外が暗くなって来た。
読んでいた本を閉じて、立ち上がって大きく伸びをする。目がしばしばするし、そろそろ寝ようかな。カーテンを閉めて部屋を出ようとすると、ちょうどドアがノックされた。
「慎二、今日から居候する子が来たぞ。挨拶しに行けよ」
「……えぇー? 僕さあ、モブに興味は無いんだけど」
「訳分かんねぇこと言ってないで、さっさと行ってこいよ」
僕の邪魔をするか爺ぃめ。口煩さに眉をひそめてドアを開けた。
似合わない白い帽子を被ってる爺さん――佐倉惣次郎を尻目に、純喫茶ルブランへと向かう。こんな入り組んだ場所に来る客、やっぱいないって。ルブランに着き、中に入るとコーヒーの匂いが漂う。相変わらず寂れた店だ。
店の中をぐるっと覗くが、誰もいない、ってことは二階だろうか。靴の音を鳴らしつつ階段を登ると、ベッドに腰掛けてこちらを見ている少女がいた。こいつか?
「お前が居候? 女かよ……」
予想と違うことにため息が出た。……おい、そんなにビクビクするなよ、僕が脅してるみたいじゃないか。
ま、初対面の人にあったくらいでキョドる奴なんかたかが知れてるな。そう僕は体を縮こませる彼女を見下した。
「で? 名前は?」
「……岸波白野、です」
「ふーん、やっぱモブっぽい名前だ、な……。――うん? 聞き間違えだな、すまん、もう一回言ってくれるか?」
「えっ、と、岸波白野ですが」
……あれれー? おかしいぞー? どうしてこんなところにいるのかなー?
何が何だかわかんないや僕。
信じたくないけど彼女の顔をよくみると、とてもクラスで3番目とは思えない顔立ちをしていらっしゃった。あ、これマジだわ。マジの主人公だよどうなってんのここ月じゃねぇんだぞ!?
「あ、あの、すごい顔してますけど何かあったんですか……?」
「なんでもないです岸波様」
「岸波様!?」
驚きたいのはこっちですよ。何が何やらわからず、状況が全然把握できてない。だが僕がやらなければいけないことはわかった。
「舐めた口きいて申し訳ありませんでした」
「えっ、あの、とりあえず頭を上げてください!」
「いやもうマジすいませんした。小指だけで勘弁してください」
「あなたは私をなんだと思ってるの!?」
ヤクザよりも敵にまわしたくない人です。
その後、土下座してドン引きされた事を代償に許してもらい、事なきを得た。
よし、取り敢えずこれで敵対は避けれただろう。後は関わり合いを持たずひっそりと雑草のようにすごせば
「で、なんで私のこと知ってたの?」
無理でした。
「……ゲームで似た名前の奴が居たんだよ。外見もそっくりだったからびっくりしただけだ」
岸波は訝しげな様子だが、そうとしか言いようがない。本当、一回戦でワカメをぶっ倒した方によく似ていらっしゃる。
立て続けに質問されそうだったのでさっさと退散する。ま、一年しかいないそうだし、その間ルブランに近づかなければ問題ないだろう。
そう思っていた。
「あ、お邪魔してます」
「帰れ」
次の日、奴はそこにいた。僕の部屋でくつろぐんじゃない、パソコン触るな、エロ本探すな。
「やっぱり男の子の部屋に来たらそういうの探したくなるよね!」
「ウキウキするな帰れ」
どこかなー、と僕の言葉を完全に無視する岸波。いらついて叩きだそうとするが、のらりくらりとかわされてしまう。お前どこでそんな俊敏さを身につけた、とか、ほぼ初対面の人に対して遠慮がなさすぎだろ、とか、色々言いたいことがあったが、ことごとくスルーされた。
「まぁまぁ、取り敢えずそこに座りなよ」
「自分の部屋みたいに椅子を勧めるんじゃない!」
何様だこいつは!
「はぁ……、で、何の用だ。生憎僕は忙しいんだ、早く本題に入れよ」
「惣次郎さんは『慎二はいつも暇してるから存分に扱き使えよ』って言ってたけど」
「あの糞爺め」
爺さんとは今度話し合いが必要らしい。わざと名前も教えてなかったのに……。
というか何の用か早く教えろよ。
「――理由がなくちゃ、来ちゃいけないの?」
「マジで帰れよ」
冗談はこの辺にしておいて、と岸波は一つ咳払いをして、
「私、記憶喪失なんだ」
冗談のような話を、始めた。
「高校以前の事、何にも覚えてないの。気づいたら私は高校一年で、岸波白野だった」
「……ふーん。それで?」
「昨日会った時、私のこと知ってるみたいだったから。もしかしたら、知り合いだったかもしれない。友達だったかもしれない」
「…………」
「だから、勘違いかもしれないけど。覚えていなくてごめんなさい」
……なんというか、律儀な奴だ。謝るためだけに来るとか、僕にはとても理解できそうにないな。
「安心しろよ、岸波。僕は人生でこんな変な女は出会ったことがないから。ホントにゲームのキャラと重ねただけだ」
「そっか。よかった、というべきなのかな?あと私は変じゃないから」
「お前さあ、どの口で言ってんの?」
今までの行動に鑑みてから言えよ。
しかし、ここでも記憶喪失か。なんというか、岸波はつくづく記憶と縁がないらしい。もう個性の一つと思った方がいいのかもしれないな。
「はぁ……、気はすんだだろ?ならさっさと帰れよ」
「――それはどうかな?」
「なんなんだよこいつマイペースすぎるだろ……」
どこかのカードゲームで聞いたようなセリフを吐きつつ居座る岸波。こんだけ邪険にしてんのになんでグイグイくるんだよ。四回目だぞ帰れって言ったの。
その後、岸波は散々こちらに絡んで帰って行った。満足そうな顔だったのがムカついた。塩まけ塩。
「オイ慎二! 玄関で何やってんだ!」
爺さんにこってり絞られた。解せない。
それから岸波はかなりの頻度で遊びに来るようになった。パソコンを使わせてー、だとか、いっしょにゲームやろーぜ、だとか。僕はいつお前の遊び相手になったんだ。
「ねぇ慎二、慎二はなんでワカメなの?」
「喧嘩なら買うぞ?」
すっごいごわごわ、と呟き頭を撫でてくる岸波。その手を叩き落として、最近癖になってしまったため息をつく。
僕の部屋にいつの間にか持ち運ばれていたちゃぶ台と座布団。ちゃぶ台の上にはお茶菓子が常備されており、岸波はそこで漫画を読みつつくつろいでいる。もう部屋の半分くらいは岸波用になっているかもしれない。
「自分の部屋でゆっくりしろよ……」
「だってこっちの方が漫画とかゲームとかあるし、慎二で遊べるし」
「僕で遊ぶんじゃない」
「知らなかった? 弟は姉の玩具なんだよ?」
「僕がいつお前の弟になった!?」
だって年下だし、なんてことを言って岸波は笑う。
ものすごく強引な理屈だが、悲しいことに岸波の意味不明さには慣れてしまった。こいつに遠慮という言葉はない。
「お前は学校に行ってるんだからそっちで楽しめよ。僕を巻き込むな」
「え、だって私避けられてるし」
「お前が!?」
この容姿良し、魂イケメンでコミュ力がうざいくらいある奴を避けるとかどんな学校だよ怖えよ!
「あれ、言ってなかったっけ?」
「何をだよ?」
「私、前歴があって保護観察されてるの」
軽い雰囲気で衝撃の事実を語る岸波。えっと、うん、いや、え? と混乱する僕を置いて話は進む。
「それが学校に広まってて、話しかけてくれる人とかいないんだよね。それどころか……まぁ、陰口たたかれたりとか、するから。学校の裏サイトとかすごいことになってるみたい」
いやー参ったねーと笑顔で言う岸波だが、その顔はどこか痛々しげなものだった。
「……爺さんめ、わざと言わなかったな」
岸波が保護観察中なんて僕は爺さんから一言も聞いていない。恐らく、僕に言ったらそれをネタに遠ざけるとでも思ったのだろう。実際やってたと思うし。
だが、岸波の人となりを知った今は、その前歴とやらも怪しく思える。こいつが何か犯罪をするところを全くイメージできないし、多分冤罪に近いものだろうな。本人が悪くないことで責めるとか超ダサい。結果として知らなくて正解だったか……。
「……チッ、黙って漫画読んでろ」
「……慎二がデレた!」
「うるさい」
照れるな照れるな、とニヤニヤしている岸波の頭に拳を一つ。暴力反対? いいえこれは躾です。
「ありがとね」
そう言った岸波は、とても綺麗な笑みを浮かべていた。
岸波が帰った後。
「ま、気に入らないしね」
学校の裏サイトを開き、キーボードを叩いた。