曹子丹の恋姫†演義   作:有る魔

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第6話   母の天命、子の天命

 曹昂は母と共に宛城を馬で走っていた。背後では典韋が残って頑張ってくれているのか、こちらにくる追っ手は思っていた以上に少ない。

 

(いけない)

 

 緩みそうな心を引き締める。曹昂の前では母・曹操が苦虫をかみつぶしたような表情で絶影を走らせていた。曹孟徳が自ら選んだ名馬だけあって絶影は早く気を抜けば置いて行かれそうだった。

 

「母上! もう直ぐ城門です!」

 

「分かってるわ。華昂、前から敵兵よ」

 

 曹操と曹昂。二人を見つけた三人の騎兵がこちらに突撃してくる。

 騎兵たちは心の中で最上級の首級を二つも発見できたことを幸運だとでも思っているのかもしれないが、それは大きな間違いだった。

 

「はぁ!」

 

「せいっ!」

 

 曹昂は抜刀した剣を、曹操は愛鎌である絶を振るう。

 息を吐く間も与えない高速の斬撃、宵闇に鮮血が舞う。三人の騎兵は鎌鼬のような鎌による一撃と、疾風の如き剣の一撃で両断されていた。

 にしても恐ろしいのは曹孟徳。鎌の一振りで同時に二人の騎兵を倒してしまった。しかも多くの豪傑がするように長柄の武器を使い怪力を活かした力技ではなく、相手の攻撃を完全に見切った上で最小限の労力で最大の効果を発揮させたのだ。

 卓越した技量と優れた頭脳の二つがなければ出来ぬ絶技だった。

 

「お見事です母上」

 

「世辞はいいわ。急ぐわよ」

 

 曹孟徳の表情は優れなかった。それはそうだろう。この張繍の叛逆はもしも曹孟徳が慢心せず、しかと宛城の制圧に努めていれば起こり得なかったことだ。

 もしも曹操が油断していなければ今頃曹昂はのんびりと布団の上で寝息をたてていたかもしれない。

 しかし曹昂は不思議だった。不謹慎なことだとは思う。だけれど完璧超人にしか見えなかった母がこんなにも人間らしい過ちを犯す事が嬉しかった。

 

(もしかしたら私は母のことを人間を超えた神の如く思っていたのかもしれない)

 

 だがそれは違う。曹孟徳といえど人間なのだ。どれだけ才能に溢れていようと、あらゆる分野において万能であろうと――――過ちも犯すし失敗もする。自分や典韋、曹丕や曹真などと同じ人間なのだと曹昂は初めて気づいた。

 だからこそ守りきらなければならない。人間は成長する生き物だ。勝利以上に敗北は人間にとっての教材と成り得る。

 過ちて改めざる、これを過ちというとは孔子の言葉だったか。

 曹昂は安心する。母は儒家嫌いで有名だが、孔子のいう過ちを改めない過ちを犯すような人間でないことは息子である曹昂が一番良く知っていた。

 

「母上! 城門が見えました!」

 

「言われなくても見えてるわ。……張繍、いえこんな作戦が張繍のものとは思えない。やはり董卓軍で名を轟かせた稀代の謀略家・賈詡の策かしら。乱世の奸雄が無様なものだわ」

 

 らしくなく曹操は自嘲する言葉を吐いた。常に威風堂々と自信に満ち溢れていた曹孟徳だとは考えられない発言だった。

 そして同時に曹昂は許昌を出る時のことを思いだす。

 

『張繍軍には董卓の下で参謀をしていた賈詡がついていると聞きます。賈詡は李傕と郭汜を手玉にとり、呂布を子供のように扱ったともいう軍師……。その智謀は彼の陳平にも迫るといいます。お気を付けを』

 

 妹の言葉は聞いておくものだ。よもや本当に賈詡という一人の軍師によって曹孟徳という稀代の英傑が惨めな敗走を遂げようとは誰が想像したことか。

 曹昂と曹操が城門を抜ける。もう少しいけば騒ぎを聞きつけた曹操軍が駆けつけてくるだろう。本隊と合流することができればもう安心だ。

 だがそう思ったのがいけなかったからなのか。宛城から放たれた一本の矢が絶影の足に突き刺さった。

 

「なっ、まさかっ!」

 

 足をやられては天下の名馬も形無しだ。絶影が転ぶと、それに乗っていた母・曹操もまた馬から投げ落とされた。

 

「やったぞ! 曹操の馬を射抜いた! 今のうちに奴を討ち取るんだ!」

 

 宛城から三騎どころでは足りない数の騎兵部隊が追撃してくる。如何に曹操と曹昂の二人が一般兵など及びもつかぬ武力をもっているとはいえ多勢に無勢。このままでは絶影を失った曹操は為す術もなく討ち取られてしまうだろう。

 

「我が天命、尽きるか。終わるときは意外とあっけないものね。……華昂、貴方は早く逃げなさい。私が亡き後のことは貴方に任せるわ」

 

「いいえ母上。天命が尽きたのは母上ではありません。私の方です」

 

「華昂?」

 

「子は産めば得られますが、母上は世界に一人しかおりません。私が死んでも華煉が立派な跡継ぎとなってくれるでしょう。だから」

 

 曹昂は死ぬことの恐怖に震えながらも、それを表には出さずに堪えて馬を降りる。そして落馬し傷ついた母を強引に自分の馬にのせた。

 

「待ちなさい! 勝手な事は許さないわ! 私に自分の子供を盾にして逃げろと言うの!」

 

「母上。どうか御自身の天命全うされたし」

 

 行け、と一喝すると曹昂の愛馬は主の命令に忠実に答え走り出した。母・曹操がどれだけ馬を止めようとしても馬は言う事を聞かない。

 どうやら恵まれたのは部下だけではなく馬にもだったようだ。

 

「おさらばです」

 

 剣を抜きその身一つで母の命を狙う不届き者達を睥睨する。

 刻一刻と地響きとともに明確なる死が近づいているのが分かった。だがこの〝死〟は絶対に母のもとまで届かせない。

 覚悟はとっくに決まっている。

 曹昂子脩は偉大なる母の後を継いだ王としてではなく、偉大な母の盾となり命を繋いだ者として歴史に名を残そう。

 

「乱世の覇者、曹孟徳が嫡男! 曹子脩!! 我が首級が欲しければくれてやる! だが我が母の首級に貴様等の穢れた刃は届かせん!!」

 

 剣を片手に騎兵部隊に斬りかかる。騎兵部隊は曹操の息子が殿としているなど予想もしていなかったのか僅かに動揺が奔った。

 

「あああああああああああああああーーーーっ!!」

 

 その動揺を見逃しはしない。曹昂は雄叫びと共に騎兵を切り裂いた。生暖かい鮮血が曹昂の身に降り注ぐ。

 だがそれまでだった。七騎の騎兵が同時に繰り出した槍が曹昂の肉体を貫通する。

 

「ごっ……ぁあ」

 

 血液が逆流し口から血を吐き出す。それで終わりだった。曹昂子脩、乱世の奸雄の嫡男として生まれた男の天命はそこで終わった。

 騎兵部隊は曹操の追撃のために死んだ曹昂には構わずに走り去る。

 

「…………はは、うえ」

 

 朦朧としながら、後数瞬で消え果る命だろうがまだ曹昂には息があった。最後の力を振り絞り天に向かって手を伸ばす。だがやはりその手は天を掴む事は出来ない。

 ふと一際と輝く星が見えた。星は次第に輝きを増していき、その隣に寄り添うようにある星は徐々に消えていく。

 最期に曹昂は自分が母の命を守りきれたことを確信し、安らかな表情で旅立った。

 

 

 

 曹昂と別れた曹操はどうにか張繍の追っ手から逃れることができていた。懐刀とすらいえる腹心中の腹心、夏候惇率いる部隊を見つけることができたからである。

 我が子との別離の悲しみはあった。自分への不甲斐なさは更にあった。だがそれで心を折るほど曹孟徳は惰弱ではない。悲しみ怒りといった感情を呑み込み軍団の集結を急がせた。

 そこで曹操はあることに気付く。

 

「春蘭。流琉の姿が見えないようだけど」

 

「流琉は、その……」

 

 春蘭が言い難そうに口ごもった。片方しかないその瞳からはうっすらと涙が滲んでいる。

 それだけで曹操の明晰な頭脳は認めたくない事実を導き出してしまった。

 

「まさか死んだというの……流琉まで!」

 

「配下の兵による報告によれば、二十本以上もの矢を受け立ちながら華琳様の屋敷の前で往生していたと」

 

「そん、な……」

 

 嫡男を失ったと思ったら、信頼する大切な部下までも失っていた。その現実が否応なく曹操の背中に降りかかってくる。

 しかも二人はただ合戦中に死んだのではない。曹孟徳の、己の油断が二人を殺したのだ。本来なら死ななくて良かったはずの命を自分の過ちで失ってしまったのだ。

 

「私が張繍を侮って、ただ一人の女に夢中になっていたばかりに。私は掛け替えのない部下を喪ってしまったの」

 

 挫けて心が折れそうになる。弁解など、言い訳などできないほどに自分の自業自得だ。張繍や賈詡を憎む余裕がないほどに曹操は自分自身が憎らしかった。

 だがそれでも曹操は膝を屈しなかった。

 典韋と曹昂、二人は自分を守って死んだ。なのに自分がこんなところで膝を屈していたら、本当に二人の死が無駄になる。

 

「……私は必ず天下に覇を為し、世を平定する。貴方達の死を無駄にはしない」

 

 曹操は死んでいった二人、いや二人だけではない。曹孟徳の命を守るべく散っていった全ての兵士達に誓う。

 夜空で一つの星が消え、一つの星が輝きを増した。その星の名を曹子桓と言った。




 長いプロローグがやっと終わった様な気がする。
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