雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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「せーんぱい!」

 

弾けるような声に合せて、背中にぽんと軽い衝撃を受ける。全く驚かなかったと言えば嘘になるが、別にとくに驚きもしなかった。一色を待っている時点でこの行動は読めていたし…ていうか既に経験済みだ。

 

「…あぁ」

 

淡白な返事をして振り返ると、コンビニ袋を後ろ手に提げた一色が上目遣いにこちらを見上げていた。昨日といい今日といい、毎度差し入れとはご苦労なことだ。まぁ一色に自腹を切るような甲斐性はないだろうから、恐らくこれも経費扱いなんだろう。

 

「リアクション薄すぎませんかね」

 

「だってお前のそれあざといんだもん」

 

一色はつまらなさそうに口を尖らせるが、生憎俺は生粋のぼっち。普通の男子ならころりと絆されてしまう一色のあざとさも、素知らぬ顔でスルーできる自信がある。人を疑うことに余念はないのだ。

 

「やだなぁ、素に決まってるじゃないですかー」

 

一色は冗談はやめてという手振りをしてから開いた手の甲をこちらに向け、指先を口許に持っていって微笑む。ほらもうそれがあざとい。

思わず溜息が漏れる。

 

「ていうか、先輩のソレもけっこうあざといと思うんですけどねー」

 

そう言いながら呆れたように一色は微笑んだ。少し下げられた視線は、手のひらを見せるように自身に向けられた俺の右手を見つめている。それから一色はゆっくりとコンビニ袋を差し出してきたので、俺も決められた所作のようにそれを受け取った。

 

「やだなぁ。素に決まってるじゃないですかー」

 

俺がそう言うと、一色はむっと頬を膨らませる。

からかうつもりで真似をしてみたのだが、これがなかなかに気恥ずかしくて気色悪い。俺は夕陽で赤くなった顔を隠すように踵を返した。

 

「ちょっ、待ってくださいよー」

 

そう言って慌てて後をついて来る一色と一緒に、俺はコミュニティセンターへ入っていった。

 

 

入口の自動ドアを潜るとすぐ右手には事務室がある。受付の横にはガラス製の小窓が付いていて、そこから中で事務作業をしている御婦人の姿が見えた。顔は覚えていないが髪は短く切り揃えられていて、多分昨日とは別の人だと思う。横切る際に目があったので二人で軽く会釈をし、それから階段を上る。二階へ行き右手に進むと教室の並ぶ廊下があるのでそこを左に曲がる。通路には左右合せて4つの部屋があり、手前の2つの部屋がサークル室1と2、奥の広めの部屋が講習室1と2である。俺たちは左手奥にある講習室1の前で立ち止まる。上着のポケットからスマホを取り出し、時刻を確認すると集合時間の5分前。うむ、時間通り。

 

「お疲れ様でーす」

 

一色の元気のいい声が室内に響く。と同時に部屋中の視線が集まる。両校のメンバーは既に揃っていて、さぁ準備は万端でございとでも言うようにみんな所定の位置に着席していた。決して遅れたというわけではないのだが若干の申し訳無さを感じたので、俺は一色の後に続いてそそくさと講習室に入る。

視線を動かして室内を見回すと、海浜高校側の玉縄から一番近い位置の席が空いていることに気付いた。昨日はその隣の男子が座っていたはずだが、と不思議に思っていると下手側の席に座る折本と目が合う。折本は静かに微笑むと小さく手を振ってくる。なんだからしくない。それにどことなく表情が堅い。中学を卒業して以来会っていない昔のクラスメイトに向かってそんな事を思うのもおこがましいがそう感じるのは折本に限ったことではなく、昨日は会議が始まるまでの僅かな時間にも賑賑しく雑談に花を咲かせていたはずの海浜高校の生徒全員が、なぜか今日は借りてきた猫のように大人しい。総武高校の生徒会役員が物静かなのは相変わらずだが、それゆえに奇妙な静謐が講習室に溢れかえっていた。

 

「やぁいろはちゃん。よかったよ。ちょうど今会議を始めようと思ってたところなんだ」

 

沈黙を破るように朗々たる声が通る。近寄ってきた玉縄に、一色はにこりと笑顔を返した。

 

「じゃあタイミングばっちりでしたねっ」

 

いやもともとこの時間から始まる予定だったし、一色がいなけりゃそもそも会議自体始められないだろ。

俺の心の中のツッコミは聞こえるわけもなく、二人はそのまま取り留めのない会話を続ける。互いに笑顔を向け合っているがそれは完全に作り笑顔で、まるで薄っぺらな仮面をつけて相手の腹を探っているように見えた。

 

「 あ、そうそう。実は今日うちの学校からオブザーバーとしてこの企画に協力してくれる生徒を呼んでてね。生徒会の人間じゃないけど優秀な人材だから、きっといいシナジー効果が得られると思うよ」

 

会話の中程、玉縄は思い出したようにそう言った。するとタイミングを見計らっていたかのように、背後で扉の開く音がする。俺と一色は同時に振り返る。

 

 

目に写るのは、腰のあたりまで艶やかに流れ落ちる黒髪。大人びて凛とした顔立ちは才色兼備という言葉がよく似合っている。羽織ったコートの袖から覗く手入れの行き届いた指先や、スカートの内側から伸びるスラッと長い足……水際立つその姿はまさに容姿端麗と言うにふさわしく、性格の事はさておいても見た目において欠点がない。いや、ひとつあるとすれば……

 

瞠若する俺をよそに、その女子生徒は一歩二歩とたおやかに近づいてくる。

“陽乃さんがそう答えたのなら俺から言う事は何もないよ。”

屋上で葉山が口にした言葉が、ふと頭に思い浮かぶ。いないのなら普通にいないと言えばよかった。そこを敢えて回りくどい言い方をしたのは、あいつなりの正義があったからだろうか…。そんなもの知りたくもないし、知る由もないが、たった今はっきりと解ったことがある。

そこに立っているのは、あの時俺が見つけられなかった少女……いないと言われた雪ノ下さんの妹。

 

雪ノ下雪乃だった。

 

雪ノ下雪乃は存在した。

 

 

 

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「ちょっとあなた、人が自己紹介をしているのに聞いていないなんて失礼にも程があるわ。学校で礼儀のひとつも教えてもらわなかったのかしら?」

 

「えっ?」

 

頬を叩くようなぴしゃりとした声に、俺ははっと我に返る。目の前には、目に剣呑な光を宿らせた雪ノ下の姿があった。

 

「それに初対面の女性をそんな目でジロジロ見るなんて…不愉快だわ。警察を呼ぶわよ」

 

雪ノ下は両肩を抱いて身体を反らせる。そこで俺は自分がずっと雪ノ下の胸元を見ていたことに気づいた。慌てて目を逸らせてかぶりを振る。

 

「いやっ、これは…」

 

何とか弁明しようと言葉を探すが頭が全く働かない。言い淀んでいると不意に脇腹にドスリと鈍痛が響き、うぐぅと唸る声が漏れる。それは隣に立っていた一色からの肘鉄だった。

 

「すみませんー。先輩には私からキツく言っときますんで」

 

そう言いながらも一色は俺の脇にグリグリと肘を押し付ける。

 

「あなたは…」

 

「はい。総武高校生徒会長の一色いろはです」

 

愛想良く返事をする一色を見て、雪ノ下は口許に手を当てる。

 

「…あなた一年生かしら?」

 

「そうです。よろしくお願いしますね、雪ノ下先輩。で、こっちが比企谷八幡先輩です」

 

「比企谷…八幡…」

 

雪ノ下は俺の名前を呟いてこっちを見る。それから頭のてっぺんから爪先まで値踏みする様に視線を這わせると、訝しげに俺を睨む。

いや確かにさっき胸元は見てましたけど別にいやらしい意味はホント全くなくて、ただ遺伝子は不思議だなーとか思ってただけで…それに途中から意識が飛んでてちゃんと見てなかったと言うか…

 

「…まぁいいでしょう。揃ったのなら早速会議に入りましょう」

 

「ですねー。ささっ、先輩はこちらへ」

 

雪ノ下は溜息をついてからそう言うと身を翻して空いている席に座ったので、俺も一色に促されつつ昨日と同じ席についた。

 

 

 

 

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「企画の概要としてまだちょっと固まりきってないから、昨日のブレストの続きからやっていこう」

 

玉縄が開口一番にそう言うと、海浜高校の生徒たちは一斉に挙手をして意識高い系の発言を繰り広げ始める。先程まで大人しくしていた反動か、過剰なやる気を見せる彼らの行動に思わず引いてしまう。

俺は配られた議事録に目を通す。そこにはロジカルシンキングうんぬんとしか書かれていない。カバンからクリアファイルを取り出し、昨日配られたプリントを引き抜く。見出しには明朝フォントで大きく「クリスマスイベント企画について」と書いてあり、それを強調するようにアンダーラインが引かれている。

 

 

海浜高校&総武高校生徒会合同

クリスマスイベント企画について

【概要】

海浜高校主導による、地域活性化を目的とした世代間交流イベント。この活動を通して地域の子供や高齢者の方々とのコミュニティを活性化し、地域ボランティア活動の一環とする。

【日程】

12月24日 午後

【場所】

コミュニティセンター大ホール

【目的】

地域交流、地域貢献を主題としたボランティア活動

【対象】

近所の保育園の園児やデイサービスへ通うお年寄りたち

【企画案】

・自主映画上映会

・寄席

・朗読会

・バンド演奏

・クイズ大会

・プレゼント交換

・ビンゴゲーム など

【検討事項】

1 セールスプロモーションとの連動方法、他媒体への展開方法を考える。

2 内製とアウトソーシングの分担の見直し。

3 スケジュールと予算の関係でオミットしたプランも列記しておく。

4 ヒアリング時に他プランとの兼ね合い可能かを確認しておく。

 

 

再読してみるが、こちらもこちらで大したことは書いていない。まぁ企画の素案としては纏められているほうだとは思うが、肝心の中身についてはまだ何も決まっていない。昨日の議題だって、滑車のように延々と同じところをぐるぐる回るだけで一向に先に進まなかった。

五里霧中というか出口の見えない迷路というか、なんとも暗澹たる気持ちになる。

 

俺は雪ノ下に目を向ける。雪ノ下は俺の隣りに座る一色のちょうど対面、海浜高校の生徒が座る長机の上手に座っていた。普通オブザーバーは積極的に話に参加することはないから会議の邪魔にならないように下手に座るはず(まぁ俺も部外者なのに一色の隣に座っているから人のこと言えないけど)だが、ホワイトボードを背負う玉縄から最も近い位置に座る雪ノ下に対して誰も文句も言わない。いや、もともと空席だったんだから雪ノ下の為に空けてあったんだろう。なんとなくきな臭いにおいがする。

そんな雪ノ下は、ひとり静かに配られたプリントに目を通している。周りでああだこうだという声が飛び交う中、まるで雪ノ下の周りだけ喧騒から切り離されたように穏やかな時間が流れているように見えた。少し前屈みの姿勢のため机の上には黒髪が垂れている。ここからだと表情は伺えなかったが、雪ノ下が右手の小指を優しく折り曲げて黒髪を流麗に耳元にかき上げると、白く透き通った雪ノ下の顔が姿を見せる。その仕草につい見蕩れていると、視界が広がったせいか、俺の視線に気づいた雪ノ下は顔を上げ再び剣呑な視線を送ってきた。俺は反射的に視線を逸らす。雪ノ下はしばらくこっちを睨んでいたが、やがてプリントに視線を戻した。

 

俺は弛緩したように息を吐くと、手持ち無沙汰にシャーペンをノックする。何か書くつもりもなかったが、芯は出なかった。どうやら芯が切れていたらしい。俺はペンケースから予備の芯を取り出し、親指と人差し指で摘む。上からではなくペン先から針の穴を通すように、折らないように慎重に芯を差し込んでいった。

 


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