夕暮れに滴る朱   作:古闇

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連れ去られたあこ3

 

 

 女性から少女へと元の姿に戻ったあこは全裸である。一番背の高い薫が裸体のあこに上着を掛けていると新たな来訪者が現れた。

 

 

ターゲット確認(ツィールべシュテーティグング)……帰るまで……遠足」

 

 

その来訪者は童話の絵本から飛び出て来たような赤ずきんの少女であるものの、バスケットの代わりに大鎌を携えている。戦いに慣れた者ならば、血の臭いを纏わせた彼女が何かを処刑した後だと推測もできるだろう。

 

 巴は新たに現れた来訪者に警戒心が上がったが、薫が小さなミッシェルの時と同様な態度なため、敵でないことを理解する。

 

 そんな赤ずきんの彼女が、室内に足を踏み込むと足を止め、海来の名前を一言呼ぶ。何も起きることは無かったが、仕事を終えて満足そうな様子に陰が差し、用事の帰りに友達が待ち合わせに来れなくなったとでもいうような寂しそうな表情になる。

 

 薫は赤ずきんの様子に違和感を覚えた。

 

 

「地上を侵略する深海の深き怪物を倒してくれたんだろう? 何か気になることでもあったのかい?」

 

エネミー排除(アウシュロス フォン ファインデン)……でも……ミッシェルいない」

 

「いない? 海来だったらあこを治して――っ!?」

 

 

 喜びから一変、薫の顔から血の気が引いた。

 

 赤ずきんに指摘されたことで海来の気配が消えていることに気づいたのだ。うっすらと存在感が軽くなったことは感じていたのだが、あこを元に戻すのに疲れたのだという先入観が海来の不在を気づかせるのを遅らせた。

 

 嫌な予感から急激に重くなった口を開く。

 

 

「海来、疲れているところを申し訳ないのだけれど、返事をして欲しいのだが?」

 

「   」

 

 

 何も返事はなかった。

 

 巴も二人の様子に不穏な空気を感じ、あこの回復の喜びを抑え、黙る。再度、薫が同じ台詞を繰り返すも、小さなミッシェルの声を聞くことはなかった。

 

 全員が押し黙る中、あこの穏やかな吐息だけが室内に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新宿区の住宅街。アイテムの効力も切れ、異界に呑み込まれてしまった二人の男は示し合わせたように合流する。

 互いに率いていた部下は壊滅し、追い詰められているのを理解した。

 

 夕闇の中で一人の怪物――地面に影のない同一人物の分身を含めたなら五人だが――により窮地に立たされている。

 

 けれども、当初他にも敵はいた時に比べればマシである。

 

 その一人の敵。つぐみはウェイトレスの姿をし、営業スマイル一〇〇点な笑顔を湛え、銃器を構えて疲弊し血塗れた男二人に突きつけた。

 親の自営業の喫茶店で働くのとなんら変わり映えのない仕草は、暴力の現場に慣れたそれである。

 

 

「他の皆さんは後処理で忙しいですし、人間を出して死者なしで防衛しきれそうなところにケチをつけたくありません。なので、ご容赦お願いしますね」

 

 

 分身か、本体か。突出した一人が発砲をする。弾切れ、もしくは投擲手段すらない男達は必死に逃げた。

 

 見た目こそ可憐な少女は弾数制限のない銃器を使用してくる。例え、炎の精など物理無効の異形が味方でも魔弾で蹂躙してくるゆえに悪夢でしかない。雨あられとばかりに降りそそぐ銃弾の嵐の前に、防戦の一方だった。

 

 事の起こり始めは、一番若い首謀者の一人が書置きを残し、恋人を助けに突入してしまったことである。ましてや、ジョーカーである深海の異形も連れ立ってしまった。今後のことを考え、彼を撒き餌として自分達も行動を起こすことにしたのだった。

 

 初手こそ優位に事が運び、弦巻家の防衛の一部を突破し、無差別テロリストのごとく一人の少女の心臓を撃ち抜いたり、致命傷を負う女性もおり、人々の怨嗟と嘆きに報復の出だしはまずまずだと男達は満足した。

 

 だが、事は上手いこと運ばない。強い力の下に安住を求めて人々が集うように、怪物も同じことを考えていた。胸を撃ち抜いた少女もまた怪物であり、心臓を破壊されてもなお生きている。

 復讐者の一団が把握する以上に、彼らの襲う地域は化け物が多かったのだ。それこそ、国から自治権の一部を譲らねばならないほどに。

 

 そうして復讐者達の思惑は外れ、怪我を負わせても死者を出すことはできず、防衛隊と戦いを繰り広げた。それからしばらくして、先発と入れ替わるよう後詰のつぐみに退路を断たれてしまったのだった。

 

 中年で腹が出ている男と高齢だが肉体の衰えを感じさせない男は最後の休憩とばかりに荒れ狂う弾丸から遮蔽物へ身を隠す。

 

 

「はぁーっ、参った……! 流石、化け物の街といったところだな! 誰一人として命を奪うまでいかん! 本当に人間が住んでいるのか?」

 

 

 中年の男が弾切れになったショットガンに弾を込めつつ、愚痴の悲鳴を洩らす。その愚痴に、傷薬で負傷を治癒する老人が付き合った。

 

 

「仕方あるまい、安住を求めて妖怪や異形がこぞって集っているのだ。一極集中した結果だろう。人間よりも怪物の方が多いと予想するべきであったな」

 

「いやいや、弱い奴なら心臓を貫かれて普通死ぬだろ。一般人に車をひっくり返されるなんざ、人の皮を被ったドリームランドにでも迷い込んだ気分だよ、まったく。俺らが受けた痛みを返した気持ちになれんな、せいぜい嫌がらせ程度か」

 

「はっはぁ! 番人ヒュプノスを相手にするよりはマシだろうよ!」

 

「まぁ、違いないな!」

 

 

 男達は笑う。

 

 気丈に振舞うものの、銃弾を受けた傷が辛い。止血もしないといけないが銃器に弾を込めるのを優先したため余裕はない。近接武器が得意な老人も傷の一部を治療しても、息切れも収まらず、荒い呼吸を繰り返し熱い息を何度か肺に入れ替えをする。

 

 だが、男二人は四方を囲まれている。

 

 つぐみの一人が、屋根の上から休憩を許さないとばかりに中年男性狙い、太腿に銃弾を貫通させる。中年の男は襲ってくる熱に歯を食いしばって痛みを堪えた。

 

 けれども、一瞬の硬直が隙となり、続く銃撃によって中年の男は倒れ、所持していたショットガンを手からこぼす。死んではいないが、戦闘を継続できる体でなくなった。放置すれば失血死もするだろう

 

 一方、中年男の横にいた高齢の男は刀を強く握り、その場から飛び退き弾丸の暴力から遠ざかる。

 

 近接と遠距離、しかも刀の間合いに踏み込むまで距離がある。どう考えても詰みだった。

 

 

「せめて一太刀、小娘の体に与えてやらねばな……っ!」

 

 

 相手の動きを観察して行動するつぐみに手負いの老人が獣のように咆えた。

 

 つぐみは十分に間合いをあけ、弾幕を張る。そんな中、高齢の男は駆け出し、無謀ともいえる攻勢に出た。

 

 しかし虚しきかな、切り札や味方のない高齢の男は走ることしかできず、銃弾が降り注ぐ中、地に伏すことになる。

 

 そして、それを最後に街中で暴れまわっていたテロリストの一団は鎮圧された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのあと薫達は迎えの車であこを病院に移送し、時間帯が夜中ということもあり、親族でない薫は帰宅することとなる。

 

 後日。薫は再び病院に顔を出した。

 

 病室にはあこが今だ目覚めぬまま就寝しており、あこの横にパイプ椅子に座った巴がいる。

 薫は話がしたいとジェスチャーを送り、巴はパイプ椅子から腰を上げ、薫と共に屋上を目指す。

 

 フェンスと柵に囲まれた屋上は夕暮れにより、赤く、暗く染まっていた。

 

 

「まだ目を覚ましてませんけど、医者が言うには数日もあれば意識が回復するそうです。体の方も目立つ傷はないですし、なにより胸の傷跡が消えるほどに綺麗な身体になっていました」

 

 

 むしろアタシの方が生傷があるみたいですと巴は苦笑する。

 

 自転車の長距離運転もそうだが、チンピラに異形化したあことの連戦で全身が筋肉痛だ。大事を取って巴は本日学園を休んだ。

 

 

「無事に済んで良かった、と言っていいのかな?」

 

「どうでしょう……。悪いことではないそうなんですが、医者の診察によるとあこの身体に不思議な活動が見受けられたんです。なんでも、身体が若返っているとか。言われてみれば、あこの身体が一回り縮んでいる気はしたんですが、気のせいだと思います」

 

「ふむ。何にせよ、今後の生活に支障をきたすようなことがなくて良かったよ」

 

 

 巴も同意して頷く。それから、巴は一瞬迷って、薫に質問をした。

 

 

「詳しく知りたい気持ちはありますけど、あんな経験をしたら黙っていなきゃならない理由があるんだなって思います。なんで、喋れる範囲で話して貰えませんか?」

 

「ああ、もちろんさ。主にその話をするために人気の少ない場所を選んだのだからね」

 

 

 薫はそう言って、こころや仲間、宗教関連などを伏せた海来の話をする。巴は薫の話しに口を出さないでいたが、海来を霊にした――正確には怨霊だが――相手の身勝手に怒りが湧いた。

 

 巴はつい屋上のフェンスを鷲掴みにする。

 

 

「つーことは逃げた海来さんを隷属させてようとしていたけど、幽霊になっていることを知らず、一般人に紛れていると勘違いしてあこを誘拐したと……なんて傲慢な奴だ……」

 

「あの喪服の女性は水鬼と呼ばれていたそうだ。私の仲間が討伐していて、今後あこに介入してくることはないから安心してくれ」

 

 

 あこを昭和ビルから病院まで移動させる間、自分達を襲った喪服女の姿を確かに見なかった。薫の話の通りならば今後私生活を荒らされることはないだろう。

 

 

「……そうですね、倒されたってことで溜飲を下げることにします。それはそうと、あこのお姉さんですか。幽霊として存在しているとは思いませんでした。あこに知らせなかったのは察しはつきますけど、ちょっとモヤっとします」

 

「海来の件に関してはすまなかった」

 

 

 親しい間柄ゆえの軽い文句に薫は素直に謝罪し、まぁいいんですけどと巴は許す。

 

 

「それと薫先輩が加勢に入った保安官さんらも無事なんですね。怪奇とかオカルトとかの専門が国の機関にあるとは驚きでした。

 薫先輩って漫画みたいな超常現象を起こす道具を持っていましたけど、その組織に所属しているんですか?」

 

 

 薫の仲間や人間側の味方の区別がつかない巴は当然の質問をする。

 

 

「巴ちゃんがあちらの味方になっても困るし正直に話すけれど、極端な話、互いに庶民の味方であっても敵対組織だね」

 

「えぇ……」

 

「ふっ、困惑するのは当然だ。あちらは国が創った機関でこちらは自警団だからね」

 

「いや、それだけじゃわかりませんって」

 

「保安官達は人間至上主義。主に人間の生活を守り、一応は他の種族の生活も認める。もちろん幽霊だって文化的生活を認めて貰えるだろうけれど、首輪が付くね。有事の際は徴兵されるし、強制で、これを断れば罰則があるよ。

 一方、私が所属する組織は多種族共生主義とも言えばいいかな? 互いのルールを擦り合わせて仲良くしましょうだね。言葉で言うのは簡単で難しいことなんだけれど、今のところ上手く運営しているよ」

 

「うへー。アタシらが住んでいるところってビルを簡単に破壊するような怪物がそこらにいるってことですか」

 

 

 思わぬ危険居住区に巴は下を巻く。だが、薫は違うと訂正を入れる。

 

 

「いや、今回みたいな相手の方が珍しい。一〇回事件に巻き込まれても、まず出会うことのない強さの相手だ」

 

「あー、ちょっとは安心しましたけど、危機感は芽生えましたね……。ついでに強いってどんくらいかわかります?」

 

 

 薫が異形化したあこぐらいだと話すと、巴はああと納得したように頷いた。

 

 

「ちなみになんだが」

 

「はい」

 

「海来の相棒をあこちゃんが引き継いでしまったようでね。もう普通の人間でいられないから覚悟はしてくれ」

 

「は……はぁっ!?」

 

 

 はいと返事をしそうになって巴は驚愕する。

 

 

「後手に回ってすまない。海来の相棒があこちゃんの命を繋いでいるんだ。引き剥がせるモノじゃない」

 

「つまり国にバレたら、あこは徴兵されるってことじゃないですか!?」

 

「あこちゃんが自ら首輪付きにならなければ大丈夫さ。流石にご両親にも話を通しておかないと不味いからね。今夜の夜、宇田川家に協会の人間が派遣されると思うよ。その時は同席をお願いするね」

 

 

 巴はマジかよと頭を抱え、もちろんだともと諦めの含んだ朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 




あと、こころ達の話をまとめ、その次にエピローグ。ここまでお疲れ様です。

付け加えて、ant_axax様 誤字報告のお礼を申し上げます。本当は2章の終わりでと思っていたんですが、予想以上の手間で遅れました。ありがとうございます。

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