じゃらじゃらと手足の鎖が音を鳴らす。
寝床から立ち上がって、牢屋の前に立つ懐かしい顔ぶれを眺める。一様に暗い表情を浮かべる彼等に、思わず頭をかいた。
「……あまり気にしなくていい。一人の男が分をわきまえずに出しゃばって、取り返しのつかない失敗をした。そんなの、よくある話だ」
「そんなわけ……っ、ねぇだろ!」
竜司が振り絞るように叫ぶ。
「俺達のために何度も何度も繰り返して、戦い続けた! 理解者もいねぇ、たった一人で! 苦しみ続けて、救おうとしてくれた! それを、よくある話で済ませていい訳ねぇよ!」
真っ直ぐな言葉に苦笑が漏れる。
相変わらず素直で、実直な男だ。
竜司の言葉に、そうだよ、と杏が手を固く握る。
「そんな事、普通できないよ。私だったら、すぐに心が折れてる。それでも諦めずに奔走してくれたのは、それだけ怪盗団の事を大切に想ってくれたってことでしょ?」
なのに、こんなの、あんまりだよ。
杏の目が涙で潤むのを、ぼんやりと眺める。
彼女にとって僕は他人だ。今初めて会った男ってだけ。
それなのに、これ程まで感情移入してくれるのは、それだけ彼女が純粋だということだろう。
こんなに良い人達を、僕は幾度も殺してきたんだ。
「同情してくれるのは嬉しいけど、僕は被害者じゃないよ。加害者だ」
「情状酌量の余地は多分にあるし、何よりも、貴方が殺したわけじゃないでしょう!」
僕の言葉に真が間髪入れずに否定する。
「雨宮君はやり直しが平行世界への移動だと知らなかった。仲間が亡くなってしまったのも、貴方の所為だとは限らないわ!」
「そうかな」
庇ってくれるのは嬉しいけど、物事には限度がある。
「やり直しの絡繰に気付く機会は幾らでもあったと思うよ。それこそ、数え切れない位に繰り返してたんだから」
「っ……」
「自覚の無い方がタチが悪い」
それに、と続ける。
「岸波なら救えたんだ」
僕がどれほど願っても。求めても。掴めなかった未来を、岸波は一度で手繰り寄せた。
それが全てだ。
どれほどの過程があろうと、結果が伴わなければ意味がない。人の命が関わるならば、尚更に。
そもそもの話、やり直す必要なんてなかった。聖杯への願いを、皆を生き返らせて、幸せにしてくれと頼んでいれば。……いや、こんなものに頼ったこと自体が間違いだったのだろう。
聖杯がろくでもない物だなんて知っていた。それなのに、縋ってしまった。
僕の弱さが大切な人を不幸にした。
それは間違いなく僕の罪だ。
「君達は心の怪盗団だろう。悪人の心を盗んで改心させる。理不尽を許さず罪を償わせる。そんな信念を持った君達なら、僕のような悪人に対してすることは一つだろう?」
さあ、改心してくれよ。
「オタカラを奪ってパレスを消失させろ。……ああ、もちろん僕は現実の自分の元に帰るから、安心して欲しい。廃人になって自殺なんてしたら、君達に迷惑をかけてしまう。それは僕の本意じゃない」
誰にも見つからない場所で、静かに逝くよ。
一色慎二の体を奪っておいて、その命を粗末に扱うのは気が引けるけれど。自分を乗っ取った奴が生きている方が、許せないだろう。
爺さんは……一色慎二がいなくなれば、悲しむと思うが。岸波達が支えてくれるだろう。心配はいらない。
もう、生きる理由は無くなった。
僕がいないほうが良いと分かったから。
やっと楽になってもいいって、思えるんだ。
終わらせてくれ。頼むよ。
「雨宮蓮。君がパレスを作ってまで生きていた理由は、まさか、マスターのためだったのか? 死んだらマスターが悲しむから。それだけで?」
「…………」
「そんなに傷ついて、ボロボロになっても。他の人を想いやれるのか。いや、想ってしまうのか。……悲しい男だ」
祐介が擦り切れた僕を見て、辛そうに眼を背ける。
そういう顔を見たくなかったから、来てほしくなかったんだけどな。
嗚咽を漏らしながら仲間の言葉を聞いていた双葉が、震える声を出す。
「嫌、だ。オタカラを、盗むなんて。終わらせるなんて、できないよぉ……!」
俯く双葉の頭を撫でて、春は奥歯を噛みしめる。
「どうにもならないの? 私達は、雨宮君を改心させるために来たんじゃない。救うために、来たのに……」
「僕に生きていてほしいなら何もせずに帰ればいい。パレスが残っていれば、僕はずっと目を背けていくだろうからね」
僕の言葉に、春は首を横に振る。
「このパレスがある限り、貴方の苦しみは無くならない。心の奥底で、自分を呪いながら生きていくっていうの? それじゃあ幸せになれないよ!」
「……はは」
僕が幸せになる?
生きる価値の無い、生きているだけで惨禍をもたらした、雨宮蓮が?
笑わせるな。
「とーっても憎くて、憎い憎い僕が幸せになるなんて、許すわけねぇだろ」
手のひらを見る。
何も掴めなかった、細い手。その手には見えないだけで、幾千幾万と浴びた血液がこびり付いている。
赤黒く、血腥い僕が、救いの手を取ったら。
君達まで汚れてしまう。
岸波を、怪盗団を、巻き込むつもりなんてない。
この罪は―――僕だけの物だ。
「オマエは心が強過ぎるんだな」
モルガナは腑に落ちた様に呟く。
「人は辛い現実に出会すと、目を背け、忘れる。これは別に悪いことじゃねぇ。人間が生きていく為に必要な機能だ」
人は、全ての困難に立ち向かえる訳ではない。
それだけの精神を持っていない。
だからこそ逃避し、自分を守る。
「だがオマエは、罪と向き合い続けている。自分をずっと許さずに、心に傷を作りながら生きていける。誰にも話さず、たった一人で耐えてしまえるほどに、強過ぎるんだよ」
それが悲運だったんだ、とモルガナは語った。
可笑しくて、小さく笑う。
心が強いのはどっちだよ。不屈の意思は岸波の専売特許だろう。
今も、救ってほしくない僕を。
絶対に諦めないと見つめ続ける岸波の方が、遥かに強靭だよ。
ああ――鬱陶しい。
「君達の選択肢は二つ。オタカラを盗むか、このまま帰るか。どちらかしか無いんだよ」
「できればオタカラを盗んでほしいかな、楽になるし。僕が死に逃げることを許せないなら、何もせず帰るといい」
「……諦めてくれ。僕を救う方法なんてないよ。だって僕には、」
死ぬ理由は腐る程あっても。
「生きる理由なんて、ないんだから」
「―――嘘だ」
透き通った声が響いた。
岸波が柔らかく笑う。
「貴方は嘘をついている」
確信を持ったその瞳は、宝石の様に輝いている。
意味が分からなかった。
僕は嘘をついてない。それなのに。
なんで彼女はあんなにも、艶やかに笑うのか。
乾いた口を、じわりと動かす。
「あぁ。確かに生きる理由があったね。一色慎二の体で死ぬ事への抵抗。それとも爺さんの事かな。でも、それは」
「いいや。それだけじゃないはずだ」
僕の言葉を遮り。
岸波は胸に手を当てて。
「蓮は、なんで私達を助けたの?」
そう問いかけてきた。
「怪盗団を助けることを諦めた。自分が関わると不幸になるからって、逃げたんでしょ。それなら一切を拒絶するべきだ。なんで助言をするなんて、中途半端な関わり方をしたの?」
「……先の事を知っていたら、教えたくもなるだろう。気まぐれだ」
「千回繰り返しても大切な人のために動き続ける人が、気まぐれ程度でブレるわけないと思うけどなー」
岸波は呆れたように呟き。
大きく息を吸い、言い募る。
「なんで私達をパレスから問答無用で叩き出そうとしないの? 説得なんてするよりも、その方が楽でしょう」
「なんで私と仲良くしてくれたの? 自分が不幸の原因だと思うなら、関わらない方が良いよね」
「なんで何回も繰り返して怪盗団を助けようとしたの? 辛いなんてものじゃない道のりを、ボロボロになっても、まだ歩いて。なんでそんなに頑張れたの?」
その答えを。
岸波は僕に突きつける。
「―――寂しいからでしょ。
仲間と一緒に生きたかったからでしょ。
一人は、嫌だ。
それだけなんじゃないのか!!!」
強い意志の込められた目は、鮮烈で。眩しくて。
思わず、後退る。
慄いた僕に、寄り添うように、受け入れるように。
岸波は真っ直ぐ手を伸ばす。
「それなら、私がずっと傍にいる!
加害者? 巻き込みたくない? 知るもんか!
私達は正義の味方なんかじゃない。
怪盗だ。世の中の理不尽に反逆する、ただのはぐれ者だ!
世界の全てが雨宮蓮を否定しようと。貴方自身が貴方を殺そうとしても。
私が何度でも肯定してやる。貴方の命を守ってやる!」
言葉に、呑まれる。
「―――例え貴方にとって、雨宮蓮が無価値でも。
岸波白野にとって、貴方は。
数なんかじゃ表せないくらいの、価値があるんだから!」
溢れんばかりの熱を叩きつけられて。
唇を、強く噛みしめる。
「…………なんで、そこまで」
「あなたが私に優しくしてくれたから。それだけだよ」
美しく、艷やかに歌われた岸波の想いに。
僕の心は、揺れた。
揺れてしまった。
「はっ」
認識が甘かった自分に失笑する。
どこまで馬鹿なんだ僕は。
岸波白野は全てを救えるヒーローだぞ。
僕如きの言葉で止められるわけがない。
過去も罪も想いも、全部吹き飛ばして救ってくる。
傍迷惑な救世主。
どうやら君がいると、僕は幸せになってしまうようだ。
「あぁ、僕が間違っていたよ」
重い手足をゆっくりと鉄格子に押し付ける。
「僕は自分を信じていない。皆の事を諦めた僕が、意思を貫き通せるはずがない。岸波に希望なんて与えられたら、きっと、生きるのが楽しくなってしまうんだろうな」
今の言葉ですら揺れたんだ。
ずっと傍にいられたら、いずれ心から笑ってしまうだろう。
そんなの、
「そんなの――許せない。なに人を殺しておいて幸せになってんだ! ふっざけんなぁ!!!」
激情と共に叫ぶ。
それは―――許せない。
僕の幸せを許せない。
君の存在を、許しておけない。
「岸波白野。お前を叩き潰す。僕を救うなんて二度と思えなくなる様に、念入りに可愛がってやるよ」
鉄格子を押し開けて、仮面を被る。
睨めつける僕を前に、岸波は悠然と髪をかきあげる。
「そんなに想ってくれるなんて。嬉しいな」
「はは。―――僕、君が大嫌いだ」
「そう? ―――私は、貴方が大好きだよ」
紡がれる愛の言葉に、僕は顔を歪ませて。
微笑みつつ構える岸波と、同時に仮面を引き剥がす。
互いに引けない想いの為に。
「「ペルソナァ!」」
戦いが、始まった。