

「なんという豪傑よ」

 

 張繍をしてもはや感嘆の声しかなかった。敵将や曹操への憎さなどは粉微塵に消えてしまった。これほどの豪傑の最期を目にできたという感動と、典韋への敬意が張繍の胸にある。

 だからこそ曹操を逃がすことはできない。こんな豪傑にここまでの忠義を捧げられる乱世の奸雄。ここで倒さずして倒すべき好機はない。

 

「曹操を追うぞ! なんとしても曹操の命脈をここで断つのだ!!」

 

 張繍自ら馬を走らせ曹操を追撃した。




季衣「あーん!流琉様が死んだ!」
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