「堀川くーん!練習どおりにー!!リラックスー!!」
ネクストサークルから声援を飛ばす。
一塁を見ると、四球で出塁した俊足ランナーが身を屈めて投手を凝視している。
4回表、ノーアウト一塁。初回から防戦一方だったあさひが丘がやっと掴んだ反撃のチャンスだ。
打席には三番の堀川くん。
監督からのサインにアンサーを出して応え、バットを横に寝かせる。送りバントの構えだ。
ピッチャーがモーションを起こすのと同調して、内野手が更に前進する。
まずい、内野のチャージが良い。これじゃあバントを成功させることは難しい。
察知した堀川くんはバットを起こし、コンパクトに振り抜いた。バスターだ。
キィン!
強いゴロが三塁手を襲う。
胸に当て、鈍い音を立ててボールを止めた。すぐさま拾い上げたが、一瞬「二塁に投げるか」を迷ったせいでファーストへの送球が遅れた。
送球を受けるファーストが身を乗りだす。堀川くんが頭から滑り込む。ほぼ同時だ。
「セーフ!セーフ!」
一塁側アルプスがわっと盛り上がる。ヒットテーマが流れ、メガホンを打ち鳴らす音で一杯になった。
送りバントでワンナウト二塁になれば上出来の場面、堀川くんの機転によって、ノーアウト一塁二塁にまでチャンスが広がった。
「磯野さん、繋ぎましたよ!あとは頼みます!」
ヘッドスラディングで真っ黒になったユニフォームのまま、白い歯を見せて堀川くんは力強く拳を上げた。
ナイス。カッコイイぞ堀川くん。
任せろ、俺がかっ飛ばしてホームに還してやる。
『四番、ピッチャー。磯野くん』
右打席に入り、足元を均す。
試合も中盤に差し掛かり、打席の土も荒れている。その中でも、異常なほど深く抉られた足跡があることに気付いた。
さっきの回の中島の打席。俺の秘密兵器である高速シュートに咄嗟に反応し左足を引いた跡だ。初見の変化球でありながら、コンマ数秒の時間で対応しようとしていたというのか。
信じられない。
「・・・中島、お前やっぱり凄いわ」
「あの場面で突然シュートを披露するお前の方が凄いよ」
いや、想定されてない初見の変化球をライナーで打ち返す方が可笑しいだろ。
可笑しさから思わず頬が歪む。
中島という男の怪物ぶりを誇示するようなその足跡をかき消し、ようやく構えに入った。
スッと息を吐き、心を落ち着かせる。
冷静に見積もって、このピッチャーの力量自体はハッキリいって大したことない。中島の絶妙な頭脳的リードによって俺達は苦しめられている。
そして案の定、ストレートを打つのが得意な俺に対して、意地悪く徹底して変化球で攻めてきた。
チェンジアップ、スライダー、フォークが内外角に食い込む、落ちる。厳しいコースに立て続けに投げられ、その度に何とかファールで逃げた。
2-2からの7球目。外角低めへのスライダー。
ボールゾーンへ逃げていく軌道だ。そう見切ってスイングを留める。
まずい、思ったほど
『ストライクになる』そう後悔したときには既にミットに収まっていた。
冷や汗が滴り落ちる。審判が判定を下すまでの時間がいつもより永く感じられた。
「・・・ボール!!スリーボール、ツーストライク!」
間一髪助かった。
瞬間的な緊張から放たれ、息を吐いて天を見上げる。
だがこれでスリーボール、光明は見えた。
次がボールになれば四球でノーアウト満塁。投手はコントロールし易いストレートを投げたいはず。次こそはストレートのはずだ。
投手が前に屈みこんで、次の8球目のサインを覗いている。その後のサインへの頷き方が、さっきまでより強かった気がした。
自信を持った表情。『ストレートが来る』同じピッチャーという人種として直感した。
8球目、ピッチャーが力強く踏み込んで腕を振り抜く。
内角、ストレート。
違う!チェンジアップだ!
身体を素早く回転させ、ゆっくりと落下するボールの下にバットを差し出す。全てのパワーを持ってバットを強く振り抜いた。
カキイィン!!
大観衆と共に、打球が上がった青空を見上げた。高く高く打球は舞い上がる。
大空から白球が落ちてくる。
サードがグラブを掲げた。
「アウトー!!」
サードフライ。どこからともなく溜息がなだれ込む。
声にならない唸り声を上げ、俺は天を見上げた。
討ち取られた打者に、グラウンド上に居場所はない。ベンチに下がり、グラウンドから遠い奥の方に腰掛けた。
「磯野さん、ドンマイです!」
「切り替えろ!次は頼むぞ!」
口々に掛けられる慰めも、耳に入らない。
燃え尽きたように全身の力が抜け、ヘルメットを脱ごうとした手が途中で止まる。
これが『甲子園決勝』で凡退する。ということの重圧なのだろうか。
冷静に思い返して、今の打席。完全に裏をかかれた。
いや、いつもならあの程度の変化は反射的に打てる。しかし今の場面ではストレートが来ると「決めつけすぎ」てしまった。その結果、ボールを捉えるタイミングがほんの一瞬だけズレてしまった。
だってそうだろう。
『四番打者相手にフルカウント。四球も出せない』その状況で出たチェンジアップのサインに、あの投手はなぜあんなに自信を持って頷くことができたのか。
それが中島の持つ、絶対的信頼から成せる技なのだろうか。
マウンドの方を見る。横浜港洋のピッチャーは相変わらず自信満々に頷き、投じたボールはアウトロー一杯に決まった。
それだけの信頼を得るために、中島はどれだけ努力して、失敗して、ぶつかって、負けてきたんだろうか。
本当に、凄いヤツだよ、お前は。
カキィィン!!
グラウンドから押し寄せる声援に反応し、顔を上げる。
打球がセンターの前で弾み、二塁ランナーがホームへと突入するところだった。ホームに近づくにつれて歓声が大きくなる。
俊足のセカンドランナーが快足を飛ばし、クロスプレーになるまでもなくホームを駆け抜けた。あさひが丘高校がついに1点を返した。
ベンチから飛び出しそうな勢いで盛り上がり、両手を挙げて歓喜する。
「ナイスラン!行こう、この回で追いつこう!」
四番の俺だけが足を引っ張っていることに心苦しさを感じつつも、気力を出して盛り立てる。
「タイム!」
一度試合を止め、中島がマウンドに駆け寄った。
二、三言交わすと、投手は深く頷いてマウンドから降りた。
『横浜港洋高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、関内くんに代わりまして、桜木くん。ピッチャー、桜木くん』
始まった。横浜港洋の必勝パターン、継投策だ。
捉え始めた、というタイミングで投手を交代する。この見極めはキャッチャーの中島に一任されているそうだが、この変え時が絶妙なのだ。その証拠にこの夏、横浜港洋の投手陣が集中打を浴びたイニングは数えるほどしかない。
「打たれる前に代える」当たり前なようで、一番難しいのである。
マウンドに上がったのは、背番号10を付けた長身の左投手。豪快なフォームの先発投手に比べ、若干クセのあるユッタリとした投げ方。
この交代劇が、あさひが丘高校打線に「悪い意味で」ピタリとハマった。
続く六番打者はうって変わっての全球ストレート勝負に三振。次の打者もあえなくライトフライに抑えられ、反撃は1点に留まった。
だが、反撃の糸口を一度は掴めた。また掴めばいい。
「行ける」「勝てる」。確かな自信を持って、この点差を保つため4回裏のマウンドへと駆け出した。
◇甲子園決勝
一二三 四五六 七八九 計
あさひ丘 000 1 1
横浜港洋 020 2