曹子丹の恋姫†演義   作:有る魔

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第7話   新たなる嫡子、曹丕

 宛城に出征した曹操軍が一度は勝利しておきながら、その後の油断により一敗地に塗れ曹操は嫡男たる曹昂子脩と配下の豪傑である典韋を失う。この報告は雷光のような速度で許昌の街中に広がった。

 勿論その情報は許昌にいる曹丕のもとにも届いた。敬愛し親のように思っていた兄の突然の悲報を受けた曹丕の反応はといえばただ一言「そう」となんでもないかのように呟いただけだった。

 

(まったく。気難しいというかなんというか)

 

 幼馴染のその態度に曹真は溜息をつく。

 曹昂の死は曹真にとっても衝撃的だった。英雄・曹操の後継者として将来を約束されていたような曹昂とてあっけなく死ぬ。それが戦というものだ。

 その意味を曹真は机上の学問として頭では理解していたが、確かな現実に起きえることとして実感していたかと言われればそうではない。心のどこかで「自分は戦場に出ても死ぬはずがない」という何の根拠もない甘えがあったのだ。

 だが甘えは吹き飛んだ。曹昂という人の死によって。

 

「あの曹真様。私は……」

 

 宛城での事の顛末を伝えに来た兵士は所在なさげに曹真を見る。曹丕に「下がれ」ともいわれずにそのまま放置されてしまっているのでどうしていいのか測りかねているのだろう。

 気を使い過ぎとも思うが曹丕は気難しい人物として名が知られている。下手に非礼を働ければ首を刎ねられるかもしれないという恐怖があるのだろう。

 子桓の幼馴染としてそのことを考え過ぎだと否定できないのが辛いところだった。

 

「もういい。下がれ。子桓には俺が言っておく」

 

「はっ!」

 

 兵士を下がらせると子桓の自室に足を運ぶ。このままでは埒が明かない。意を決して曹真はドアをノックした。

 

「子桓、俺だ。入っていいか?」

 

『…………………………』

 

 返事がない。沈黙は肯定と曹真は受け取った。覚悟を決めるように目を瞑り、そして子桓の部屋のドアを開いた。

 暗闇が視界一杯に飛び込んでくる。部屋の中は真っ暗だった。窓は閉じられ、蝋燭に火が灯っていない。明けたドアから入り込む光が全てだった。

 

「入っていい、と言った覚えはないわ」

 

「入るな、と言われた覚えもない」

 

 暗闇の中、無造作に置かれた椅子に座る子桓に歩み寄る。子桓はじっと何もない場所を見つめていて顔をこちらに向けようとはしなかった。

 きっと今の顔を曹真には見られたくないのだろう。曹真は顔を見せたがらない理由を察しなにも言わなかった。

 

「お兄様は死んだわ。……母上の身代わりになって。自分の馬を母上に渡して自分は殿になって死んだ」

 

「ああ。そうだ。曹昂様は名誉の討死を遂げられた。曹昂様は命を賭けて御母上を、華琳様を御守りした」

 

 曹昂最後の親孝行。もしも曹昂が馬を母・曹操に渡さずに曹操が死んでいれば今頃この許昌には都と天子を狙う野心もつ者達が大挙して押し寄せて来ただろう。我こそは第二、第三の曹孟徳にならんという野望を秘めて。

 そういう意味で曹昂は許昌に住む全ての人間にとって恩人といっても良かった。

 だが子桓は苛立ちと共に吐き捨てる。

 

「名誉の討死? 下らないわね。人は死ねば躯となるだけ。生前の名誉など躯になってしまえば何にもならないわ」

 

 武将なら重んじる名誉を子桓はばっさりと否定した。

 儒教が国の礎を担い、広く浸透しているこの時代において母・曹操と同じ――――いや、もしかしたら曹操以上の現実主義者の子桓らしい言葉だった。

 

「伍子胥は仇である王の屍を引きずり出して鞭打ったけどあれほど愚かなことはないわ。物言わぬ躯を叩いたところで意味なんてないのに」

 

「子桓。……これは俺の一個人としての意見なんだけど、たしかに現実を見ることは大切だ。けど現実ばかり見ていても疲れるだけじゃないか。少なくとも俺は現実じゃなくて夢も見ていたい」

 

「貴方らしい意見ね」

 

「それに子桓はそんなことが言いたいんじゃないんだろう」

 

「――――っ」

 

 注意していなければ分からないほど微かに嗚咽が漏れた。曹子桓という少女がとても気位いが高いことは誰よりも知っていたから曹真はただ静かに黙って佇んでいた。

 曹真の手が子桓の小さな手で握りしめられる。子桓はなにも喋らず絶対に曹真と顔を合わせないようにしながら震えていた。

 確かに子桓は冷酷だ。冷徹と言い換えても良いだろう。性格だって手放しに褒められたものではない。だが決して血が流れていないわけではないのだ。親のように思っていた肉親が死ねば人知れず涙を流したくなる事もある。

 

「う、ううう……わああああああーーーーーっ」

 

 気付けば子桓は声をあげて泣いていた。声をかけることを望んでいないのは分かっていたので、曹真は黙って自分の胸を子桓に貸してやった。

 

 

 二日後。宛城での記憶がまだ残る頃、曹丕と曹真の二人は曹操のいる宮中に呼び出されていた。二人が宮中にいくと、そこには曹操の勢力の中核を担う人材が勢揃いしていた。

 曹操軍の双璧、夏候惇将軍と夏侯淵将軍。三軍師の荀彧、郭嘉、程昱。曹操を守護する剣客を中心に組織にされた近衛兵団・虎士の隊長である許褚。

 一族の曹仁将軍と曹洪将軍もその列に姿が見えた。

 明らかに只事ではない。なにか重要なことを告げるために曹丕と、そのついでに曹真が呼ばれたのだろう。

 

「華煉。宛城でのことは聞いているわね」

 

「はい」

 

 母の前に出た子桓は無表情のまま口を開いた。

 

「ところで母上。母上ほどの御方が気を緩ませ曹昂兄上と典韋を失いような不覚をとるなど、鄒氏なる人物との夜は実に楽しかったのでしょうね」

 

「か、華煉様!」

 

「如何にご息女とはいえ華琳様に対して、それは……」

 

 夏候惇と荀彧が珍しく阿吽の呼吸で子桓の言葉に反応する。

 

「(子桓。お前の気持ちも分からなくはないが、ここは抑えろ)」

 

 隣にいる曹真も幼馴染の性格の悪さは知っていたが、まさかこんな所でこんな発言をするとは思わず冷や汗をかきながら子桓を嗜める。

 

「構わないわ」

 

 臣下の間で起こったざわめきを止めたのは曹孟徳の一声だった。たった一言そういうだけで歴戦の勇者や軍師たちの囁き声が病んだ。

 

「華煉の言う通り宛城での敗北は全てこの私の不覚が招いたこと。事実を認めず、この私に都合の良い解釈をしようとしている者がいるのならば改めなさい」

 

 曹操が取り直したことに曹真はほっと一息つく。相手が自らの過ちをそのままの形で呑み込める曹孟徳だったから助かったが、下手な相手にいえば今頃子桓の首は胴に別れを告げていただろう。

 子桓の軽率さに苛立ちを覚えなくもないが、親のように思っていた兄が母の過ちで死んだのだ。実の母でも、いや実の母だからこそ思うことがあるのだろう。

 

(だが……恐らくはこの失敗を誰よりも悔み、曹孟徳という人物を恨んでいるのは華琳様ご自身だ)

 

 子桓のことを間近で見て来たからだろう。話した数などそうはない相手のことを理解している、などと言うつもりはなかったが、曹孟徳という英雄が自らの過ちに苦しんでいるであろうことくらいは分かった。

 

「嫡男たる曹昂が死に、次男である曹鑠も病に倒れこの世にいない。よって長女である貴女をこれからは私の嫡子として扱うわ」

 

「……はっ」

 

 ここまでの流れはなんとなくだが予想はついていた。もっとも曹真が気付いたのであろう。曹丕も分かっていただろう。

 曹昂の育ての親である丁氏は今回の顛末に激怒し、曹操と離縁し故郷へ戻ってしまった。自分の子供として育てていた息子がよりにもよって母親が女に現を抜かしていたせいで死んだのだ。その怒りは至極最もだといえるだろう。

 正室である丁氏がいなくなったことで、卞氏がかわって正室の地位についた。故に卞氏の第一子である曹丕子桓が新たなる嫡子となるのは至極当然のことなのだ。

 

「嫡子として扱う以上、貴女にはそれ相応の能力がなくてはならない。貴女は明日より武術は春蘭と秋蘭が、勉学は桂花、稟、風が監督として教えるわ。曹真、貴方も華煉と同じように学びなさい」

 

「……! 俺も、ですか?」

 

「そうよ。不満?」

 

「いえ曹軍に名高き夏候両将軍、三軍師に教えを受けられる機会を与えて下さるのに不満などはありません」

 

「以上、解散」

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