夕暮れに滴る朱   作:古闇

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連れ去られたあこ2

 

 

 

 薫は巴と立ち位置を入れ替わり、どこか面影に見覚えのある女性へ剣を振るい、あこの鋭い爪と火花を散らす。

 

 互いの武器を交じり合わせ、仕切り直しと、双方とも後ろに飛び退き距離を置く。薫は刃を交じ合わす相手があこと気づかぬまま、敵の種族におおよその検討を付けたものの、その弱さに違和感を覚えた。

 

 薫は特殊な装備で身体能力の向上を得ている。けれども、知識として覚えのある目の前の深海生物は自身の身体能力を上回り、軽々と攻撃を捌けるものではない。

 確かに強い。だが、化け物と戦うというよりは野生の獣と争っている感触だ。獰猛な猫科の動物を相手にしている心境である。

 

 ともあれ、油断すれば殺されるだろう。足は速く、力も人を上回る。しかし、化け物特有の理不尽さはない。装備の摩耗した現状でも十分対応できる。

 怪物を挙げるとすれば別な候補もあるだろうが、カルト教団の主要なメンバー全員が出ており、総力戦だ。人間などの下っ端ならともかく、異形のような戦力を置いていく余裕はないと思われた。

 

 ゆえに薫は仮定から仮想する。研究や事件を考えるのと同じだ。

 

 恐らく、目の前の女性が生者から創られた深海の異形だと。死体と違い、生きた者から変貌したそれは能力が著しく落ちる。何よりも生み出すのに失敗しやすい。薫は海来よりそう聞いている。

 そこまで思考し、攻防を繰り返す目の前の女性があこではないかと想像がついた。

 

 ぎくりと、焦りを覚える。

 

 なかなか薫を抜いて巴へ攻撃できない現状に業を煮やしたあこが、大きな動作で渾身の力を込めた一撃を繰り出す。

 薫は爪の凶器を剣で受け止め、受け流しを行う。そのついでとばかりに、隙のできたあこの腹部へ膝蹴りをお見舞いした。

 

 ガッとあこが呻き、手加減のない痛烈な一撃にあこは腹部を押さえて後ずさった。

 

 それはチャンスだった。薫の後ろで様子を見ていた巴が前に出る。

 

 巴は出し惜しみをせず、残り全ての粉をあこに振りかける。薫の攻撃を受けた直後のあこは割り込んできた巴の行動に対応できなかった。

 

 あこは不可思議色な粉を顔面へ受ける。直撃だ。顔中粉まみれとなり、咳き込むために呼吸をすればするほど粉の成分が体に蓄積された。

 

 あこの喉奥から異形の悲鳴が鳴り響き、あこは喉を抑え、崩れ落ちる。

 

 病人が吐血するかのようにコールタールのような黒い液体を噴水のごとく吐き出し、床の上で苦しみもがいた。

 

 流石の薫も悪魔が聖水でもがき苦しむ様は見たことはない。そもそも、巴は魔術に関わり合いのなかった一般人である。驚きを隠せなかった。

 

 

「巴ちゃん、一体何をしたんだい? あの苦しみよう、尋常じゃない。余程効果的なアイテムのようであるが……?」

 

「この部屋にある、そこの食器棚で見つけたんです。あそこにある棚をあこが壊した際、粉が宙を舞ってあこが苦しんだんですよ。他に対抗手段もないですし、当たって砕けろとばかりに使ってみて大当たりでした」

 

「ああ、やはり、あこちゃんだったんだね。私はあこちゃんに取り憑いたモノをどうにかする対抗手段を持っていなくてね、正直助かったよ」

 

「はい、偶然見つけられて良かったです。……それはそうと、あの喪服女が何かしらやったんでしょうけど、先輩は何か知ってますか?」

 

「海底に潜む怨念が海へ沈んだ死者に取り憑き、成る姿なのだけれど、あこちゃんは無理やり”そう”成らされたらしいね」

 

 

 と話している間に、あこの口から黒いウミヘビのようなものが噴出した。

 

 その蛇のような外見に似合わず、キィキィと弱弱しく鳴き声をあげ、体が徐々に真っ白になると体が崩れて絶命した。

 けれど、あこの中に巣食う化け物が死んでも依然として若い女性の姿のままだった。

 

 虚ろなあこの瞳にわずかな光が戻る。しかし、目を見開き、瞳孔が凝縮すると頭を抱えて奇声を発した。

 

 無理矢理成長をさせられ、身体の中を荒され、怨霊に近づけるために心の闇を引き摺り出されたことで、無意識に封じていたはずの苦痛やおそれ、罪の意識が一気に襲ってきたのだ。

 

 怒涛に流れる感情や刺激が許容できるキャパシティを超え、狂乱状態となる。今やあこは苦痛を恐れ、逃れるためにバーサーカーとなった。

 

 あこはわけもわからぬまま誰とも判別できず、水鬼に苦痛を与えられた記憶を最後に彼女だと仮定し、周囲を手当たり次第攻撃を始める。

 

 

「薫先輩! あこの様子が変ですよ!!?」

 

「憑かれた後遺症だろうね。すまないが、あこちゃんを取り押さえるのを手伝ってくれ」

 

 

 薫は手にしている剣の武装状態を解除し、ロザリオへと戻す。それから巴と共に暴れるあこを鎮圧するため、行動に出た。

 

 手当たり次第に付近の形ある物を破壊していたあこは、迫りくる物体に標的を変える。力任せな攻撃は怪物が取り憑いていた時より乱暴で単調だ。

 

 先に接近した薫があこの攻撃を躱し横に抜け、掴む。次に、攻撃を避けた薫にヘイトが向かっている最中へ、巴が全力でスライディングをして、薫があこの踏ん張りを崩し、巴が転ばせた。 

 

 あこが床に倒れると、二人掛かりであこを組み敷く。

 

 あこはジタバタと足掻くが関節が、奇声を叫ぶのみで関節が決まってはどうすることもできなかった。次第にあこの抵抗が弱まってくる。

 しかし、穏やかに終わらず、あこが咳き込み吐血をした。巴は妹の症状の悪化を目の当たりにし慌てる。

 

 

「血……っ!? おいっ、あこ、どうしたんだ!!?」

 

「見た目に反して、あこちゃんの体内部へのダメージが深刻そうだね……巴ちゃん、今から病院を手配するから突然暴れないよう注意してもらってもいいかな?」

 

 

 薫が巴に頼みごとをしていると、横から「今ハ待ッテ」と割り込んでくるモノがいた。

 

 薫達が入ってきた扉からぼろぼろの小さなミッシェル人形が現れる。巴が警戒するが、薫が大丈夫だと諫めた。小さなミッシェル人形が薫と巴の下に寄ると、二人に捕らわれているあこを観察する。

 

 薫はいつものことだが、一方で巴は面を食らう。

 

 

「ソノ子ノ体調ガ悪クナッタ理由ハワカッテル。マッタク、トンデモナイ置キ土産ヲシテクレタ」

 

「うっ、な、なんだこの寒気……? それにこの人形、喋ってるのか? 先輩、これはどういうことです?」

 

 

 薫から預けられたアーティファクトにより、本来聞こえるはずのない声が巴に届いた。

 

 薫は巴に海来を友人だと紹介し、あこを助けることができそうな海来に質問する。

 

 

「海来、あこを治療できるのかい? 君が癒す能力を持っていることに驚きなのだけど」

 

「ン、今回ノ症状ハネ。ホラ、ソノ子可哀相ダカラドイテ」

 

 

 薫と巴は言われるがままに組み付きを解き、離れる。そこへ小さなミッシェル人形があこの横に立ち、「……後ハヨロシク」とのたまうとミッシェル人形があこに触れ、力なく倒れた。

 

 ほどなくして、辛そうだったあこが落ち着きを取り戻す。

 

 

「……えっと、人形が一人で歩いているのにびっくりですし、あこの顔色が良くなったのは助かりました。が、とりあえず、薫先輩と親しそうな人形はどういった関係なんですか?」

 

 

 明らかに人間でないモノと親しそうだった。流石に物の怪の類と仲良さそうな雰囲気を無視できず、素直に薫へ説明を求める。 

 

 薫は悩む。海来はあこの死んだ姉であるのだが、その姉は自身の正体を臭わすようなことをしなかった。秘密主義を貫く姿勢に若干の諦めがある。一応は隠すべきか。

 

 しかし、誤魔化して話すのも気が引ける。とはいえ、海来が宇田川家に気を遣っているのも理解している。なにせ受肉し、甦ることのできるチャンスを一度捨てているのだ。

 

 薫は時間を稼ぐよう、ゆったりと優雅に仕草を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミッシェルの体を捨て、あこに憑依した海来。寄生体に心身共に貪られ、精神が心の奥底に引っ込んだあこに会いに行く。

 

 心の街道は本人がそれまで歩んだ人生の軌跡を元に構成されており、海来はそれを進む。あこの心の街道は宇田川家で過ごした記憶をベースに創られていた。

 

 だが、本来舗装されている道は所々崩れている。他にも建物の輪郭が歪だったり、無かったりしている。寄生体に喰われたのが原因だ。

 

 その通りに一風変わった門を見つける。

 

 漆黒の闇で創られた門に少女の苦悶に満ちた顔が集合体となって一面を覆っている。触れれば、拒絶の絶叫で海来を威嚇し、何人たりとも侵入を許さんとばかりに見えない風圧が襲ってきた。

 

 それはあこの心の闇である。皮肉にも他者を拒絶し、殻の内に篭る力があこを救ったのだ。自覚がないほどに記憶の封鎖が最後の扉となって、外部からきたイレギュラーの寄生体を退いたのだ。

 

 海来は不可視の風圧に堪える。そして、お返しとばかりに自身に潜む巨大な蛇を門に突撃させた。

 

 巨大な蛇は心の門に頭の先端のブレードを突き立て、ヒビを入れる。再度繰り返しと、ついに門が異形の力に耐え切れることができなかった。

 門は肉の繊維が切断されるようなぷちぷちとした音を鳴らし、出血を撒き散らして扉を開放する。扉はあこに似た声で絶叫すると煙のように消失した。

 

 海来は先に進む。道は守られていただけあって綺麗な通りだった。最終地点は病院である。

 

 院内に入るとどうにも歓迎されていなく、受付からカッターやボールペン等鋭利な小物が宙に浮遊して海来へ向かっていく。

 だが、海来は室内を赤い世界に染め上げ、敵意ある攻撃を無効化させていった。

 

 他にも妨害がされるが片っ端から世界を染めて捻じ伏せ、染めた世界の中に人間を発見する。病院内も外も赤く染め上げ逃げ場はない。海来は急ぐことなく歩いてて移動する。

 

 一室の病室に入ると、中であこを見つけた。任務の関係で遠目で見ることはあっても会いに行くことはない。直接会うのは久々である。

 

 ベッド周辺の一部分を除き、ほとんどが赤く染まった病室にて、幼いあこがベッドの前で大きく手を広げ、目を吊り上げている。こっちに近づくなとばかりに通せんぼぼだ。ベッドの上にはもう一人の小さいあこがシーツに包まり、目だけを覗かせ震えていた。

 

 

「迎エニキタ」

 

「駄目、この子は渡さないっ」

 

 

 病院服を着た幼いあこは来るのはわかっていたと拒否を示す。幼いあこは生来のあことは違い、鬱屈した雰囲気と性根を歪ませたような淀んだ瞳をしていた。

 

 

「違ウ、連レテ行クノハ瀬田ノ方デ宇田川ジャナイ」

 

「……?」

 

「ソッチノ”あこ”ハ新シイ家族ガイルケド瀬田ハ違ウ。今デモ引キ篭モッテ家族ヲ全テ無クシタ頃ノママ。将来、”宇田川あこ”ハ瀬田ト対峙スルト思ッテタケド、丁度イイ機会ダカラ闇ノ深イ瀬田ノ部分ダケ連レテ行ク」

 

 

 幼いあこは海来の話が気に入らないようで怒りに肩を震わせる。

 

 

「そんなのズルイよっ、この子ばっかり幸せじゃん!」

 

「デモ、家族ガ壊レタ時ノトラウマデ、宇田川家ヲ信用デキナイデショ。新シイ家族ガ怖イカラッテ、”宇田川あこ”ノ人格マデ生ミ出シテ、苦シミモ楽シミモ全部”あこ”二押シ付ケタ。オ姉チャンヤ薫達ハ、フタリ二期待シテイルケド、長年蓄積サレタ思念ガ何時爆発スルカモワカラナイシネ」

 

「怖い思い出からずっと遠ざけたのは私なのに!」

 

「沈マセタ記憶ヲ見セタノ?」

 

 

 幼いあこは頬を膨らませつつも、首を横に振って否定した。

 

 他に、小さな宇田川あこが海来を地獄の使者のような目で見ていることに気づいているが特に言う事はない。

 

 海来の本質は悪霊であるがゆえ、精神世界ではより醜い部分が露出し、地獄へ引きずり込むために舞い戻ってきたのだと勘違いさせる程度に酷い姿になっている自覚はある。ましてや今もなお、小さなあこが心の闇に逃げ込んだところを追い詰めている形なのだから勘違いしない方が無理だろう。話しかけても怖がらせるだけだ。

 

 幼いが過去を見せたくない理由を話す。

 

「この小さなあこが自力で覗き込んだりしてたけど、相当危ないの……一生背負い込む記憶を気軽に見せられるわけない。例え過去のことだって許してもらっても罪悪感が消えることなんてないし、いい子であるほどしこりが残って、ふとした拍子に罪過に苦しむよ。だから、わたしは”宇田川あこ”と手を取り合えないんだ」

 

「ダッタラ、ナオサラ連レテク。一人ジャナイカラ寂シクハナイデショ。何カ不満ナノ?」

 

「未練は残るよ。でも、おねーちゃんの暴力に勝てそうにないから降参する……だけど一つ問題があるよ。この小さなあこを見ればわかるよね? 黒くて気持ち悪い奴に精神を食い荒らされて、今ギリギリなんだ。回復するまで、この子を守らないと心の迷宮に彷徨っちゃうよ」

 

 

 海来はそれなら大丈夫だと言いつつ、使役している蛇を呼び寄せる。ただし、普段の無骨な鉄塊を纏っておらず、色は白く、サイズも家庭用で飼われる蛇程度には小さくなっている。かつてあった迸るほどの獰猛さはなく、噛まれたらいたいだろうな程度の脅威しかなさそうだ。

 

 

「ワタシノ相棒ヲ置イテイク。初メテ会ッタ時ヨリモ能力ハナイケド、道案内クライハデキル」

 

「用意周到だ」

 

 

 幼いあこが飽きれた声で皮肉る。

 

 

「飽キルホドニ存在シ続ケルノモ悪クナイケド、病ンダモウ一人ノ妹ヲ見守リ続ケルノハ辛イカラネ。コンナ時ジャナイト、薫二止メラレルシ、イイ機会ダッタ」

 

「唐突な別れも可哀相じゃん」

 

 

 姉妹で一度死別しているだけあって、幼いあこの一言が胸に刺さった。海来は思いを確認するように軽く瞑想し、「悪イトハ思ッテル。デモ、後悔ハシテナイ」と幼いあこに返した。

 

 

「ソレヨリモ、コレデ最期ナンダカラ、モウ一人ノ自分二挨拶デモシタラドウ?」

 

「……まったく、散々だね。でも、これ以上不幸な目に遭わないと思えば、気は楽かな」

 

 

 そうして幼いあこと海来は”宇田川あこ”に別れの言葉を言い、一匹の蛇を置いてあこの心から立ち去った。

 

 海来と幼いあこが輪廻の輪へ旅立つと同時に、あこの大人の身体となっていた状態が解除され、身体が白く発光しながら少女の大きさへと戻っていく。光が収まるころには、何も身に纏っていないあこが露わになった。

 

 薫と巴はあこが元の姿に戻ったことに喜ぶ。

 

 だが、二人は歓喜の色に気を取られ、気づきにくいほどの小さな声で発せられた呟きに気づくことはなかった。

 

 

 

 


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