近郊都市トリスタ。
帝都ヘイムダルから列車で三十分ほどの距離という場所にあり、帝都同様に皇族直轄地として扱われている。古い歴史と落ち着いた雰囲気が感じられるトリスタの北部には、あのトールズ士官学院があり学生街としての一面も持ち、咲き誇ったライノの花が街を彩る春、多くの若者達の新生活が始まりを告げる――
「――それではお嬢様、ご武運をお祈りしております」
「うん、ありがとう。爺も元気で。父上の留守はよろしく頼んだぞ」
「ハハ。心得ております。ウィルバート様も、良き学院生活を」
「ありがとうございます」
一礼の後、アルゼイド家の執事クラウスは去っていき、ウィルバートとラウラだけがその場に残された。礼節を欠かさず品位溢れる彼の後ろ姿を見送るウィルバートは、しかしそれとは全く違うことを考えていた。
(優しそうな老人だったが、動作に隙が全くなかった。アルゼイドの執事、彼が"師範代”か?……っ!)
悪い癖だとウィルバートは自省する。昔からの癖で無意識に相手の隙を伺おうとしてしまう。前はともかく今は一学生の身、こういった悪癖はなんとかしないといけないが完全に失くすわけにはいかず、ウィルバートは早速学生という身分に付随する戒めに苛まされることになってしまった。
「さて、我らも行くとしようか……ウィルバート、どうした?」
「いや、なんでもないよ……まだ時間はあるし、ゆっくり行くとしようか」
ラウラと連れだってトリスタ駅を後にする。雲一つない満点の青空、舞い落ちるライノの花びら、街全体が新入生達を歓迎するかのような優しい空気。まさに入学式に相応しい日和で、ラウラを含め複数の生徒達は輝いた目で大空を仰ぐ。だがラウラはある事に気付いたようだった。それは彼女が今日の朝からずっと思っていた疑問。
「なあウィルバート。我らと他の者達では制服が違うようだが、何故だろうな?」
ラウラとウィルバートの二人が着ている制服は赤色。一方、他大多数の生徒は緑色の制服を着ていた。そもそも、トールズ士官学院には身分によって分けられたⅠからⅤ組があり、Ⅰ組Ⅱ組は貴族生徒が。Ⅱ組Ⅳ組Ⅴ組は平民出身の生徒が属することになっている。そして出身によって制服の色も違い、貴族クラスには白、平民クラスには緑と明確に分けられていることは大衆にも周知されていることである。つまり、赤色の制服のクラスなど存在しないのだ――去年までは、だが。
「……まあ、行けば分かるんじゃないかな」
「?」
それが新設される特科クラスⅦ組に関係していることをウィルバートは知っていたが、特に何か言うつもりはなかった。Ⅶ組のことは事前連絡もなければ配布された学院パンフレットにも記されていなかった。その上学院から送られてきた制服と
「それにしても、ラウラがあの《光の剣匠》の娘だったとはね」
「父上には遠く及ばぬがな。にしてもそなた、アルゼイド流は知っておったのにアルゼイド家が貴族だとは知らぬとは……」
ジト目でウィルバートを見据えるラウラの顔には呆れがありありと見て取れる。別にラウラは自らが貴族であることを鼻にかけるような人物ではないが、ラウラが貴族の出だと明かした時も「ふーん、アルゼイドって貴族だったんだ」とまるで貴族なんて気にもしていないことが気になったのだ。だからラウラは、ちょっとした気持ちで聞いてみたのだ。
「そなた、貴族が嫌いなのか?」
「別に? ただまあ、貴族だってだけで偉ぶってるようなのは嫌いかな」
さ、この話はおわりおわりとウィルバートが手をひらひらさせ話を打ち切った辺りで、二人の視界に公園が入ってきた。公園とはいうが、花壇とベンチがあるだけでどちらかというと休憩スペースといった感じだ。周囲には様々な商店が並んでいることからも、絶好の休憩箇所であるのは間違いなさそうだ。実際に今も女の子が一人ベンチで寝ているようで……
「……んん?」
ウィルバートはその女の子に見覚えがあった。いや、確かに知っていた。何故ここにいるのか、と問いただしたくはなったが相手は絶賛お眠り中だ。わざわざ起こすのも面倒だし、隣にはラウラがいる。彼女を放ってあれの相手をする気はウィルバートには起きなかった。
「どうした?」
「……なんでもない」
またも怪訝がるラウラを他所に、とりとめのない会話をしながらその場を離れ、トールズ士官学院へと歩みを進めていく。
「――ご入学、おめでとーございます!」
トールズ士官学院の校門を潜ったところで突如声をかけれた。声のする方に目をやると、学生らしき二人がこちらに歩いてきた。一人は黄色いツナギを着た少しぽっちゃりした生徒。もう一人は、ウィルバートより二、三歳ほど年下に見える少女だったが、こちらは制服を着ている。そして恐らく、いや確実にこの二人は二年生。つまり先輩になるはずだ。新入生の歓迎をする新入生、という奇天烈な人事がなければだが。
(学院生? この見た目で……?)
チラっとラウラをみやると、彼女も同じことを思ったのか困惑した顔でウィルバートを見ていた。
「ラウラ・S・アルゼイドさん。それとウィルバート・テイミー君、――でいいんだよね?」
「ええ」
「間違いありませんが、どうして自分等の名前を?」
「――それは私が説明してあげる」
訝しむ二人の元に一人の女性が欠伸をしながら歩いてきた。年は二十代半ばくらいだろうか、
「――何してるの、サラ」
サラ・バレスタイン。《
「何って、教官よ。見れば分かるでしょ?」
「分かりたくないので聞きました」
「ウィルバート、そなたの知り合いなのか??」
「――まあ、ね。ラウラ、悪いんだけど先に行っててくれないかな?」
「む? ……まあ積る話もあるだろうから構わぬが、遅れるでないぞ?」
ではまた後でと、ラウラはもう一人の先輩に持っていた包みを渡すと一足先に講堂へ向かっていった。各人が持ち寄った
「あまり時間はないんだし、手短に頼むよ」
「ええ。私がアンタに確認したいことはただ一つよ。こっち来なさい」
そういうとサラはウィルバートを引っ張り、講堂裏に引っ張っていった。人気のないところならどこでもよかったので、たまたま講堂が近くにあったためそうなっただけである。ちなみにその光景を目撃した先輩二人は心の中でウィルバートに同情していたとかしていないとか……
あたりに人気がないこと、聞き耳を立てているような輩がいないことを確認するとサラが口を開いた。
「アンタ、
「………………」
「答えなさい。事と次第では即刻退学にしてやるから」
サラはウィルバートの秘密の一端を知っている。それこそ、彼が
そしてウィルバートも、サラを騙しきれるだなんて思っておらず、こうして生徒と教官という立場で再会してしまった以上、納得させるだけの理由を出さなければならなくなった。無論、このまま退学という手もあるが、それでは
「……俺は
「それを信じるとでも?」
「思わない――たが、納得してもらいたいな。《鉄機隊》と我がマスターの名にかけて、ね」
それがウィルバートの最大限の譲歩だった。これでは誰の指示で来たかなど語ってしまっているようなものであると分かっていながら、これ以上上手い言葉が出てこなかった。
「――まあいいわ。こうして堂々とやってくるってことは大した情報も持ってないんでしょ?」
「否定できないのが悲しいな」
「それでもアンタが要注意人物なのは変わらないわ。精々変な真似をしないことね。ほら、行きなさい」
だがサラはあっさりとウィルバートを解放し講堂入口へ向かっていった。しばし唖然としていたウィルバートだったが、もうすぐ入学式が始まってしまうため急いでサラの後を追うのだった。
「――最後に君たちに一つの言葉を贈らせてもらおう」
ヴァンダイク学院長の話が続くなか、ウィルバートはこれからのことを考えていた。
運の悪いことに、入学初日から自分の正体を知る人物に出会ったしまった不幸と、それにどう対処するか、である。一歩間違えれば即退学どころか、あの紫電を相手にしなければならなくなるという事実に異に穴が空きそうになる。
(というか、サラが教官だなんて聞いてないぞ。カンパネルラめ、黙っていたな……)
脳裏に浮かぶ悪友の笑顔を頭を振って追い出す。だが文句は言おうと決意を固めていた。
「『若者よ――世の礎たれ。』。"世”という言葉をどう捉えるのか。何をもって“礎”たる資格を持つのか。これからの二年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手がかりにして欲しい」
(まああまり考えても仕方ない。しばらくはサラの監視があると思って行動する。それくらいしかないか)
チラリとサラへ視線を向けると、さっきまでと打って変わり、ウィルバートにウィンクをしてくるその姿に、不安と呆れを抱くウィルバートだった。そんな意味の薄い思考を延々としている間に、入学式が終わってしまい、白と緑の制服の者達は講堂を去っていった。残ったのは、赤色の制服を着た者達――ウィルバート含め十名だけだった。クラス発表がなくどうしていいか分からず、誰もが困惑しきっていた。
「はいはーい。赤い制服の子たちは注目~!」
と、そんな彼らに声をかけた者がいた。サラである。サラが言うには、ちょっとした事情があるので今から特別オリエンテーリングをします、というなんとも説明不足というか入学式にやることではないというか。そして着いてきてと言うとさっさと講堂を出て行ってしまった。
「いやいやいや、もうちょっと説明ないのかよ……」
「ふむ、ウィルバート。あの教官はいつもああなのか?」
「ラウラ……まあ、多分そうなんだろうな……とにかく行かないとな」
がくりと項垂れるウィルバートの元へやってきたラウラの問いかけに答える気力は残っておらず、どうせ面倒事なんだろうなと思いつつもウィルバートも講堂を後にした。