きっかけはもうほとんど覚えていない。
多分、身近な誰かが精神暴走事件に巻き込まれたのだと思う。昔の僕は正義感が強く、間違ったことは許せない質だったから、がむしゃらに首を突っ込んで行ったんじゃないかな。
そして運が悪い事に、僕はパレスの存在にたどり着き。理不尽に対抗する力を得てしまった。
ペルソナ。心に秘めたもう一人の自分。反逆の意思が仮面となって現れ、超常的な力を行使する事ができる。
そんなモノを手に入れてしまったから。選ばれたんだと思ってしまったから。もう止まれなくなってしまった。
精神暴走事件の真相を追った。
裏にいる黒幕を改心させた。
世界を救った。
―――だけど、身近な人は誰一人救えなかった。
脳裏に刻み込まれている。
母さんが死んで。父さんが死んで。佐倉惣治郎が死んで。モルガナが死んで。坂本竜司が、高巻杏が、喜多川祐介が、新島真が、佐倉双葉が、奥村春が死んで。カロリーヌがジュスティーヌが新島冴が岩井宗久が武見妙が東郷一二三が吉田寅之助が川上貞代が御船千早が三島由輝が織田信也が大宅一子が。
ほとんどの者が死亡し。死ななかった者も、須らく不幸になった。
結局僕が守ったのは世界だけで。
本当に大事な者は何も掴めなかった。
それでも世界は回っていく。
世界を救った怪盗団という存在も人々の頭から徐々に薄れていき、やがて都市伝説程度になっていった。
僕が残したものは、もう何も無かった。
死にたかった。大切な人々を犠牲にして生き残った僕が楽になるなんて、許されるはずがないけれど。暗い砂漠を彷徨うように、生きていくしかなくて。
……今思えば、その時に死ぬべきだった。
見つけてしまったんだ。僕に希望を持たせる、呪いを。
聖杯戦争。
それは七人の魔術師が、願いを叶える聖杯を手に入れるために殺し合う儀式。
僕は何彼と非日常に縁があるようで、唐突にその参加権を得てしまった。
そんな希望を持たされたら、また歩き出すしかないだろ?
聖杯戦争は何故か、非常に都合が良く進んでいった。かつての戦いの経験も活かし、順当に勝利していって、なんと誰の犠牲も出さずに聖杯を手に入れる事ができたんだ。
手にした聖杯に、僕は願った。
「やり直させてくれ」と。
世界が流転した。
気がつくと、自分の部屋にいた。
懐かしい、ルブランに行く前の部屋。
日付を確認すると、どうやら僕は中学生の頃に戻ったらしい。両親の顔を見に行こうとして、転びかけてしまった。幾文か小さくなった体の感覚に戸惑う。自分の体じゃないみたいだ。
おそるおそる部屋を出て、食卓で食事を取っている母さんと父さんがいて、涙が出てしまった。
これで、やり直せる。
皆を救える。
今度こそ、幸せにしてみせる。
その誓いを、何度口にしただろうか。
千を超えたあたりから、数えるのは辞めた。
心が折れるから。
どれだけ鍛えても無駄だった。
仲間を増やしても、絆をより深めても、他の者に助けを求めても。
僕の大切な人は、尽く不幸になる。
死んでいく。殺されていく。
僕だけを遺して。
そうして僕はやり直す。
聖杯は僕に何度でもやり直させてくれた。
その事実だけが心の支えだった。
やがて僕は繰り返す事に慣れて。大切な人を見捨て、情報収集をするようになる。
何度やり直しても無理なんだ。なら次に皆を救えるように、今を捨てても構わないだろう。そんなゲーム感覚の、唾棄すべき考えだ。
救うための心当たりはあった。魔術の存在。
ペルソナの力で足りないのなら、魔術の力も合わせれば、救えるのではないか。
試す価値はあると思った。
ではどうすれば魔術を使えるようになるか。
魔術師を探し出し、恩を売れば、魔術を教えてもらえるかもしれない。そして恩を売る機会は、――よく、知っている。
僕は聖杯戦争で殺されかけていた人を助け、魔術の教えを乞うた。
そうして魔術を磨いて、皆を救おうとして失敗して、また魔術を磨く。それを繰り返す。
確か、その頃に岸波白野と会ったんだったか。
たまたま存在を知った、究極の演算装置。
名を、ムーンセル・オートマトン。
それを使えば、皆が幸せになれる道が分かるのではないか。そう思って、月の聖杯戦争に参加した。
結果は、ご都合主義のハッピーエンドだったな。ムーンセルですら、彼らを救う手立ては見つけられなかったけど。
どれほど魔術を研磨しても、徒労に終わった。
幾度繰り返しても守れない。
それでも、まだだ。
まだ諦めるには早すぎる。
きっと、救う方法はあるはずなんだ―――
「おはよう、慎二」
―――だれ、だ?
違う。
ここは僕の家の筈だ。
繰り返しの初めはいつも、食卓で両親が食事を取っていたはず。
その筈なのに。
なんで、一色若葉がここにいるんだ?
「……どうしたの? 顔色が悪いわよ」
体調が悪いなら言いなさい、と心配してくる彼女に。
震えながら問い掛ける。
「……少し。馬鹿な事聞いていい?」
「いいわよ? なにかしら」
「僕の名前、なんだっけ」
若葉さんは信じられない、といった様子で立ち上がり。
こちらに近づき、僕の額に手を当てる。
「熱は、なさそうね。体に違和感は?」
「……無いよ」
「そう。念の為、今日は休みなさい。自覚できてないだけかも知れないわ」
こちらを慮る若葉さんは、当たり前の様に告げる。
「貴方の名前は一色慎二。私の大事な、自慢の息子よ」
それは、間違いなく僕では無かった。
僕がやっていたのは、やり直しではなく。
違う世界へと渡ることだった。
平行世界の僕の人格を塗り潰し、擬似的にやり直しを可能にする。
なんて非道で、悪辣で、邪悪。
数多の僕を犠牲にして得られた物は、更に多くの死と不幸だ。平行世界の僕のままだったら、救えたかも知れない未来。それを、僕が壊した。
何がしたかったんだ、僕は。
大きなブレーキ音でふと気づく。
閑静な住宅街に似つかわしくない悲鳴が聞こえる。
目の前には、赤く染まった若葉さんが倒れている。
そうだ、僕が急に反応しなくなったから、心配した若葉さんが病院に連れていこうとして。
突然、彼女が車道に飛び出して……。
「あ」
また救えなかったのか。
「ああ」
違う、また僕が。
「あああ」
殺したのか。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああぁアあァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ―――――」
数多の世界に不幸を撒き散らす寄生虫。
それが、かつて雨宮蓮と呼ばれていた者の正体だった。
場違いなエレベーターの起動音が、牢屋に鳴り響く。
鉄格子越しに見えるエレベーターの光が点滅し、ここに降りてくることを示していた。
どうやら岸波達は帰ってくれなかったようだ。オタカラに満足してくれたら、僕も楽になれたのに。
……死に逃げるほど、楽な事は無い。
強烈な自殺衝動に、唇を噛みしめる。痛みと鉄の味にほんの少し落ち着いた。
ここじゃ誤魔化しようがないから、苦しくて、良いね。
ベルベットルームに似たこの場所は、僕の過ちの始まりだ。決して罪を忘れる事の無いように、僕が幸せにならない為だけに存在するパレス。
そう、それだけなんだから。
君達が来る必要なんて、無いんだけどな。
エレベーターの扉が開き、こちらへ歩いてくる一団を睥睨する。
ま、せっかくこんな場所まで来たんだ。
挨拶くらいはしてやろう。
「やぁ、心の怪盗団。僕の気持ち悪いポエムはどうだった?」
「……雨宮、蓮」
岸波白野は赤く腫らした目で、僕を見据えた。