序幕 軌跡の始まり
七耀歴一二〇四年、三月三一日。湖畔の街レグラム。
エレボニア帝国の南南東、クロイツェン州の南に位置する小さな街で、エペル湖に隣接し周りを森林で覆われており自然を感じれる街でもある。そしてかの有名な《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド子爵が統治している。クロイツェン州は四大名門であるアルバレア公爵家が治めているが、独立独歩の風潮が強いアルゼイド子爵家の意向のため領邦軍の詰所はなく、また領民からの支持も高くとても慕われている。
「ん、もうすぐ列車が来る時間か」
そんなレグラムの駅中で、一人の少年が列車を待っていた。身長百六十リジュほど、綺麗に整えられた真紅の髪、すらっとした体型という中性的な外見の彼は"赤"の制服を身に纏っている。向かうのは帝都東の近郊都市トリスタにある大帝ゆかりの士官学院、トールズ。この日はトールズ士官学院の入学式が行われる。ここレグラムからトリスタへは大分距離があり、公都バリアハートで列車を乗り換え、更にその先の交易都市ケルディックで大陸横断鉄道に乗り換えてようやくトリスタへ辿り着く。そのためまだ早朝と言える時間からこうして列車を待っているというわけである。
『本日はエべル支線をご利用いただきありがとうございます。間も無くバリアハート行き列車が到着致します』
「しかし、まさかエレボニアの士官学院に通うことになるなんてな。少し前までは考えすらしなかったな……」
列車到着のガイダンスが流れると、駅内にいた制服姿の者達が改札を通っていく。少年もそれに続きながらこんな事になった出来事を思い返していた。
事の発端はおおよそ一ヶ月ほど前。久しぶりに顔を合わせた
「やあ、遊びにきたよ」
日課の朝錬を終えコーヒーでも淹れて一息つこうとした少年の目の前に、一人の少年がどこからか"現れた"。それはまるで空間転移のように。そんなとんでもない方法で現れた、イタズラっぽく笑うその少年の姿は出会った頃から全く変化していない。噂では随分と昔から姿が変わっていないのだとか。
「遊ぶだけならいいけどさ、勧誘はお断りだからな、カンパネルラ」
《道化師》カンパネルラ。少年とは数年来の付き合いがある彼が突然の訪問をすることは珍しくもないため特に驚いた様子もない。立場は違うものの、少年はカンパネルラのことを気の置けない友人だと思っている。
それでもカンパネルラが何の用もなく訪れることはほとんどなく、何かしらの企みがあるだろうと分かってはいたがそれでも来客に代わりない。少年はおもむろに席を立ち、淹れたてのコーヒーをカンパネルラの前に置く。
「ほら、コーヒー」
「ありがとう。あれ、そういえばさ」
と、カンパネルラが何かに気づいたようで、少年の顔をじっと見つめだした。少年の方はカンパネルラが何を言いたいのか分かっているので見向きもせずコーヒーを啜っている。
「今日は
そして予想通りの問いかけに溜息を一つつくと、投げやり気味に答えだす。
「
「いやいや、その必要はないよ。そっちのキミもボクは好きだしね」
「何言ってんだか……それで? わざわざ来たくらいだし何の用? まさか、本当に遊びに来ただけとか言うなよ?」
「アハハっ、そりゃキミと自由気侭に遊ぶのも悪くないけどね。さてと、本題はコレさ」
カンパネルラが差し出すと、手の中に一枚の書類が現れそれをそのまま少年に差し出す。カンパネルラの用とは、どうやらこの書類らしい。書類を受け取った少年はしっかりとチェックしていくk。以前騙されてカンパネルラの指揮下にある猟兵団に加入させられかけたことがあるため、この手の書類には敏感になっていた。
「また下らないものだったら殴るぞ……入学届け?」
「そう、入学届け。君に学院生活とやらを送ってもらおうかと。ほら、この間十七歳の誕生日だったでしょ? ボクからの誕生日プレゼントってやつ」
カンパネルラがニコニコしながら説明しだすが、少年は全く聞いていなかった。入学届けという、自分には縁遠い代物が急に目の前に現れ、理解が追い付いていないのだ――しばらくの後、ようやく事態を飲み込めた少年は一言
「断る」
とだけ口にした。
「――私にはとてもいい提案に思えるのですが、断るのですか?」
――凛とした声が部屋に響く
「っ!?」
おもむろに開けられた扉から、"彼女"が姿を現した。中世の騎士然とした白銀の鎧と兜を身に着けた長身の女性で、兜は顔をまるごと覆っているため見ることはできないが、綺麗な黄金色の髪は白銀の鎧と合わさってとても美しい。
「カンパネルラ、来ていたのですね」
「まあね。でももう帰ることにするよ。用事は終わったし、彼には振られちゃったし、邪魔するのも悪いからね」
それじゃばいばーいと手を振りながら、カンパネルラはその場から
「え、えーっと……お疲れでしょう? とりあえず、コーヒー飲みます?」
動転していたせいか、少年はそんな言葉しか出てこなかった。
「ふぅ……やはりアナタの淹れるコーヒーは美味しいですね」
カップを置き、微笑みながらこちらを向く彼女。彼女は、既に兜を外し素顔を晒していた。澄んだ紺碧の瞳と凛とした佇まいは、大人の女性としての魅力を十分に醸し出しており、実際とんでもない美人だと思う。でも片側だけにある一本の三つ編みと不意に見せる笑顔は普段とのギャップで可愛く見える時もあると少年は感じていた。
「アリアンロード様にそう言ってもらえると、練習した甲斐があります」
アリアンロード。それが彼女の名前である。身喰らう蛇の最高幹部“
「ふふ、ありがとうございます。それよりも、先ほどの件ですが……」
アリアンロードがカンパネルラの置き土産である入学届けにチラリと目をやり、その内容をしっかりとチェックしていく。
「――トールズ士官学院、ですか……それも新設される“曰くつき”のクラス……」
「曰くつき?」
「ええ、どうやら身分や出身に関係なく集めた生徒で構成されるクラスのようです」
それを聞いた少年は驚きを隠せなかった。トールズ士官学院といえばエレボニア帝国の伝統と歴史ある士官学院だ。エレボニア帝国には根深い貴族制度があり、貴族と平民はクラスが別けられているのだが……
「……確かに気になりますね。でも俺は――」
「その先を言えば、私は怒りますよ?」
少年の言葉をアリアンロードは強い口調で遮った。その瞳には微かに、だが確かに怒りの感情が宿っていた。少年には昔から表世界へ関わることを避けるところがあり、それをアリアンロードは懸念していた。そういう意味ではこれはいい機会ではあるのだろうと、アリアンロードは感じていた。
「ふぅ……アナタの考えは分かりますが、私は承認し難いですね。むしろ私個人としてはトールズ士官学院に行ってもらいたいのです」
「えっ?」
「《幻焔計画》。以前話したと思いますが、クロスベルで行う計画になります。そしてその第二段階として、帝国でも活動を開始するそうです」
《幻焔計画》。身喰らう蛇が現在進めている《オルフェウス最終計画》なるものの第二段階にあたるもので、多数の蛇の使徒や執行者が招集され行われる大規模計画。あいにく少年は詳細などさっぱり知らされておらず、アリアンロードと"あの三人”が計画に協力するということしか知らなかったが。
「つまり、エレボニアに潜入して情報収集を行え、ということですか。確かに情報収集は得意な方ですが、俺のやり方は個人相手には有効ですが、大勢の目があるところでは……それに具体的な指標もなく、全土とはいかずとも帝国は広い。その中で工作活動は難しいですよ。そして一番の問題は、それを行うのに士官学院生という立場は枷にしかなりません」
「勿論それは理解しています。けれど私やあの子達はしばらく動けなくなるでしょうから、帝国の情勢を知れるのは非常に大きい。それに……」
そこまで言うとアリアンロードは微かに微笑み、慈愛に満ちた瞳で少年を見据える。少年がその顔を見るのは実に久しぶりで――
「平凡で希望と夢に溢れる学院生活を、アナタに送ってほしいというのが一番です」
「アリアンロード様……その――」
「――――――――」
少年の言葉は、遠くから聞こえてくる物音に遮られてしまった。少し離れた位置から次第に近づく数名の足音。考えるまでもなく"あの三人”だと二人は理解していた。確かシャワーでも浴びてくると言っていたのを少年は思い出していた。
「おや、やっと上がったようですね。ではウィル、トールズの件、よく考えておいて下さい。勿論、無理にというわけではないのですし、あまり思いつめることないよう――」
「いえ、決めましたよ」
立ち去ろうとするアリアンロードの後ろ姿へ、少年は一つの決意を宣言する。自分の意思や考えは変わっていない。それでも、そんな自分を気にかけてくれるこの人の想いに答えたい――その気持ちを伝えたくて。
「トールズ士官学院、行ってみようと思います」
バリアハート行き列車の中でその日のことを思い出していた少年は、溜息をついていた。
「我ながら単純というかなんというか……」
こういったことは頑なに拒んでいたというのに、アリアンロードの言葉一つで承諾したことだ。理由は分かっている。自分の下らないプライドより、彼女の意思を尊重した――聞こえはいいかも知れないが、実際はちょっと違う。でもそれを口にすることは憚られた。
「――失礼、相席よろしいか?」
「うん……?」
物思いに耽っていた少年へ声がかけられる。声の主へ目をやると女の子と老人が立っていた。老人の方は格好からすると女の子の従者なのかもしれない。
「ああ、どうぞ」
断る理由もないのでそのまま勧める。少年の向かい側に座った女の子は背の高いスレンダー体型で、海のように綺麗な青髪をポニーテールにしており、また口調や雰囲気がどことなく武人気質さを醸し出している。隣の老人は少年に優雅な一礼をすると、女の子の隣へ腰かけた。
「その制服、そなたもトールズへ?」
「まあね……ん?」
少年はそれだけ答えたが、ふとある物に気づいた。老人が持つやけに大きな包みだ。女の子の背の丈ほどもあろうかというほどで、横幅も大きい。十中八九得物だと判断したがその大きさには驚きを隠せない。これを、目の前に座っている女の子が扱うというのが、である。
「む? これが気になるのか?」
「え……ああ、まあね」
その視線に女の子は気づいたのだろう。少年はしまったという顔をするが、女の子は特に気にもしていない様子に見える。
「流石に車内で出すわけにはいかぬが、きっとそなたの想像通りであろう――ところで、一つ尋ねてもよいか?」
「まあ、答えれる範囲なら何でも」
「では聞くが、そなたは私のことを知らないようだが、レグラムの出身ではないのか?」
勿論少年はレグラムの出身ではない。トールズ入学に際し帝国出身だということになってはいるが、実際はどこの生まれかは少年すら知らない。そして目の前の女の子のことも当然、知らないわけだが。
「一応帝国出身だけど、家庭の事情で各地を転々としててね。生憎と故郷という場所がないんだよ。それともう一つの疑問だけど、申し訳ないけどキミのことは知らない。レグラムにも昨日初めて来たんだ」
「そうか。む、そういえばまだ名乗っていなかったな」
凛とした表情で手を差し出す女の子。あまり年頃の女の子らしくないその雰囲気に、全く女の子らしくない同じ雰囲気を持つ女性を思い出し少年は少し懐かしい気持ちになっていた。
「ラウラ。ラウラ・S・アルゼイド。ラウラでよい、以後見知り置き願おう」
「ウィルバートだ。ウィルバート・テイミー。まあ好きに呼んでくれ」
ウィルバートとラウラ。これが