パレスの中の東京は、人混みにあふれている。
敵を警戒していた怪盗団だが、道中にシャドウの気配は無い。辺りは日が暮れ、赤く染まっている。景色も相まって、本当にパレスの中なのか分からなくなりそうだ。
やがて四軒茶屋の近くまで来ると、車を停めた。モルガナカーから降り、佐倉慎二の家へ足を進める。
人の喧騒が、遠く聞こえる。夕方の路地裏は、世界から切り取られたように静かだ。
辿り着いた佐倉家の塀には、紫髪の男が目を閉じて寄りかかっていた。
「マトウシンジ。ゲームは私達の勝ちね」
『…………』
真が呼びかけるが、シンジは動かず、答えない。
竜司は熱り立って声を荒げる。
「テメェ、無視してんじゃねぇよ!」
『…………』
「このヤロウ……っ?」
あまりの反応の無さに、胸ぐらを掴もうとした竜司の手が止まる。
聞こえていないはずがないのに、返事は無く、身じろぎすらしない。竜司は首をかしげて、耳を澄ます。
すぅすぅ、と規則正しい息が聞こえた。
「寝てるぅ!?」
『うおっ』
近くで叫んだ竜司の声に、シンジは体を跳ね上げた。
目を覚ましたシンジは周りを見渡し、怪盗団の姿を見ると顔を歪める。
『うるさいなぁ! 良い夢見てたのに覚めちゃったじゃないか!』
「いやいやいや、俺たちが必死こいてパレス彷徨ってたのに、寝てんじゃねーよぉ!!」
嫌がるシンジを揺さぶりながら、竜司は道中の苦労を思い出す。きつすぎだろ。
涙ぐむ竜司を見て、シンジは少し気が晴れる。竜二の手を払いのけると、怪盗団に向き直った。
『……あぁ、その様子だと鬼ごっこは楽しんでもらえたみたいだね』
「難易度調整、明らかにミスってた! クソゲーもいいところだったからな!」
『そうかい、それは良かったよ』
双葉の文句を聞いて愉快そうに笑い、なんにせよ、と続ける。
『どうやらゲームは僕の負けみたいだね』
ゲームを仕掛けてきたとは思えない程に、淡白な反応だった。
あっさりと敗北を認めたシンジは、訝しげな怪盗団を意にも介さず、鍵を無造作に投げ渡す。
反射的に受け取った白野の手には、家の鍵とは別に、小さな鍵が収まっていた。
『オタカラは引き出しに入っているよ。それはその鍵さ』
「……なんのつもり?」
『別に、何の意図もないよ』
ただ要らなかったからと、シンジは言うけれど。納得できるはずも無かった。
「では、なぜゲームをしたんだ?」
シンジは祐介を一瞥する。塀に深く寄りかかり、億劫そうに答えた。
『僕が知りたいのは、あいつとお前ら、どちらが正しいのかだよ。普段の勝負事は絶対に勝つ気でやるけれども、このゲームに限ってはどうでもいいのサ』
正しさ、と春が小さく繰り返す。
「……あなたは、慎二くんを改心させるべきじゃ無いと思ってるってこと?」
悪人ではなく、怪盗団の協力者と言える人物を改心させる事は、良いことなのか。そういう意味だと春は受け取ったのだけど。
『救われたくない奴をわざわざ苦労して救う必要も無いだろう?』
思っても見ない言葉に、息をのんだ。それはまるで、慎二が自ら進んで苦難の中にいるかのようだった。
白野が思わず問いかける。
「……慎二は、救われたく無いの?」
何を当たり前な事を、とシンジは鼻で笑う。
『佐倉慎二はさ。自分しかできないと思い上がって、勝手に突っ走った、大馬鹿なんだよ。そんなやつ、見限られても仕方ないと思わない?』
それが自分だったら尚更ね。
その時、白野は気づいた。シンジの瞳に浮かぶ感情は、蔑みではなく、憐愍であることに。
『全てを自分の責任だと思い込んでいるから、自分が幸せになることが許せないのさ』
自分のせいで不幸になった人がいるのならば、自分は苦しみ続けるべきなのだろう。そう決めて、他者との関わりを絶った。
シンジはそんな佐倉慎二を馬鹿だとは思うけれど、嫌いなわけでは無かった。
だからシンジは、慎二の感情を否定しない。
救われたくないなら、放っておけば良い。
けれど。
『……はっ、そうか。おまえには関係なかったか』
白野のまっすぐな視線を受けて、シンジは力を抜いた。
無駄な事を考えていた、自分に呆れる。正解がどちらかなんて、見当外れも甚だしい。
だって、そうだろう。
彼女らのペルソナは、叛逆の意思の化身。
『佐倉慎二がどんな思いを抱いていたところで、関係なく、容赦なく救い上げる。そんな奴だよな、おまえは』
別に、正しくなくてもいい。
望まれていなくたって構わない。
心の奥底から聞こえる、叫びに従って。
「進み続けるだけ。……もしかして、どこかで、会ったことある?」
『さてね』
白野の問いにシンジは軽く微笑んだ。
『そうだな……僕もおまえを見習って、ワガママに行動するとするか』
寒い冬の日にするような、大きな息を吐いて。
白野の瞳に、胸の中に確かに残っている、友の姿を重ねながら。
シンジは結末を見届けることを決めた。
相好を崩したシンジを見て、白野は緊張を解く。そして、わざとらしく頬を膨らませて。
「言われてるよ、竜司」
「……え、いや話の流れぇ! どう考えても白野の事だろーが!」
「この流れでサラッと人になすりつけるの凄すぎでしょ」
一瞬で空気を切り替えた白野に、杏は思わず唸る。
「竜司はワガママじゃないよ。ただちょっとだけ猪突猛進というか。短気なだけで、やる時はやる子なんだから!」
「春。それ全然フォローになってないわよ」
「ま、日頃の行いってヤツだな」
「うっせー猫!」
「猫じゃねーしぃ!? どう足掻いても人間だしぃ!?」
『くだらないこと言ってないでさっさと行けよぉ!』
感傷に浸っていたシンジはキレた。
シンジに貰った鍵を使い、家へと入る。
外と同じで変化は見当たらないが、確かに感じるオタカラの匂いに、モルガナの目つきが鋭くなる。
廊下を歩き、白野は慣れた手付きで慎二の部屋に入る。
シックな色調の整理された部屋に、ちゃぶ台と座布団が置いてある。部屋の主のセンスとは思えず、双葉は恐る恐る白野に問う。
「白野、部屋を浸食してね?」
「寛ぎやすいでしょ」
「……そうだな!」
あまりにも堂々とした態度に、双葉は思考を放棄した。
モルガナは部屋を見渡して言う。
「妙だな。この部屋に実体化前のオタカラがあると思ったんだが。あんなもやもやが机の中に入ってるのか?」
「ま、とりあえず開けてみれば良いんじゃね?」
竜司の言葉に、白野は頷く。真剣な表情だが、手がわきわきと動いていた。
隠し切れていない欲望に真は視線をそらした。
「……今更だけど、民家に侵入して物を漁ってるって、状況だけ聞くととんでもないわね」
「怪盗か、これは? 空き巣の間違いではないか?」
彼らの疑問を置き去りに、そのまま机の鍵を開けようとして――気づく。
「嘘、でしょ」
「……白野?」
違和感は、あった。
現実と変わらない世界。
認知存在の佐倉惣治郎という協力者。
教会に着いてから、一向に現れないシャドウ。
怪盗団にとって、あまりにも都合が良い話だった。
パレスはそう甘くないと知っていた彼らならば、疑問を持つことができたはずなのに。
考えることを止めてしまっていた。
白野は、早く気付くべきだったのだ。
マトウシンジが安々と怪盗団を通した、その意味に。
「―――いや机の鍵、ナンバー式じゃん!!」
魂からの叫びだった。
「えっ。ちょ、ウソ! 開かないじゃん!?」
「……鍵穴が、何処にもない……っ」
「じゃあこの鍵なんなんだよ!?」
なんなんだろうね。
「鍵はフェイクだったっていうの? 何の為にこんな事を……?」
「ただの嫌がらせじゃね?」
「あれだけ恰好をつけていたのにか!?」
驚愕の真実に、歴戦の怪盗団といえど動揺を隠しきれなかった。
そんな中、春は引き出しを無表情で見つめ。
「……もう、机を壊しちゃおう?」
「春さん!?」
抑揚のない言葉に竜司は一歩下がった。
「は、春、ちょっと落ち着いて」
「でも、一番手っ取り早いと思わない?」
「確かにそうだが、それはもう絶対に怪盗ではないぞ」
「私たち怪盗はナメられたら終わりなんだよ。やり返さないと」
「何処の不良!?」
春の暴走が止まらない。
このままでは春が闘争本能に飲まれ、破壊の限りを尽くしてしまう。杏は咄嗟に振り返り、モルガナに声をかけた。この中で一番怪盗に矜持を持っている彼ならば、何とかしてくれるはずだ。
「モルガナ! 何とか言ってあげて!」
「うーむ。……許可する」
「なんで!?」
裏切られた。
「どうしたんだモルガナ! 猫猫言われ過ぎて壊れたのか!」
「ちげーよ! だってしょうがないだろ。ナンバーの手がかりなんて何もねぇんだぞ? この広いパレスを一から探索し直すよりは、壊した方が早いだろうが」
パレスにも、認知存在の話にも、手がかりは無かったように思う。何の情報もないままに探し物をするには、慎二のパレスは広すぎた。
「いや、でも、白野に何か心当たりがあるかもしれないし!」
「……ごめん、無いわ」
「じゃあせめて、この部屋の中だけでも探そ! ねっ!」
無かったら諦めるから、と必死に訴える杏。
確かに、慎二がどこかに鍵の番号をメモしていてもおかしくはない。
怪盗団は本棚やクローゼット等を一通り探して。
「無いね」
「…………壊そっか」
杏は肩を落とした。希望なんて無かった。
皆の表情が死んでいる中、モルガナは空虚な笑みを浮かべる。
「もはや手段は一つだな。やるしかないか」
「まさかここまで来て力技とはな……」
「じゃあ行くよ。ペルソナ!」
「春、ペルソナ使うのはさすがにやりすぎでしょ!?」
「畜生、絶対許さないからな、マトウシンジ―――!」
――――――――――――
『…………あっ』