夕暮れに滴る朱   作:古闇

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鬼との遭遇2

 

 

 

 昭和ビルより、小銃のワイヤーフックで屋上から飛び降りた薫は滑るようにして、水鬼の横に着地する。彼女は厳つい男をじわじわと嬲り、追い詰めている最中であった。

 

 水鬼は攻めを男から上空より現れた薫に変える。

 薫は逃げろと厳つい男に目で暗に投げ、己に向けられた砲撃を避けた。

 

 

「熱烈な歓迎だね。私がいなくて淋しかったかな?」

 

『また来たか、人間!』

 

 

 水鬼は圧倒的スペックで薫との距離を詰め、無造作に払い除けようとする。が、薫は屈伸運動で回避した。水鬼は休まず攻撃を続けて蹴りを放つも、寸でのところで避けられる。

 

 それを繰り返し、薫は水鬼の攻撃を回避し続けた。

 

 

『ちっ、運動能力はあの男共ともそう変わりはしないのに、こうも避けられるとはな』

 

 

 水鬼は言葉を吐き捨てる。

 

 捜査官ですら回避できない速度で攻撃しているのに、暖簾に腕押しするよう、薫の芯と捉えられずギリギリで避けられ、明確な傷を与えることができない。

 

 けれども、薫とて余裕がある訳でもなかった。むしろ先読みで辛うじて避けている状態だ。集中力を使い、脳に強い負担が強いられ、軽い頭痛が発している。

 しかも巴を爆風から守った上に、掠った攻撃さえそれなりの威力があるのだ。薫の<肉体保護>も限界に近い。

 

 薫としては巴があこを救出するまでこの場で耐えたいが、相手が本気を出していないとわかるゆえに胸中に不安がよぎる。

 人間だからと油断し、もう少し遊んでくれるのを願うばかりだ。

 

 薫が水鬼の攻めを数回回避したところで、水鬼が苛立ちを顕わにし、腕に纏わせた砲身を地面に向けた。

 

 

「自爆かっ!」

 

 

 薫は口を動かしながらも、小銃のフックワイヤーの先端をビルの壁に突き刺し、緊急離脱を図る。

 

 次の瞬間。薫と水鬼の間に黒煙渦巻く巨大な爆発が発生した。

 

 路面に大きなクレーターを作り、そこを中心に白い光が広がる。生身の人間では到底耐えれない熱量を周囲に撒き散らし、辺り一帯を焼尽と化した。

 後から黒煙が周囲を包み、黒い煙幕は包み込んだ者の視界を遮る。

 

 薫が少しずつ昭和ビルから距離を取った努力もあり、建物へ致命的なダメージが入ることはなかった。けれど、窓ガラスはすべて吹き飛び、周辺の雑居ビルはもろに余波を受け、壁一面に亀裂が入る被害が及んだ。

 

 離脱を図った薫とて無事ではない。緊急回避により直撃こそないものの、その威力は<肉体保護>の耐久を上周り、黒煙を抜け出す最終の薫に軽度の火傷を負わせた。綺麗な顔は薄い煤で汚れ、制服に若干の焦げ目がついてしまっている。

 

 薫は滲みる痛みに耐えつつ、抜け出した黒煙の中より生物が動く気配を察知し冷や汗を流す。

 

 しかして、薫の嫌な予感は当たり、水鬼が薫に続いて煙幕の中から飛び出してきた。

 

 離脱によりワイヤーフックを戻しきれず、体を捻るくらいしか回避行動ができない。華麗に相手の力を利用して回避するにしても、許してもらえそうになかった。

 

 水鬼より伸ばされた腕を薫はめげずに空中でもって逸らそうとする。だが敵わず、首を掴まれてしまった。

 

 水鬼は足を止めて、手に圧力を加わえ、薫の首を締め上げる。

 

 薫は「ぐっ」と呻くが抵抗を諦めず、水鬼の手から逃れようとする。

 けれども、薫の首にかかった手はタコの吸盤が吸いついたように離れず、体を捻って手を滑らそうとしてもイマイチ効果が望めず首を痛めるだけだった。

 

 首に加わる力がいよいよ危険域に達したところで、、水鬼は薫を見て怪訝そうに眺めて眉をひそめる。

 それから薫を地面に叩き落とし、横に転がる行為も許さず、薫の背を踏んで地面に縫い付けた。水鬼は砲身を薫の頭部に突きつけ、質問を始める。

 

 

『お前、どうして”あこ”と酷似した魂の色をしている。親族か?』

 

 

 水鬼が話す”色”というのはわからないが、薫は水鬼が何を言わんとしているのか理解する。

 

 薫は咳き込み、息を整えつつ口を開いた。

 

 

「……薄々感づいているだろうけど、君が攫ったあこは私の親戚だ。それと君が燐子達を襲ったことはわかってる。その中でも一番重要度の低いあこを何故、誘拐し――ぅぐっ」

 

 

 水鬼が薫に最後まで喋らすのを許容しない。踏みつけた足に力を入れ、話を中断させた。

 

 

『余計な質問はするな、お前は聞かれたことだけ喋ればいい』

 

 

 いつでも背骨を踏み折るぞとの脅しを受けた薫は降参だと両手を挙げる。それも、余裕そうに。

 

 水鬼は自分の立場を理解していなさそうな薫を不可思議な生物でも見る。だが、一方的な話をやめはしない。

 

 

『水底に囚われた人の残滓、死者となりて人間を忌み嫌う魂、受肉し肉体を持った怨霊、それがあこだ。わたしが連れ去った娘に親族はいないか?』

 

「ああ、よく知ってるよ。それはあこの姉、海が来ると書いて”海来”だ。この話を聞いてどうするつもりだい? 私が君のいう、海来を知っている保障なんてないのに」

 

『保障だと……? 可笑しなことをいうな。あの場にいた異形の女も、お前も、腐れ金髪のニオイのする道具を持っているじゃないか。笑い話にもならん』

 

 

 人を間違えたとはいえ、情報を握っている人物は捕らえたとでもいうかのように水鬼は現状に納得している。

 

 

「なるほど、チェックメイトといったところか」

 

『金髪女とさぞ仲がいいんだろうな。あこの居場所を教えて貰おうか』

 

「……まぁ、落ち着いて欲しい。なんだろうね、偶然にも、そこにいる本人に聞いたらいいじゃないかな」

 

『はぁ?』

 

 

 薫は水鬼と薫の横で落ちている煤けたミッシェル人形を指差す。手のひら大ほどのミッシェル人形が背中のネジでとてとてと可愛らしく歩いていた。

 

 

『くだらん人形を指さして何を言っている? 気でも触れ――』

 

 

 その言葉を言い終える間もなく、ミッシェル人形から飛び出した巨大な蛇が水鬼を襲う。

 

 前に突き出た刀身幅約2.5メートルの巨大なブレード状の頭を持ち、長く毛羽立ったウロコのある鉄骨のような巨大な蛇がサイズに合うはずもないミッシェル人形から飛び出した。

 頭のブレードを水鬼に突き立て、昭和ビルから離れた建物の壁を破壊し突っ込み、建物を一部崩落させた。

 

 そして、世界は急速に赤くなる。

 

 路面が、建物が、周囲の風景が赤くなる。時刻は夕暮れだが、黒よりも赤く染まり、紅の暮れより一層鮮やかに真っ赤に染まる。赤く侵食された地表からは赤い霧が発生し、緩やかな風に流れるのは生暖かく淀んだ空気だった。

 

 世界の変化が終わると、ミッシェル人形から海来が出現した。

 

 

「死ンデイルノニ、死ンダフリナンテヲスルナンテ思ワナカッタ」

 

 

 とはいえ、海来が知る水鬼は魂を判別できるとわかっているため、できるだけ気配を消さないとならない。

 ついでにいえば、元首領が来ているとは思わず、ぶっつけ本番の死んだふりであった。

 

 海来が実体のない胸を撫で下ろしていると、薫が笑顔で迎える。負傷しているはずなのだが、痛みは見せずに気丈に振舞う。

 

 

「やぁ、待ちわびたよ。遅れたってことは道中何かあったようだね?」

 

「ン、例ノ人類ヲ至上トスル過激派集団。街ノ住民巻キ添エ二シヨウトスル犯罪者ヲ無視シテ、化ケ物殺ソウトスル頭オカシイ人タチ。ソレニシテモ、リーダー相手ニヨク持ッタネ」

 

「捜査官達もいたからね。でも、流石の彼らでも全滅しかけたから、私と入れ替わりで撤退して貰ったよ」

 

「ソッカ。ジャア、後ハ任セテ。リーダーヲアノ子一人デ抑エルノモ難シイカラ。……ソレト一箇所ダケ開ケル。急イデネ」

 

 

 赤い世界の中、海来が示す方角が徐々に赤い世界から解かれる。なにものにも染まらすぼやけたそこは海来が許さない限り現実へと帰還することのない唯一の出口だった。

 

 薫はお礼をいい、あとは頼んだと海来に背を向け、赤い世界から脱出する。

 

 薫が海来の下を去ったあと、水鬼と戦いを繰り広げていた巨体を持つ蛇が、遂に水鬼の猛攻に耐え切れず地面に潜った。周囲一帯は原爆でも投下しかかのように建築物が倒壊し、瓦礫が散らばっている。

 

 巻き添えになっている人間はいない。固有結界ゆえの便利な能力である。ホラー定番の能力、弱い生者を閉じ込め、苦しみを与え、魂を貪ったりなどの結界であるが厄介な敵を隔離するのにも利用できる。

 

 蛇が海来の下へ戻ってきたところで、海来はそうそうに切り札を切る。相手は仲間でなく、元首魁。元主人でもあった。加減を知らない水鬼は、情報を持つ薫を捕らえようとするに四苦八苦しただろうが、自身の事を羽虫程度にしか思ってないことを理解している。

 

 捕まり、自分の他に捕縛された仲間の居場所を割らなければ拷問を受けるだろう。自身も同様、束縛から逃れた同族の居場所を知られてしまえば、以前と同じく下僕として使役されるなど目に見えていた。

 

 海来は蛇を居住させるのではなく、取り込み、体の所々に闇を纏い、身体を子供から若い女性へと急成長させる。あるはずもない肉のはち切れ、骨を叩いて伸ばされるような痛みに耐え、薄い衣装は鉄骨のような巨大な蛇をモチーフとした軽装鎧と変化する。最後に、片腕のガンドレッドに鋼鉄蛇を模した砲身が現れて変身が終了した。

 

 若い女性となった海来へ、水鬼が対峙する。

 

 

『ふん、肉体を捨てたことで私の支配から逃れたか……まぁ、いい。それよりもあの女の庇護下に入り、私と運命を共にしなかった報いを今ここで与えてやる』

 

「オ前ナンテ必要ナイ、海ノ支配者ヲ諦メキレナイ女メ。ルルイエカラモ脱獄スルンダ、生カシテ返サナイ、ココデ沈メ」

 

 

 互いに砲身を向け合う。邪魔するモノも誰もいない世界にて、灼熱の爆発と轟音が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薫と別れた巴は誰ともすれ違うことなく、屋上から二階のフロアまで降りる。

 

 妨害者が現れないことに疑問を感じることもない。何せ、薫と一度この建物から脱出している時に視界の端で逃げ出す者たちがいたからだ。

 彼らの雇用者と付き合うのに割りに合わないと見限ったのか、命令なのか判断つかないが、拠点を捨てたのだと理解できる。

 

 通路の壁を破壊されて間もない、奥まった飲食店へすんなりと入った。

 

 スタッフルームに戻ってきた巴は、薫が話す、不自然だと言っていた辺りに壁がなくなっていることに気づく。薄暗い隠し通路は下に続いており、階段だとわかった。

 

 水鬼のこともある。この階段の幅は広くなく、逃げ回ることが困難だ。巴は用心して視界の利きにくい階段を下っていった。

 

 

 

 


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