乙女の園の武術譚   作:高嶋ぽんず

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その肆

「紀伊先生、武系の先生が文系の生徒の私になにか御用でしょうか」

 放課後の職員室、紀伊美晴に呼び出された白地に桜色でデザインされた制服をきた生徒は、自分を呼び出した教師のそばまでくると、抑揚のない静かな言葉遣いで尋ねた。

 美晴は、昨日担当した授業での各生徒の体の動きを映した動画ファイルで確認しながら、いろいろと思案していた。

 呼び出された生徒は、すそを綺麗に切りそろえられた、まるで日本人形のような艶やかなロングヘアに天使の輪がきらめいている、物腰のおとなしい女性だった。制服の上からわかる細めの体の線はしなやかで柔らかそうだ。そして、桜色の薄い唇に、糸を一本引いたような目。

 美人、といえるような顔立ちではないが印象的で、目を引く不思議な魅力がある。

「松平優(まつだいら ゆう)生徒、だな?」

 パソコンから目を離して、上目遣いで彼女を見る。

「ええ、そうですが」

「ふは」奇妙な笑いを一つして、奇妙な笑いを一つして、「いやいや、おとなしそうな外見のわりにずいぶん気が強いのだなぁ、松平生徒。気に入ったぞ」

「いえ、気に入られても……それで、なにか御用でしょうか」

「用があるから呼んだわけだが、ここで話すのは難しい話だな。ちょっと第二修身室に付き合ってもらうか」

「修身室って、相談室とかじゃだめなんですか?」

「そこは別の先生が使っていてな。今日、第二修身室は華道部も茶道部も使わないだろう。なにぶん、いろいろ内密にしたい話なので余人を挟みたくはないのだ」

 松平は、それを聞いて少し体をこわばらせた。

「なに、そのことではない。もっと根本的なことだ」

 美晴は、そう松平に告げるとノートパソコンを閉じてさっと立ち上がると職員室の一角に向かう。そこには、壁にキーボックスが下げられていて、園中から第二修身室の鍵を取り出し、かわりに胸ポケットに差し込むように入れてあった自分の名札をかける。

「ついてこい、松平生徒」

「は、はい……」

 松平は、半信半疑のまま第二修身室に向かう美晴の後をついていくのだった。

 

 第二修身室は24畳ある大きな和室で、ここで生徒達は着物の着付けから始まって礼法、日本舞踊、華道、茶道、香道といった芸事も習う。六畳毎にふすまで区切られ、それぞれで入室の練習なども行えるようになっている。

 二人は、その修身室の奥で襖を閉ざし、差し向かいで座っていた。もちろん、座布団こそ使っているが二人とも正座である。

「楽にしろ、とは言わない。なにしろ、これから松平生徒に伝えることは、次第によっては貴様の命にかかわることだからな」

「は? 先生、それは」

「まぁ聞け。松平生徒。ん? あー……いや、違うな」

 今まで彼女にあった多少の威圧感がが消えて、襟元をただし三つ指を突いて頭を垂れる

「松平優(まつだいら まさる)様、徳川御留流紀伊派現宗家、紀伊美晴より忠信申し上げます」

「あ……え? 紀伊派?」

 いきなりの言葉遣いと態度の豹変に、松平は言葉を失った。

 自分の本当の名前が知られていたことはもちろん、年上の人間にここまでへりくだられるのも初めてだ。

 軽くパニックするのも当然だった。

「松平様の背中に彫られた地図を目当てに、この学院に賊が入り込もうとしております。私、紀伊美晴は、松平様とこの学校の生徒をその賊から守るために、教諭として赴任してまいった次第であります」

「待ってください、先生。すぐに顔を上げて、最初からわかりやすく説明してください。ちいきなりそんなこと言われても、〈俺〉はどうしていいかわかりません。それに、どうして〈俺〉のことを男性だって見破ったんですか。申し訳ありませんが、そこから説明してください」

 松平は、慌てて彼女のそばに膝行で近付き、肩に手を置いて顔をあげるよう促す。

「かしこまりました、松平様」

 静かに面を上げて、松平の顔を見つめ、

「松平様は、御自身の事情を知らなかったのですね。では、私の素性から説明することにしましょう。少し長くなりますがお許しください――」

 

「――というわけで、私はこの学院で教鞭をとることになった次第です」

 美晴の説明は、十分に及んだ。松平の背中にある地図という秘密、その秘密を狙う連中がいるということ。その連中は松平がこの学院にいることを知って、格闘技や武術に長けた手練を集めている、ということ。遠からず彼らは学院にやってきて松平の身柄を確保すること。

 背中の写真をとればそれでいいのだろうが、あいにくとこの学院で肌をさらすことは少ない。また、彼は寮生活を送っているが、学院以上に警備は厳しく、部外者が入れるものでもない。

 だから、連中――トレジャーハンターは、松平を学院で直接拉致をすることにした、ということだった。

 途中、どこでその情報を手に入れたのか疑問に思い、たずねたのだが、知らなくてもいいことは世の中にくさるほどあって、これはその中でも極め付けなのです、と言ってそれ以上はとりあわなかった。

 ともかく、その間中二人はずっと正座でいたのだが、両者とも足をしびらせるなどという不手際はなかった。そもそも、この学院にいるもので、正座ができない人間などいないのだが。

「そうだったんですか。そういう事情が……でも、俺の背中の地図は単にしきたりみたいなもので、俺の代で終わりにするように、と本家からも言われてますし、第一あの場所には」「松平様のおっしゃりたいことはわかります。ですが、松平様を狙う一味はそんな事情など知らないのです」

 美晴は、松平の言葉をさえぎって言った。

「つまり、〈俺〉の地図がある限り、この学院に迷惑がかかる、と。では、〈俺〉はこの学校を辞めるべきなのでしょうか」

「いえ、その必要はありません、松平様。そのために、私を含めた御留流の腕利き四人がこの学院にやってきたのです」

「それはわかりました。ですが、〈俺〉は先生のことをよく知りませんし〈俺〉は武術

ことには疎くて、御留流というのも聞いたことがありませんので……」

「それは確かにそうですね。では、柔術の課外授業で私の指導の様子を見ていただくことにしましょう。明日、第三武道場にいらしてください」

「わかりました。それから、その、〈俺〉からも一つだけお願いがあるんですけど」

 松平は、自分にとって命が狙われることよりもそのことのほうが重要だった。命を狙われることは、今の自分にとって非現実的な事柄だが、松平が望むことは学院生活を送るにあたって最重要ともいえる秘密だからだ。

「はい」

「〈俺〉が男だっていうこと、絶対に秘密にしておいてください。自分が歌舞伎役者になるために、師匠よりこの学院で作法や日本舞踊など基本的なことを学ぶように言われたので」

「ええ、承知しております、松平様」

「よかった。〈俺〉、じいちゃんみたいに歌舞伎役者になって、ひのき舞台に立つのが夢ですから。苦労してここまできたのに、ここでご破算になるなんて勘弁してほしいですから」

 大きく胸をなでおろす。

 一部の教師と生徒会長ぐらいにしか知られていない秘密が、突然現れた武術講師に加えてさらにもう三人の誰かに知られてしまったことに、軽いショックを受けていたのだ。

「それにしても、松平様、失礼ですが本当に男性なのですか? いえ、骨格や立ち居振る舞いから男だとはわかりましたが。それに気付くのは私ぐらいでしょうから、気にすることはありませんが」

「ふふ、それ、私が男だって知ってる学院の人間からはよく言われます。師匠からも女形になるための修行の一つとしてこの学院に通うように、と言われたぐらいですから」

 つまり、師匠は、そういう女性だらけの学院に通ってもバレることはないと思ってのことだろう。

 ともあれ松平は、初めてあった歌舞伎の師匠が浮かべた表情を思い出しながら、初めて笑顔で答えたのだった。

 

 翌日の放課後、松平は美晴から言われた通り第三武道場に向かった。

 紀伊美晴、という人物がどれほどのものか見てみるためだ。

 松平は、自分の血筋についてそれとなく両親から聞かされていたが、まったく興味がないので自分から聞くことはなかった。両親も、本人に興味が出るまで話すつもりはなかったらしく、自分の家系は松平家の傍流であることぐらいしか知らなかったのだが。

 だから、御留流というものも知らなかったし、ましてやその技がこの時代にまで受け継がれていることなど、まったく想像もしなかった。

 さらに、その血筋が今もいざというときは徳川家、ならびに御三家の護衛をやっているなどということなど、言わずもがなだ。

 昨日、修身室で美晴から聞かされたことを反芻しながら、第三武道場の出入り口前までやってきた。

 木製の大きく厚めの引き戸で、向こう側からは畳を打ちつける音と気勢のこもった掛け声が聞こえてくる。

「失礼します、2年イ組の松平優といいます」

 そう言って、礼法の授業で習ったとおり音を極力立てずに引き戸を開ける。

 とはいっても、滑車つきの引き戸なので、どうしてもガラガラと音が立ってしまうのだが。

 あけると、思ったより奥行きがあって広い道場が松平の前に広がる。空調もしっかりしていて、汗臭さがこもっていない。

 松平は、むわっとした体臭の空気を覚悟していただけに、ちょっと拍子抜けだった。

 武道場を見回すと、美晴は普段着のまま右手の壁際に立って、普通稽古を行っていた。

 普通稽古とは、師範――この場合、美晴が教えた技を一対一で掛け合い、練習する稽古である。見たところ、十組二十名ほどだ。

 生徒各位が稽古着に身を包んで稽古に励んでいる中、美晴は、あろうことか普段着で、稽古着を着ていなかった。

 生徒達は、文系の松平がやってきてもまったく気にせず、稽古に集中していた。

 反応のひとつもないのは、それだけこの課外授業に真剣に取り組んでいるからだ。

 松平は、その様子をみただけで、どれだけこの生徒達が彼女の指導を受けたがっているのか、頭ではなく共感で理解した。自分も歌舞伎の指導をされるとしたら、この生徒達のように他の何も見ないでとにかく教えられたことを自分のものにしようと必死になるだろう。

 そしてこの事実は、美晴の指導にそれほどの価値があるということも意味していた。

「おお、よくきたな、松平生徒。私の横に座って見学しているといい。お前の直接の糧になることはないだろうが、きっといい経験になるだろう」

 さすがに、他の生徒の前では松平様、などとはよべないだろう。彼を他の生徒と同じように扱っていた。

「はい、今日は文系の生徒である私を見学に呼んでいただき、ありがたいと感じております」

 松平も、容姿に相応しい物腰と言葉遣いでそう答える。

「では、松平生徒にはこれから私の指導をみてもらうこととしよう」

 美晴は、松平に聞こえるだけの小さな声で言って、

「さて、生徒諸君! これより個別指導を行う! 諸君は呼ばれるまで、壁際に正座して見取りを行うように」

「はい!」

 異口同音の返事とともに、生徒達は美晴の向かいの壁に正座する。

 教師の言うことに従うのは当然のことだ。それでも、生徒達の美晴に対する態度は従順というしかなかった。

――これって、生徒から信頼されてるっていうことなんだろうか。みんなの視線におびえもなにもないし返事もしっかりしてるし。いわれてみれば、先生の姿勢、まったく崩れてないし、これって紀伊さんがそれだけの腕を持ってるっていうことなのかな。

「今日は、諸君に無刀取りの基本となる投げを教えようと思う。技の教授の前に、無刀取りについて説明しよう。生徒諸君はすでに知っている知識とは思うが、技に対する敬意を持ってもらうため、改めて説明させてもらう」

 生徒達は、衣擦れの一つなく集中して美晴の講義に耳を傾けている。

 武道場には、彼女の声が鳴ければ耳が痛くなるほどの静寂が存在していた。

「知っての通り無刀取りとは、愛州陰流の上泉伊勢守信綱が高弟である柳生石舟斎に命じ、作らせた技と伝えられている技で、文字通り無刀で相手から勝ちを取る大変に危険な技だ。まさしく、人の働きを活かして勝ちをとる新陰流でなければなしえなかった技といえるな。さて、この技が編み出された当時はまだ術理も洗練されておらず、力学的探求もなかった。それゆえ、新たな技は経験則と試行錯誤から編み出さねばならない。そうした不自由な中で、これだけ優れた技を作り出した石舟斎に、我々は相応しい敬意を払わねばならないだろう」

 一旦口を閉ざし、生徒の顔を見渡す。

 全員が、殺しかねないような真剣な視線を美晴に向けていた。

 美晴はともすれば後じさり、逃げ出したくなるような威圧感を平然と受け流すどころか、満足そうに微笑んで受け止める。

「さて、この無刀取りは、技の性質上つまりどうやっても相手の刃と相対することになる大変危険な技だ。とにかく、敵の刃の下にいることを避けねばならない。そこで宮本武蔵の歌ったとされる歌を思い出してもらおう。つまり、『切り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みゆけば あとは極楽』、だ。無刀取りはすなわち、技の難易度もさることながら、度胸を試させるものでもある。勇気を持って踏み込むことにこそ、この技を成就させるコツはあるわけだ。そこを肝に銘じた上で、これから教授する技を覚えてもらいたい。では、これより稽古を行う。相原生徒」

 呼ばれた生徒は、すっくと立ち上がって小さく礼をすると美晴の前までやってきた。

「よろしくお願いします!」

「一度だけ私が技の見本をみせる。相原生徒は、手刀を上段で私に切りかかるように。私の力に逆らわず、素直に投げられればそれでいい。きたまえ」

「はい! よろしくお願いします!」

 生徒は、一度怜をすると、半身に構えて言われた通り、右手で手刀をつくり、美晴の頭にむけて切りかかる。

 美晴は一歩踏み込んで体を返し、生徒の側面につくと振り下ろす腕に逆らわずに腕をとり、切りかかる動きを活かしながら投げを打つ。生徒は、自分の腕を視点にしてぐるりと一回転し、そのまま背中から畳に落ちた。

――うわ……あんな動きができるんだ……凄いなぁ。

 松平は、その一連の動きを見て驚きの表情を隠すことができなかった。声を上げなかったのが奇跡といっても過言ではない。

――先生は、あんな動きしても軸がまったくブレてないし、投げたときも生徒にダメージを与えないよう、引いて衝撃を与えないようにしてる。

 美晴は、投げた手を離すと生徒に立つように促し、

「これが基本となる。では、私が打ち太刀を行う。相原生徒は仕太刀を行うように」

 今度は美晴が投げられる側に移る。

 す、と一連の動作で美晴が相原に投げられる。美晴が投げたときよりも綺麗に投げられていたのは、門外漢の松平の眼から見てもあきらかだった。

――綺麗に投げられてるなぁ。

「今のタイミングで投げるんだ」

 美晴は、そう言って別の生徒を投げ、そして投げられていく。投げられるたびに、一言、生徒にコツをや注意点を教えていく。

――いや、違うな。あの人が投げられることで、正しい投げ方を生徒の体に教えてるんだ。投げられることで、投げてる生徒のフォームを感じて、どこがダメなのか、どこがいいのか感じてるんだろうなぁ。

 だん、だん、と受身の音が響く。

――でも、それって凄い疲れることなんじゃないのかな。

 松平がそうやって思索を続けていると、いつの間にか指導は終わったらしい。また、生徒達はめいめい相手を見つけて投げあい、お互いの投げのどこが悪いかを指摘しあい、また投げ合う。

 美晴は、息を切らせながら松平の隣にやってきた。

「みていたか? 松平生徒」

「はい。宗家、という肩書きを持っている人は、みんな紀伊先生のような腕前の持ち主なのですか?」

 松平は、美晴の顔を見ずに投げの稽古を始めた生徒達の動きを観察しながら答えた。

「どうだろうな。自分が教えを請うた方々は、どなたも尊敬に値する人物であり、敬服する腕の持ち主だった」

「そう、ですか。凄いんですね、宗家というのは」

「松平生徒の師匠もそうだろう? 本物というのはそういうものなのだ」

「はい。その通りだと思います」師匠の舞台での所作を思い出して、そう答えた。「ありがとうございます。先生のこと、信用します」

「そうか……助かる」

 他の生徒の前だからだろう。教師然とした態度は崩していないが、美晴が安堵の息をついたのを見逃す松平ではなかった。

――先生、かなり俺に気を使ってたんだな……なんか悪いことしたかもしれないなぁ。

「先生、昨日はすみませんでした」

「なにがだ?」

「いえ、先生にはずいぶん気を使わせてしまったみたいですから。生徒であるにもかかわらず、横柄な態度をとってしまい、大変申し訳ありませんでした」

「いや、松平生徒が気にすることではない。むしろ松平生徒はくだらない過去の因習に縛られている歴史の被害者みたいなものだ。無意味な因習がたまたま現代までのこってしまったために現状を招いてしまった。私は、むしろそういう松平生徒の境遇に同情しているし、自分のできることで最大限、きみを守ろうと考えている。だから、そう言うな」

 そう言って、松平の頭をぽん、と撫でた。

 松平は、そのしぐさにわずかな苦笑をうかべるのだった。




これを、pixivからこちらに引っ越すのは悩んだのですが、取り敢えず引っ越してみました。
この後、本編を書くつもりだったのですが、色々と不具合が起きまして取りやめになりました。おとボク武芸帳じゃないもんね、これだと。
なので、この連作はここで終了です。
ネタとしては勿体無いので、別のアプローチで何かできないかなと考えております。
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