椿島女学院、第三武道場。
そこは、畳敷きで広さは550平米で、柔道の試合が二試合平行して行える広さを備えている。大き目の更衣室にシャワー室が併設されていて、体育大学並みの充実振りだ。
そこに、武系クラスに籍を置く二十名の生徒が集められていた。
週に一度、三時間ぶっ通しで行われる柔術の授業を行うためだ。
生徒は一列十名、前後二列で並んでいて紺袴姿の胴着を着ているのに対し、教師はネクタイを付けてこそいないが濃紺のタイトスーツを着た女性だった。下フレームのの細いめがねをかけて、長めの黒髪。前髪は大きく左に流し、若干きつい眼差しが、宝塚の男役じみていて女性から人気がありそうだった。
右腰に手を当てて、左手はだらりとさげ、
「生徒諸君、初めまして。すでに知ってる生徒もいるとは思うが、私は紀伊美晴。学院長より依頼を受けて先日、この学院に臨時講師としてやってきたものだ。担当科目は、武術実技、ならびに歴史の武術、なのだが……」
生徒達は、教師の言葉を黙って聴いたままだった。しわぶきの音も衣擦れの音も立てない。
戦意と好奇心が混ざった視線で、彼女を見つめている。
美晴は、軽くうつむいてふ、と、
「ああ、やはりそうなのだな。うん、それが正しい反応だ。それこそが武を志す道を歩む血気盛んな若者というものだ。自己紹介など不要、私が諸君を導くに足る技量かどうか知りたいのだろう? 違うか?」
それを聞いた生徒全員が小さくうなずく。
「そうだろうそうだろう。私も諸君達と同じ年頃だったときは同じだった。まぁ、今もたいして換わりはしないが」顔をあげ、にや、と笑いながら、「いいだろう。血気盛んな生徒諸君、君たちの望みを叶えてやるとしよう。本日の授業は、まず組手から入ろう」
「先生、質問があります」
並んでる生徒のうち一人が、挙手をして声を上げた。
「なんだ、いってみろ」
「胴着には着替えないのですか?」
「ああ、私は普段着のままでこそ技を使えなければならないと考えているからな。このままでもかまわない。では、前列十名から相手にしてやろう。後列十名は自分が見やすいと思う位置で見学をするように」
言われた通り、後列は道場の壁際に正座したり、準備室からビデオカムを持ち出して全景を見渡せる位置に三脚で設置したりした。
「さすがだな。ビデオまで用意されてるか」
ちら見してそういうと、目の前に並ぶ十名を見渡してふむふむ、とうなずいた。
「ビデオ、まわしておけよ。では、生徒諸君。始めよう。きたまえ」
その言葉と同時に、二名が前に出て彼女を制しようと動き始める。残りは、彼女を取り囲んで動けないよう壁をつくる。
――ふむ。教科書通りだな。私が誘導しにくるのを警戒している、か。
右前と左前から、同時に彼女を制圧しようとやってくる。右前の娘は、中国拳法のような正拳突き。左前は脛を踏みつけにくる。実力的に、間接や投げをきめにいっても返されるだけならば、まだ打撃のほうがまし、という判断だろう。
「いい判断だが」
す、と歩を進めて、左前の女性の襟首を掴んで足を払って投げると、軸足を中心にして回り正拳突きの手を掴み、体を返してかがんで背中越しにその生徒を投げ捨てる。ほぼ同時に、受身を取る二つの音が道場に響いた。
「着眼点はいいぞ、諸君。上半身と下半身を左右から攻撃すれば、対応は難しいからな。私に、諸君を誘導させる動きをさせないよう、周囲を取り囲むのもいい判断だ。諸君はいい師に恵まれたようだ。だが――」
投げられた二人が起き上がり、今度は左右から挟み撃ちで正拳突きをやってくるが、これも二人の袖口を掴むとくるりと体を回して受け流しつつ空気投げの要領で投げ捨てる。
「今は私の実力を生徒諸君に理解させるためのお遊びだ。これではつまらんだろう。面倒だ。二十名全員で、私にかかってくるがいい。二十人組み手だ」
そこから先は、組み手というよりは指導といったほうがいいものになっていた。
美晴は、襲いくる生徒の技の出掛かりを潰し、制していく。
指や足刀で技のでかかりをつぶし、ここが甘い、そこがダメだと指導していったのだ。必然、技を仕掛けることもできず、ただ腰砕けになってその場にへたり込むだけだった。
気力を奮い起こし、さらに立ち上がって殴りかかろうとも関節とろうとしても投げようとしても全て出掛かりをことごとくつぶされていった。
その動きは、まるで未来予知をしているかのようだった。
だが、生徒達ははっきりわかってしまった。
圧倒的にスピードが違いすぎるのだと。
技の出掛かりをつぶされ、欠点を指摘され続けてきたのだ。しかも、怪我一つ負わせることなく。
目のよさもあるだろう。勘の鋭さがあるかもしれない。しかし、それだけで子供扱いされるほど彼女達の技量は劣っているわけではなかった。
普通の高校で柔道部に所属すれば、個人でのインターハイ出場はもちろん優勝も夢ではなく、勝ち抜き戦の団体戦ならば個人でインターハイ地区優勝ぐらいはできてもおかしくないほどの腕の持ち主たちだ。
それをこうやって子供扱いしたのだから、生徒達にとっては十分に技術の証明になった。
彼女達に、否応もない。
それでもぬぐいきれない疑問があった。
この、紀伊美晴という講師の流派だ。
組み手が始まって30分。
生徒全員がひざに手をつき肩で息をしたり、その場に倒れ立てない中、美晴は、着衣を乱さず、頬を軽く上気させているだけだった。
なんとか直立している生徒が一人声を上げる。
「先生の、流派は、どちら、で、しょうか。よろしければ、教えて、くださると、嬉しいの、ですが」
その生徒は、あがった息でなんとか言葉をつむぎ出す。
「興味、ありそうだな」
「は、い」
「まぁ、そうだろうな。流派の名はない。ただ、御留流といわれているから、それが流派の名前といえば流派の名前だ。だから、御留流紀伊派、になるのかもしれないな」
それを聞いた生徒たちが、異口同音に御留流、と呟く。
「それ、は、最近転、校、してきた――」
「聞き辛いな。呼吸を整えろ。息を吸いながら腹を引っ込めて、吐きながら腹を膨らませるんだ。空手の息吹、といえば話は早いか?」
言われたとおりに、生徒達は息を整えていく。数分もしないうちに、荒れていた息が収まり、整った。
「よし。続けたまえ」
「はい。最近転校してきた江渡芳美と同じ流派なのでしょうか」
美晴は、ふむ、と顎に手を添えてしばし考えて、
「まぁ、そうだな。あいつの手ほどきも以前はしたことがある。あのときはひよっこ、というほどではなかったがまだまだ荒削りだったな。まぁ、今日の生徒諸君よりは若干ましだったが」
「それは、いつごろのことでしょうか」
今度は別の生徒が尋ねた。
「それは、私の年齢にもかかわる重要な案件だ。話せないな。まぁ、想像にまかせるが相手をしたとき、私の年齢は二十歳を超えていなかった、とだけ言っておこう」
はっはっは、と豪快に笑って答える。
「というわけで、生徒諸君、私の実力は理解していただけたかな?」
口々に、はい、と生徒達は答える。
「よろしい。では、これから私が得た術理についての授業を行う。まぁ、すぐに身につくことはないし、私の言うとおりにやってしまうと生徒諸君がこれまでに蓄えてきた術理が崩れてしまうかもしれない。だから話半分に聞いて、自分に応用がききそうなものだけ参考にしてくれればいい。それから、その場に座ってい聞いてくれてまわない。立ち続けるのは面倒だからな。今日は、歩き方から始めよう――」
授業は終わり、授業を受けた生徒達はずいぶんと生き生きとした表情で武道場を離れていく。よほどいい授業を受けられたのだろう。
そんな生徒達を見送りながら、美晴は一人思索に入る。
そうか、芳美はすでに来ているのか、と。
これから、この学院に嵐が一つ巻き起こるかもしれない。小さな嵐かもしれないし、竜巻に成長するほどのものになるかもしれない。
規模はわからない。
生徒達の身は、できるだけ私が守ろう。
そのために私はこの学院にきたのだから。