雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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部室に付くと、海老名はポケットから鍵を取り出し慣れない手つきで扉を開ける。閉切られていた部室は時間が止まったかの様に音もなく、当然そこに雪ノ下の姿はない。当たり前と言えば当たり前であるが、この空っぽの教室を見ているとまるで初めから奉仕部なんてものは存在しなかったのではないかとさえ思えてくる。

俺は抱いた憂心を誤魔化す様に、いつも通り長机の端の椅子に腰掛け小説を読む事にした。

しばらく静かな時間が流れた。海老名は鍵を開けた後も帰る様子はなく、いつの間にか取り出したスマホをしていじっていた。頼まれた手前、雪ノ下が現れるまではいるつもりなんだろうか。

時折、画面越しにチラチラとこちらを見ているのが気配で分かる。ぼっちは他人からの視線にものすごく敏感なのだ。大方「気まずいから何か話しかけた方がいいかもだけど、よく知らないクラスメイトでしかもぼっちだしなー」とか思っているんだろう。

俺なら周りにどんな人間がいようとも無関心を貫く自信があるが、こんな状況でも気を使おうとする海老名はやはりリア充寄りの人間なんだろう。さすが腐ってもクラスのトップカーストメンバー。

俺は手にしていた小説を閉じ、小さく息を吐く。

 

「そう言えば、由比ヶ浜のやつ遅いな。まだ三浦と話してたのか?」

 

「え、結衣?まだ優美子と話してると思うけど……あれぇ、比企谷君ひょっとして結衣の事好きなの?」

 

海老名は嬉しそうに顔をこっちに向けると、からかう様に微笑む。

修学旅行での依頼の時多少話しはしたが、この態度はいささか馴れ馴れしすぎやしませんかね?勘違いして友達だと思っちゃうじゃねぇか。

 

「なんでそうなるんだよ。何でもかんでも恋愛に結びつけるのやめてくれない?」

 

これだから女子高生というやつは…。

 

「ごめんごめん。でも何で結衣?依頼とか受けてたっけ?」

 

海老名はスマホを机の上に置くと、何やらちぐはぐな事を聞き返してくる。

 

「依頼って……いや、あいつも一応奉仕部だし…」

 

「え……?」

 

海老名はきょとんとした顔で首を傾げる。

俺は海老名がそんな反応をする意味が分からず、室内には暫しの沈黙が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんっ遅れた!」

 

そんな沈黙を破る様にガラリと部室のドアが開く。入ってきたのは細身の長身でスタイルの良い女子生徒だった。青みがかった長い白髪をポニーテールにまとめたその顔は、急いできたのか薄いピンク色に染まっている。

 

「あっ、さきさきー。今ね、比企谷君が変な事言ってたとこなんだよ」

 

「比企谷が?」

 

川崎は不思議そうな顔でこっち見を見てくるので、俺も同じ様な表情を返す。俺がいつ変な事を言ったんだろうか。…ていうか、何しにきた川崎。

 

「なんかね、結衣が奉仕部の部員だって言ってるんだよ」

 

別に変じゃないよね?

海老名のよく分からない言葉に、川崎も驚いた顔をする。だが、ため息をついた後に発せられた川崎の言葉は俺の予想に反するものだった。

 

「比企谷……由比ヶ浜みたいに高校生活を満喫してるような奴がこの部に入ったりするわけないでしょ」

 

呆れた様に言う川崎は、海老名の言葉をおかしく思っている様子もなく言葉を続ける。

 

「ここにはあんたみたいな高校生活に馴染めないはみ出し者しかいないよ」

 

「さきさき、それだと私たちもはみ出し者になっちゃうからあんまり堂々と言わない方がいいんじゃないかな?」

 

「えっ、いや…そっ、それは置いといて…」

 

海老名のツッコミに若干顔を赤らめる川崎はオホンと咳払いをして誤魔化した。

 

「あんた授業中もずっと寝てたみたいだし寝ぼけてるんじゃない?顔でも洗ってきたら?」

 

そう言って川崎はポケットから取り出したハンカチを差し出してくる。受け取ったそれは白いレースの、花の刺繍の入ったいかにも女の子らしいもので、ほのかに洗剤のいい香りがした。

しかしそんな気持ちの落ち着ける香りに反して、俺の頭は二人の会話を全く理解できずに混乱していた。確かに俺は、昨日はなかなか寝付けなかったせいで授業中もうつらうつらしていた。しかし、そんな事で勘違いしてしまう程の浅い記憶な訳がない。由比ヶ浜が奉仕部なのは紛れもない事実だ。どちらかと言えば、今の状況の方が夢まである。

俺がハンカチを握ったまま言葉を失っていると、川崎は話題を変える様に海老名に話しかける。

 

「そう言えば鍵ありがとね。助かったよ」

 

「いいよ。私もたまには訳に立つでしょ」

 

得意気に答える海老名。だが、その会話を聞いた俺は更に頭を混乱させる。

 

「ちょっ、ちょっと待てっ!海老名に鍵頼んだのはお前なのか?」

 

「そうだけど…何?」

 

川崎は怪訝そうな顔をする。

 

「……海老名、お前に鍵を頼んだのは、雪ノ下じゃないのか…?」

 

恐る恐る尋ねると、海老名は先程と同様に首を傾げる。

 

「えっと…誰?それ」

 

「いや、雪ノ下雪乃だよ。お前も知ってんだろ」

 

「…ごめん、ちょっと分かんないかも」

 

海老名の困った表情を見て、俺の心に焦りと不安が生まれる。

 

「川崎は!お前は知ってるよなっ、雪ノ下雪乃!二年J組のっ、国際教養科の!」

 

普段よりも大きい俺の声に川崎も一瞬たじろぐ。

 

「い…いや、私も知らないし。て言うか、雪ノ下雪乃なんて名前聞いた事ないんだけど」

 

「それに、私たちの学年にJ組はないよ。国際教養科はI組じゃなかったかな?」

 

「いや、何言ってんだおまえら…。さすがにそれは無理があるだろ。昨日だってここに雪ノ下と由比ヶ浜は……」

 

言いかけて俺は言葉を噤む。川崎と海老名は不思議そうにこっちを見ていた。その表情にからかっている様子はなく、嘘をついている様にはとても見えなかった。

 

「……マジか?」

 

川崎と海老名は顔を見合わせる。それからこちらに向き直りこくりと頷くのを見て、俺は俯き頭を抑える。

コイツらの話は本当なのか?俺がおかしいだけなのか……いや、にわかには信じられない。だとしたらこの記憶はなんだというのか…。

襲ってくる不安を振り払う様に俺は立ち上がった。勢い良く立ったので椅子がガダンと大きな音を立てて倒れる。

 

「ちょっと比企谷っ!」

 

川崎の呼ぶ声が聞こえたがそんな事を気にする余裕もなく、俺は部室を飛び出した。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

部室を飛び出した俺は二年J組、雪ノ下の在籍するクラスの教室の前まで来ていた。二人の話を聞いて、自分の目で確かめずにはいられなくなったのだ。どうか勘違いであってほしい…そう心の中で願いながら来てはみたものの、J組に近づくにつれ漂って来る違和感の様なものが俺の心を焦らせる。

その教室は窓も扉も全て閉まっていて、中から人の気配はしなかった。放課後だからだと言えばそうなのだが、それにしてもあまりになさ過ぎる。息を切らして来たからか胸騒ぎからか、冷や汗が背筋を通り、心臓がバクバクと早鐘を打つ。

俺は水面に張った薄い氷の上を歩くように教室に近づき、そしてゆっくりと扉を開ける。

 

 

 

「どうなってんだ…」

 

教室の中には誰もいなかった。放課後という事を考えればおかしくない状況……しかし、そんな事では説明しきれない不可解さがあった。普通なら生徒の持ち物が多少なり残っていたり、学年新聞などの張り紙が後ろの掲示板に張り出されているのだがそういったものがまるでない。それ以前に机の数が明らかに少ない。教卓は見当たらず、普通のクラスの三分の一程度しかない生徒用の机も、その全てが教室の後ろに下げられ天井高く積み上げられられていた。そして広く開いたスペースには椅子が一脚ちょこんと置かれていて……まるで、俺が初めて雪ノ下と会った時の部室のようだった。

俺はよろめく様に後ずさり廊下へ出る。そこで見上げた教室のプレートに二年J組の文字はなく、真っ白な板が突き刺さっているだけだった。

ここは二年J組じゃないのか?教室を間違えたのかとも思ったが、隣の教室には二年I組のプレートが掲げられていて、教室の並びから考えてもここがJ組に間違いはなかった。

 

現実を認められず立ち尽くしていると、隣の教室から僅かに人の話し声が耳に入ってくる。俺は壁に手を添えながらI組へ向かう。中を覗くとまだ数人生徒が残っていた。廊下側の席で帰り支度をしているメガネを掛けた地味目の男子生徒と、窓際で喋る活発そうな三人の女子生徒である。恐らく聞こえてきたのは彼女らの声だろう。

その中で俺は、近くに座っているメガネ男子に声を掛ける。

 

「なぁ、ちょっと聞きたいんだけど」

 

「何ですか?」

 

「…隣のクラスの雪ノ下ってもう帰ったか?」

 

「いや、ちょっとわかんないけど……いないならもう帰ったんじゃない?」

 

「J組なんだけど…」

 

「J組?J組なんてないよ。隣はずっと空き教室だし…」

 

「いや、そんなはずねぇよ。J組はあるし、雪ノ下だっているはずなんだっ」

 

焦りと不安からつい声が大きくなってしまい、そんな態度にメガネは驚いて身体を強張らせる。窓際で話していた女子生徒たちも、何事かとこちらを見る。

 

「そっ、そんな事言われても知らないよ。じゃあっ、もう俺行くからっ」

 

「あっ、ちょま…」

 

そう言うが否や、メガネは逃げる様に教室を去って行く。俺は引き止めようと手を伸ばしたが、女子生徒たちが不審者を見る様な視線を向けながらコソコソ話をしているのに気付き思いとどまる。会話の内容までは分からないが、変な噂を立てられてしまうのはマズい。

速やかにここを立ち去らねば…そう思い踵を返そうとした時、後ろから声をかけられる。

 

「やっぱりここだった」

 

振り返るとそこには川崎と海老名の姿があった。恐らく会話の内容から俺の行き先を推察し、後を追って来たんだろう。

 

「比企谷君どうしたの?今日ちょっと変だよ」

 

「あんたまだ疲れてるんじゃない?今日はもう帰りな。家まで送ってったげるから」

 

二人は心配そうに話しかけて来るが、逆にその優しさが俺の心に辛く伸しかかる。自分は正常なのにそれを信じてもらえず、どこかおかしいと思われるのはなかなかに堪えるものがある…。

 

「…大丈夫だって」

 

「でもこの間の一色さんからの生徒会選挙の依頼、色々大変だったんでしょ?私たちは知らないけど、比企谷君きっとすごく頑張ってくれてたんだよね」

 

「何言ってんだ…生徒会役員選挙なんて一ヶ月以上も前の話だろ」

 

確かに一色には手を焼かされているが、どちらかと言えば今手伝っているクリスマスイベントや奉仕部の現状の方が厄介である。なぜ問題を抱えている時に限って、次々とこう積み重なっていくのか…。

そう思いながらふと教室に目をやると、黒板に書かれた文字が目に留まる。

 

「おい……今日って何月何日だっけ?」

 

俺は震える声で尋ねる。

 

「何言ってんの?そこに書いてあるじゃん」

 

そう言って川崎は黒板に書かれた日付を指差す。

別に見えなかった訳じゃない。ただ黒板に書いてある日付が間違っていないか確認したかっただけだ。しかし、川崎の口ぶりから日付に間違いはない様だった。

 

黒板に記されていたのは、生徒会役員選挙から一週間程過ぎた…俺が雪ノ下雪乃を見つけ出す事ができなかった昨日よりも一ヶ月以上前の日付だった。

 

 

 

 

 

 

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